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第三十四話 『メッセージ』 3. 女神降臨

 


「元気でやってた、礼也」

「お、おお……」

 ちろっと睨まれ、礼也がそそくさとメロンパンをバッグにしまい込む。その表情は明らかに戸惑いより喜びが勝っていた。

 それを眺め、綾音も嬉しそうに笑う。

「……いつ帰ってきたんだ」

「ほんのさっき。まだ姉さんのところにも顔を出してないんだけどね。久しぶりだなあってうろうろしてたら、怒られちゃったよ」

「んだよ、言ってくれりゃ迎えに行ったのによ……」

「ごめん、ごめん。ちょっとわけありでさ。また前みたいに来れなくなりそうな感じもあったからね」

「……ったくよ」礼也が何かに引っかかる。「怒られたって、いきなし何やらかしたんだ。メガの人間がうろうろしてても別に問題ねえだろが」

「いや~、不法侵入の疑いかけられちゃっててね」

「ああ! なんだそりゃ! いったいよ……」

「もういいの!」

 はっとなり、ややバツが悪そうに大城をちらと見る綾音。

「あ、すみませんでした。礼也、また後でね」

「あん?」

 礼也が大城を見る。

 大城は何かよからぬ予感をし、全身をフリーズさせまくっていた。

 その予感はくしくも大当たりとなるのだが。

「なんだ、あんたら。綾さんに何か文句でもあんのか」

 ジロリと礼也に睨めつけられ、バツが悪そうな、はたまた悲しそうな顔をそろりと向ける大城。

「……」

 すでに謝罪の体勢に移行し、薄笑みを浮かべていた大城らだったが、そんな心中を察する回路を礼也は一切持たない。

「綾さんいじめたら、俺が許さねえぞ。覚えとけ」

 さらなる凄みを込め、極めて攻撃的に二人を恫喝する礼也。

 その直後に稲妻がフロアを引き裂いた。

「礼也! なんて口きくの。謝りなさい!」

「いや、だってよ……」

「謝れ!」

 腰に両手を当て、一歩も退く様子もない綾音の勇士に、礼也が渋々頭を垂れる。

「どうもすんませんっでしたあ」

 その誠意無き不遜な態度は、綾音をさらにヒートさせるだけだった。

「なんだ、その態度は!」

「……」

 口を結んだまま篭城を決め込む礼也に、綾音の怒りが加速する。

 困った顔に妙な汗を噴き上げ始めた礼也を眺め、見るに見かねて飛び込んだのは、火種をもたらした張本人だった。

「いやいや、もういいですから……」

「あーのーねー!」

「ひいいっ!」

「あ、すみません」

「……。いえ、ほんとにもう……」

「そういうわけにはいきません。示しがつきませんから」グリンと礼也に振り返る。「礼也!」

 その迫力にビクッとすくみ上がる礼也。それから逆恨みの目線を綾音越しの大城へと突き刺した。

「……いや、本当にもういいですから」大城顔面蒼白。「彼らには我々もお世話になっていますし、その彼の知り合いの方に失礼な態度をとってしまった我々の方が……」

「わかってきたじゃねえか、あんたらも」

「いい加減にしな! 本気で怒るよ!」

 鼻を膨らませた礼也に再び落ちるいかずち。

 それは当然のことながら、大城にとって迷惑以外の何ものでもなかった。

「いや本当にもう……」

「礼也!」

「……」ぶす。

「……いや、本当にもう……」

「お?」

 その時、救いの主が訪れた。

「おう、綾っぺじゃねえか」

 ような気がしたのは、大城の完全な勘違いだった。

