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第三十四話 『メッセージ』 11. 遠く旅立つ人

 


 曇天模様の下、綾音は陵太郎の墓前で手を合わせていた。

 線香の煙が鼻腔を刺激する中、静かに物憂げに墓石を見つめる。隣にある穂村の文字に目をやり、複雑そうに細めた。

 背中に人の気配を感じて振り返ると、そこには仏花を手にしたあさみの姿があった。

「これが一日延長した理由?」

「ばれてましたか」バツが悪そうに、にへへへと笑う綾音。「そういうわけでもなかったんですけどね。急に思い立って」

「お墓参りに行きたいのなら、言ってくれれば車くらい出したのに」

「すみません。最初の日にもつき合ってもらっちゃったから、何となく言い出しにくくて」

「みずくさいわね。そういうのやめてくれない」

「姉さんにはいろいろ迷惑かけちゃいましたからね」

「だから余計にじゃないの?」

「……。そうでしたね」陵太郎の墓石に目をやり、綾音が穏やかな笑みをたたえる。「本当のことを言うと、ちょっと迷っちゃってたんです。前に来た時に言い残したことがあって、それを伝えるべきかどうかって」

「伝えられたの」

「ええ、おかげさまで」

 それから視線を落としたのを見て、あさみは綾音の心の中にあるものをつかみ上げた。

「最近、あまり彼らのことを耳にしなくなった気がする。こうして人は忘れられていくのかもしれないわね」

 それに笑顔で返す綾音。

「いいことですよ。でなかったら、いつまでも死んだ人間に縛られてしまって、先へ進めなくなりますからね」

「あなたはどうなの」

「さあ、どうなんでしょうね……」

 隙間なく核心をついてくるあさみに対し、綾音は少しだけ表情を落としてそれを口にした。


 帰りの車中で、運転席のあさみが助手席に座る綾音をちらと見やる。

「本当にこれでよかったのかしらね」

 ぼそりとあさみが言うその意味を即座に理解し、綾音は自嘲気味に笑ってみせた。

「すみません、無理を言ってしまって。姉さんの推薦がなかったら絶対にありえないことですからね。どこまでお役に立てるかわかりませんが」

「そうじゃないでしょ。よく引き受けたわねって言いたかったの」

「はは、そういうことですか……」

「失敗の責任を押しつけるために用意されたポストだということくらい、内部の人間ならば誰でも知っている。だから、誰も手を出そうとはしないのに……」

「そんなに悪いことばかりじゃないですよ。内容はどうであれ、少なくとも今までとは比較にならないくらいの極秘情報も手に入れられますから。ポスト以上の特別な権利も。やり方次第では、合衆国に直接圧力をかけることも可能なんですよ。すごいでしょう」

「すごいって、……すごいけど、確かに……」

 ハンドルを握るあさみの顔が苦々しいそれに変わる。

「私、知りたいんですよ。何が起こっているのか」

「……」

「知らないですむことならいいのかもしれないけれど、知らないうちに自分のまわりで何かが起こっていくのが嫌なんです。何も知らなかったばかりに、その時、何もできなかったという状況が。知らなければ波乱の展開だって気にならなかったはずなのに」

「……それは同感ね」

「関わってしまった以上、すべてを把握したい。一種の好奇心ですけれどね。次はヴェパルで合ってますよね。ちょっとやっかいなことになりそうですよ」

「……。彼らには伝えたの」

「どうでしょうね。他の不安要素もあるけれど、全体的に見ればたいしたことじゃないですから。ん? ゼパルだったかな? 問題はその後ですよね」

「……」

 黙り込むあさみをちらと見て、やや言いづらそうに綾音が先に付け加える。

「本当はいろいろお願いしたいなって思ってたんですけれど、その必要もなかったみたいですね。考えすぎだったようです。私は私のすべきことをしていればいいって、よくわかりました」

「……」あさみが差し込む陽射しに眩しそうに目を細めた。「本当にいいの」

「何がですか」

「何も伝えなくても」

「……。必要ないですよ。そんなの」

「そう。……ならいいけれど」

「ええ……。でも、ちょっとやばかったですけどね」

「何が」

「あいつ、鋭いですね。姉さんから聞いてたとおりでした」

 横目でちらと確認し、その表情からピンとくるあさみ。

「夕季?」

「ええ。全部見抜かれてますよ。自分達が今どういう状況にあるのか。姉さん達から全力で守られてることも。ある意味、わかりやすいですからね、そういうところは。しらばっくれてるところがまたかわいいんですけれど」

「……。あなたがそういうふうに仕向けてしまったんじゃないの? 本当にアレを見せてしまってよかったのかしらね」

「微妙な感じです。私としては安心させてあげようと思っていたのに、かえって不安をあおってしまったようで」

「それに関しては、私達も前にいろいろ匂わせてしまったとこがあるから同罪ね。仕方なくだけど。むしろ彼女の性格なら、へたに隠し立てするより正確な情報を提示して、自分なりの心構えをもたせた方がいいかとは思ったけれど」

