表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/130

第三十七話 『ベリアルの友人』 3. 迷惑な友人

 


 夕季は真剣なまなざしで前を見据えていた。

 なおかつ、口を思い切りへの字に曲げ、いかにも不機嫌そうな表情でもあった。

 それはスカートのままの制服姿からは似つかわしくないアイテム、白いプラスチックのヘルメットと金属バットをかまえていたことにこそ由来する。

「夕季、頼むぞ」

 のんきなその呼びかけにギロリと迸る眼光を打ち向ける。

 が、当の本人、光輔は、なんら悪びれる様子もなく、左側のバッターボックスの脇からクラウチングスタートの体勢で一塁ベースをうかがうのだった。

 スパン、とゆるやかなストライクが決まり、光輔が声を荒げる。

「何やってんだよ、前見て、前!」それからやや恐縮気味のピッチャーに朗らかな声を仕向けた。「あ、マジで手加減とかいいから。こいつバッティングセンターのタイトルホルダーだから、なめたらひどい目に合うよ」

 ギラリと極太のビーム砲を放つ夕季。

 それを何ごともなくさばき、光輔は夕季に更なるダメ出しを繰り出した。

「前、前!」

 光輔を睨みつける夕季の胸元付近へ、シュッと打ち頃のストレートが飛び込んでくる。

 ギリと歯噛みした後、ちらと向けた視線一つで、夕季は吸い込まれるようなスイングでそれを弾き返した。

「よし!」

 そう叫んだ光輔が、わずか一秒後にダッシュを自主的に解除する。

 そこにいた全員が同じ表情で見守る打球の行方が、走る必要がないものであることに気づいたからだ。

「もういいよね、俺……」

 やや引き気味の顔を夕季へと向ける光輔。

 そのやらかした人間を見つめるようなまなざしに、夕季の心が爆発した。

「光輔!」

 山凌学園のグラウンドでは、大学受験を前に、壮行会も兼ねて、野球部の現役部員対元部員の三年生達との引退記念試合が行われていた。

 茂樹の誘いで観覧に赴いた光輔と夕季だったが、元々七人しかいない三年生の内の二人が校内放送での赤点呼び出しによって戦列を離れ人数不足となったため、現役部員の補欠枠である茂樹らとともに急遽光輔が駆り出されることになったのである。

 光輔の足が速いことは周知の事実であり、身体能力に三年生チームの期待も高まる。

 が、光輔はその熱列な視線の中、へろへろの手加減ボールを無様に三球三振。見事周囲の期待を裏切ってみせたのだった。

「ソフトボールしかやったことないから!」という、かっこ悪い捨てゼリフを残して。

 そして迎えた最終回。現役を退いて間があるとは言え、手心を加える後輩部員達の手前ガムシャラとなったOB部員達が発奮。ついには一点差まで肉薄する展開となっていた。

 ツーアウト、ランナー二塁、三塁。一打大逆転のチャンスという場面で、巡ってきたラストバッターは光輔だった。

「無理、無理、無理、無理!」

 すっかり腰が引けた光輔が、一秒で身代わりを見つける。

「夕季だ! 代打、夕季!」

 それをむげもなく断わる夕季だったが、周囲からの過大な期待と、隣で応援していた茜のはた迷惑な熱望もあって、急遽の急遽、参戦せざるをえない状況へと持ち込まれた。

 おまえが打ったら俺がマッハで走るから、という光輔の前向きな提案と、周囲からのスタンディングオベーションに押されて。

 参加者にとってはすでに勝敗の行方などどうでもよくなっており、校内の有名人の夕季が参加して試合を締めくくることがメインへとすりかわっていた。夕季が素人の女の子らしく三振し、あっはっは、と和やかに試合を終える。それで現役部員も三年生部員の面目も保てるからだ。

