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第二十九話 『いびつな器』 5. 決勝レース

 


 乾いた発火音とともに、クラス対抗混合リレーの決勝レースがスタートする。

 夕季達のクラスも、ガムシャラの茂樹がまずまずの順位をキープして、第二走者へとバトンを手渡した。

 が、やはりトスでややもたつき、次走者の女子に怒られる有様だった。

「何やってんの、バカ!」

「え? え?……」

 応援団からのガッカリため息がもれる。

「そりゃ、バトンの上の方持って渡そうとすれば、怒られるわな」

「握手じゃないんだから……」

「あ、握手しようとしてたんだ!」

「やっぱりか!」

「女なら誰でもいいんだ!」

「いや、北川もまあまあかわいいけど!」

「最低だ!」

「追放だ!」

 そこへやり切った感マンマンの顔で茂樹がやってきた。

「どーもどーもどーも。とりあえず余裕の二位っしょ」

「もう、破門だよ!」

「ええ! 篠原さん、なんで!」

 第五走者の時点で、三年G組が僅差でトップに立っていた。

 抜きつ抜かれつを繰り返し、夕季達の二年C組がなんとか三位キープでつなぐ。

 が、ハンデのなくなった体育コースが本領を発揮するのはここからだった。

 まず三年体育コースのトップ・アスリートが二人を抜き去り一気に一位へと踊り出ると、それからハンデを埋めた後の一、二年生体育男子クラスの走者が、一位を追走するように他のチームをあっさりパスしていった。

「三位か。まずまずだな」

 コースにつきながらの光輔の独り言に、夕季がちらと目をやる。

 周囲を見渡せばアンカーだけあって、さすがに女子だけの予選の序盤戦とは事情が違い、夕季より速そうな男子選手ばかりだった。

 ここへきて夕季の目論みは脆くも崩れ去っていた。

 光輔はまだ優勝を視野に入れている様子だったが、現在最下位の夕季達のクラスではまず逆転は不可能と思われた。乱戦ならば男子の中の女子一人であってもそれほど目立たなくてすむと踏んでいたのだが、ぶっちぎりの最下位になれば嫌でも目立ってしまうだろう。

