第三十四話 『メッセージ』 7. ちっともかわらない人
光輔らは学園祭の準備に追われていた。
サッカー部マネージャー、おかっぱ頭の元気印、川地みつばが、笑顔で夕季のもとへと近づいていく。
「しぇんぱい、これ、できました」
「あ、ありがとう……」
振り返った夕季が眉間に皺を寄せているのに気づき、みつばの笑顔が二層ほど輝きを増した。
「すいましぇん。私、緊張したり嬉しくて興奮すると、サ行があやしくなっちゃうんです」
「作業?」
間抜けヅラを向けた光輔と栗原に、みつばが嬉しそうに振り返った。
「あいうえおのサ行でしゅよ。さししゅしぇしょが、しゃししゅしぇしょになっちゃうんでしゅ」
「サ行っていうか、サだけが違ってたような……」
光輔と栗原が表情もなく顔を見合わせる。
それを眺め、みつばが楽しそうに笑った。
「あれ、しょーなんでしゅか。ひょかはちゃんと言えてましゅたでしゅかねえ~」
「他もあやしくなってたな……」
各クラスの催しに加えクラブ活動のものも兼ねていた人間は、その忙しさも倍増だった。
「あ~、忙しい」
みずきや夕季のクラスであぐらをかき、光輔が吹き溜まりをぶち上げる。
それを冷めた目で眺めながら、突然茂樹がブチ切れた。
「なんでおまえがここにいんだ!」
「ん?」
「ん、じゃねえだろ。何こんなとこでサボッてやがんだ。自分のクラスの手伝いはどうした」
「あ、ちょっとジュースを買いにさ」
「あ」みずきがふいに思い立つ。「ねえ、あたし、ジュース買ってくるよ。みんな何がいい?」
「あたしも行く」
顔を向ける夕季に、にっこり笑いかけるみずき。
「うん、一緒に行こ」
それに茂樹も便乗しようとした。
「あ、じゃあ、俺も……」
「曽我君は手を休めないで! さぼったら破門だよ」
「……どーしてかなあ……」
「あ、俺、コーラ」
「何しにきたの、光輔!」
結局、光輔と茂樹も交えて飲み物の買い出しに出向くこととなった。
売店を目指して進む途中で、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。
できれば今は聞きたくない、その声が。
「どういうこった! 説明しろって!」
振り向くまでもなくそれが礼也だとわかり、茂樹の顔が青ざめた。
苦笑いの光輔のそばで、やや引いた様子のみずきが、夕季の陰に隠れる。
困り果てた教師を助けるべく、光輔は礼也の近くに寄って行くのだった。
「なんかあったの」
途端に礼也の顔が弾ける。
「おお、光輔!」
おい、聞いてくれよお~という顔だった。
「大事な客人が来ているみてえだけどよ、俺に話があるから来いだってよ。客だからって偉そーにしやがってよ。用があるならそっちから来いってんだ」蒼白の茂樹をばっちりと見つけた。「なあ、エロガッパ」
「そ、そ、そうスね……」
「ひでえだろ、な」
「ひどいスね」
「ひでえよな。許せねえだろ」
「はい、許せませんよ」
「たぶんこないだのおっさんがリベンジにやってきやがったにちげえねえ。もっと偉いの連れてきてよ。おもしれえ、返り討ちにしてやるぜ。ガツーンとやってやるか、一緒によ」
「はい!」ふと我に返る。「……一緒にガツーンって?」
「殴りこみに決まってんだろ。どこの偉いさんだか知らねえが、一言言ってやんねえと気がすまねえ。おまえもそうなんだろ。さ、行くぞ。校長室までレッツラゴーだ!」
「そそそそそ、そんな!」
助けを求める茂樹に苦笑いを返すのみの光輔。
しかし助け舟は別のところから訪れた。
「いい加減にすれば」
「はあ!」
「古閑さん……」
凛々しい夕季に、憧れのまなざしを当てまくる茂樹。
それをみずきが、げえ、という顔で眺めた。
「先生、困ってるじゃない。子供みたいなことやめなよ」
「んだと、てめえ!」
「曽我君を助けたわけじゃなかったね」
「ああ、そうだよね」
「納得だよ」
「ははは……」
「……」
みずきと光輔が陰でぼそぼそと話し合うのを、茂樹は複雑そうに眺めていた。
「嫌なら帰れば」
「おお、上等だ。文句言ってからそっこーで帰る。パン買いにいかなくちゃなんねーからな!」
「すぐに行きなよ」
「なんだ、てめー、その困ったちゃんを追い帰すような言い方は!」
「ついでにカレーパン買ってきて」
「なんだと、てめー! 何様だ!」
「あれおいしかったから」
「ほらみろ、おいしかっただろーが! どうしよっかなあ!」
そこへ教師が割って入った。
「おい、古閑。ちょうどよかった。君にも用があったんだ。一緒に来てくれ」
「カッカッカ!」礼也が高らかに笑い上げる。「てめーもだ! ザマみやがれ!」
「はい、わかりました」
「はあん! 無理して余裕ぶっこいてんじゃねえって! 嫌なくせによ!」
「別に嫌じゃない」
「はあああっ!」
教師に誘導されて、礼也と夕季が校長室へと向かう。
光輔らは心配そうにその後をついて行った。
道中、嫌味を言い続ける礼也に、夕季は冷めた視線をくれるだけだった。
最後の最後に夕季が繰り出したため息に、礼也の不満が絶頂に達する。
「たのもー!」
教師のノックを遮って、校長室のドアノブに手をかけようとする礼也。