 しかしその女の子を気遣った手抜きのサービスボールをあろうことかジャストミートし、はからずも雌雄を決してしまうこととなったのである。

 空気を読まない夕季の逆転スリーランホームランにより、三年生チームの勝利が確定した。

「まさか、完璧にミートするとは思わなかったな」

「いくら手加減してたからって、硬球だしな」

「あは、は……」

 どよめきの中、周囲からの慰めの言葉に、敗戦投手が顔を引きつらせる。

 次年度のエースとして、待望の一勝を期待された主力選手だった。

「すごい、すごい、すごい、すごい!」グダグダになった結末を押しのけ、茜が大げさに夕季を絶賛し始める。「古閑さん、すごい! もう野球部に入っちゃったら! 古閑さんがいれば絶対甲子園にいけるよ! 男前だし!」

「だいぶ手加減してくれてたから。まだ手がビリビリしてるし」

「余裕だよ。絶対、山凌高校のシロマティって新聞に載るよ! 絶対!」

「シロマティ……」

「違った! 女シロマティだ!」

 注目を浴び、居心地悪そうに夕季が身をよじらせる。

 そこでまたこの男が余計な一言を放つのだった。

「だから手加減なしでいいって言ったのに」

 ギロリと光輔を睨みつける夕季。

 が、光輔はすでに目標の修正を完了していた。

「たぶん、思い切り投げてもあいつなら打っちゃうと思うよ」

「光輔!」

「バッティングセンターだと百三十までだったけど、それ以上もいけそうな感じだったし」

「光輔ぇええっー!」

 ドヤ顔の光輔を無表情に眺め、部員達が敗戦投手を気遣う視線を合わせる。

「バッティングセンターだと軟式だったんじゃないかな」

「だな。硬式とは打ち方もだいぶ違うし」

「え? 硬式と軟式って打ち方違うの?」

「ああ。たぶん本気で投げたら打てないと思う」

「素人じゃ当たってもバット持ってかれちゃうぜ」

「握力ないと」

「握力ならすごくあるよ」

「光輔!」

 夕季がちろりと目線を向けると、部員達が気まずそうに目をそむけた。

「硬球で女の子に真剣に投げるわけにはいかないしな」

「危ないし」

「俺らでもこいつが本気で投げたら結構こわいもんな」

 夕季を部員達が気遣い始める。学園のアイドル格(?)に嫌われたくないというのが本音だった。

 それを台無しにする血判状が別の方角から叩きつけられる。

「ちょっと、それどういう意味!」

 光輔ではなく、夕季を絶賛していた茜の激高だった。

「本気でやったら古閑さんじゃ打てないって言うの! 手を抜いてたからって、そんなのただの負け惜しみじゃない! 男らしくないわねえ。中途半端なやさしさを女が喜ぶとでも思ってるの! 最低よ! もてないわよ!」

「水杜さん……」

「本気でかかってきなさいよ! あんた達の野望は古閑さんが、いえ、この山凌高校のシロマティが、あ! 古閑マティが見事打ち砕くから!」

「あっ、て言ったよね、今……」

「ね、古閑さん。ここまで言われたら、黙っていられないよね」くるりと夕季に振り返る。「こっぱみじんに粉砕してやっちゃって! このふがいない連中に見事に引導を渡してやってよ! それでジ、オサラバよ!」

「あ、う……」非常に迷惑そうに差し出した手をわなわなと震わせる夕季。その口もとが告げる声なき叫びは、もう許して、だった。

 すっかりあっけにとられ、その茶番劇をぽかんと見つめるだけの野球部員達。

「おまえらの野望って何?」

 顔も向けずに光輔がそう呟くと、隣にいた茂樹が野球部を代表してその問いに答えるのだった。

「女の子と仲良くなりたい……」

「俺も……」

「俺も……」

「……もてたい」

「……。正解はどっちなんだろ……」


 衆人監視のもと、互いの勝手な意地をかけた対決が幕を開ける。

 どうせ嫌われるならせめて男らしさをアピールしようと本気モードになったエースはともかく、そこにいる人間達の中で一番テンションが上がらなかったのが、当の夕季本人だった。

 軟式と硬式の違いうんぬん以前に、機械の投げる球と生身の人間が投げる活きた球は別物だと、夕季は大沼から聞かされていた。

 かつて夕季はメックのレクリエーションコンペで桔平や木場らとミニゴルフのコースに同行したことがある。そこで、練習場でプロ顔負けの飛距離を連発した二人が、本番では散々な結果であるのを目の当たりにしていた。グループの中では小さく刻んだ黒崎がトップで、二人から理不尽な嫌がらせを受け続け黒崎がいじける様を目の当たりにし、そっちに入れてほしかったと大沼に打ち明けたのだ。