 それだけはなんとしてでも避けたかった。

 髪を根元でしっかりと縛りながら、口をへの字に結び夕季が気合を入れ直す。

「ん?」

 横目で恨めしそうに夕季が睨んだ理由を、光輔は知るよしもなかった。

 一位、二位が通過の後、光輔へバトンが渡される瞬間が訪れる。

「よしきた!」

 気合一発、カッと活目する光輔。

 すでにイメージはでき上がっていた。

 全校が注目する中、三番手の位置から先行する韋駄天田村と他一人をブチ抜いての逆転優勝。最高のシチュエーションである。

 だが、よりによって土壇場のバトンエラーによって、出鼻をくじかれることとなった。

「あ!」

 続けざま、つられるように四位、五位のバトントスも失敗。

 深呼吸をして膨らんだ夕季の胸に見とれて、互いの選手にクロスしながらバトンを手渡してしまうという信じられないミスのせいだった。

「うんも~!」

 ころころと転がっていくバトンを光輔達が拾う間に、タナボタの夕季が目立ちまくりながら三位で走り出す。

 その時起こった一際大きな声援に、わずかに顔をひきつらせた。

「ゆうちゃ~ん、頑張れ~!」

 最終コーナーでみずきが声を張り上げる。

 その近くには、茂樹をはじめ、祐作や隆雄らもガッツリ顔を揃えていた。

「何やってんだ、光輔ー! バカー!」

「バカー!」

 時を同じくして、三年体育コースのアンカーがゴールへ迫る中、一年体育コースの最終走者・田村が人類離れした猛追を見せ始めていた。

 ギャラリーからの猛ブーイングを浴びつつ。

「こけろー、田村ー!」

「転べー!」

「あっちいけー!」

「留年しろー!」

 それくらいではまったく心が折れない鉄人田村の疾風のような最加速が、ドップラー効果をともないながら、野次ごとギャラリー達を置き去りにしていった。

 遅れて夕季達第二グループが続く。

 夕季は第二グループの男子達をやや離れた位置から牽引する形となり、それはそれでむしろ韋駄天田村よりも目立つこととなっていた。

「お、さっきの子だ」

「やっぱ、ぱやいな。あ、噛んだ」

「髪型がさっきと違う」

「うなじまるだしだな」

 元来真面目な性格であり集中を極める夕季の耳には、そういった雑音は届かなかった。放送部のビデオ撮影も、新聞部の大量フラッシュも同じく。

 そこへまたとない追い風が訪れる。

 二位を走る田村が一位の選手に最終コーナーで接触し、もろとも転倒したのである。

 二人の筋肉アスリートが猛スピードでもつれ合ってギャラリーの列に激突し、多くの観客達をなぎ倒した大事故は、後に山凌学園体育祭始まって以来の大惨事と語り継がれていく。

