【17】大人になるまで
あけましておめでとうございます!
「なぁ主、兄上に付いていってもいいか?」
次の日、そろそろ帰ろうかとフェザーに話しかけたらそんなことを言われた。
ひゅっと息が詰まるような感じがして、黙り込む。
「明日までここに滞在して後、兄上はお世話になっている国へ帰るみたいで、我も一緒に行かないかと誘われたんだ。南の方にあって、水上にある街だということだ。とても綺麗で素晴らしいところだと兄上が言っていた」
フェザーはとても楽しそうだ。
興奮した様子で、兄のヴィーから聞いた話を私に聞かせてくれる。
フェザーはお兄さんのところに行きたいんだ?
家族と一緒のほうが嬉しいし、フェザーはお兄さんのことを慕っていた。
誘われて行きたいというのなら、止める権利はない。
何でこんなにショックを受けてるんだろうと考えて、フェザーは当たり前のように私の側から離れないと思っていたことに気づく。
何でそんな勘違いをしていたのかな。
フェザーにとって、私は家族でも何でもない。
住んでいる屋敷でお世話になっている人という程度の間柄だった。
「どうした、主? ぼーっとして」
「……ううん、何でもないのよ」
黙り込んでいたら、フェザーが不思議そうに尋ねてくる。
あっさりとしたその態度に、傷ついているなんて言えるわけがなかった。
屋敷の少年達を、しっかり育て上げて、もしもできるなら親元に帰してあげよう。
最初はそう思っていたはずだ。
家族と一緒にすごせるなら、それがフェザーにとって一番いい。
わかってる。わかってるのに、素直に送り出してあげられない。
「メイコ」
この気持ちを読み取ったイクシスが、私の名前を呼ぶ。
大丈夫だというように笑って見せれば、何も言わなかった。
「わかったわ。フェザーがそうしたいなら……行っておいで」
こみ上げてくるものをぐっと堪える。
ちゃんと笑えているかは、よくわからない。
口でいったのとは逆の言葉を、心の中では繰り返していた。
「本当か! ありがとう主! お土産を沢山買ってくるからな!」
フェザーが嬉しそうに、そう口にする。
「おみ……やげ?」
「あぁ。兄上の国は、装飾品の加工で有名らしいんだ。もっと主に似合う髪飾りを買ってくるから、楽しみにしていてくれ!」
にこにこというフェザーに、思わず力が抜けてその場に座り込む。
お土産ということは……私のところに帰ってきてくれるということだ。
「一ヶ月後、またここに兄上が送ってくれると言ってるから迎えに来てほしい。近くなったら、便りを送るから……って主、どうしたんだ!?」
話に夢中になっていたフェザーが私の異変に気づいて、ぎょっとした顔になった。
おろおろとした様子で、フェザーが私のまわりを回る。
「我が何かしたか? やっぱりお土産は食べ物がよかったか? もちろん主の好きそうなものをいっぱい買ってくるつもりでいるぞ!」
見当違いな心配をして、フェザーが必死にアピールしてくる。
「ふふっ」
「なんだ、一体主はどうしたんだ!?」
どれだけ食い意地が張ってると思われているのかと思えば、何だか笑えてきて。
余計にフェザーは混乱したみたいだった。
「メイコはお前が兄のところに行ってもう帰ってこないつもりなんだって、勘違いしてショック受けてたんだよ。さっきまで物凄く沈んだ感情が伝わってきてたからな」
「そうなのか、主?」
イクシスが人の気持ちを代弁してくれて、フェザーが私を見つめてくる。
「えっと……その、まぁね」
頷くのは結構恥ずかしい。
イクシスときたら、どうして人の気持ちを勝手に言ってしまうのか。
「寂しがってくれたのか?」
「当たり前でしょ」
「それは我が主の使い魔だからか?」
そんなこと、頭にもなくて首を横に振る。
「主は、我にいてほしいのか」
目の前にしゃがんで、フェザーがぎゅっと手を握る。
答えを確認するような響きがあった。
うん、と頷こうとして、昨日のセスタの言葉が頭をよぎる。
――あんたの国は窮屈で、獣人は生きづらい。
俺の国には身分制度なんてものはないから、フェザーが自由に生きられる。
それに、兄と一緒のほうがあいつにとっても幸せだろ?