 その大沼が苦虫を噛み潰したように語った一言が、機械の投げる百五十キロなら打てるが投手とのかけひきを前提とした活きた百二十キロのボールを打つのは難しい、だった。

 プライドを傷つけられたピッチャーが瞳の奥底に炎を宿らせ、夕季へと向き直る。

 それを受け流し、夕季は眉をハの字に寄せ、はあ、と大きなため息をもらした。

「だああああっ!」

 変なかけ声とともに繰り出されたボールの初速はゆうに時速百二十キロを超えていただろう。直撃すれば日頃から身体を鍛えている部員達でもただではすむまい。

 その渾身のストレートを、夕季はこれ以上ないというほどのタイミングでセンター方向へと打ち返した。

 中間守備の外野手の頭上をはるかに越えて。

「……」

 一同、声も出ず。

 しかし、さっさと引き上げようとした夕季を、ピッチャーの泣きの一球が引き止めた。

「もう一球だけお願い!」

 恥も外聞もなく素人の女子高生に土下座する現役高校球児のエースピッチャーに、夕季が迷惑顔で辟易する。

 それに追い討ちをかけたのは、やはりこの人物だった。

「あんた達、それで本当にいいの! その人だけに恥をかかせる気! 連帯責任でしょ! それとも単に女の子と野球がしたかっただけなの! もうおおむね満足!」

 茜に衝かれ、渋々ナイン達が夕季の前で土下座を連ねる。

 それを見渡し、満足げに茜が振り返った。

「よし、それでこそ男! 見直した!」満面の笑顔で。「さあ古閑さん、こんな公衆の面前で平気で土下座するような迷惑な連中、ちゃっちゃとたたきつぶしちゃって。バックスクリーン三連発だよ!」

