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第三十五話 『ブレイク・アウト』 2. 開幕

 


 学園祭の準備をしながら、夕季は複雑そうな様子だった。

 眉間に皺を寄せ、気難しい表情になる。

 原因はすぐ隣にいる少女だった。

「しぇんぱい、これありがとうございます」

 借りていた鋏を、サッカー部マネージャー川地みつばが夕季へ手渡す。

 それを受け取り、夕季はまたもとの作業へと戻った。

 妙な気配が気になり夕季が手を止めて振り返ると、そこには笑顔で熱いまなざしを送り続けるみつばの姿があった。

「……。何か飲む?」

 雰囲気に耐え切れずに口を開く夕季。

 その直後、みつばが嬉しそうな様子で飛び上がった。

「あ、あたし買ってきます。何がいいですかあ~」

「……」

 ダッシュするみつばの後ろ姿を、夕季は困惑するように眺めるだけだった。


 みつばから飲料水を受け取り、夕季がちらと目線を向ける。

 それに気づいたみつばは、飲み物に口をつけながら、にまにまと夕季を見つめ返すのだった。

「……川地さん」

 夕季に呼びかけられ、べったりとはりついたみつばが嬉しそうな顔を向けた。

「呼び捨てでいいですよお~」

「あ、うん……」引き気味の夕季が、思い切って告げる。「あの……、もう少し、抑えて欲しい」

 途端にみつばの表情がこわばり、数秒後にはじわ~と涙ぐみ始めた。

「しぇんぱい、私のこと嫌いですか~」

 突然くしゃくしゃの顔になって泣き始めたみつばに、戸惑う夕季。

「……そうじゃなくて」

 夕季がフォローしようとするも、みつばの決壊はすでに止まらなくなっていた。

「迷惑ですか~、ごめんなさい~……。えぐうっ、うぐ、えっ、えぐう~!」

 顔をゆがめ、胸の底からこみ上げるものを目一杯すすり上げるみつばに、困り果てる夕季。

 しかし、すっかり崩壊してしまったみつばを押しとどめる術を、夕季は持たなかった。

「ごめんなしゃい~、もう二度と話しかけましぇん~!」

「そうじゃなくて……」ぐむう、と夕季が口を結ぶ。「ごめん。変なこと言って」

 それにわずかにみつばが反応した。しばし泣き止み、ちらりと目線だけを向ける。

「でも、私のこと嫌いでしゅよね~」

「そんなことない……」横を向いてぼそりと告げる夕季。「ごめんなさい。苦手なの。そういう風にされるの慣れてなくて。……川地さんのことは嫌いじゃない」

「ほんとでしゅかあ~」

 不安げな顔を向けるみつばに、顔を赤らめながらも夕季が頷いてみせる。

 するとみつばが、夕季の目の前で号泣し始めた。

「あああああああああ~!」

 どうしたらいいのかわからず、夕季は眉間に皺を寄せたままそれを眺めるだけだった。


「川地さん、どうしてくっついてくるんだろう……」

 何気なく呟いた夕季の声に、光輔が手を止めて振り返る。

 夕季は光輔からの答えを待つように、夕暮れの窓の外を見つめながら立っていた。

「迷惑?」

「そういうわけじゃないけど……」

 光輔の問いかけに、夕季が口ごもる。

 それを眺め、光輔がおもしろそうに笑った。

「川地、おまえのことが大好きなんだって」

「!」

 弾かれたように、さっと振り返る夕季。

「あいつ、一人っ子だろ。前からお姉さんが欲しかったみたいでさ、おまえみたいなカッコイイ姉さんが理想なんだってさ」

 まばたきも忘れて光輔を見つめる夕季が、ぽっ、と顔を赤らめた。

「照れる?」

「……」

「あんまりべたべたするなって言っとこうか」

「……。うぅぅぅん……」

「?」

「どうかしたのか?」

 キャプテンが割り込んでくると、逃げ出すように夕季はそこから離れていった。

 それを光輔は苦笑いで受けた。やや嬉しそうに。


 翌日、みつばの姿を見かけ、静かに夕季が近づいていく。

「川地さん、手伝う」

「ありがとうございます」

「……あの」

 振り返るみつばに、意を決した表情の夕季が重い口を開いた。

「みつば、って呼んでもいい?」

 途端に、ぱああ~っと輝き出すみつばの顔。

「いいですよお~、しぇんぱ~い」

 それを光輔は遠くから楽しそうに眺めていた。


 学園祭を明日に控え、サッカー部ではアトラクションの最終調整に入っていた。

 山凌高校の学園祭は二日間の予定で、初日の土曜は生徒と招待状を持つその関係者のみのプレ解放、日曜日が本格的な一般開放となっていた。その後、月曜日午前中の簡単な片付けを経て、振替休日となる日程だった。

