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第三十六話 『バニシング・ポイント』 3. 弟……

 


「弟~!」

 夕季と忍のアパートで礼也が素っ頓狂な声をあげる。

 その反応にやや不満げに眉を寄せ、少年は口もとをゆがめてみせた。

「ちょっと待て、整理できねえ。いや、まず信じられねえ」

「信じられなくてもいい。でもほんとのことだから」

「ややや、まてまて……」

 あ然となる礼也を、夕季と忍が困惑したように、そしてたまたまそこにいた雅がとても楽しそうに見つめた。

「よかったね、礼也君」

「はあ!」

 目を剥き、やや冷静になって礼也が続ける。

「てか、なんでてめ~らがいやがんだ!」

 こたつに入り嬉しそうに笑う雅の横には、居心地悪そうに愛想笑いをする光輔の姿があった。

「ははは、偶然だよ……」

「はあ!」

「偶然、かな……」

「偶然ってなんだ、んな理由があっか!」

「光ちゃんは一人でこわいテレビ観るのがこわかったから、ヘタレて来ちゃったんだよねえ」

「いや、おまえがいるとわかってたら来なかったんだけど……」

「またまた~」

「いてっ! なんで目潰し!」

「てめ、帰れなくなっても知らねえぞ!」

「あたしは泊まってくからいいけどねえ~」

「はははは……」

 光輔の顔は明らかに、何故こんな場面に遭遇してしまったのだろう、といった後悔の念にまみれていた。

「ったくもう」

 やれやれと言いたげな様子で礼也が腕組みをする。

 それを見て、夕季がむっとなった。

「どうしてうちに連れてくるの」

 ぴくっとこめかみをうごめかせる礼也。

「……いや、ついでだったからよ」

「ついでって、何」

「偶然だって」

「……わからない」

 ひのと少年にちらと目を向ける夕季。

 夕季と目が合うと、ひのとはビクッと竦みあがるように目をそらすのだった。

 視線のすぐ先に雅の顔があり、ぎょっとなって退くひのと。

 その様子をしげしげと見つめ、雅はニマニマとひのとの全身をなめまわすように観察し出した。

「……」

 怯えるようにひのとが、じりじりと雅から離れていく。

 雅の顔を凝視しつつも無意識に光輔の背後に避難したひのとを見て、雅は意味ありげに笑ってみせた。

「へええ~」

「ん?」

「光ちゃん、もってもてだね」

「へ?」背中のひのとと目が合い、また雅へと向き直る。「何が?」

「ふふ~ん」

「へ? へ?」

「……」

「いいじゃんか、別に」

 そこへりんごを切り分けた大皿を持って忍がやってきた。

 むっとなる夕季を尻目に、光輔と雅が先を争うようにりんごに手を出し始めた。

「礼也の兄弟ってことは、私らの兄弟も同然なんだからさ」ひのとに笑いかける。「ひのと君だっけ。君も食べなよ。遠慮なしでいいよ。こっちもしないから」

「は、あ……」

 小さく頷くひのと。

 その顔をまじまじと眺め、忍は持ち前のコミュ力を発揮し始めた。

「中学生だよね。どこの中学? 何年生?」

「……二年」

「運動神経よさそうだね。何か部活やってるの?」

「……テニス。……軟式の」

「今、どこに住んでるの。どうして礼也のこと知ってたの。誰に聞いたの。お母さん?」

「……」

「何勝手に聞いてやがんだ!」

 口ごもるひのとにかわり、礼也が素っ頓狂な声で参入してきた。

 それを楽しそうに受け流す忍。

「いいじゃん、いいじゃん。本当に兄弟なら、礼也しか知らないようなことまで知ってるはずだよ。それ、わかった方がいいでしょ、礼也も」

「……。だけどよ……」

 忍に言いくるめられ、礼也が、ふん、とだんまりを決め込む。

 それをオーケーの合図だと踏み、忍がギアを一つ上げた。

「お父さんの名前、なんて言うの。お母さんは? 礼也のことなんて言ってた。礼也に似てる? どんな人なの?」

「……トイレ、どこ」

「あ、そこの左」

 逃げるように席を立つひのとを、忍は穏やかな笑みで見守っていた。

 そしてもう一人、心中穏やかならざる人物がいた。

「おい」

 押し殺したような礼也の声に、忍が振り返る。

 礼也は据わった目を忍に向けながら、不快そうに続けた。

「あんま人の親のこと聞くんじゃねえ。いい気しねえ」

 途端に申し訳なさそうになる忍。

「ごめん、ごめん。ついね。そういうの嫌だったね、礼也。もう言わないから」

「だったらどうして連れてきたの」

 険悪なムードを断ち切ったのは、夕季の一言だった。

「聞きたくないなら追い返せばよかったじゃない。自分だって知りたかったから、連れてきたんでしょ。あたし達にかわりに聞いてほしかったんでしょ。自分じゃ聞く勇気もないくせに」