「そうかもしれませんね」

 口を閉ざしかけた綾音を眺め、あさみが長いため息を漏らした。

「あなたは、もっとわかりやすいけれど」

「姉さんほどじゃありませんよ」

「……そうかしら」

「ええ」

「でも彼女達はそんなつもりだとはとらないんじゃないかしら。少なくとも、あなたが何の考えもなくそんなの引き受けるはずがないって思っているはずよ」

「ええ、わかってますよ。……姉さん」

「何」

「どうして……。……いえ、すみません、何でもありません」

「……何を言いたかったのかはわからないけれど、あなたの勝手に思い込むその癖、直した方がいいわよ」

「そうですね」

「……」

「姉さん」

「?」

「ありがとう」

「……」

 その先、数キロメートルも続くロングストレートを、二人は無言のままやりすごしていった。


 メック事務所で、桔平と木場は虚ろな視線を空へ投げかけていた。

 腹を手でさすり、二人揃ってゲフッと噴き上げる。

 苦しそうに口もとを震わせる木場をちらと見やり、桔平は目線をテーブルの上の大皿へと向けた。

 その上に山のように積み上げられたメロンパンを恨めしそうに眺める。

 そこには綾音の字で書かれた、みなさんで召し上がってください、というメッセージが添えられてあった。

「なあ、木場」

「なんだ」

「おまえ、柊のソナタ、録ってねえか」

「四話からならある。途中もところどころ抜けてるが」

「マジか! 貸してくれよ!」思わず桔平が身を乗り出す。「昨日たまたま観たらよ、主人公の親父がヒロインの父親のかたきだってことがわかってよ、怒ったヒロインの兄貴が主人公を殺そうとしたんだけど、殺される寸前にヒロインが横入りしてきてかわりに大怪我しちまってよ。で、その悲しみで主人公が魔力を覚醒させて……」