「あ!」振り返り、嬉しそうに綾音が笑う。「ひいらり、……柊さん」

 すると桔平も嬉しそうに笑った。

「何だよ、水くせえ。ひいらりんでいいって」

「でも」

「かまやしねえって。俺と綾っぺの仲じゃねえか」

「はあ……」

「またおまえは夜逃げみたいにこっそり帰って来やがって。あいかわらず所帯じみてやがんな。迎えに行ってやるから、着いたら連絡しろって言ったじゃねえか」

「はあ、まあ……」

「水くせえ。おまえって、ほんと。……実は俺のこと避けてねえ?」

「いえ、そういうわけでは……」

「誰だって避けるって」

「礼也!」

「マジか……」

「マジに決まってんじゃねえか。な、綾さん」

「礼也!」

「ヘコんできた。あ、涙出たかも。ちょっと上向いてる」

「いいえ、そんなことありませんから! 絶対に! マジじゃねえですってばよ!」

「ならいいがよ……。おう、メシでも食いに行こうぜ。蛇鶴八軒の激辛カレーが今半額なんだよ。あ、おまえ、夕季のバカがカレー好きだって知ってたか。あの野郎、黙ってやがってよ。もっと早く言やいいものを、ガラにもなく恥ずかしがりやがって。おし、礼也も行くぞ」

「おう! まかせろ!」

「はあ……」

「ん? どうした、綾っぺ」

 苦笑いの綾音が、引きつり笑いの大城を眺めた。

 桔平にちらと視線を向けられ、いたたまれなくなった大城が直立のまま硬直する。

 それを見てさらにいたたまれなくなったのは、むしろ事情を察した綾音の方だった。

「なんだ、この人達がどうかしたのか?」

「こいつら、さっき綾さんをいじめてやがったんだぜ」

 愛想笑いのかいもなく、礼也のカミングアウトが一瞬で大城を崖っぷちへと追いやる。

「礼也!」

「だってほんとのことじゃねえか」

「あんたねえ!」

「何だと! そりゃ本当か!」綾音の声をかき消して、鬼の形相となった桔平が、断崖の子羊大城を睨みつけた。「てめえら、綾っぺをいじめやがったら俺が承知しねえぞ。わかってんだろうな」

「だよな。桔平さん、だよな」

「おうよ」

 にやりと笑いあう、似た者極悪コンビ。

「お仕置きで、俺がねちっこい手段でいやがらせをしてやる。ねちっこさなら誰にも負けねえ。覚えておれ」

「俺もねちっこさなら超高校級だって。ちゃんとメモっとけって」

「……」沈黙の元切れたナイフ。

 フロア中の注目を集める絶体絶命の危機に、今度こそ舞い降りた救世主は、その場で唯一の常識人だった。

「柊さん、いい加減にしてください! やりすぎです」

「でもよ、おまえ」

「別に私、何もされてませんから」

「でもよ、礼也がよ……」

 大玉の梅干を口に含んだような顔で、桔平が恨めしそうに礼也を眺める。

「あ、きったね、てめーだけよ!」

「礼也もいい加減にしな。本当に怒るよ」

 これにはさすがの礼也も退かざるをえなかった。

「……。あ~い、スンマッセン」小さな声でそう言った後、ぷいと顔をそむける。

 それが礼也の精一杯だと知る綾音が、あきれたように腕組みし、ふんと息をついた。

 それから非常に申し訳なさそうな表情で、綾音が深々と大城らに頭を下げた。

「すみません。本当に」

 それは大城にとって、綾音の背中越しに激しく睨みつけてくる輩達の視線も含め、ありがた迷惑でしかなかったのだが。

「いや、そんな、私達は……」

「謝ることねえって、綾っぺ。こいつらいつも弱い者いじめして喜んでやがんだからよ。天罰がくだったんだ。誰もくださねえから、俺様がだけどな。かっかっか! ざまあ……」