「んだ、てめえ!」ここぞとばかり、礼也が怒りを露にして立ち上がった。「もういい。やってらんねえ。俺ゃ、帰っからな」

「ちょっと待ちなよ、礼也」

 帰りかけた礼也を引きとめようとする忍が、焦ったように夕季にも振り返った。

「夕季も、今のは駄目だよ。礼也の気持ちも考えてあげなよ。どうしたらいいのかわからなくて、うちに来たんだからさ」

「……。ごめん」

 素直に自分の非を認める夕季。

 懸命に礼也を引きとめようとする忍を、光輔はおろおろしながら、そして雅は嬉しそうに眺めていた。

「まあ、落ち着きなよ、礼也も夕季もさ」

 忍になだめられ、礼也がぶすっとしたまままたもとの席につく。

 それをあいかわらず楽しそうに眺めて、雅は空気の読めない自己中を振りまいた。

「似てると思うよ、あたしは」

 はっとなった礼也と、ばつが悪そうに顔をそむけていた夕季が同時に振り返る。

「あ、しまった!」

 すると雅はさらに嬉しそうに笑い、忍に顔を向けた。

「しぃちゃん、テレビつけて」

「あ、うん……」

「自由だな、おまえ……」

 引きつる光輔に、満面の笑みで振り返る雅。

「さあ、光ちゃん、もう逃げられないよ~」

「とりあえず今はやめとこうよ……」

「こ~わ~い~ぞぉ~!」

「いや、こわいのはいいから……」

「あ、また県警二十四時やってる! サブタイ、僕達大阪の警察やで~、だって」

「うわ、つまんなそ~」

「なんだと、貴様、逮捕するぞ! ……やで~」

「大阪って県だっけ?」

「どっちも観たいな。悩む! しぃちゃん、どっちか録画しよ」

「ごめん、みやちゃん。今、桔平さんに頼まれた、はじめてのお疲れ、録ってるのよ」

「大丈夫。それ、さっきキャンセルしておいたから」

「ええっ!」

「また怒られるんやで~」

 毒気を抜かれて脱力する礼也。同じく毒気を抜かれてどうでもよくなった夕季と同時に、シャリッと音を立ててりんごを頬張った。

「あ、光ちゃん、あれ、あそこ!」

「いや、だからさ……」

「こ~わ~い~ぞぉ~!」

「子供じゃないんだから……。ああっ! こわいじゃん、ほんとに!」

 ゆるゆるの光輔と雅のやり取りを眺め、ふと目を向けると、部屋の入り口に真剣な表情のひのとが立っているのを礼也は認めた。

「もう帰る」

 凝視していたテレビ画面から目を離し、ぼそっと告げたひのとを、礼也が立ち上がって睨みつける。

「うわ、こわ!」

 光輔の声にびくっと反応し、ひのとが眉間に皺を寄せて画面を食い入るように見つめ出した。

 ちらと忍の方に目をやり、礼也がくいと親指でひのとをさす。

「俺、ちょっとこいつ送ってくわ」

「ああ、気をつけてね」

「いらねえよ、一人で帰れる」

「うわ、なんだあれ、どうせつくりモンだろ……。ああ、こわあっ!」

 またもや光輔のリアクションにびくっと竦みあがり、画面の中の恐怖映像にひのとが釘付けになる。

 不機嫌そうな顔でひのとをまじまじと眺め、礼也は押し殺した声をぶすっと発した。

「遅かったじゃねえか。でっけえ方か」

 かあっと顔を赤らめ、目をつり上げるひのと。

