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第三十五話 『ブレイク・アウト』 4. 嵐の予感

 


 その男は風とともに現れた。

 生徒会に頼まれて校内の巡視委員を買って出た楓とともに、礼也がサッカー部のアトラクションへとやって来たのだ。

 嬉しそうに迎え入れ、光輔が二人にお疲れ様と飲み物を手渡す。

 光輔と楓が親しそうにする様を見て、やにわに他の部員らが動き出した。

「おい、ホム、桐嶋さんの写真撮ってくれ」

 ひそかに楓に憧れていた三年生部員達のお願いに、面倒見のいい後輩光輔が苦笑いする。

 依頼者は結局十名を軽く超え、仕方なく光輔が楓に頭を下げて頼み込むはめとなった。

 露骨に嫌な顔もできず、渋々ながら光輔からの申し出を了承する楓。

 数枚シャッターを切る頃には、礼也の顔が不機嫌になり始めていた。

「おいおい、いい加減にしとけや」

 突然、酔っ払いのようにからみ始めた礼也に、他の部員達の顔が青ざめる。

 それでも光輔はあまり気にしていない様子だった。

「ん?」

「ん、じゃねえ! ツンケン嫌がってんじゃねえか!」

「ツンケンとか言わないで!」

「お、わりい……」

 反対に楓に切れられ、礼也がすうっと刃を収める。

 それを光輔はおもしろそうに眺めていた。

 パシャ。

「てめ、何勝手に撮ってやがんだ!」

 睨みをきかせる礼也にもまるで動じない光輔。

「はい、チーズ」パシャ。「なんだよ、ちゃんとしろって。もっかいいくよ」

「てめ!」

 すでに照れてかしこまっていた楓の横で、礼也がいきり立つ。

 パシャ。

 礼也もシャッターが切られる瞬間だけは、かしこまったように照れていた。

「はい、ピース」

「はあっ!」

 パシャ。

 思わずピースのツーショットにバツが悪くなり、怒りの向けどころを探してぶんぶん顔を振り回す礼也。

 そこに運悪く、無愛想に自分達を眺めている塩店員を見つけた。

「何やってやがる、てめえ」

「……別に」

「別にってこたねえだろ。サッカー部の用心棒でもやってやがんのか。不愉快なツラでショーバイの邪魔してやがると、風紀部隊の特権濫用して抹殺するぞ!」

「そんな特権ないから……」

「大きなお世話。営業妨害だから、暴力団関係の人はお引取りください」

「何だと!」

「ほっぺにメロンパンがついてるよ」

「何!」楓に振り返る。「桐嶋、鏡!」

「……信じてるの」

「いや、でもさっき食ったし……」

「嘘に決まってるじゃない」

「嘘に決まってるけど」

「てめー、やりやがったな!」

「やめなよ、礼也君」

 ガバッと楓に振り返る礼也。

「だってよお! こいつがよお!」

「ねえ、泣きそうな顔になってるよ」

「人ごとみてえに言ってんなって。てめえも風紀委員なら、なんとかしてこいつを倒す方法を一生懸命考えろ!」

「手伝ってるの。大変だね」

「そんなことは……」

「だあ~!」

 一触即発の不穏なムードの中、おろおろとうろたえるばかりの部員達を尻目に、光輔がこそこそ礼也に耳打ちする。

 すると礼也の顔が、これ以上ないほど意地悪に輝いた。

「ほ~う。おい、桐嶋。俺も一発やってくわ」

「……いいけど」

 毎度あり、と礼也から笑顔で硬貨を受け取る光輔。

 それから夕季に振り返り、礼也がにやりと笑った。

「てめえ、俺がパーフェクトやったら、ちゃんとにっこり笑ってキスしろよ。気色悪くて、自分でも言ってて吐きそうだけどな。嫌々俺にチュウをするてめえの泣きっ面が目に浮かぶぜ。ゲハハハ!」やっぱり顔をしかめる。「いや、やっぱ、するフリだけでいいからな!」

「……」

「俺に恥をかかせた罪は重いぜ! 地獄で後悔しろや、ゲハハハハ!」

「すごく悪そうな顔になってるよ、礼也君……」

「もっと楽しい雰囲気でできないのかな」

 睨み合う二人を遠巻きに眺め、キャプテンがぼそりと言った。

 それに苦笑いで答える光輔。

「無理スよ。腹減らしたトラとライオンに、同じ檻の中で仲良くしろって言うようなもんスから」

「おまえ、そこにエサほうりこんだろ」

「ええまあ」

 衆人環視の中、礼也が五回連続でターゲットブレイクを成功させる。いまだ一球も失敗しておらず、六球成功ならば本日の記録ともなるはずだった。これにはサッカー部全員が驚愕せずにはおれなかった。

