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第三十七話 『ベリアルの友人』 2. 衝撃の事実

 


「何急いでんだ」

 定時で仕事を終え、さっさと撤収しようとする忍の様子に違和感を覚え、桔平が何気なくたずねる。

 それにやや気まずそうな笑顔で応え、忍はぽりぽりとこめかみをかいてみせた。

「ええ、ちょっと用がありまして」

「用? 一人で飲みにでもいくのか」

「違います。……カラオケですけど」

「カラオケ? 一人でか」

 その物言いに、少しだけカチンとくる忍。

「一人、一人って……。まあ、一人ですけどね……」

「友達一人もいねえもんな」

「いや、いますけど! ……今日はちょっと」むぐうと口ごもり、目をそむけて観念したように口を割った。「次の土曜に同窓会があるので、その練習を」

「女学校のか」

「それ前にも言いましたよね……」

 がっかり感がハンパない様子の忍にもまるでおかまいなし、鼻をほじほじしながら桔平は続けていった。

「うん、あれだろ。同級生の中じゃ、おまえが一番年上なんだったよな」

「自分が何言ってるのかわかってます?」

「だって前にそう言ってたろ。おまえが担任の先生やってたって」

「言ってません!」真面目さがごまかしを許さない。「夢の中でそうなってたことは実はあります!」

「ほらな」

「何があ!」

「一緒に行ってやろうか。練習っつっても一時間ずっと歌いっぱなしってわけにもいかないだろ」

「はあ……」

 それは何気ない一言だった。だがそれによって確かに忍のテンションは落ち着きをみせ始めたのである。

「だいたい、淋しいだろ。もてねえアラサーの女が一人でカラオケなんざ、せつねえにもほどがある」

「アラサーではないですが……」

「あら? サーって三十いってからだっけ? 俺ってどっち?」

「知らんがな……」

「男としてみたら、さっぱりしてていい奴なんだけどな。一緒にいても、ぜんぜん色気とか感じねえもんな。背がでかくてがっちりしてて頼りがいはあるんだけどな。気は優しくて力持ちだし、すぐ怒るし。あっはっは!」

