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第三十四話 『メッセージ』 9. 波乱の展開

 


 夕季は茜とともに廊下を歩いていた。

 夕季を見かけ、茜から近寄って来たのだ。

 二人が並んで歩く姿に、多くの生徒達が振り返る。

 今では夕季もちょっとした有名人となっていたのだが、それだけでなく、茜の顔を見つけて声をかけてくる人間もかなりの数を占めていた。

 そんなことなどかまわずに、茜は一人で喋り続ける。

「ねえ、古閑さん。柊のソナタって観てる?」

「観てない」

「どうして」

「なんだかタイトルが嫌だから」

「偏見だよ。観なよ、おもしろいから。毎回波乱の展開だよ!」

 目だけが真剣な笑顔を押しつけるようにぐぐぐと迫る茜に、夕季が口を結んで一歩退く。

「……お姉ちゃんは録画して観てるけど」

「だしょ!」

「うん。……ん?」

「私もね、最初はつまんないと思って観てなかったんだけど。ほら、私達が生まれる前の韓国のドラマじゃん。主役がメガネかけてるし、なんかニヤニヤしてるし。でもたまたま観た回が主人公が記憶喪失になる回でね。助けてもらった女の子が実はヒロインの知り合いで、その子に紹介してもらったヒロインに、はじめまして、って笑いながら言っちゃって、もうさ、せつなくてせつなくて、なんかこう、胸がキュウ~ってさ。いちころだったよ。自分がこんなにちょろい女だとは思わなかったよ。でね、前からヒロインのこと好きだった別の人がヒロインを助けるために船で沈没しちゃって。あ、この人主人公の親友で、主人公に遠慮とかしてたんだけど、報われないったら。それで記憶が戻った主人公がヒロインのこと好きだってことわかって、助けた女の子が自殺しちゃってさ。助かったんだけど、どえらいことになっちゃって。君のことを誰より愛してるけど僕達は一緒にはなれない、って、もう死んじゃいそうだよ、こっちが。遡って一話からレンタルしちゃったよ。映像特典がトン様のあだだが好きだがら~、だった! あれ、これ違うのだったかな? もう来週が待ち遠しくて!」

「落ち着いて、水杜さん」

「もっかい観たいんだけど、誰か最初から録ってないかな」

「お姉ちゃんも最初はバカにしてたのに、上司の人にすすめられて途中から観たらすぐに好きになって、仕事中も二人でその話ばかりしてるって。ボーナスでBOX買うかどうか今考え中みたい」

「あ、いいな!」きらきらと輝く笑顔で夕季を包み込む。「私も全部レンタルしてくればいいんだけどね。いつもどれかを誰かが借りてるし。人のこと言えないけど、なんで今さらちょいちょい借りてる人がいるんだろ」

「……ひょっとしたら知っている人達かもしれない」

「古閑さんもお姉さんに観せてもらいなよ。絶対ハマるって」

「おもしろそうだけど、どうしてもタイトルが受けつけなくて……」むぐ、と口を結び、情けない表情で茜の顔を眺める。「主人公がメガネをかけてマフラーした別の人にしか見えない」

「別の人って?」

「……こっちの話。笑顔を想像するとムカつくし」

「?」不思議そうに首を傾げる茜だったが、すぐさま別の話題を思い出し切りかえてきた。「そういえば、古閑さん達は何やるの?」

「……学園祭?」

「そう。うちのクラス、選抜クラスだから学園祭は参加しなくてもいいってことになってたんだけど、そんなのつまらないって言ったら結構みんなも賛同してくれてね。みんな、他のクラスの人達が楽しそうにしてるのを見てて結構疎外感とか感じてたみたいで、ずっとそう思ってたみたい。でさ、結局言い出しっぺの私が実行委員長することになって、先生からはあまりガッツリしたのはやるなって言われてたんだけど、メイド喫茶って言ったら駄目だって怒られて、じゃあコスプレ喫茶にしますって言ったら、それならオーケーだってことになっちゃってさ。なんでやねん! って感じで。でも結構みんなノリノリだったりして」ただ聞くのみの夕季の顔に注目する。「で、何やるの?」