 ノリノリ絶好調の礼也が調子づき、にやっと笑う。

「おいおい、この鬼のような勢いの前にゃ、おちょうふじんも尻尾巻いて逃げ出すんじゃねえのか!」

「その人は全然ジャンルが違うんだけどね……」

 光輔のつっこみなぞ関係なし、礼也は悪人ヅラで不機嫌そうな夕季を威嚇した。

「ゲハハハ! そのブサイクな笑顔しっかり磨いとけや、クソ野郎!」

「……」

「すごく悪そう……」

「いくぜ、六発目!」

 狙い済ました六球目。

 しかしキックの瞬間、礼也が膝からガクッと崩れ落ちていく。

 礼也の腿の裏側を、夕季がビシッと蹴りつけたからだった。

「ぐああっ!」

 ちょろキックとなったそれは、校庭の隅へと転がっていった。

「何しやがる、てめえ!」

「何も」ぷいと平気で夕季が嘘をつく。「蹴ってません」

「蹴ったのか、てめえ! てっきり膝カックンかと思ってたが、蹴ってやがったとはマジでびっくりだって!」

「はああ……」

「はああだあ! てめえがあきれてんじゃねえぞ! 間違ってんだろ、結構!」

 その状況をサッカー部全員が驚愕し、おろおろうろうろ見守るだけだった。

「ムカつく、マジでムカつくぞ! てめえ!」

「まあまあ」

 ようやく仲裁に訪れる光輔。

「まあまあ」

 と、楓。

 結局巡視委員の権限で、楓が礼也を連れて行くこととなった。

「てめ、覚えてやがれ! 今度会った時がてめえの最期だ!」

「今日、しぃちゃんに、よってけって言われてなかった?」

「そういやそうだった。あとで行くからな! それから覚えとけ!」

「スキ焼きやってくれるって言ってたよ」

「マジか! なんでそんな気前いいんだ! 一億円でも当たったのか!」

「三田さんて人からお肉貰ったんだってさ。桔平さん達には内緒だってさ」

「当然だって! 全部食われちまうじゃねえか!」

「たぶん、雅がしゃべっちゃうだろうけどさ」

「しゃべっちゃうだろうな! しかたねえ、ひとまず勝負はおあずけだ! いいな!」

「毎度あり……」

 捨てゼリフをかましながら楓に連れて行かれる礼也に、ぶすっと無愛想を向ける夕季。

 それに光輔がやれやれという表情になった。

「夕季、今のはおまえが悪いだろ」

 思わず夕季がキッとなって振り返る。

 その時の自分を見つめる部員達の怯えるような目に、夕季のテンションが一気に下降した。

「礼也だから別にいいけどさ。あいつにローキックかませる人間だってみんなにアピールしただけじゃん。損だよ、おまえ」

 夕季が、ぐむむむ、と口をへの字に曲げる。

「……ごめん」

「いや、いいけど……。ん?」苦笑いの光輔が、こそこそと一人で戻って来た楓に気づいて顔を向けた。「何かあったの」

 真顔の楓を、光輔が不思議そうに見つめる。

 楓は極めて真剣な様子で耳打ちし、光輔だけに聞こえる声をこそっと差し出した。

「穂村君、写真……」

「ああ!」ああ、という顔になり、そこにいた全員が注目するほどの大声を出す光輔。「ああ! ああああ!」

 それに驚き、楓が変なリアクションで光輔を押しとどめようとした。

「ちょちょちょちょっと!」

「後でデータ渡すよ。部室のパソコンでコピーしとくからさ。自分達が写ってるとこだけでいいよね」

「……」

 一瞬ぽかんとし、すぐにほっとした表情になる楓。それから嬉しそうに光輔を見つめた。

「ありがとう。後でカード持ってくるね」

「ああ、うん」

「また遊びにきてね。古閑さんも」

「はい……」

「二人とも頑張ってね」

 何があったのかわからない夕季だけが、それを不思議そうに眺めていた。


 礼也と楓は学園祭本部の待機所で、疲れた様子でパイプ椅子に腰を下ろしていた。

 校内巡視をつき合わせるという名目で楓が礼也を引き回していたのだが、やはりグチが出始め、それをなだめるために奥の手のメロンパンを使うハメとなっていた。

「はい、どうぞ」

「おう、さんきゅ」

 楓からメロンパンを受け取り、礼也がすぐさまかぶりつく。

 それを楓は嬉しそうに眺めていた。

「桐嶋先輩」

 後ろから声をかけられ、楓が振り返る。

 そこには満面の笑顔を向ける茜がいた。

「水杜さん」楓も笑い返す。「コンテストに出てくれる気になったんですってね」

「ええ……」

「ありがとう。みんな喜んでたよ」

「ええ、まあ……」楓にそう答えつつ、すでにその目は礼也の持つメロンパンに奪われていた。「……おいしそう」