「……」迷惑この上なし。

 かくして泣きの一打席勝負が再開される。

 泣いても笑ってもこれで最後。

 いつの間にか騒動を聞きつけてやってきたみつばと田村も、茜とともに迷惑な応援団となりはてていた。

「夕季しぇんぱい、がんばれ~。ぶっとばせ~!」

「いや、かっとばせだからな、川地……」

「がんばるっス。がんばったごほうびに……」

「田村、汗臭い!」

「ぐぶう!」

「あ、またぶっとばされたな、田村……」

「しゃぼってないで、練習しろ!」

「ひひひ~ん……」

「あっははは! この子達、おもしろい!」

 ぐぐぐぐと歯を食いしばり、己の限界を超える速球をピッチャーが繰り出す。

 先と同じタイミングでそれに合わせようとした夕季が、相手の気迫に押され、やや打ち損じることとなった。

 結果的に大ファールとなったものの、そのコースはホームランゾーンのわずか一メートル左だった。

 言うに及ばず、飛距離は充分である。

「あっちって、校長の車とかが止まってるとこだよな……」

「今、ガシャンっていったけど大丈夫か……」

「わかんねえ。今までそんなとこまで飛んだことねえし……」

 開けた大口が塞がらない面々の気も知らず、夕季が苦痛に顔をゆがめる。

「手が痺れる。手袋してもいい?」

 そう言って、自分のバッグの中から毛糸の手袋を取り出し装着する夕季。

 バットをかまえた時に何かに気づき、恥ずかしそうに露出した手首の部分を折り曲げた。

 はっと我にかえったピッチャーがぶるぶると頭を振る。口もとを引き締め、何かを決意した顔を夕季へと向けた。

 続いての二球目を夕季が空振りする。

 球速は百キロ前後だったが、それは夕季の胸もとで大きく曲がって落ちたのだった。

「きったね。素人にキレッキレのカーブ投げやがった……」あ然となる衆人を代表して、光輔が感じたままを口にする。「……しかもスカートはいてる女子に」

 途端に巻き起こるブーイングの嵐。

「こらー、てめえきったねえぞ!」

「そうだ、そうだ、女の子相手に!」

「キレッキレじゃねーか!」

「女の子の前だからって張り切りやがって!」

「あんなエゲツねえカーブ、甲子園でも滅多に見ねえぞ!」

「ナイアガラの滝より落差があっただろ!」

「このタイミングで自分の限界超えやがったな、恥を知れー!」

 すべて仲間達からのものだった。

 中でも茂樹のそれは誰よりも真剣そのものだった。

「おまえー、古閑さんに嫌われるじゃねえか! 死ねー!」

「そうだ、俺達まで女の子に嫌われたらどうすんだ! 死ねー!」

「そうだ、全部おまえのせいだー! 死ねー!」

 一瞬にしてアウェイ状態に突き落とされた次世代エース。その内なる敵は、キャッチャーすらも含まれていた。

「今度あんなすげえ魔球を試合で投げやがったら、もう捕ってやんねえぞ!」

 さすがに心が折れかかるピッチャー。しかしそれを己への試練と受け止め、彼は非情に徹する心を固めたのだった。

「なんとでも言え! 今の俺達に足りないものはなんだ! 執念だろ! 何がなんでも勝つぞという気迫だろ! それがない限り、俺達は来年も一回戦負けだぞ! 勝つためなら俺はあえて卑怯者の鬼となる! すべてを捨て、一生独身でとおす! もてないけど、歯を食いしばり死に物狂いで我慢する! すべては勝利のための礎だ!」

 練習不足から先の大会のコールド負けの原因ともなった、当人の覚悟に心を打たれる部員達。

「おまえ、そこまでの覚悟か……」

「一生独身でいいのか……」

「……頼むからスタミナつけてくれ」

 血の涙で応援をし始める部員達。

 OBも含め、今彼らは創部以来かつてないほどのまとまりをみせようとしていた。

「絶対に勝つぞ!」

「おう!」

「打倒、古閑マティ!」

 あくまでも部外者を除いてだが。

 茜と並んで見守る光輔が、点になった両目を野球部員達に向ける。

「でも今あいつらが戦ってるのは、ただの素人の女子高生なんだよね……」

「ひきょ~もの~!」

「ぶっとばしぇ~!」

 運命の三球目。

 なんらてらいのないその握りは、先と同様、キレキレのカーブのものだった。

 眼力で押すがごとくにコースを見極め、引き上げた左足の行き先をわずかに夕季が修正する。テイクバックから滑るようにラインを調整し、激しく落ちてくるボールのタイミングに合わせて確実にボールを打ち抜いた。

 硬式球と金属バットが激突する爽快な打撃音をカキーンと巻き起こし、打球はセンターの奥深くへと吸い込まれていく。

 文句なしのホームランに敗北を認めざるをえないピッチャーと守備陣の表情は、過去幾多も繰り広げられた名勝負の中で見慣れたそれそのものだった。

 バッターボックスから打球の行方を追うのが、スカートをはき、皮のグローブのかわりに毛糸の手袋をつけた、制服姿の女子高生だということ以外は。

「……いや、いとも簡単に合わせるなよ……」

 あきれたように発せられた光輔の一言に、あんぐり大口の茜の硬直が解ける。

「すごい、すごい、すごい、すごい!」

 興奮し、夕季の両手を握り締める茜。

「すごい、すごい、すごいったらすごい! あ、手、痺れてない?」

「あ、うん。いい感じで打てるとそんなに痺れないみたい」

「すごい、すごい、すごい、すごい! さすが古閑マティ!」露出した手袋の手首の部分に気がつく。「あ、エルバラ! かわいい!」

「……しまった」

「私もほしい!」

「ははは……」

 苦笑いの光輔と夕季の心も解さず、茜の頭に何かがひらめく。

「あんなふうに打てると気持ちよさそうだね」

「……うん」

「私じゃ無理かな」

 夕季と光輔が顔を見合わせる。

「……無理じゃないと思うけど」

「じゃ、じゃ、じゃ、教えて。私も打ってみたい」

「……」

 苦笑いの光輔とやや迷惑そうな夕季が、また顔を見合わせた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