本当は、セスタが正しいことくらいわかっている。
フェザーのことを真剣に想うなら、お兄さんの元に行かせてあげるべきだ。
そこでなら、獣人は自由に生きられるし、将来の選択の幅だって広がる。
私だってそれは、望むところのはずだ。
でも、この手のぬくもりが。
まっすぐにこちらを見てくる眼差しがなくなってしまうのかと思ったら。
嫌だ、手放したくないと思ってしまう。
「……フェザーがいないと、寂しい」
結局出てきたのは子供がわがままをいう時のような、どうしようもない泣きそうな声。
フェザーはきっと呆れているんだろうなと思って、俯く。
多分、私は今物凄く情けない顔をしているから、見られたくなかった。
フェザーよりずっと大人で、子供のフェザーのことを考えてあげなきゃいけない立場にいるのに。
最良の選択がそこにあるとわかっていて、それでもフェザーを側に置いておきたいなんて思っていた。
「主」
額の髪をさらりと掻き上げられて、そこに触れるだけのキスが落とされる。
驚いて顔をあげれば――そこには、私とそう変わらない年頃のフェザーがいた。
「えっ?」
「我は主の側を離れない。どこにいたって、我の心はもうとっくの昔に主のものだ」
いつもより低く響くフェザーの声。
すっと伸びた鼻筋に、大人びた顔立ちだけれど、意思の強そうなその瞳は変わらない。
「ずっと不安だった。夫婦の絆も、使い魔としての契約もなければ、主が我を側に置く理由は何もない。我だけが……主と離れがたいと思っているのだと、思っていた」
そっと体を抱き寄せられる。
フェザーの体の熱が、こちらまで伝わってくる。
「なぁ主よ。主の心も、少しは我にあるんだと……うぬぼれてもいいか?」
耳元で切なげな声がして、そっと体が離れた。
許しを請うかのように指先に口づけを落とされて、大きくなった手のひらが手の甲を撫でる。
可愛かったフェザーが、私の知らない男の人になってしまったようで戸惑う。
「何で、フェザー……変身して?」
「獣人は恋をすれば、大人の姿になれる。主も知っているはずだろう」
フェザーが立ち上がって、私を立たせた。
大人姿のフェザーは私よりも背が高い。
「我の気持ちは疑う余地もないだろう? とっくの前に、この姿にはなれるようになっていた。ただ、我だけがこんなに想っているのは不公平のように思えて、黙っていたんだ」
再度、フェザーが私の体を抱きしめてくる。
「主の体が、腕の中に収まるな。ずっとこんなふうに主を抱きしめたかった」
幸せそうな声が耳をくすぐる。
「我は、夫婦の契りを交わしたから、使い魔だからではなく、主の側にいたいんだ。例え側にいるための理由がなくとも、主と共にありたい。主が我のことをどう思っていようとも、我の気持ちは変わらない」
自分の気持ちをそのまま目の前に出して、見せるかのような告白。
どこまでも真っ白な好意は、ストレートに胸に響く。
「我はやはり、想うだけでなく想われたい。他の誰でもない主に想われたい。大人になって、色んな人を見てから決めろと主はいうが……そもそも、我は主以外が相手では大人になれないんだ」
主の言うことは、矛盾しているとフェザーは言う。
獣人が大人になるには、好きな人と肉体的に結ばれる必要がある。
そのことをフェザーは言ってるんだろう。
私が好きなんだと、これ以上ないくらいに強く教えられるようだった。
焦げ付くような視線に、どくどくと心臓がなる。
相手はフェザーなのに、どうして私はこんなに動揺しているのか。
落ち着いてと、自分に言い聞かせる。
まだフェザーは子供で、見た目はこうなってしまったけれど、まだ十二歳だった。
その年齢を思い出せば、少しだけ頭に冷静さが戻る。
「あのね、フェザー」
「わかっている。主の気持ちは、まだ我と同じではないんだろう? 今はそれでいい」
私の唇に人差し指を当てて、フェザーが言葉を遮る。
「我が大人になるまでは、待つと約束したのは主だ。義理固い主は、約束が守られるまでは未練があるから、誰のものにもならずにここにいてくれるだろう? 我も、主が我を大人にしてもいいと思える時まで、待つつもりでいる」
ぐるぐる回るようなことを、フェザーが言って微笑む。
結局どちらも、最終的には同じところに行きつく。
逃がすつもりはないんだと、強い力の宿る瞳がこっちを見ていた。
可愛いと思っていた小動物が、実は立派な爪を持つ獣だった。
油断していたら、逃げられない罠の中にいつの間にかいた。
例えるならそんな気分だった。
純粋なフェザーが、そんな欺し合いの言葉遊びみたいなことをすると思ってなかったから戸惑う。
「そうはいっても、我はそう気が長くないのでな。主が我を早く大人にしたいと思ってくれるように、頑張る所存だ」
その日を楽しみしていると、フェザーは不敵に笑って。
私を射貫くように見つめながら、指先にもう一度口づけを落とした。




