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第三十四話 『メッセージ』 1. ストレス発散

 


「おまえはなんてことしてくれやがった!」

 メック・トルーパーの休息所で桔平の怒鳴り声が響く。

 その前には泣きそうな顔でうなだれる忍の姿があった。

「すみません……」

「ほんとにまあ、取り返しのつかねえことしやがって! ほんとにまあ!」

 通りかかった光輔が、いつになく傍観を決め込む夕季にたずねた。

「しぃちゃん、何やったの?」

「桔平さんに頼まれていたテレビ番組、録り間違えたの」

「……。それだけ?」

「うん」

「助けないの?」

「……あたしもそれ観たかったから」

「……」

 どうでもよさげな表情で光輔が顔を差し向けた。

「なんで間違えやがった」桔平の怒りはとどまるところを知らない。「楽しみにしててうちで観たら、釣りボケ・ライブラリー其の四十六が入ってたじゃねえか!」

「すみません。最初それを録ろうとしててそのまま……」

「ハマーンとスーザンが有休とってハワイに釣りに行ったら船が転覆して、助けてくれた美女が人魚の国のお姫様で、途中編集でまるまるカットしてもいいようなことが小一時間くらいちんたらちんたらすったもんだあって、二人で悪いサメ族と戦ってお姫様を助けて、ハマーンが人魚の国の大統領になって、それで全部夢でしたってオチで、口から水をぴゅーぴゅーやってたぞ。んでエンドクレジットでああ終わったと思ったら、口から魚が出てきてこいつぁあ大物だあってよ! 笑っちまったぞ! あのタイミングで気ぃ抜いて牛乳爆飲してた俺は完全に負け組みじゃねえか! おとりよせグルメの振り込み伝票が牛乳まみれだってばよ! コンビニで二度見されちゃったじゃねえか!」

「全部観ちゃったんですね……」もじもじしながら忍が熱いまなざしで桔平を見つめた。「……観始めると結構一気に観ちゃいますよね」

「バカヤロー、一気に全部観ちゃったじゃねえか。結構おもしろかったぞ! いや、あんなでっけえ魚、口ん中に入んねえだろ! 無理だろ! あ、CGか。どうしてくれんだ!」

「すみません……」

「すみませんじゃすみませんだろ! 遡って全部レンタルしようかとも思ったけど、四十五本も借りたら店員にドン引きされると思って二の足踏んだじゃねえか。しかも一週間じゃ全部観られねえだろ。不眠不休で全部ぶっ続けで観ても九十時間くらいかかるぞ。一日二十四時間だから、えっと、三日で七十二時間で、あと十六時間……、十八時間で、あ、なんとかなりそうだな。いやいや、予告編とか特典映像とか入れたら、プラス一時間くらいは余裕みとかねえとな。俺は全部きっちり観るタイプだ。あ、トイレとかコンビニいく時間もあらかじめ計算しとかねえと。あぶねえ、あぶねえ。どうすんだ!」

「五本ずつくらい借りてきたらいいんじゃないですか?」

「あ、そうか! おまえ頭いいな」

「いえ、それほどでも」鼻息ふ~ん。「前に録ったやつが何本かありますけれど、観ますか」

「あ、うん、頼む」

「また今度持ってきますね。途中で抜けてるとこもありますけど」

「おお……。いや、ちょっと待て。今はそんなことを言ってるんじゃない。あやうく騙されるとこだった。おまえの口ぐるまにはまるところだった。この魔性の女め。今はおまえのおっちょこちょいについてこんこんと説教をしている最中だっただろ! どうしてくれんだ!」

「はあああ! そんなこと言うなら、私だって釣りボケ・ライブラリーが録画したかったのを桔平さんに頼まれたから泣く泣く断念したんですよ!」

「おお! マジ怒りじゃねえか!」突然の反撃に、思わず桔平が一歩退いた。「……。……だから、結局思いどおりに録れてんじゃねえのか?」

「だからトイレも行かずに集中して夕季とリアルタイムで観て、はあ~、おもしろかったなあ、ってレコーダーを確認したら、その釣りボケ・ライブラリーが録画されてしまってたんですってば! 結果オーライなんですよ!」

