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第三十五話 『ブレイク・アウト』 5. 出現

 


 その男は風とともにまた現れた。

「バッキシム!」

 鳴り響く不協和音に光輔と夕季の背筋が寒気をもよおす。

「ひゅ~、この時間だと外は寒いっスねえ~」

 ゆっくり振り返る光輔。

「また再登場しやがった……」

 そっぽを向く夕季の目の前にそれが、でん、と現れる。

「田村っス」

 度肝を抜かれ、夕季が思わず竦み上がった。

「こんにちは……」

「俺、みずがめ座なんスけど、先輩、なにがめ座っスか」

「……獅子座」

「ししがめ座っスか。相性ばっちりっスね」

「……。どうしよう……」

「そんなことより、ここでパーフェクトしたら先輩とハグできるってマジスか」

「違う!」

「マジスか!」

 何故か同じテンションの二人に、光輔がおもしろそうに笑った。

「ほっぺにちゅうだよ、田村」

 くるっと笑顔で光輔へと振り返る田村。

「ベロちゅうもスか! あ、穂村先輩、田村っス」

「知ってるよ。……ベロちゅう?」

「よーし、がんばんべー!」

 鼻息をふんごーと荒げる田村に、光輔と栗原が冷めたまなざしを向けた。

「こいつ、ほんとウザいな……」

「おい、川地呼んでこい!」

 そんなことなどまるでおかまいなしの田村が、夕季に百円玉を二枚差し出した。

「ベロちゅうとハグ、両方ゲットっス!」

 光輔が慌てて否定する。

「いや、どっちかだからな!」

「どっちもないから!」

「マジスか! んじゃ……」

「飲み物は?」

「あ、カロルーメイトで」

「ねえよ!」

 ペナルティ・マークにボールをセットし、思い出したように田村が光輔へと振り返る。

「そういえば、田村と穂村って似てますよね」

「村だけだろ」

「俺の下の名前、淳三郎っていうんスけど、先輩はなん三郎っスか」

「なん三郎? いや、俺長男だし」

「奇遇っすね。自分もすよ」

「あ~……」

 その時、すっと田村の顔から遊びが消えた。

 わずかに笑みをたたえ、真剣な顔を光輔に向ける。

「先輩、賭けをしませんか」

「またかよ……」辟易顔の光輔。「また勧誘か」

「ええ」にやりと笑う。「俺が勝ったら、陸上部の催し物手伝ってもらいます」

「入部じゃないのかよ!」

「しばらく大会ないスから。それより目先のことっス。うちの先輩達、アスリートとしては一流なんスけど、先輩みたいに一流の器用貧乏じゃないスからね」

「おまえ……」

「そのかわり、俺が負けたら、こっち手伝います。てゆーか、ゆうちゃん先輩がいるなら、勝っても結局こっちに顔出すっスよ。穂村先輩と交換ということで、ちょうどいいスね」

「陸上部の催し物はいいのかよ」

「あ~別にいいス。キャプテンが考えた粉の中からアメ玉探すだけのつまんないやつスから」

「おまえさ……」

「撮影会のモデルになるっスよ。先輩達、女性陣に人気ないみたいスから。セクシーモデルになって、ガンガン女性客呼んじゃうっスよ」

「その自信はどこからくる……」

「さあ、バリバリ貢献しちゃうっスよ! お礼は感謝の気持ちだけで結構ス!」

「いっそスガスガしいな……」

「それでも納得できないのなら、駅前のレオパルドンでメンチカツおごります」

「へ?」

「信じ難いほどのうまさっスよ。今時一枚六十円で、五枚買うとオバちゃんが、三百円にしといたよ、ってドヤ顔で言うんでムカつくんス」

「メンチねえ。……たい焼きじゃねえのか?」

「ブロンソンのたい焼き、値上がりしたんスよ……」ふいに淋しそうに目を伏せる田村。カッと目を見開き、天を仰いで憤激をぶちかました。「無力な高校生の俺らにはどうすることもできないんスかね!」