「すいません。いろいろ言いたいことはあるんですがもう面倒なんで一発グーで殴らせてください」

「スポンサー扱いで木場も呼びゃいい。足にもなるから飲めるぞ」

「う!」

 その一言が忍の魂を撃ち抜いた。

「夕季も連れてきゃ、メシもすませられるだろ」

「グッドアイデアですね!」

「うわ! すげえ食いついてきやがった……」


「おい夕季、今からしの坊と木場とカラオケ行くんだけど、おまえも行くか?」

 アパートの玄関先でたまたま桔平らと鉢合わせし、夕季がじっとその顔を凝視する。

 やや困り気味の様子に気づき、すかさず忍がフォローを入れた。

「あ、桔平さん。この子はそういうのは……」

「そうだな、おまえ歌へたっぴそうだもんな」

 何気ない桔平の一言に、夕季がカチンとくる。

 そんなことなどおかまいなしの桔平がさらにたたみかけてきた。

「見ているだけでもいいから来るか? 俺達の美声に酔いながら、から揚げとか食ってりゃいいじゃん」

「行かない」

 少しだけ忍が申し訳なさそうな顔になった。

「ごめんね。あたしも個人的に練習したいから」

「いいよ、別に。同窓会のことでしょ。こっちは勝手にやってるから」

「ごめん、なんか適当に食べておいて」

「わかった」

「お金あげるから、ハルク一番でカレー食べておいでよ」

「う! ……いいの」

「いいよ、それくらい。一人で恥ずかしかったら、光ちゃんも一緒に……」

「それは大丈夫!」

「……」

「一人でいける」

「……すごいね、夕季」

「もう高校生だから……」

「うん、そうだね……」

「おまえ、大盛り頼む気だろ」

 キッ!「悪い!」

「悪かねえが……」着信に気づく。「おい、しの坊、木場が着いたってよ」

「ああ、はい、今行きます」

「ちっ」少しだけ桔平が残念そうな顔になった。「せっかく俺の桜島ライブ聴かせてやろうと思ったのによ」


 市街のカラオケボックスの一室に桔平ら三人の姿があった。

 二時間の予定であったが、序盤はほぼ桔平のワンマンステージとなっていた。

「こら、桔平、いい加減にしろ」ムッとした様子で木場が苦言をていする。「忍のためにやってきたんだろうが。何故おまえだけが何曲も入れる」

「いや、しの坊がなかなか入れないからよ、時間つなぎで」

「だからって十曲も予約を入れなくてもいいだろうが!」

「おまえだってそう言いながら三曲くらい予約してんだろが。あ、また今入れやがったな!」

「忍がさっさと入れないからだ。俺はしかたなく……」

「おまえ、これこないだも歌ってたじゃねえか! キャンセルだ、キャンセル!」

「ああっ! 何をする!」リモコンを木場が桔平から取り上げる。「貸せ!」

「ああっ! 全部キャンセルしやがったな! せっかく入れたのに!」

「ざまあみろ!」

「ムキー!」

 子供のケンカのつけは、いつも大人しい人間に回ってくる。

「おい、しの坊、おまえがさっさと入れないから、俺の全部キャンセルされちまったじゃねえか!」

「すみません」ははは、と苦笑い。「あの、私、別の部屋で一人で……」

「はああっ!」

「そんな必要はないぞ、忍」イントロをバックに、いい顔で木場が忍を見下ろす。「おまえのための会だ。おまえが納得するまで、何時間でも延長してやる」

「隊長……」

「て、言いながら、マイク握ってんじゃねえ!」

「そ~おらに~!……」

「またアニソンか! てめえが何時間も歌いたいだけだろうが!」

「ぜ~っ! ……おほっ! おほっ!」

「一番いいところでむせてんじゃねー!」

 忍、またもや苦笑い。

 いつまでも曲目集を眺める忍の横に、から揚げを頬張りながら桔平が腰を下ろした。

「おい、しの坊、おまえも入れろよ」

「はあ……」

「遠慮するなって。見てるだけじゃ練習に来た意味ねえだろ。つまんないしよ。ヘタでもバカにしたりしねえから」

「はあ……」

 木場のがなり声に二人が耳を押さえる。

「夕季も来りゃよかったのによ。あのへそ曲がりめ」

「……」

 そこへ気持ちよく歌い終わったばかりの木場がやってきた。

「おい、忍、次入れろ」曲目集とリモコンを桔平から奪い取る。「おまえはちょっと待て!」

「なんだよ、しの坊が決まるまでだって。入れたら消すから」

「何故また何十曲も予約しようとする! 全部取り消せ!」

「ああっ! せっかく入れたのに!」

 木場がキッと忍に振り返った。

「おい、早く入れろ。でないと桔平ばかりになるぞ」

「はあ、では……」

 遠慮がちに忍がファーストソングを入力する。

 緊張の面持ちでマイクを両手持ちする忍のバックには、静かなイントロダクションが流れ始めていた。

 ほっと一息ついた桔平が、梅サワーを口にしながら、木場の横にドスンと腰を下ろす。

「しの坊、何入れたんだろうな。やっぱユーニンか?」

 ずびびびとメロンソーダを一気飲みする木場。

「いや、あいつは意外と……」

 その時、イントロの調子が変わった。

 デンデケデケデケ……

「……唱歌なんかを」

「唱歌?」

「おまえらぶっ殺してやろーか!」

