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第三十四話 『メッセージ』 8. その理由

 


「ちょっと食堂に行こうと思って」

 そう言ってバツが悪そうに笑う綾音を見つめ、桔平は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 両手で抱える大きなレジ袋の名前に見覚えがあったからである。

「……腹へって、力が出なくなったのか」

「まあ、そんなとこです……」

「パン屋行きやがったのか、おまえ。またたくさん買ってきやがったな」

「なんでわかったんですか」袋を抱きしめ大きな目を見開いてビックリ。

「あ、マジで言ってやがるな、その顔……」

「え、ああ、これか。ああ、びっくりした。エスパーかと思った。いつの間にか身体の一部になってたみたいですね」

「いや、びっくりは俺の方だ。おまえよ、今日、午後からレセプションのパーティーだって言っといたじゃねえか。それをパン屋行くためにサボりやがったのか。それはないわ、さすがに」

「柊さんだって買い食いするためによく会議サボるって聞いてますよ」

「誰がそんなこと言った!」

「姉さんと木場兄さんと忍と雅と夕季とコマさんと、あとのりぴーとサッティさんとくろちゃん、鳳さんと、あ、ぬまっちも……」

「もういい、そこまでだ!」

「もういいですよ」綾音が辟易した様子で顔をゆがめる。「何回同じことやれば気がすむんですか」

「いや、いろんなとこに顔出しとかなきゃまずいだろ、立場的に。パーティーっつっても、おまえの就任祝いの意味合いもあるんだから。何も進展しない茶飲み会みたいな会議とはわけが違うだろ」

「同じですよ。いてもいなくても何もかわらないし、メンドくさいだけですよ。欠席の理由だって書いておいたじゃないですか」

「こら、綾っペよ。おまえ、自分達の歓迎パーティー欠席する理由が、もっと大事な用事ってのはまずいだろ」

「そうですか?」

 悪びれた様子もなくあっけらかんと振り返った綾音に、この野郎という顔を向ける桔平。

「おお。体調が悪いとかならともかくよ、もっと大事な用事ってのはおかしいだろ、おまえ。そこいらから偉そうな奴らがわざわざ時間作って集結してるってのに、それ以上の用事を説明する方が難しいわ。ハライタってことにしといたからなんとかなったが」

「それでなんとかなったんですか。……すごいですね」

「ったくよ。嘘つくんなら、もっとうまくやれって」

「嘘なんてついてませんよ」

「んあ?」

 ポカンとなる桔平を真っ直ぐ見据え、綾音は何一つ曇りのないまなざしで続けた。

「もっと大事な用事はもっと大事な用事ですよ。私にとって帰国は盛大なパーティーに出席する日ではなくて、大切な人達と過ごすための日なんです。おかげで鋭気を養うことができました。昨日だってみんなでパン屋さんに行って、食事に行って、帰りにレンタルに寄って」

「レンタルっておまえ、返す前に自分が帰っちゃうじゃねえか」

「木場さんが借りていた分を返却したいって言うから」

「……木場?」

「ええ、車で乗せて行ってもらったんです。ついでに昔好きだった特撮がブルーレイになってたんで、とりあえず半分借りてきて夜中まで忍とぶっとおしで観ちゃいましたよ。とにかく主人公がカッコいいんですよ。やっぱりゲン太郎は何度観てもシビれるわ~。よく考えたら一日で全部観なくてもよかったんですよね。一週間レンタルなんだし。こんなことなら最初から全部借りておけばよかった。忍も夢中になってましたよ」