 それから間髪入れずに、礼也の左ふくらはぎに見事なローキックを叩き込んだ。

「何しやがんだ! てめえ!」

 足を押さえて目を剥く礼也に、ひのとも一歩も引けを取らずに睨み返した。

「でっけえう○こだよ!」

「はあ! ちゃんとふいてきたんだろうな」

「あったりめえだろ! 紙全部使ってやった!」

「え! 紙なくなっちゃったの?」

「あ……」

 目を丸くする忍に、ひのとが恐縮してみせた。

「すいません、嘘です……」

「よかった」

「のわりにゃ、はええじゃねえか」

「スピード重視主義なんだよ!」

「はあ!」

 ふいに始まった大声での馬鹿馬鹿しい罵り合いに、光輔や忍らはあっけに取られるだけだった。

 ただ一人、嬉しそうに眺める雅を除いて。

「しょうがないよね。立ってするわけにもいかないし」

 雅の何気ない一言に時が止まる。

 ひのとの。

 その意味がまるでわからず、礼也はゆがめたまなざしを雅に叩きつけた。

「何言ってやがんだ。立ってクソができるわけねえだろ」

「違うよ。小さい方でも無理だもん」

 にこにこと言い返す雅に、礼也の頭がまたハテナ模様一色になる。

「なんで無理なんだよ。んなの立ったまま、しゃーしゃーしゃーってすりゃいいじゃねえか」

「しゃあしゃあしゃあ!」

「しゃーしゃーしゃーだって。お上品に座りションするタマかよ、こいつが」

 ずばずば重ねていく礼也。

 指さされたひのとが顔を赤らめたことなど、露ほども知らなかった。

 やれやれと雅を眺める礼也。

「女じゃあるめえし」

「だって女の子だもん」

「……」

 礼也の目が点になる。

 光輔の目も、夕季の目も、ついでに忍は大口を開けたまま固まっていた。

 怖いものを確認するように、おそるおそるひのとへと目をやる礼也。

 まさか、という思いが、うつむいて顔を赤く染めたひのとによって現実的なものへと変わった。

「……マジか」

 忍よろしく、あんぐりと口を開けたまま硬直して、ひのとに釘付けとなる礼也。

 ぐぬぬぬと口を結んで礼也を見上げたひのとを、雅は楽しそうに笑って眺めた。

「女の子なのに、さっき思い切りうん○とか言っちゃったね~」

「おまえもね……」

「もう、光ちゃんたら~」

「いてっ! だから、なんで目潰し!」

「ビシッ!」

「ああ~、綺麗に入った~、今!」

 礼也の硬直は、真っ赤に染まったひのとの再びのローキックによって解かれることとなった。

「ってえな……」

「あ、光ちゃん、あれ見て! こ~わ~い~ぞぉ~!」

「おまえさ、いい加減にさ……。ああ、ほんとにめちゃくちゃこわいじゃん!」

 光輔とひのとが同時にびくっと竦みあがる。

「しぃちゃん、礼也君似の美少年だと思ってたから、ちょっぴりがっかりしてるでしょ?」

「……ちょっぴりね」

「あ、夕季、帰る時、そこのコンビニまで一緒に行かない?」

「いや」

「おごるからさ~……」

「いや」






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