「知らんて……」

「ちっくしょー!」

「はやくやれよ!」

 その時、砂塵を巻き上げる風がグラウンドを吹き抜けた。

「はっくちん」

 くしゃみをする夕季に、田村がデレ顔をぐりんと向けた。

「ああ、あいかわらずかわいいくしゃみスね。計算スか」

「違、……はっくち!」

「そうスか。……あ、俺もふがふがして……。ふぁ、ふぁ、ふぁ……」ふがふが鼻を鳴らす。「バッキシム!」

「だからなんでだよ!」

「はっくちん! はっくちん! ……とまらない」

「おお、俺も負けませんよ。……。バッキシム! バッキシム!」

「はっくちん! もうやだ……」

「バッキシム!」

「はっくちん!」

「バッキシム!」

「はっくちん……」

「なんだこりゃ……」

 その後、大ブーイングの中、本気になった田村が、いかにもできそうなオーラを存分に従えてゴールに相対する。

 が、狙い済まして放った一発目のキックは見事あさっての方を向き、ジュースの並んだテーブルをひっくり返して、多大な洗濯物を出すこととなった。

 後に学園祭始まって以来の迷惑劇と呼ばれた、田村土下座事件である。

「じゃ気を取り直して二球目」

「まだやんのかよ! メンタル強いな、おまえ。……あ!」

 思い切りの二発目は、危うく真横にいた夕季に当たりそうになり、間一髪避けた先の、光輔の顔面に見事ゲットした。

「くう~、パーフェクトならず。よし、三球目……」

「もう帰れよ!」


「で、桐嶋先輩にすすめられてエントリーだけはしたんですけど、やっぱりどうしようかなってまだ思ってて……」

 すっかり打ち解けあった茜と礼也が、楽しそうに談笑していた。

 茜は楓の推薦で、思うように出場者の集まらないミス山凌コンテストにエントリーすることになってはいたが、よくよく考えた末、それを辞退しようと楓に告げにきたところだった。

「出りゃいいじゃねえか」

「無理ですよ」

 簡単に礼也に言われ、とんでもない、と言わんばかりに茜が大げさに否定する。

「私なんかが出ても恥をかくだけですよ。絶対無理です」

 親指で鼻をほじろうとし、礼也が思いとどまった。

「だいじょぶだって。こいつだって優勝できたくらいだからよ。な」

 楓へと振り返り、思い切り親指で鼻をほじった。

「……」

「まあ、生徒会だけがその気になってやってるような、やっすい企画だからよ。出たくねえ気持ちもわからんでもないがな。ミス山凌とか言われてもなあ。正直微妙なとこだって」

「今年からプリンセス山凌って言うらしいですよ」

「……どっかの町興しイベントみてえだな」

 苦々しい顔の楓に気づき、礼也が申し訳なさそうな表情になった。

「おまえもまた出てみちゃどうだ。人にすすめるんなら、てめえも出りゃいいんじゃねえのか。もう若い奴らにゃ勝てねえだろうけどな」

「……」

 またもや失言に焦り出す礼也。

 苦笑いを茜へと差し向けた。

「まあよ、一度出るって言ったんだし、今回はこいつの顔立てて、出といてやれよ」

「ううん……」

「な」

「……。先輩がそう言うなら……」茜がピーンと何ごとかを閃く。「そのかわり、優勝したらメロンパンおごってくれますか」

「お、おお……」

「いくつですか」

「おし、俺も男だ。んじゃ、プレミアムを五個だ。……。いや、やっぱ三個に……」

「五個ですね。約束ですよ」

「……おお、わかった」

「じゃあ、頑張ります」

 茜の返答にほっとする礼也。愛想笑いで楓へと振り返った。

「何ぶすっとしてやがんだ」

「……別に」

「?」

 楓が二人に背中を向ける。

 その表情が淋しげなことなど、礼也は気づくよしもなかった。


 学園祭初日も夕刻となり、催し物の客足も途絶えがちとなっていた。

 パーフェクト達成で戦うバトルガールの熱烈なキスが景品という噂が噂を呼び、モンスター・アトラクションとなったサッカー部のベスト・ターゲットXXであったが、顧問の教諭にバレてあえなく特典打ち切りとなっていた。

 結局成功者なしのまま当初の純粋なキックターゲットへと方向修正を行っていたのだが、何度もチャレンジを繰り返し、最高二十回連続の売上げを記録したことも問題となっていた。

 ただし来客サービスとして、マネージャーや部員達との記念写真は継続されていた。

「次、クリ」

「うす!」

 学園祭一日目の部内の打ち上げ企画として、部員達によるベスト・ターゲット・コンテストが行われることとなっていた。

 これはショー的なエキジビションの意味合いもあり、専門分野の妙技を観客達にアピールすることで、後日の集客目的も兼ねていた。

 ルールは全部員参加でチャレンジは一度きり。パーフェクトの報酬は正マネージャーのほっぺキスのみであり、本人の意向から夕季は選出からはずれていたのだが、部員達からの要望とみつばの懇願もあり、光輔の土下座の末、結局夕季も参加するハメとなり果てていた。