「ほおお、で、あんにゃろー、アクビばっかしてやがったのか……」くわ、と目を剥く。「て、なんで俺も誘わねえ!」

「柊さんはパーティー欠席しちゃまずいかなって……」

「ああ! んなの知るか! パーティーだろうがパンティーだろうが俺には関係ねえ。だいたいパンティーなんて死語だろ、もうよ!」

「確かにパンティーは関係ないですね……」

「おお、おまえが言うとちょっとドキドキするな。しのぼーが言ってもなんとも思わねえがな! げははは!」

「そのうち本当に嫌われちゃいますよ」

「知るかって! 俺だってあんなわけわかんねえパーティーなんかに出るより、おまえらとファミレスとかパン屋とか行って、きゃっきゃうふふとかしたかったってーの。なあ」

「ええ、そんなことしてませんけど」

「どうせ肩書きばっかの偉そうなヒマ人どもがガン首揃えてくっちゃべってるだけの、どうでもいいお話し会なんだからよ。くっだらねえ!」

「リスペクトのかけらもありませんね」

「ねーわ、そんなの。立場上、立ててただけだっての。あんなのあさみがいきゃいいじゃねえか。それをあいつもいきたくないもんだから、アノ日で帰りたい、とか言って欠席しやがって」

「姉さんもスか……」

「なんだ、アノ日で帰りたいって。ユーニン、ディスってやがんのか。そんなの通るわけねえじゃねえか。カッコして、韓流ドラマの再放送の日って書いてやがったが、バカか、あいつは! 何が、波乱の展開に目が離せない! だ。二十年前に流行ったドラマの展開なんざ、全部わかってんだろうが。何が、柊のソナタだ。俺をディスッてやがんのか!」

「姉さん前に、ああいうの大嫌い、とか言ってたはずなのに……。ちょっと観たらハマっちゃったんスね」

「ふざけやがって。歯医者の予約を忘れてたって俺が書き直しておいたから、ことなきをえたようなモンだが!」

「それで通るんですね……。……実は本当にどうでもいいパーティーなんじゃないですか?」

「どうでもいいわ、もう! 冷てえ、冷てえぞ、綾っぺ。なんで俺だけハブんだ! なんの恨みがあって!」

「すみません。実を言うと、昨日は柊さんのこと、ガッツリ忘れてました」

「いや、そういうこと正直に言われると実にせつない気持ちになる……」

「あ、ブルーレイの続きを借りてきちゃったんですけど、よかったら一緒に観ます? あと十三話ありますけど」

「観るっちゅーねん!」

「カッコいいですよ、ゲンの字」


 夕刻、食堂の厨房にエプロン姿の綾音とそれをあきれたように見守る礼也の姿があった。

「ったくよ、いきなり弟子入りしてんじゃねえって」

 それに満面の笑みで振り返る綾音。

「あんたが知り合いだったおかげだよ。あんた、いい師匠見つけたねえ」

「おお、まあ、……師匠?」

 腰に手を当て、綾音が今日の出来事を振り返る。

「メロンパンだけじゃなくて他もすごかったね。夕季もまたカレーパン買ってたし」

「一個オマケしてもらって喜んでやがったな。なんでカレーパンが好きなのがバレたか悩んでやがったが、試食コーナーであんなガッツリ食ってりゃ、誰でもわかんだろ」

「あんたみたいにね」

「はあ! メロンパンはもはやジャンルだろ。普通のパンとメロンパンほどの違いがあるってこった。常識だって」

「うん、たぶん、あたしのせいなんだろうね。あんたの非常識の原因は。ごめんな」

「なんでだって!」

「ほんとさ、クイニーアマンの中に杏仁豆腐入れるなんて、天才の発想だよ。常にパンのことばかり考えてるから、そういう閃きが降りてくるんだね、きっと」

「あれ、プリン入れようと思ってたのに、再放送でやってる柊のソナタのこと考えててボーっとしてて、間違って孫に作ってやった杏仁豆腐入れちまったそうだぜ。波乱の展開の続きが気になって仕方なくて、ボケまくってて、全部作るまで気づかなかったみてえだ。今さら二十年前の韓流ドラマにハマるとは我ながら意外だったってよ」