 幸いケガ人は、激しいブーイングを浴びながら蹴り出された田村が膝小僧を擦りむいただけですんだ。

 茂樹の呪いが通じた瞬間だった。

 どよめきを背中に受け、はからずも夕季が一位へと踊り出ることとなる。

 男子の中の女子一人、しかもアンカーで現在一位。これが目立たないわけはなかった。

 後方からグイグイと距離を縮めてくる存在も含めて。

「速っ、あいつ!」

 ギャラリーの注目が夕季の後ろの選手へと向けられる。

 二年体育コースの切り札、黒い弾丸、穂村光輔だった。

「やっぱり速いね、穂村君……」

「ああ……」

 茫然となるみずきに、祐作が冷静に頷いてみせた。

「あいつら、足の長さ変わんねえな」

「そんなことないよ」みずきが異論を唱える。キリッと二人を見つめた。「ゆうちゃんの方が長いかもしれない」

 みるみるうちに二人の差は縮まっていく。

 うねるような歓声が巻き起こる中、どちらかと言えばより多くの人間が、逃げる夕季の懸命な疾走に心を奪われていた。

「すげえな。女豹みてえだ」

「かっこいい~。……めひょ~?」

 祐作の呟きをみずきが受ける。

 それから祐作は、夕季の背中を捉えた光輔の激しい爆走っぷりをしげしげと眺めた。

「あいつは、……ゴキブリみたいだ」

「……」不本意そうに、む~ん、と口を尖らせるみずき。「あたしもそう思う」

「獲物を追いかけるゴキブリと、ゴキブリから逃げる女豹の対決だな」

「なんか変!」

 二人がほぼ重なる状況で、再びギャラリー達のボルテージが上昇していった。

「古閑さん、頑張れ~!」ゴール付近まで移動していき、茂樹が叫ぶ。「やべえ、光輔の方が足短くないか!」

 キッとみずきが睨みつける。

「やっぱりそう思う!」

「大変だぞ!」

「大変だよ! 二人とも頑張れ~!」

 残りわずかではあったが、光輔が夕季を追い抜くのは時間の問題だと思われていた。

 だが、ただで抜かれる夕季ではない。

 殺気にも似た光輔の気配を感じ取り、夕季の防衛本能のスイッチが入る。

 ググッと歯を食いしばり、後半型の夕季が最後の意地を見せようとした。

 それを後押しすべく、みずきが最後の声援を差し向ける。

「ゆうちゃん、頑張れ!」隣の茂樹の顔を手で押しのけた。「おへそちらちら見えてるけど頑張れ!」

「何! 一大事だぞ!」

「もう、邪魔!」

「あ、おまえら、くっつきすぎだぞ!」

「そうだよ! くっつきすぎだよ!」

「きぃ~っ!」

「きゃ~っ!」

 熱狂と興奮に包まれる一部のギャラリー達。

 そしてゴール直前に事件は起きた。

「あ?」

 ギリギリのタイミングで光輔が夕季をパスしようと仕掛けた時、光輔の鼻から血が噴出したのである。

「おほっ!」

 むせた勢いで手の甲で鼻を押さえ、光輔がややかがむ格好になる。

 そこへコンビネーション・ブローのような夕季の肘撃ちが、光輔の鼻っつら目がけて襲いかかった。

「んげえ!」

 そのわずかな後退が、雌雄を決する決め手となった。

 そして夕季は満場の注目を浴びる中、見事一位でフィニッシュしたのだった。


「すごい、ゆうちゃん、すごいよ。カッコよかった」

 レース後、いきなりみずきに飛びつかれ、夕季がやや引く。

「……ん、んん……」

「すごい迫力だったよ。こうやってダイナミックでさ。こ~んな、こ~んな。ほんと、男らしかった。最後のエルボーとか特に。男らしいよ」

「……」

「本当にすごい。一位だよ、一位」勢いとどまらぬみずきが、ふんごー、と鼻息を荒げる。「ゴキブリにも勝っちゃったし」

「実力じゃないよ。運がよかっただけで、本当ならビリだった。……ゴキブリ?」

「おお、最後は這い寄って来るゴキを丸めた新聞紙で叩き潰したっつう感じだったな」

「すごいエルボーだった」

「すごいエルボーだったよな」

「わざとじゃないから……」

 腕組みしながら、うんうんと頷く茂樹の横で、光輔が不安そうな顔を向けた。

「俺のことじゃないよね。それって俺のことじゃないよね。ねえ」

「なんでポニーテールにしてるの?」

「光輔、ごめん……」

「いや、そんなことよりゴキブリって!」光輔が悲しそうに目を伏せた。「……あ~あ、また夕季に勝てなかったよ」

「そういう問題じゃない……」

「ねえ、どうしてハナヂ出ちゃったの」

「うん。なんか先生の話だと、走りすぎて力みすぎて鼻の中のどっかが切れたんじゃないかって」

 鼻に詰めたティッシュの塊を確認しながら、光輔が腑に落ちない顔で言う。

「ふ~ん」

 そこへ茂樹のイカズチが飛びかかった。

「うそこけ! どうせここぞとばかりに古閑さんの素敵なうなじを見すぎて、興奮したんだろうが!」

「ふざけんな!」光輔がキッと振り返る。「おまえと一緒にするな!」

「ふざけんな! 俺を一人にするな!」

「ああ!」その時、あらためて夕季のうなじと鉢合わせとなった。「……」

「あ、穂村君、またハナヂ!」

「え! マジ!」

「ティッシュ、ティッシュ!」

「ほら見ろ、古閑さんのせいだろ!」

「ご、ご、ごめん、光輔……」

「何バカ言ってんの! ゆうちゃんは悪くないでしょ」

「いや、そんなつもりで言ったんじゃ……、あ、俺も出たかも」

「ちょっと! 汚いなあ! あっちいって!」

「ええ~!」

「穂村君、大丈夫?」

「あ、うん……」

「どゆこと……」

「曽我君、ティッシュ」

「あ、さすが古閑さん、優しい。ありがとうううう……。大事にするから」

「……使って」

「茂樹、感激!」

「……」

「田村っス」

「おまえはあっちいってろ!」

「あの、さっきのたい焼きのことなんスけど、やっぱ一つで……」

「うるさい!」

「ハゲモニーッ!」

「きたねえな!」

「すんません、なんかぴろぴろしてて。あ、ティッシュください」

「あ、てめー! 俺の宝物を!」

「ぶびぃ~っ!」

「返せ!」

「いいスよ」

「ひゃ~!」

「ねえ、またポニーテールにするの?」

「……」

 その光景を、小川秋人は遠くから眺めていた。

 多くの仲間達に囲まれ、照れたように言葉を返す夕季に、何か近寄りがたいものを感じて。

 夕季があんなふうに笑えることを、秋人は初めて知った。

 自分は彼らの仲間ではないということも。

 ふいをつくようにやって来た夕季と目が合い、秋人が慌てて体裁を取り繕う。

「……。すごかったね。速かった、古閑さん。かっこよかった」

「ありがとう」

 夕季が控えめに、それでも嬉しそうに笑う。

 ドキッと胸の鼓動が高鳴り、嬉しさとともに、秋人は言いようのない淋しさを感じ始めていた。





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