 あんぐり口を開けた礼也と、茜の視線が合致する。

「……よだれ出てんぞ」

「いえ、出てませんけど……。じゅっ!」

「いや、だから出てるって……。食うか」

「いいんですか」両手を結び、キラキラと星が輝く瞳を向ける茜。「こう見えても私、メロンパン大好きなんですよ」

「うん、まあ、どう見えてると思ってんのかわかんねえが……」

 くねくねと腰をくねらす茜を不思議そうに眺め、礼也は自分のパンを半分千切って手渡した。

「ありがとうございます」星をまたたかせたままでそう言い、すぐさま大口を開けてかぶりつく。「んぐ!」

「……慌てんじゃねえって」

 一口ですべてを飲み干そうとした茜に、礼也がやや引き気味の顔になった。

 そんなことなどおかまいなしに、死にそうな表情で口の中のものを一息で飲み込む茜。

 んぐ、と苦しそうにあえいだ後で、ぱああ~っと表情を輝かせた。

「これはまた、すごくおいしいですね! 死ぬかと思ったくらいです」

「それは別の理由だろ……」

 顔を見合わせる、礼也と楓。

「もう一個食うか」

 礼也がそう言うと同時に楓から差し出されたメロンパンを、茜は嬉しそうに受け取った。

「はい。んぐ!」

 白目を剥いて丸のみしようとする。

「だから、なんで一口で食おうとすんだって……」

「へえ、こう見えてもわらし、口が大ひいんですよほ」

「見りゃわかるけどな……」

「んぐ! ぐっ!」白目全開で咽をかきむしる。「駄目、このままじゃ死んじゃう!」

「おまえ、だいなしだな。……綾さんみてえな」

「これはほんろにおいひいれすね」にっこり笑いかけ、またすぐさま白目を剥いて死にそうな顔になった。「ぬぐ、ぐふう! やっぱり、死んじゃう!」

「水杜さん、ジュース」

「ありがほう、ごらいま……、んぐ!」

 捕食を終え、また茜が才色兼備な美少女の顔に戻った。

「あ~、おいしかった。あやうく死にかけちゃいましたけど。危険ですね、このメロンパン。三度目はないと思った方がいいかもしれません」

「こんなことで命を粗末にすんなって……」

「このパン、どこで買ったんですか」

 楓に真顔でたずねる茜。

 それに答えたのは嬉しそうに笑う礼也の方だった。

「フレールっつうとこだけどよ」

「フレール? ここらへんですか」

 瞬時に振り返ってぐいと迫る茜に、礼也が戸惑った表情になる。

「おお……」

「今度連れてってください」

「いいけどよ……」

 その様子を楓は表情もなく見守っていた。


 旗艦の司令室で後ろ手を組み、彼は大海を大げさに見渡した。

 波はなく、信じられぬほど平坦な海面からの照り返しを、サングラスをはずして確認する。

 眩しげに目を細めたところを、側近が後ろから声をかけた。

「もしメガルから抜け出ようとするものがいれば、後発隊のマリーンが必ず捕捉します。その範囲はメガルを中心に半径十キロもの圏内に及び、インフラを押さえて外界との接触を断つものです。山間部や海岸線に出れば、それこそマリーンズの餌食です。もし何らかの手段で遠海へ逃げ出せたとしても、我が軍の誇る無敵艦隊が待ち受けていますので、十重二十重に構築されたこの包囲網を突破するのは、いかなる他国の軍隊でも不可能でしょう。確保すべき者のリストはここに用意してあります。それ以外の人員は排除、もしくは半永久的な拘束が妥当かと」

 そこまで告げ、やにわに表情を正した。

「我々に必要なのは、テロリストからガーディアンとその関係者達を奪還したという事実だけです。体裁さえ整えば、あとは彼らに圧力を加えてでも従わせることができる。どれだけ装飾を施そうと、歴史書に綴られるのは、我々が世界の危機を救ったというシンプルな一文だけです」

「あとは奴らに悟られぬよう、警戒心を与えぬことだけだな」

「いえ、逆です」

「何」

「確かに油断、弛緩、慢心、これらはすべて兵法において相手をだしぬくための大きな武器です。ですがそれをもっと有効に使うには、一度警戒させる必要がある。その上で何も起こりえないと完全に安心させることが、これらの効果を最大限に発揮させる。そのための布石こそが、今世界中で起きている騒乱なのです」

 それからリーダーと共に大海を臨んだ。

「準備はすべて整いました」

 サングラス越しにリーダーがにやりとする。

「あとはセパルが現れるのを待つだけか」

「はい」







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