「そんなにおもしろいのなら、あたしも観ようかな……」

「普通、どっかでわかりそうなモンだが、それくらい心がどっか飛んでってたらしい。たくさん作っちまったし捨てるのももったいねーって試作品コーナーに置いたら予想外の好評価で、思わぬ大ヒットになったって本人が一番驚いてやがった。聞いたしの坊の顔が引きつってやがったし。アンニンハセヨって名前がまずふざけてんだろ」

「確かにそんな名前だったような……。てきとー?」

「てきとーだって!」

「なんか悔しい!」

「だよな!」

「あ、でもさ、ストロベリーメロンパンだけはなかなか商品化に踏み出せなかったって言ってたよね。あれ、激ウマだもんね。きっと試行錯誤の連続だったんだろうね。わかるわあ」

「前に聞いた時ゃ、名前以外はすんなり決まったって言ってたぜ。ストロベリーなのにメロンパンなんて、客を騙してるようで罪の意識にさいなまれまくって、なかなか踏み切れなかったってよ。マンゴーメロンパンの時は、んなことこれっぽちも考えなかったみたいだが」

「ふ~ん……」

「ちなみにマーシャも虜の、別名メロンメロンパンとも言われるアルティメットメロンパンの果肉にゃ、プリンスメロンを使ってるらしい」

「あれ、マスクメロンじゃないの?」

「俺もずっとホンモン使ってると思ってたって。最初はホンモン使ってたのに、あんま味変わんなかったから安い方に変えたって話だ。どおりで急に値下げしやがったわけだって。手間は同じだから個数制限はそのままだがよ」

「騙されてたんだね……。あたしもだけど」

「騙されてたって! 安くてウマいから別にかまわねえがよ! お得だって!」

「仲いいね、あんたら……」

「前に万引きしようとしたガキ捕まえてやったからな」

「ほう」

「後からそれが孫だったって判明して大騒ぎだったが、孫だろうとなんだろうと、万引きは許される行為じゃねえからな。今じゃすっかり改心した孫とも仲良しだけどよ!」

「いや、単におばあちゃんから好きなの持ってきなって言われてただけだろ」

「あ!」

「……やっちまったな、おまえ」

「やっちまった! そんな地元ルールありかって! どうりで苦笑いしてたはずだって!」

「すんだことだけど一応謝っときなよ」

「わかったって!」


 数時間後、甘く香ばしい匂いを思い切り嗅ぎながら、満足げな表情で綾音が振り返った。

「さあ完成したよ」トレーの上にびっしり並べられていたのはできたてのメロンパンだった。「完璧で究極のメロンパン、その名もメロン・アルティメット。またの名を綾パンだ。さあ召し上がれー!」