が、それをつかむ前に、勝手にドアは開いたのだった。
「やかましい! 静かにしろ、礼也!」
その鬼のような形相に礼也の血の気がみるみる失せる。
「……綾さんかよ……」
むぐ、と口をつぐむ夕季と、苦笑いの光輔。
「予想はしてたけどね……」
「こら、礼也! お客さんをいつまで待たせんだ!」
「……ようこそいらっしゃいやがりました……」
「なんだ、そのだらしのない格好は!」
夕季達の教室で多くの生徒達と談笑する綾音の姿があった。
裕作や隆雄らも合流し、綾音が嬉しそうに光輔の顔を眺める。
「あんたもいるとは思わなかったよ。てっきり部活だと思ってたからさ」
「ん? ああ、今学園祭の準備で部活休業なんだよ」綾音の差し入れの飲料水に口をつけながら光輔がそう言う。「綾さんもさ、来るなら来るって言ってくれればよかったのに。いつも突然なんだから」
「ああ、びっくりさせようと思ってさ」
「びっくりどころかすごいことになるとこだったよ」
「ん? なんかあったの?」
苦笑いの光輔の視線を綾音が追うと、教室の外でふて腐れる礼也の後に、仏頂面の夕季へとたどりついた。
綾音は学園のスポンサー代表として、学園の視察がてら、学園祭の準備に励む生徒らに差し入れを届けに来たのだった。
「礼也」
綾音が教室の外の礼也へと呼びかける。
「この後、フレール行くからついといで。表で木場兄さんが待っててくれてるから。レンタルも行くからね。ん? フルーレ?」
「フレールだって。……またいくんかよ」
「何としてでもあの味の秘密をゲットしなきゃね。今日はいくつ買ってこうかしら」
「って、メロンパン十五個は買いすぎだろ」
「研究用だよ」
「その日のうちに全部食っちまったじゃねえか」
「だからそれはとまんなくなっちゃったからでしょーが!」
「……だからなんなんだよ」
「すぐ行くから下で待ってな」
「おう」
消えていく礼也を見届ける綾音。
「綾さん、来週の土日、学園祭の一般開放だから、観に来てよ」
光輔に言われると、綾音は残念そうな顔を向けた。
「そうしたいのはやまやまなんだけど、明後日には帰らなくちゃならないんだよねえ」
「ええ~、聞いてないよ~!」
「びっくりさせようと思ってさ」
「いや、そんなびっくり勘弁してよ……」
「いや、悪い、悪い。またなんかで埋め合わせするからさ。勘弁ね」
「う~ん……」
「仕方ないよ、光輔」にっこりと夕季が綾音の顔を見据える。「綾さん、すごく偉い人になっちゃったみたいだから。あたし達が口もきけないような」
「おまえなあ!」
「って、お姉ちゃんが言ってたから」
「あいつか、許さんぞ、忍め!」
「綾さん、メガネずれてる……」
「ゆうちゃんがすごくニコニコしてる……」
みずきの呟きに顔を向けると、夕季が照れたようにそっぽを向くところだった。
それを楽しそうに眺め、綾音が言う。
「あんた、こんなにたくさん友達できてよかったね」
「綾さん!」
キッとなって振り返った真っ赤な夕季をおもしろそうに眺め、仕返しとばかりに綾音は意地悪そうに続けるのだった。
「いつも一人ぽっちだったもんね、あんた。本当は人一倍淋しんぼで、ヘコんでて泣きたいはずなのに、我慢強くて涙出てこないもんだから変な顔して耐えててさ。笑っちゃいけないんだけど、おかしくって、おかしくって……、あっはっは!」
「あ、うう……」
あ然となる面々にそとっつらのいい顔を差し向ける綾音。
「みなさん、こいつと仲良くしてやってね。性格はひねくれてるけど、悪い奴じゃないから」
「はは……」
「ひねくれてるんだあ……」
苦笑いの光輔とみずき。
「チビの頃走りまわっててよくすっ転んでさ。泣かないのはいいんだけど、よく鼻血垂らしたまま眉間に皺寄せて歩いてたよね。んん~、だってさ。あはははは!」
「綾さん!」
「ゆうちゃんらしいね」
困惑した表情で夕季を見やるみずきと、みずきに情けない顔を向ける夕季。
それを眺め、綾音の顔色がそれまで以上にぱあああ~っと弾けた。
「ゆうちゃん!」くわわっと目を見開く。「今またゆうちゃんなんだ、あんた! ゆうちゃん! ゆうちゃん! ゆうちゃん!」
夕季の背中をバンバンと力一杯叩く綾音。
とにかく夕季は防戦一方だった。
「あ、う……」
「ほら、都合が悪くなるとすぐもごもごするう! しっかりしな、ゆうちゃん!」
「もう許して……」
「あはははは! 冗談、冗談!」
「……」
「すごいね、あの人。ゆうちゃんが押されまくってる」
みずきが心からの感嘆を顔に浮かび上がらせた。
苦笑いの光輔がそれを横目で受ける。
「夕季にあんなことできるのは、あの人だけだよ」
「……俺、初めて古閑さんを身近に感じちまった」
ぼそりと呟く茂樹。
あっ気にとられる面々を見渡して、綾音が、はは~んという顔になった。
「そういや、ゆうちゃん、こうちゃんだったけ。あんたら」
「ううう……」
「ううう……」
「どこに行く気だ」
桔平に呼び止められ、綾音が振り返る。
にやりと意味ありげに笑いかける綾音を、桔平は畏怖するように眺めるだけだった。