「ひいらりん!」

「あい!」

「あら、楽しそうね」

 弾かれるように桔平が直立したそのタイミングで、最後の駄目押しが訪れた。

「あ、姉さん!」

 振り返る大城の全身が一瞬で総毛立つ。

「……じゃなくて、進藤局長」

 バツが悪そうに苦笑いする綾音をおもしろそうに眺め、進藤あさみがにっこり微笑んでみせた。

「今さら言い直しても遅いわよ、綾。別にいいじゃない、姉さんでも」

「でも、公の場所ですし、けじめだけは……」

 するとさらに嬉しそうにあさみが笑う。

「いくらそうでも、あなたのことをとやかく言う人間は、ここには誰もいないわよ。公みたいなものじゃないの。だいたいメガの重役に誰が文句を言えるのかしら」

「……メガの重役」

 そう呟き、大城の思考回路が停止する。

 後を受けた桔平も、あさみの顔を確認しながらおもしろそうに笑った。

「だろ? 俺もひいらりんでいいって言ってんのによ、カタいんだよ、綾っぺは」

「そうね。他人行儀じゃないかしら」

「はい……」

「あまり水臭いこと言っていたら圧力かけて上級副局長に任命するわよ」

「はあ……」

「はっはっは、ザマミロ」困り果てた様子の綾音を見て、桔平がこれ見よがしに喜び始める。途中で何かに気がついた。「あれ? 俺の上司?」

 ふいに綾音が大城の方をちらと見る。

 その呪縛を解いたのは、恐怖のまなざしだった。

「この人達がどうかした?」

「こいつら、綾さんにとやかく言ってやがったんだぜ」

 あさみにじろりと睨めつけられ、あわあわと言葉もなく焦るだけの大城の抵抗を、あっさり礼也が叩き落す。

 それを桔平が駄目押しした。

「みたいだな」

「まあ、本当なの? ひいらりん」

「おまえが言うなって……」

「本当だって。こいつら、綾さんに言いがかりつけてやがったんだ。な、ひいらりん」

「おまえもか……」

「いえ、そんな、言いがかりだなんて、滅相もない……」

 嫌な予感と身の危険を感じ取り、大城が保身に全力を傾ける。

 次手に窮した彼をサポートしたのは、調和を重んじる女、綾音だった。

「わからないことがあったので、この方達に教えていただいていたんです。そうですよね」

「はあ……」

「それをひいらり……、柊さんや礼也が勝手に」

「言い直さなくたっていいってばよ」

 大城の目には綾音が女神のように映り始めていた。

 固く心に誓う。

 この人は大切にしなければならない。

 自分の身の安全のためにも、と。

 そんな全身からでろでろと滲み出る邪心もあってか、あさみの不意打ちにうまく対応することができなかった。

「本当なの?」

「あ、はあ、我々はそんな、言いがかりだなんてことは」流れ落ちる顔の汗をハンカチで必死に拭う。「ひいらり、ぎさんが勘違いされて……」

「後で局長室まで来てください」

「……」

「てめ、今、ひいらりんて言おうとしたろ!」


 嵐の去ったフロアで、身も心も疲れ果て、大城が応接用のソファにぐったりなだれ込む。

「どういうことだ……」

 虚ろな視線を泳がせ、状況把握のうまくいかない頭でそう呟く。

 それに対する答えは、即行で部下の口から聞くこととなった。

「メガ・テクノロジーの専務理事、伏見綾音さんですね」

「専務理事?」ポカンとその顔を見つめる。「……あの若さでか」

「ええ」彼は迷いのない表情を差し向け、自信たっぷりに頷いてみせた。「昨日室長自ら申されていましたよ。今日ここに来ることになっているから、くれぐれも粗相のないようにと。てっきり知っているものだと」

「まさかあんなに若いとは誰も思わないだろ……。しかも女で……」

「他のみなさんは全員知っておられましたよ。女で二十代の専務理事なんて、局長やバカの副局長みたいにコネでも使わなければありえないだろうって、大声で叫ばれていたのを覚えていませんか。みなさんの前で」

「……バカの副局長と言ったことだけは鮮明に覚えている」

「そろそろ次の身の振り方を覚悟しておかれた方がよろしいかもしれませんね」

「ううむぅ……」

「顛末書のコピー、出しときますか」

「……頼む」






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