 幸い、二日間とも天候には恵まれそうではあった。

「キャプテン、私、夕季しぇんぱいとおやつ買いに行ってきます」

 みつばに言われ、サッカー部主将が笑顔で送り出す。

「おう、頼む。今日、俺らは遅くまでやってくから、おまえは古閑さんと一緒に早めに帰れよ」

「は~い」

「古閑さんも気をつけてね」

「はい」

「悪いね、いろいろやってもらっちゃって」

「いえ」

 控えめに笑い、夕季がみつばと顔を見合わせる。

 みつばは嬉しそうに夕季に笑いかけると、あれこれ話しながら部室から出て行った。


「古閑さんっていい娘だよな」

 何気なく発した主将の一言に、顔を向ける光輔。

「正直、最初は冷たくてとっつきにくく見えたんだけどな。よく動くし、気も遣ってくれるし、だいぶイメージと違ってたよ。みんなも喜んでる。連れてきてくれて、ほんと助かった」

「照れ屋なんすよ、あいつは。ほんとはもっとみんなとわいわいやりたいのに、引っ込み思案で損してる感じすよね」

 褒められたことを自分のことのように喜ぶ光輔を見て、主将も嬉しそうに笑った。

「きっと真面目すぎるんだろうな。川地のバカキャラもムードメーカーとして必要だけど、ああいうしっかりした子が一人マネでいてくれると助かるよな。ま、俺らは引退だからいいけど」

「ははは……」

 三年生は最後の大会で敗退が決まると同時に、部活動を引退するのが通例だった。

 多くの部が夏の大会を最後に二年生ら新戦力に移行していたこともあって、学園祭のメインは引退した三年生が行うのが慣習でもあった。

 それが三年生にとって、本格的な受験勉強前の大仕事の一つでもあったのだ。

 サッカー部の場合は冬の大会があるため、夏以降も三年生が多く残っていたが、幸いにして(?)予選二回戦敗退という早期離脱が可能となったことから、主将らも充分な時間をかけての参加が可能となっていた。

 このイベントを境に三年生が本格的に部を去ることになる、言わば三年生にとっては節目の、卒業イベントでもあったのだ。

 日曜の本解放が終了すると同時に三年生達はOBとなり、名目上もイメージ上も元主将と元部員となるので、月曜の片づけは後を引き継いだ下級生達だけで行うのが儀式の一つでもあった。

「結局、ベスト・ターゲットって名前にしたんだな」

 キャプテンに問われ、自信満々の表情を向ける光輔。

「ええ、栗原達と相談して。候補はいろいろあったんすけど」

「ふ~ん。……?」ふと何ごとかが気にかかる。「ホム、この最後の数字んとこが取れるようになってるのはなんで?」

「それは……」

 ぎくりと顔をこわばらせる光輔の心を読むように、キャプテンは不審そうな表情になった。

「おまえら、来年も同じ催し物やる気満々だろ。手抜きで予算浮かす気だな」

「ギク!」

「口で言うな……」

「ちゃんとバージョンアップはしますからご心配なく……」


 旗艦の作戦室に主だったメンバーが、がん首を揃えていた。

 その全員を淀み一つ漏らさせずに従え、偉大なる牽引者は作戦概要のすべてをサングラス越しに見渡した。

 他の出席者同様、次世代のリーダーとなるはずの人物を熱いまなざしで見据え、作戦包括担当者が何度も繰り返したプレゼンテーションを反芻させる。

「実行部隊の突撃は、予めメガル内部に潜伏させておいた工作員達の手はずでスムーズに行われることでしょう。彼らがセキュリティーの解除を行うと同時に、五百名の制圧部隊がなだれ込む算段です。後は旗艦のパルス砲に連動させた装置を起動させるだけで、メガルの電子機器とネットワークを麻痺させることができます」