 ただし、光輔は不参加でという条件付きでである。

「うあ、六枚かよ!」

「さすが、クリしぇんぱい」

 張り切って挑んだ部員達であったが、結局全員が失敗に終わり、最高で七発命中が二人といういささか淋しい結果となっていた。

「だあー! ヘタこいたあー!」

 最後のチャレンジャーであるキャプテンがラストキックを大空目がけて撃ち放ち、両腕で頭を抱えて地にうずくまる。

 からかわれながら戻ってきたのだが、同時にほっとしたような表情でもあった。

「ちょ~、緊張した。試合よりビビったあ~!」

 あっはっは、とみなで笑い合う。

 だがいつしか、成功者なしというのはサッカー部としてもカッコがつかないという雰囲気になりつつあった。

「次、ホムだな」

 掟破りの栗原の一言に、光輔が、とんでもない、と両手を突き出す。

「俺はいいって」

 夕季にジロッと睨まれ、光輔が愛想笑いを向ける。

 夕季を安心させるための光輔の気遣いだったのだが、それが栗原には気に入らなかったようだった。

「なんでだよ。テストん時、一人だけパーフェクトやったくせに」

「おええ~っ!」

 またもや夕季がジロリと光輔を見る。

 今度こそ、明らかに不信感をあらわとするものだった。

「……ははっ。あれ、パーフェクトだったんだ。一球はずしちゃったから違うと思ってたんだけど、そうか、あれがパーフェクトっていうやつだったのか、ふ~ん……」

 取り繕えば取り繕うほどボロが出る。

 結局通算幾度目かの土下座を経て、光輔もチャレンジすることとなった。

「あの」

 一球目の前に、光輔が卑屈な顔を夕季に向ける。

「もし、万が一、奇跡が起きてパーフェクトとかしても、別に何もしなくてもいいからね」

「……」

 無言の夕季にかわり、意外なところから駄目出しが出た。

「駄目ですよ、しぇんぱい」

 真剣な表情のみつばだった。

「みんな同じ条件でやっているんだから、一人だけ違うのはルール違反です。それにそういうのは夕季しぇんぱいに対して失礼ですよ。夕季しぇんぱいだって嫌々やってくれてるのに、それを断るなんて、女に恥をかかしゅちゅもりでしゅか。しょれでも男れしゅか」

「川地……」

 サ行以外もあやしくなり始めたみつばが笑顔で夕季へと振り返る。

「そうでしゅよね、夕季しぇんぱい」

「みつば……」

「でもそこがホムしぇんぱいのいいとこでしゅけどね。でへへへ」

 みつば以外の二人が同時に迷惑そうな顔になった。

 部員全員の期待と特定の人物からのプレッシャーで板ばさみとなり、光輔が逃げ出したい心境にかられる。

 だがどのみち手を抜いたとしても、真面目な夕季が許さないだろうことから、光輔は覚悟を決めたのだった。

 光輔は知らない。

 じっと光輔を睨みつける夕季が、わざとでもいいからぜひはずしてほしいと、眼光にありったけの力を込めて心の中で祈っていたことを。

 進めど死、しかし退けども死の絶望的な状況下、背水の思いで放った光輔のキックは次々とターゲットを撃破していく。

 もともとサッカー部随一と言われるほどのフリーキックの名手ではあったが、未来のない己の末路に捨てるものすらなくなり、極めて研ぎ澄まされた状態でのチャレンジは結果を好転させるものとなっていた。

 ノーミスのまま八つ目のターゲットを撃破し、残り二球をキープしたままラストチャレンジを迎える光輔。

 残す枠は、光輔のもっとも得意とするコースだった。

 奇跡の瞬間を間近に控え、静まり返るギャラリー達の最前列で部員達は手をつないで心を一つに束ねた。

 目を瞑り、口もとで手を組んで、マネージャーみつばが祈りを捧げる。

 同じ格好で祈りを捧げる夕季とは、神に願う内容が真反対だった。

 パーフェクト達成目前のボールをセットし、ふと光輔がちらと夕季の不安そうな顔を盗み見る。

 その時、ぱっと瞼を開いた夕季と目が合い、その鋭い眼光に心臓を鷲づかみされた。

 てんでばらばらのリズムで放たれたシュートは、枠の上をはるかに越え、山越えシュートとなっていく。

 俗に言う、宇宙開拓シュートである。

 立ちつくす光輔に、さっそくキャプテンからの駄目出しが降りかかった。

「てめえ、わざとはずしたろ!」

 緩やかに生気のない顔を向ける光輔。

「……そんなことないっす」

「嘘つけ! ノーカンにすっぞ」

「本当っす。プレッシャーが激しくて……」ちらと夕季の顔を眺めた。「いろいろと……」

「……」

 とにもかくにも、ラストボールを用意して、最後のチャレンジと仕切り直す。

 そのプレッシャーは前弾をはるかに上回るものだった。

 その時である。

 メガルからの呼び出しがかかったのは。

「光輔!」

「あ、ああ……」キャプテンらに振り返る光輔。「すみません、急用で」

「おい、ホム、あと一球くらい蹴ってからでも……」

「一刻を争う一大事なんです」

 追いすがるキャプテンに、光輔が焦燥の表情を差し向けた。

「この一球と同じくらい重い用事ですから……」




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