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第三十六話 『バニシング・ポイント』 OP

 


 光輔と夕季は、みずきとともに野球部の試合の応援にやってきていた。

 市長杯という名目の極めて小さな大会だったが、地元有力チームの出場もあってかそれなりの賑わいをみせ、観客の入りもぼちぼちといったところだった。

 弱小野球部でのベンチ入りをようやくはたした茂樹からの応援要請であり、試合が始まった今も最上級生の茂樹はベンチ入りのままだった。

「な、結構楽しいだろ。ファウルには気をつけろよ」

 応援合戦の熱気の中、光輔が朗らかな顔を向ける。

 すると夕季が、むっとした表情で振り返った。

「……。まあ……」

「……おまえって楽しい時でも眉間に皺寄せるんだな」

「……」

 そんな夕季を不憫に思い、みずきが気の毒そうな顔を差し向けた。

「ゆうちゃん、こういう顔だからねえ……」

「ゆうちゃん、こういう顔なんだ……」

「ゆ!……」

 余計にしょんぼりする。

 その顔を見て、光輔がときめいた。

「あ、ヘコんだ」

 キッ、と睨みつける夕季。

「……睨まれた」

「やめなよ、穂村君」

 そこへ都合よく訪れる災難。

 ガキン!

「あ、篠原、危ない!」

「ああー! もう駄目かもしれない! 今までありがとう!」

 みずき目がけて撃ち放たれたファウルボールを、咄嗟に夕季が素手でワンハンドキャッチする。

 途端に、試合などそっちのけで周囲から大拍手が沸き起こった。

 口をへの字に結び、顔を赤らめる夕季。

「……すげ」

「ゆうちゃん、ありがと。命の恩人だよ」

「あ、うん。……ん?」

「いや、今のとってなくてもたぶん当たってなかったと思うけどね。篠原、ちゃんと避けてたし……」

「手、痛くない。じんじんしてない。赤くなってない」

「うん。平気……」

「どしたの、顔が赤いけど」

「黙れ、光輔!」

「あ~、照れてんだ!」

「うるさい、死ねば!」

 回が進むにつれ、にわかにスタンドがざわめき始めていた。

 先にファウルボールを目で追っていた男子生徒の一人が、スタンドの中段にいたその人物を見つけてしまったせいだった。

「どうかしたのか?」

 ぽかんと口を開けたままの彼に、隣の友人が声をかける。

 それに対し、彼は目も口も開けたままで受け答えた。

 くい、と顎をしゃくる。

「……戦うバトルガールだ」

「何!」

「誰だっけ?」

「ん~と、……何だっけ」

 噂が広まりつつあった。ざわざわざわざわ、尾びれ、背びれを引き連れながら、大きな雪だるまと化して。

 まとまらない大量の視線が、不特定多数の目標へとばらまかれる。

 不思議そうな顔を光輔らと見合わせ、みずきが前の観客にたずねてみた。

「何かあったの?」

 問いかけられた女子生徒が答える。

「なんでもすごいスターが来ているらしいよ」

 首を傾げながら。

 その真意も知らずに、みずきがふんごーと鼻息を荒げる。

「だって!」

「マジか!」

 同じ顔で光輔が躍り上がる。

「ゆうちゃん、見た?」

 夕季がふるふると首を振る。やや緊張の面持ちで。

 周囲の視線がスタンドの後方へと向けられるのを見て、みずき達も振り返って確認した。

 が、当然のことながら、そこからは何も得られるはずがなかった。

 きょろきょろと後ろを振り返りながら、みずきが夕季に確認を求めた。

「いた?」

「わからない」

「後でサインもらいにいこうよ」

 とにかく試合などそっちのけだった。

「穂村君は?」

「さあ。みんな、夕季のこと見てんじゃないの」

「はあ!」

「なんで?」

「だって眉間に皺寄せて試合観てるから、おもしろがって。実はさっきのキャッチも実は眉間でさ。あ~! だから顔が赤かったんだ! ゆうちゃん、顔、じんじんしてない?」

「光輔!」

 ガキン!

「わ! あぶっ! ……セ~フ」

「命拾いしたね」

「……ち」

「ゆうちゃん、今、ちって言ったよね?」

「言った」

「言ったんだ……」


 フレールの紙袋から定番のメロンパンを取り出し、礼也がそれにかぶりつく。

 難しい顔になって身震いを一つすると、くう~、と唸った。

「やっぱうめえ!」

 誰もいないはずなのに一人で叫ぶ。その後すぐ、誰もいないよな、ときょろきょろと確認した。

 誰もいないことにほっとし、また身震いする。

「あきねえ!」

 もう一度周囲を確認した。

 誰もいないはずの周辺を見回す。誰にも見られていないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。

 誰も見ていないはずのそこで、誰かがずっとそれを見ていたことも知らずに。

 その人物は建物の陰に身を忍ばせ、野球帽を深くかぶり直した。



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