 二人の声をかき消すような激しい伴奏に混じって、忍の野太い声が室内に鳴り響いた。

 思わず目が点になる二人。

 画面の曲名を目で追い、桔平がほうけた声を発した。

「……。『暮れないのウイーケン』だってよ」

「……」

「知ってる?」

「いや……。題名だけ聞くとユーニンみたいだけどな」

「ユーニンがぶっ殺すとか言っちゃうのか……」

「今のはやりの歌はよく知らんからな」

「俺もだ」

 二人でチュウとドリンクを吸い込む。

 一方の忍はといえば、もうすでにノリノリ状態に突入中だった。

「おまえ~は、端に出ろ~! 何か匂われるよう~!」

「唱歌って何?」

 ぽかんと呟く桔平に、木場がぽかんと答えようとする。

「それはだな……」

 それを忍の歌声がすべて撃ち落とした。

「……ヘタだな」

「……ああ」

「一生懸命なんだけどな……」

「堂々としていて好感は持てるが……」

「……ぼえ~って……」

「……ぼえ~、だな……」

「ヘビメタなのにぼえ~、か……」

「うむ……」

「みっちゃんといい勝負かもな……」

「……いや」

「……やっぱそうか」

「ああ……」

「ケーン、ウイケーンっ!」

「……。おい、ういけえん、だってよ……」

「……」


「……でね、あの人達あんな顔して、アニメソングばかり歌ってるのよ」

 翌朝、至極満足げな様子の忍が、夕季に事後報告をする。

「二人で肩組んで古い歌ばっかり。ほとんどわからなかったよ」

 夕季は興味なさそうに朝仕度をしながら、ふ~んと相づちした。

 それからまた、おはよう番組に目を向ける。

「また一緒にいこうか」

「……別にいいけど」

「よし、いこう。絶対にいこうね」

 すっかりご満悦だった。

 それもそのはず、元来真面目で遊ぶ暇もほとんどなかった忍にとって、カラオケボックスは初の試みだったのだから。

 不安もあったが、桔平らがつきあってくれたことはかなり望ましい展開だった。

 そして延長一時間をつけ加え、酔いつぶれた桔平と大人しくなった木場をさしおき、後半はほぼ酔っ払った忍のオンステージだったのだから。

「お姉ちゃんは何歌ったの」

「!」

 何気ない夕季の問いかけに、忍の心がはっと我にかえる。

「……あた、しはねえ……」

「?」

「……唱歌とか」


「おはようございます」

「お」

 忍と顔を合わせ、頭を押さえていた桔平がつらそうに笑ってみせる。

「おまえ、大丈夫か」

「何がですか」

「いや、すげえ飲んでたろ。俺は途中で寝ちまって記憶がねえが、頭ガンガンする」

「そんなに飲んでませんよ。それよりつき合っていただいてありがとうございました」

「いや、いいけどよ……。またいくか」

「ええ、いいですけど……」少し気遣うように見上げる。「木場さん、嫌がってなかったですかね」

「んなことねえよ。あいつも俺くらいしか一緒にカラオケいくような奴いないしな。楽しそうだったぜ。沼やん達の前でアニソン歌うわけにはいかないしってよ」

「でも木場さん、途中からすごくつまらなさそうでしたよ」

「いや、そりゃよ。おまえと張り合ってるうちに声が枯れちまったんだってよ。まだ歌いたいのがあったのに、すごく悔しかったみたいだぜ。次はいつ行くんだって、さっそく催促してきやがった」

「ははっ、そうですか……」ほっと胸を撫で下ろす。

「少々意外だったけどな」

「何がですか」

「しの坊、ヘビメタとか好きなのか」

「いえ、本当のところヘヴィ・メタルはあまり……」

 取り繕うように忍が笑ってみせる。

 それを桔平はおもしろそうに受けた。

「だよな。そういうキャラじゃないもんな。やっぱネタか」

「昨日のも、卒業式の後の謝恩会の時に先生達の前で無理やり歌わされて。あまり自信はなかったんですけど、すごい拍手喝采で大絶賛してもらったんです。私としては微妙でしたけど、みんなが喜んでくれるならいいかなって」

「だろうな……」

「ええ。ハード・ロックは好きなんですけど、結構」

「……ああ、違うんだ。ふ~ん……」ふあ~あ、と大あくびをした。「今度は夕季も連れてってやろうぜ」

「あ、ええ、ぜひ。でも……」

「でも、なんだ」

「あの子、恥ずかしいと思いますよ。人前で歌とか歌うの」

「別にいいだろ。仲間内なんだからよ」

「そうですけど……」

「なんだよ、何がそうですけど、だ。他に何かあるのか」

「ええ……」意を決して、忍がそれを口にする。「たぶん、ヘタだと思うんですよね。あの子」

「歌が?」

「歌が」

「……。ふ~ん……」

「ヘタだからって別にいいんですけれどね。でもそういうのって、本人はすごく気にするじゃないですか」

「ま、別に聴いてる方はなんとも思ってないんだけどな。かえっておもしろいっつーか」

「それですよ」

「何が」

「そういうとこ、もっと気を遣ってあげるべきだと思います。うまい人にはわからないんですけど、ヘタな人って、やっぱりコンプレックスなんですよ。だから、上手だね、って言ってあげた方がいいと思うんです。白々しいかもしれませんが、そう言ってもらえて悪い気はしないと思いますよ」