「そいつあよかったじゃねえか……」ポンと手を叩く。「あ、てめえ、知ってて渡しやがったな」

「そんなことはどうでもいいんですよ!」完全に開き直った。「あの緊張感をどうしてくれるんですか! すごく集中しすぎて、内容なんてほとんど覚えてませんよ!」

「……録ってんなら、もっかい観ればいいんじゃねえのか?」

「もう一度観ようと思ったら、間違えて消しちゃったんです! ムーブですよ! ムーブ! ダビングと間違えちゃったんですって! どうしたらいいんですか!」

「知らねーよ!」

「しかも最後の最後にやっぱり気を抜いて、チューハイ大噴出ですよ。その前に観てたDVDをしまってなくて、びったんこですよ。あの時の夕季のあの汚らわしい人間を見る時の目と言ったらなかったですよ、もう。すっかり姉の威厳が台無しですよ。どーしてくれんですか!」

「知らんがな! だいたいおまえに姉の威厳なんてものがあったのかがはなはだ疑問だ……」

「あったがな!」

「おおっ!」

「そんな目したの」

 無表情に眺める光輔に、困惑のまなざしを向ける夕季が小さく頷いてみせた。

「もう少しで小川君に借りてたマンガにかかるところだった。でもリモコンがびちゃびちゃになって結局買い替えた」

「それは、ねえ……。何借りたの?」

「ちあらぶるの新刊」

「あ、俺も読みたい」

「もう返した」

「返しちゃったのか……」

「ディスク、返してください!」

「駄目だ。貸してやるだけならいいが」

 ぐいと手を突き出した忍に、断固拒否の姿勢で桔平が立ちはだかった。

「どうしてですか! 好きでもないくせに!」

「意外とおもしろかったんだ! 木場んちでもっかい観る。んで、奴にヴァン・ダムのプラモ作らせといて、最後のシーンの前にさりげなく牛乳を飲ませる予定まで組んである。絶望にゆがむ奴の顔が目に浮かぶぜ。ひっひっひ!」

「その間、笑いをこらえられるんですか。ずっと前からオチがわかっている状況で、人を欺き続ける忍耐力があるんですか。あなたにそこまでの覚悟があるんですか」

「耐えてみせる。足にフォークを刺してでも笑いをこらえてみせる」

「どうしてそこまで……」

「奴の困った顔が見たいからだ! テーブルの上が牛乳だらけになっても、俺のせいじゃないから手伝ってもやらん。ただにやにやと奴が掃除する様を眺めながら、ビールをグビッとやらせてもらう。そのためならなんでもやる」

「この卑怯者!」

「なんだと! ……卑怯?」

「そんなの卑怯じゃないですか! 私に黙ってこっそりそんなことまで考えていたなんて。卑怯にもほどがありますよ」

「おおっ! そんなこと言うなら、おまえも一緒にくりゃいいじゃねえか」

「あ、いきます、いきます。酎ハイ持ってってもいいですか」

「あ、金は出すから、俺の分も買ってきてくれ」

「いいですよ」

「帰りはあいつに送らせるから、車は置いてこいよ」

「はい」

「楽しんでるよね、二人とも……」

 苦笑いする光輔の横で、夕季がやや哀しそうな視線を向けた。

「……そうかもしれない」

 どうでもいい二人の会話は、まるでストレス発散のようでもあった。

「あ、そうだ、そうだ」

 忘れかけていた本題を思い出し、光輔が夕季へと向き直る。

 何とはなしに嫌な予感がし、キッとかまえる夕季。

 その的中もつゆ知らず、光輔は満面の笑みでそれを切り出した。

「学園祭でさあ、うちの部の手伝いしてほしいんだけど。俺達、シュート……」

「いや」

「……。あのさ、シュート・ターゲットの模擬店で……」

「だからいや」

「……」即答の連続にさすがに光輔のメンタリティも削られていく。「頼むよ。マネージャーが足やっちゃって動けなくなっちゃっててさ。全治二ヶ月なんだって。女手が足りないんだよ、頼むよ」