「喫茶店」

「コスプレ? メイド?」

「ただの喫茶店」

「もったいない」

「……何が」

 その時、後ろから光輔の声がして、二人が振り返った。

「あ、夕季、今日さ……」茜に気づき、光輔が、あれ、という顔になった。「あ、ごめん。話し中だった? 園馬と一緒かと思った」

 その顔をまじまじと眺め、思い出したように茜が目を剥く。

「ひょっとして、穂村君?」

「え? あ、うん。……あれ、前にどこかで会ったっけ?」

「あ、ごめんなさい。校内新聞で見たことあったから、知ってた気になっちゃって。すごく足が速いんだよね」

「校内新聞ってさ……」

「あなた、体育大会で古閑さんに殴られてたよね。リレーのゴールの時。グーで」

「あ、やっぱりそれ……」

「殴ってない……」

「あ、思い出した。確か黒いゴキブリって書いてあったよ!」

「そのままじゃん……」

「……黒い弾丸だった気がする」

「あ、そうだ、そうだ。黒いゴキブリって、そのままじゃんか! 黒いゴキブリだって。うける!」

「ひでえよ……」

「……でもみんなそう言ってた気がする。みずき達も」

「ひでえよ! 初耳だよ!」

「……ごめん」

「あっははは! うける! 波乱の展開!」

「ひでえよ……」


 桔平と綾音は睨み合いを続けていた。

「おまえ、大丈夫か」

「何がですか」

 言うタイミングを見計らっていたように、桔平がそれを切り出した。

「どんな手を使っているのか知らんが、俺やあさみも知らないような情報を知っている以上、相当ヤバイことやってんだろ」

「たいしたことはしていませんよ」

 しれっと言い返す綾音に、桔平が毒気を抜かれる。

「すでにどっぷりつかってやがるな。わかってるだろうが、もうどこにも逃げ場所はないぞ」

「そんなもの……」そう言いかけて、真剣な桔平の顔の前に言葉を飲み込む。「……柊さんが用意してくれるんじゃないかな、と」

「……」

「……な~んてことはこれっぽっちも考えていませんが」

 わずかに眉を揺らし、桔平が目を細めた。

「もう戻れないぞ」

「わかってますよ。それより人の心配している余裕なんてあるんですか。底なし沼はむしろそっちの方なんじゃないですか」

「だからっておまえまでつき合うことはないだろうが」

「つき合ったわけじゃないですよ。振り返るのをやめただけです」

 そう言って覚悟を決めた様子で笑いかける綾音。

「自分で言うのも何ですけれど、私、大事なものが多すぎて困っていたんですよ。その一つ一つを思い出して大切にしまうだけで精一杯だったから。でもそれでは前には進めない。わかっていたんです。大切なものを守るためには、大切なものをすべて断ち切ってでも前に進まなければならないって」

「おまえ……」

「この先何が起こるのかなんてわからない。だけど何があっても振り返らないって心に決めたんです。きっとこの先、想像もつかないような波乱の展開が待ち受けていることでしょう。或いは姉さんが記憶喪失になったり、木場兄さんが難破船で行方不明になったり、クロちゃんがフラれすぎて再起不能になったり、もっといろいろすごいことも」

「おまえ、柊のソナタ観ただろ」

「……なんのことスか」

「おまえもか……」

「ほんのちょろっと……」

 桔平が、ふっと笑ってみせた。

 あきれたように、本当に仕方ないなと言わんばかりに。

「バカだな、おまえは」

「……わかってますよ」

「ほんとバカだ、おまえは。大バカ野郎だ。救いようのないバカだ。このバカだけはまったく……」

「バカバカバカバカ、もう!」

「……普通にカチンときやがったな」

「自分でも馬鹿だってことくらいわかってますけれど、あなたにだけは言われたくないですね!」

「そいつはちょっとどういう意味かな……」

 顎に手を当て、やにわに桔平が考える素振りをした。

「本当にいいのか」

 他のことに気をとられていたため、綾音の反応が遅れる。

 桔平のその神妙な様子から、綾音は何を言わんとするのかを正確に汲み取ったのだった。

「ええ。誰かがやらなければいけないことですから、自分でやった方が世話がなくていいでしょ。どこまでお力になれるかはわかりませんが。あ、差し入れ、本当にありがとうございました」