「メガルのパルス対策は万全なはずだが。こと先回のプログラム発動時の反省もあり、外部からの干渉に対しては、より強化されたと聞いたが」

 幹部の一人が苦言を呈すると、待ち構えていたように説明者が満面の笑みを差し向けた。

「心臓部はそうですが、すべてというわけではありません。工作員によって内部からパルス兵器を作動させれば、誰にも気づかれずにシステムを遮断することが可能です。しかもメガルは攻撃を受けた場合に、自動的に司令部が隔離されるシステムとなっています。末端への通信網を遮断し、職員に偽装させた工作員達によってパニックを誘発させれば、外部からの進入もたやすくなるでしょう。兵器は人体には影響がないはずですが、多少威力を高めているので、いくらかは被害が出るかもしれません。強化ガラスが割れ、ケガ人が出ることも考えられますが、それすら我々には好都合です。人質の手当てを拒めば、心理的により一層不安をかきたてられます。そこへ政府を通じて声明を拡散させるのです。神に背きプログラムを招き寄せたメガルを引き渡すよう、テロリスト側が要求していると。メガルの最優先事項はプログラムの殲滅ですが、司令部には多くの人間がいます。彼らの中には使命感ではなく、ただ職業としてオペレーターを選択した者も数多く存在する。仲間達を見殺しにしてまで任務を遂行し続けられるほど、彼らのメンタルはタフではないはずです。内部の不安は一瞬のうちに拡散し、隅々まで伝わることでしょう。中には職務拒否をする者も必ず出てくるはずです。人質の解放を優先させるよう外部から要求を繰り返すことによって、司令部は集中を欠くことになりかねない」

「それだけで司令部が崩壊するものか」

「難しいでしょう。しかし、ドラグ・カイザーに乗るのは、三人ともティーンエイジャーだという裏付けが取れています。組織に身内がいる者もいるようです。そこで、爆破テロによって多くの負傷者が出たと、彼らを揺さぶってみるのです。メガルの司令部は否定するでしょうが、彼らの内心は気が気ではないことでしょう」

「それはマズい。彼らの集中が途切れれば、プログラムの殲滅自体が困難になる」

「では、テロリスト達がガーディアンの撤退を求めて、人質を拘束していると伝えればどうでしょう。司令部の強行的な姿勢を逆手に取り、我々はあくまでも人道的にことを運ぶべきだと彼らに訴えかけるのです。頼りになる味方であることを充分に意識づけて」

「テロリスト役はシールズだったな。普段はテロリストへの対策に心血を注ぐ彼らが、今回はそのテロリストそのものになると言うわけか」

「いえ、立案段階においてはシールズの精鋭を実行部隊として選定していましたが、海兵隊の特殊部隊に変更致しました。彼らは我が国が誇る世界最強の強襲部隊ですから、遭遇した相手にとっては悪夢以外の何ものでもないでしょう。それに、やはりシールズは解放部隊としての役割こそがふさわしい。テロリストの手口を知りつくした彼ら自身が、それぞれの役割を分担するわけですから、見事に演じきってくれることでしょう。実際の作戦においては百名もいれば制圧可能であると予想されますので、五百という数は充分すぎるほどのマージンを見込んでの上なのですが」

「失敗は許されない。それくらい念押しする方がいいだろう。確実な勝利が目前に迫った今となっては、慢心こそが最大の敵となる」

「はい。心得ております」

 作戦概要を締めくくるために、彼は自信に満ちた顔で続けてそれをリリースした。

「今回のプログラムがほぼ実体獣であろうという情報を、すでに得ています。危険はともないますが、逆にその方が我々にとっては動きやすい状況に持ち込むことが可能です」

「そこまでわかっているのか」

「はい。情報戦において我々が彼らの後手にまわることはありえません。おそらく彼らは次のプログラムがどのようなもので、いつくるのかということも把握していないはずです。きっと今回もノーモーションでの発動ということになることでしょう。形式上は」にやりと笑ってみせる。「彼らは自分達が世界最高峰の軍事技術を持っていると信じています。我々がそう思い込ませたからです。我々は彼らより数世代進んだ技術を有している。それを知った時の彼らの顔が見ものです」

「我々は何も知らぬ体を装い、予定された場所で演習を行っておればよいというわけか」

「はい。イビル・ターゲット。演習名ではありますが、この作戦を包括するのにこれほど相応しいネーミングもないでしょう」

「片手落ちだな」

 リーダーの呟きに、一同が一斉に凍りつく。

 一瞬のうちに青ざめたプレゼンターを意地悪そうに見つめ、彼はその場で一人だけ煙を燻らした。

「この最後の数字はなんだ」

「……それは西暦の下二桁を」

「必要なかろう」そしてみなを見渡してにやりと笑う。「プログラムは一度きりだ。それですべてが終わる」


 同じ頃、遠来の不穏な空気をまるで汲み取ることもなく、山凌高校学園祭は開幕した。





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