「みずきとかに頼めば」

「篠原は卓球部の仕事があるからな。部に所属してなくて他に頼める人間なんて、おまえくらいしかいないんだよ」

「……」

「ほんとにおまえはだらしねえなあ!」

 桔平の怒号に二人が振り返る。

 相変わらずの別の二人の姿があった。

「しっかりしろってばよ!」

「だらしなくありません。しっかりしてます」

「しっかりしてねえだろ。仕事ん時はともかく、私生活のグダグダぶりはハンパねえぞ。グダグダ・プリンセスだな。もっとしっかり録画しろ」

「学校創立以来の優等生と言われ、初の女生徒会長まで務めた私に向かってなんてことを言うんですか。録画ごときの単純作業、赤子の手を捻るよりたやすいですわ! 自分で言うのもなんですけど、しっかりものプリンセスですよ」

「ふざけんな! ちゃんと録画できてからモノ言え。フケ顔のくせにプリンセスを名乗るとはおこがましい。返上しろ!」

「嫌ですよ。絶対返上しません!」

「頑固だな! おまえの時なんて、学校ができてまだ二、三年くらいのことだろうが。俺なんざ、五十年以上の歴史を誇る県下有数のヤンキー校で、学校始まって以来のワルと呼ばれたんだぞ。言わば、ヤンキーキングだぞ」

「史上最低の間違いなんじゃないですか」

「なんだと!」ムカ!「確かに職員室ではそうも呼ばれていたらしいが、フケ顔プリンセスのおまえに言われるのははなはだ不本意だな!」

「開いた口がふさがりませんよ。勉強も録画予約もできやしない史上最低のヤンキー王子様のくせに! まあほんとに! フケ顔プリンセスじゃないですし!」

「ああああ、キングに向かってどの口が言いやがんだろうな」

「それを言いやがるのはどの口でしょうか」

「その口がまたよお、もう、まったく」

「その口こそ、まったくもうですよ」

「王子様とか言うの、やめろ。恥ずかしいだろ。せめてフケ顔であることだけは認めろ!」

「嫌です。絶対認めません!」

「プリンセスもか!」

「それは譲れません!」

「頑固だな! おし、他の誰かに聞いてみようじゃねえか」

「のぞむところですよ」

「これでおまえはフケ顔プリンセスを返上だ」

「絶対返上しませんよ」

「頑固だな!」

「私こそが真のフケ顔プリンセスです」

「上等だ! なら俺はヤンキー王子様だ!」

「いい年していつまでヤンキーとかやってんですか! 言ってて涙が出てきませんか!」

「ヤンキーに年齢は関係ねえ! そして王子様もだ!」

「じゃあ、どっちが本当のプリンセスと王子様だかはっきりさせようじゃないですか!」

「上等だ、覚悟しろ、フケ顔プリンセス!」

「望むところですよ、ヤンキー王子様!」

 夕季と光輔が眺めているのに気づき、二人が何かを言おうとする。

 その前に二人の防衛本能が危険を察知し、さささ、と逃げていった。

「あ、逃げやがった」

「なんか、嫌な感じですね」

「なあ」

「ええ」

「あ、思い出した。今日の心霊特番録っといてくれ」

「いいですよ」

「木場がビビるとこ見てえだろ」

「ぜひ見たいですね」

「釣りボケと一緒に観るか」

「観ます」

「でもあれってほとんど作り物だよなあ」

「ええ。あのカット割りってわざとらしいですよね」

「一回隠してから、ほらきた、だもんな。ビビッてパニックになってるわりに、ちゃんと全部わかるようにフレームに入れて録ってやがるし」

「でもつい観ちゃいますよね」

「つい観ちゃうよなあ」

「ええ」

「そういや、おまえ、あいつらにあのこと言ったのか?」

「あのこと? あ、いえ、まだ……」






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