「パクりじゃねえか……」

「アヤパン……」

「男のくせにこまかいな~、あんたら」礼也と光輔の呟きに綾音が仏頂面になる。「んじゃアハンハンでい~や」

「いいのかよ……」

「適当だよね……」

 パク、と一口食し、そこにいた全員が例外なく一斉に首を傾げてみせた。

「まあ、ん、かな……」

「……。なんか、うん、ちょっと……」

「うん、なんか違う!」

「雅……」

 ズバンと言い放つ雅に、礼也が畏怖の表情を向ける。

「いや、おいしいんだけど、おいしいんだけどさ、なんかさっき食べたのとは違うなってさ」

 光輔のフォローに、綾音が苦笑いした。

「別にあたしに遠慮しないでいいよ。はっきり言ってくれた方がいいし」

「うん、全然違う!」

「おまえよ……。ま、そうなんだよな」

 綾音に気を遣いつつも、礼也が本音をポロリと漏らす。

 だが当の綾音にしても、みなと同じように首を傾ける仕草をしたのだった。

「だよねえ」ふうむと唸る。「なんだかさ、レシピどおりにやったのに今いちなんだよね」

「完璧っつったじゃねえか……」

「わからんなあ。設備も材料もフレールより上のもの使ってるんだけどね。何が違うんだろ」

「その時点で違っちゃってるんだろうね……」

「腕じゃない?」

 またもやみなの顔を凍りつかせたのは、雅の何気ない一言だった。

「言っちゃった……」

「言っちまったな……」

 ぷち切れの綾音。

「はあ! あんたらの味覚がおかしいんじゃないの?」

「うわあ……」

「そうくるかよ……」

「またメガネずれてるう~」

「もうちょっと、人に気を遣うとかなんとか、ねーのか!」

「はっきり言えって言ったくせによ……」

「はっきり言いすぎだわ! てめーら!」

「俺らは何も言ってないんだけど……」

「あ~、そうか、わかった!」雅がポン。「メガネがずれてるのはあの人の真似だ! コンちゃ……」

「いや、普通にありえねーだろ! 今あたしがそれやって、得することあんのか!」

「なんだ……」

「何ガッカリしてやがんだ。いい加減にしろ、てめー!」

 むうん、と綾音が再び熟考に移る。

「ふうむ。レシピだけで作れるほど、パンの世界は甘くないってことだね」

「パンの世界ってなんだろ」

「全部パンでできてんだろな。頭ん中まで」

「へえ、行ってみたいな……」

「あたしも行ってみた~い!」


 翌日、メック事務所で虚ろな視線を空に投げかけながら、パンパンに膨らんだ腹をさする桔平と綾音の姿があった。

 ゲフッと噴き上げ、綾音がカラになった大皿を眺める。

「やっとなくなりましたね」

 パンク寸前の腹を両手で抱えていた桔平が、ふいに眉間に皺を寄せ、ゴアッ! と咆哮した。

「もう食えねえぞ……」

 痙攣するように伸ばした手で空をつかんだ。

「ありがとうございます。作りすぎちゃって困ってたんです。綾パン、おいしかったですか」

「うまかったが、さすがにこんだけ食うと甘い。とにかく口ん中がねっとり甘々と渦巻いてやがる。たぶんうまかったとは思うが、途中から甘いだけになって、今となってはそれ以外の記憶が残ってねえ。うまかったが。……あやぱん?」

「そうですか。最後の方のやつは結構うまくいってたと思ったんですけれどね」バツが悪そうに、控えめに、そして満足そうに笑った。「これでやっと心置きなく向こうに帰れますよ」

 苦しそうにあえぎ、桔平がじっと綾音を見つめた。

「おまえ、何考えてやがる」

「はい?」

 にっこりと笑顔を向ける綾音。

 それをじろりと見やり、桔平は凄みを込めた口調で続けた。

「おまえの目的はなんだ。あさみの推薦を得てそれ以上のプッシュを引き出した。今やおまえの立場は俺達以上だ」

「世界平和のため、って言っても信じてはもらえないですよね」

「……」

「知ってますか。うちの会社が米軍への支援と協力提携を打ち切ったら、すぐに大統領からのホットラインがくるって噂。都市伝説なんですけれどね。でもそういう噂が出るくらい、メガがあの国に対して発言力を持っているのは確かです。まあどれだけ偉くなろうと、たかだか一人の社員にそんな権限なんて到底ないんですけどね」

「おまえにはなくても、おまえのバックにいる人間の名前を聞けば大抵の相手は何も言えなくなる。一人は凪野博士。そしてもう一人は……。それを承知で面と向かって物言いをするような輩は、明らかな敵愾心を持つ人間だけだ」

「彼らが私の言葉に耳を傾けると思いますか。はなから相手にもされていませんよ。でも彼らの信用を得る方法なら知っています」ふいに目を細めて空へと視線を投げかける。「利用させてもらいますよ。姉さんも、柊さんの名前も」

「自分が何を言ってるのか、わかってるのか」

「わかってますよ」それからかすかな笑みをたたえて桔平を見つめた。「こういうの、闇墜ちって言うんですかね」

 綾音が表情の読めない薄笑みを構築する。

 その顔を、桔平はただ畏怖するように眺めることしかできなかった。







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