「そんなシーンなかったぞ」

「ありゃ? そりゃ、その前に観た、釣りボケ・ライブラリー其の三十九の方だったかな?」

「最初の方は忍に貸しているからないぞ」

「残りは」

「進藤に貸しているからないぞ」

「またダビングすりゃいいじゃねえか」

「消してしまったからもうない」

「なんで消しちまうんだ、おまえは!」

「ダビングの時に間違えたんだ! ムーブだ、ムーブ!」

「おまえもか……。 あー、わかったぞ! おまえがあさみにすすめやがったんだな!」

「だからなんだ」

「いや、別にいいけど……。牛乳噴かしてヴァン・ダムのプラモぐちゃぐちゃにしたこと、まだ怒ってやがんのか」

「……少しだけだ」

「しの坊から借りた釣りボケ貸すから、機嫌直せって」

「……。仕方がないな……」

 ゲプッと二人同時に噴き上げた。

「プログラムがあることが当たり前になっちまったな」

 澄んだ青空を見上げ、桔平が何気なく口を開く。

 それに表情のない視線を木場が差し向けた。

「いつの間にかそれが普通になってしまった。感覚が麻痺して、すっかり日常に溶け込んでしまったような気にもなる」

「一年に一度が三ヶ月に一回になって、今じゃ毎週の時だってある。確実にクライマックスが近づいてる感じがするな」

「そうだな」

「何故こんなことになったのか、誰も顧みることすらない。足の引っ張り合いばかりで、こんなんじゃ奴らでなくても警鐘鳴らしたくもなるってか」

「まったくだな」

「結局、人間の敵は人間でしかないのかもな。俺達にとって最大の脅威はプログラムなんかじゃなくって、仲良しのお隣さんだ」

「そんなことをここで言っていても仕方がないだろう」

「それもそうだな。おい、飲みに行くか」

「車はないぞ」

「しの坊に貸したんだったか」

「おお」

「んじゃ、奴らが帰ってきたら、メシでも食いにいくか」

「もう綾パンで腹いっぱいだ」

「んじゃ、おまえ抜きで行くからな」

「……。いや、足がいるだろう。おまえも忍の奴も飲みたいだろうしな」

「淋しいのか」

「少しだけだ」

「んじゃ、おまえのおごりでいいか」

「ふざけるな」

「駄目か」

「あたりまえだ」

「そうか、駄目か……」

「あたりまえだ。金はあるんだろうな」

「一応ある。さっき見たら二百円くらいはあった……」

「ふざけるな! もうおごらんぞ」

「貸してくれ。今月ピンチなんだ」

「倍にして返すならな」

「……俺の驚異もお隣さんだ」

「それはこっちのセリフだ」

「……。なあ、木場」

 木場が桔平に顔を向ける。

 すると桔平は自嘲気味に笑って続けるのだった。

「いざという時、男ってのは頼りにならねえな」

「そうだな」

 それから二人揃って空を見上げる。

「うちの女はこええ奴ばっかだがな……」思い切り伸びをした。「俺達も行きたかったな。綾っぺの見送り」

「……そうだな」


 綾音の出立の日、空港のロビーには見慣れた顔ぶれが揃っていた。

「またすぐ帰ってきてね、綾さん」にこにこ笑顔で雅が綾音に最後のおねだりをかます。「明日の朝一番でとか」

「明日の朝だとまだあっちに着いてねえかもしんねえな」

 困った顔を向ける綾音。

 そんなことなどおかまいなしで雅は綾音いじりを続けた。

「困ったことがあったら呼ぶからすぐに来てね。あ~、おなかすいたな~、このままじゃ死んじゃう~、ピ~ンチ、あ、そ~だ、綾さんを呼ぼ~、綾さ~ん、らーめん作ってちゃぶだいな~」

「うん、自分でなんとかしろな。もう大学生なんだから」

「あやぱんマ~ン」

「遠まわしにあたしの顔がアンパンだって言われてるみたいだからやめろ!」

「遠まわしって言うか、そのものなんだけど」

「てめえ!」

「わお、綾さん、お~いしそ~」

「そういうのもやめろ。誤解されるだろ!」

「じゃあ、あやぱいマンってのは」

「いきなり何言ってんだ、てめえ!」

「でかぱいマン」

「あやはどこいった!」

「またメガネずれてるマン」

「ぎゃああー!」

 あきれ顔の面々。

 お別れだというのに取り立てて特別な言葉もかわさず、いつもどおりに一緒の時を過ごす。

 それまで何ごともなくみなと接していた綾音だったが、時間が迫った段階で初めてその表情に微妙な変化を見せた。

 何か言いたげな顔をしてから、何も言わずにみなと抱き合う綾音。

「じゃあね……」

 その淋しげな背中を、誰もが声も出さずに見守っていた。


「わかりやすすぎだな」

 やがて綾音の姿が見えなくなってから、光輔が呟く。

「何かあると、ああやって無理にはしゃいでみせるんだよね。すっごくわざとらしいんだけど、仕方ないからつきあってあげないとね」

 同意を求めて振り返った光輔だったが、どの顔もただ黙って別れを噛みしめている様子だった。

 突然忍が泣き出したのを見て、光輔が面食らう。

「どうしたの、しぃちゃん」

 涙を浮かべながらも忍は、光輔ににっこりと笑ってみせた。

「うん、なんでもない。なんでもないんだよ、光ちゃん……」

 そこまで言いかけ、忍が口をつぐむ。これ以上は言葉にならない様子だった。

 それを複雑な表情で眺める夕季と礼也。

 忍にはわかっていたのである。

 綾音が最後の別れを告げにやって来たことが。

 口にはしなかったが、もう二度とみなに会えないだろうということも。

 忍のそんな表情を目の当たりにし、夕季と礼也もおぼろげに感じていた不安に確信を持つ。

 もちろん光輔も。

「大丈夫だよ」

 光輔の声に振り返る面々。

 光輔は涼しげに、ゲートの彼方に消えていった見えざるその背中を、いつまでも見通していた。

「今度は俺達の番だから。そう陵ちゃんにも言ってきたからさ、昨日」

 根拠のない光輔の宣言。

 それにまばたきも忘れ、みなが注目した。

「あたしも光ちゃんと一緒に同じことを言ってきた」一人満面の笑顔を誇る雅が、それに補足する。「桔平さんと木場さんも一緒だったけどね。ひかるちゃんにも心配するなってちゃんと言っといたから。帰りにご飯食べようとしたら、桔平さんのサイフの中、八百円しかなくって、木場さんに怒られてた」

 礼也が放心するように雅のドヤ顔を眺めた。

「……俺もだって。……昨日」

 夕季が忍の顔をちらと見やる。

 すると忍も嬉しそうに笑った。

「だったら、みんなで一緒に行けばよかったね、夕季」

「……」

「んだよ、おまえらも行ったんかよ。言えよ」

「うるさい」

「俺も乗せてけって」

「やだ」

「やだって、おまえな!」

「あっははは!」目尻に涙を残したまま、忍が嬉しそうに笑う。「大変だ、陵ちゃんもひかるも。同じことを何べんも聞かされてさ。一度に言いに来いって怒ってるかもしれないよ」

「大変だって、ほんとよ……」

「ああ、でも大丈夫だよ」光輔も笑う。「陵ちゃんや姉さんならさ。もう慣れっこだろうから、そういうの」

「そうだね、光ちゃん」

「うん」

 そこにいた誰もが、何ら根拠のないそれを信じることに同意したのだった。

「なんか、笑っちゃう」雅がおもしろそうに一同を見回す。「みんなバラバラだもん。このこと、綾さんにメールしとこうよ」

「きっとさ、なんであたしも連れてかないんだ、って怒るよ、綾さん」

「言いそう!」

 楽しげに笑い合う。

 根拠のない希望をわずかにも疑うことすらなく。







                                     了

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