 まわりくどい言い回しのその真意を桔平も察する。

「こっちもどこまで手助けになれるかはわかんねえがな」

「そんなことありませんよ。本当に、すごい差し入れ、大感謝ですよ。ドラさんが来てから、周りの見る目が明らかに変わりましたからね」

「良くも悪くもか」

「悪くなんてなりませんよ。もともと野放しになっていた悪い人達を、力づくで押さえつけることができるようになったわけですからね。プラスもプラスって感じです」

「それでいいのか」

「いいんじゃないんですか」

「ま、おまえさんがそう言うのなら、俺は別に言うこたないが」

「ははは」楽しそうに笑う。「本当によく似ていますよね」

「はん?」

「そうやってとぼけるところとか。あの人も都合が悪くなると急に英語が話せない人になりますからね」

「あのオッサン、英語もしゃべれんのか!」

「もうペラペラですよ。アレクシアほどじゃないですけれどね」

「むうう……。なんであんななのに、無駄に頭いいんだろな。同じような人種だと思ってたのに、納得できん……」

 嬉しそうに綾音が笑った。

「ケイゴ一人の時より心強いです。あいつが頼りないってことじゃないんですけど、やっぱりあいつ自身、自分だけじゃつらいってわかってたみたいですから。心強い味方ができたことを一番喜んでいるのは、実はあいつの方なんじゃないですかね。できればマーシャ達だけでも、もっと安全な場所に置いておいてあげたいところですけれど」

「あれ以上安全な場所がこの地球上のどこにある」

「それもそうですね」綾音が考え直す。それから頭の上に電球を点した。「あ、モナカの包み紙、そろそろやばいかもしれませんよ。怪しんでる人がいましたからね。何か他の手を考えときます」

「見つからないだろ。全部ってわけでもないし」

「綺麗な紙だからってことで、折鶴作るために私が全部回収していますからね。でもいつもいつもってのは、さすがにね。今度は亀でも折りましょうかね」

「気ぃ遣わすよな。悪い」

「気にしないでください。こちらにもメリットがあることですから」

「すまねえな、無理言って」

「柊さんの頼みじゃ断れませんよ。何でも言ってください」

「そうか。じゃ、そのボインを……」

「ええ、もちろん駄目です」

「……あ、やっぱな……」

 腕組みをし、ふいに綾音が口元をゆがめた。

「そうだ、そう言えば、ケイゴが柊さんみたいになって帰ってきましたけど、何してくれてるんですか! すっかり駄目な芸人みたいになってましたよ! 全部あなたのせいですよ!」

「……そんなこと俺に言われてもな」

 予想外のそれもとんでもない言いがかりに、桔平は防戦一方だった。

「桔平なんかに弟子入りするからイタいギャグを連発してスベりまくるようになったんだって、ドラさんが笑って……、怒ってましたよ」

「……あの野郎」

「あと、もっとモナカ送れって」

「もう二度と送ってやるか!」

 キッとなって綾音が振り返る。

「それじゃ私の取り分はどうなるんですか!」

「ああ、わかったぞ、おまえのせいですぐなくなるんだな!」

「湖満堂は味が落ちたんじゃないかとも言ってました」

 途端に桔平が申し訳なさそうな顔に変わる。

「そうなんだよな。今、大将が入院中でな、息子も腕は悪くないんだがまだまだってところだな、って、外人なのによくわかんな~、おい!」

「微妙ですけれど絶妙にタッチが違うんです。繊細かつストイックな舌を持つ人間なら誰にでもわかりますよ」

「おまえの体型が繊細でもストイックでもないタッチになってきていることは誰にでもわかるんだがな……」

「またまた~」ひゅ~、と両人差し指を差し向ける。「ナイスジョーク」

「自覚ねえな!」

「去年買った水着が縮んでたのにはビックリしましたけどね。ああ、水着って縮むんだなあ、って。一瞬自分が大きくなったんじゃないかって錯覚しかけましたよ」

「だから、縮んだんじゃなくて、おまえがでかくなっただけだろ!」

「じゃあ、私が太ったって言うんですか!」

「そう言ってんだろが、わかりやすく。水着はそう簡単には縮まねえなあ!」

「言いがかりはやめてほしいですね。どこにそんな根拠があるんですか。訴えますよ」

「上等だ! じゃあ見せてみろ!」

「おもしれえじゃねえですか!」

「え、ほんとに見せてくれんの?」

「駄目に決まってるじゃないですか!」

「ああ、やっぱな……」

「当たり前ですよ。そんなやっすい手にひっかかるとでも思ってるんですか。ドラさんじゃあるまいし」

 ちっと舌打ちするようにそっぽを向いた桔平を、綾音はおもしろそうに眺めた。

「ドラさん、言ってましたよ。俺は桔平にハメられたって」

「だから自腹切ってモナカ送ってやってんじゃねえか! いや、別にハメたわけじゃねえが」

「モナカくらいじゃ割りに合わんから、水羊羹も送れって。あと、ええと、続きが気になるから柊のソナタの……」

「今考えただろ、おまえ!」






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