「そうか」

「そうですよ。自分はいいですよ。人ごとだし、余裕だから。でもやっぱりヘタな人のことも考えてあげなきゃ楽しくないと思うんです。その人だって、自分がヘタだってことくらい、重々承知なんですよ。引け目があるんです。いいじゃないですか、ヘタだって。私はヘタでも一生懸命に堂々と歌ってる人には好感を持ちますね。ああ、この人本当に歌が好きなんだなって思って、ほっこりします。ちょっと笑いそうになるかもしれないけれど、そこはぐっとこらえて、うまかったねって。それでいいじゃないですか」

「しの坊」

「はい?」

「おまえ、ひょっとして、自分が歌うまいって思ってる?」

「……は、い?」

「……」

「……」

「……。いやいやいや、なんちゃってな!」

「……」

「いや、冗談だって。おまえうまいよ、うまいから。俺とか木場とかよりよっぽど」

「……そんなはずないですよ。私なんかがうまいわけないじゃないですか。やだなあ、桔平さんたら、もう」

「いや、だから冗談だってば」

「いえ、何わけわかんないこと言ってんスかあ、もう。そんなのちっとも思ってませんってば」

「じゃなんでずっとそんな顔してんだ」

「どんな顔ですか」

「ガーンて顔」

「……ガーン、て顔ですか」

「うん。ガーン、て顔」

「そうですか、ガーンて顔してましたか。そうですか……」

「……」

「……」

「……みっちゃんよりはちょっとだけうまかったぞ」

「ありがとうございます……」

「あ、でもおまえ、歌うの好きだろ」

「嫌いじゃないですけど……」

「好きそうだよな。そういうのが伝わってきてよかったぞ。うん」

「そうですか……」

「ぶっちゃけ、シロートがドヤ顔して歌ってるようなうまい歌なんざ、誰も聴きたくないからな。みんなお体裁で、うまいわあ、とか言ってるだけだ。ほんとは次に自分が歌いたい歌のことで頭がいっぱいだからな。その点、おまえの歌にはハートがあると俺は思ったね。正直、うまいとかヘタとかどうでもいいやな。ようはどれだけ楽しめるかだ」

「どうなんですかねえ……」

「いやいやいや、そういうのって大事だからな。なんかほっこりした。焼き芋食った時みたいな感じだ。俺は好きだぞ、おまえの歌」

「焼き芋ですか。はは、は……」

「はは、は……。よし、今日もいこうな」

「……あい」

「俺達はシンガソン仲間だ、あっはっは!」

「あっはっは……」

 そこへあさみがやってきた。

「あらどうしたの、二人とも暗い顔して。何か悲しいことでもあったの」

 桔平が恨めしそうな顔を向ける。

「……そういや、おまえもオンチだったよな」

「はああ!」


 桐生藤鋼は寂れた演習場の片隅で、ひたすらカリキュラムの消化だけにその身を費やしていた。

 失態を晒した人間達が集められる、このゴミ捨て場のような部隊の責任者として。

 背後の気配に気づき振り返ると、兄弟の剛力の姿を認めた。

 彼もまた、同じく掃き溜め部隊へと追いやられていた。三男の綱澄も同様である。

「藤鋼」

「言うな」

 剛力が言わんとせんことを先読みし、藤鋼がうち捨てる。

 そこに彼らが存在する意味などない。ただ軍人である以上、どんな不毛な命令にも従わなければならなかったのである。

 やりきれない表情を隠すことなく、剛力が彼方へと視線を差し向ける。

 その先には亡者のように痩せ衰え、そこにいる誰より精気のない一人の女性兵士がいた。

 三雲杏那だった。

 生きる理由さえ見出せず、ただその場であえぐだけの三雲を遠目に、剛力が目を細めて呟く。

「もう無理だ。三雲はスクラップだ」

 それを同じ表情の藤鋼が受けた。

「俺達同様のな……」



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