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第三十三話 『百人のわからずや・後編』 9. 帰って来た女

 


 夕焼けに染まるそのシルエットに注目したまま、そこにいた全員が言葉を失っていた。

 やがて目を泳がせたままで礼也が口を開く。

「……また帰って来ちまったのか、おばちゃん」

 詠江はメガルの救難機で、再びこの地へと舞い戻って来てしまったのだった。

 事故現場からは自分の住む土地の方が遥かに近いのにもかかわらず。

「話したいことがあったけど携帯のバッテリーが切れちゃったから、帰ってきちゃったんだって」

「なんじゃ、そりゃ……」

 私服に着替え、すでに帰り支度を終えた礼也と光輔が、間抜けな顔を向け合う。

 その横で夕季が戸惑うような顔を向けると、忍がふっと笑ってみせた。

「……おふくろ」

 詠江の前に立ち、何も言い出せずにただうなだれるだけの桔平。

 その頭を躊躇なくバチンとはたき、詠江は厳しい顔で桔平を見据えた。

「何て顔してんだい。おまえは自分がしなくちゃいけないことを精一杯やったんだろ。だったら、もっとしっかり胸張りな」

「……いてえな、クソババア……」

 恨めしそうに顔を上げ、唸るように桔平がそう言う。その声は申し訳なさそうな感情にまみれていた。

 覇気のない桔平に、やれやれという様子で両手を腰に当てて息巻く詠江。

「まったく、おまえは、いくつになっても……」ふいにぐすっと涙ぐんだ。「手のかかるバカちんだねえ……」

「……」

 言葉もない桔平をちらと見てから、詠江が礼也達の方に笑顔で振り返った。

「礼ちゃん達にはお礼言わなくちゃね。ありがとう」

 それに戸惑いを隠せない礼也達。

 真実は何一つ伝えていなかったはずなのに、詠江が何かを察していることにリアクションのありかを失っていたのだ。

 詠江はことの成り行きと顛末の骨格を、ほぼ理解していた。

 通話状態にし続けた携帯電話の向こうから聞こえてくる、自分達を助けようと懸命になっている桔平や夕季達のやりとりを、しっかり確認していたからである。

 詠江に見つめられ、夕季が顎を引く。

 どうすればいいのかわからず戸惑っていた夕季だったが、その笑顔があまりにも穏やかすぎて、次第にもうどうでもよく思えてきていた。

 礼也も同様だった。

「俺らじゃねえよ」

 詠江が顔を向けると、親指をくいっと忍へやった。

「礼ならしの坊に言ってやれって。そーとームチャこいたみてえだからよ」

 突然振られ、忍がテンパリ始める。大げさに両手を差し出した後、堪忍したように控えめな笑顔になった。

「そうなの。忍ちゃん、ありがとね」

「いえ、私はそんな……」うつむき、顔を上げてもう一度笑う。「いつも私達がしていただいていることと同じことをしただけです」

「そう」詠江が嬉しそうに笑う。何度も何度も頷きながら。「そう、そう……」

 それを見て、忍も心から嬉しそうに笑うのだった。

「クビになる寸前だったらしいぜ」

 ぼそっと詠江に耳打ちする礼也に、一瞬で凍結する忍の顔。

 詠江は、まあ、と大きく口を開けた後で、また穏やかに笑ってみせた。

「何かご馳走しなくちゃね」

「やり!」

「俺、だら焼きがいい」

 躍り上がる礼也にかぶせ、光輔が勝手にリクエストを開始する。

 それに礼也も続いた。

「バカ、俺もだ!」

「夕季ちゃんは?」

「……あたしも」

 詠江にやや口ごもるようにそう答え、夕季がふいに忍を返り見る。

 先から妙に元気がないことに、夕季は気にかかっていた。

「どうかしたの。お姉ちゃん」

「うん……」夕季を眺め、力なく忍が笑った。「クビになっちゃった」

「!」

 衝撃の告白に言葉も出ない夕季。

 それを心配させまいと、忍はやや自嘲気味に笑いながら補足していった。

「仕方ないけどね、自業自得だから。ちょっとやりすぎちゃったみたい。あれはないよ、やっぱり。あたしだって、自分みたいな部下ならいらないもの。でもいいかな、最後に言いたかったこと全部言っちゃえたから。……あ~あ、どこか働けるところを探さなくちゃ。アルバイトだけだと今のところ引っ越さないといけないかもしれないけれど、ごめんね、夕季」

「そんなの……」

「おい、あのな……」

 みなが振り返ると、そこには青ざめた顔の桔平の姿があった。

「いや、あれなしだからよ。口だけだし」

 バツが悪そうに頭をかきむしりながらそう言う桔平を、目を丸くして忍が見つめる。

「でも」

「いや、そのな、そん時の雰囲気でな……」真顔を向け続ける忍に、桔平はただ卑屈な笑みを浮かべながら言い訳を続けるだけだった。「やだな、しの坊。本気じゃねえって、わかってんだろ。俺がおまえにそんなこと本気で言うわけねえじゃんか。あるだろ、勢いでよ。なんでおまえってそんなクソ真面目なんだ」

 そんなことでは収まらない、とにかく馬鹿真面目な忍。

「でも、でも! その場の雰囲気であんなこと言われた私の気持ちはどうなるんですか! あの状況であんなこと言われて、冗談でしたじゃすみませんよ。信じますよ、普通」

「いや、だからさ、それは……」

「あんなのセクハラの一種ですよ! ひどすぎます」

「いや、どっちかって言うとパワハラなんだろうけどな……」

「セクハラですよ!」

「……そうか、すまん……」

「セクハラとかされたことねえから、よくわかんねえんだな」

「礼也!」

 あきれたように合いの手を入れる礼也に、キッとなって忍が振り返った。

「……こええって」

「しいちゃんにセクハラとか痴漢するのってすごい勇気だよね」

 ついでに余計なことを光輔が言う。

「光ちゃん!」

「……こわ」

「……。いや、とにかく悪かった。このとおりだ、許してくれ」

 頃合いを見計らい、桔平が改めて謝罪を口にする。

 その様子を詠江は驚いたような顔で凝視していた。

 それでもまだまだ収まらず、興奮しっぱなしの忍が無念さを桔平に訴え続ける。

「本当に、すごくヘコんだんですよ! ドキドキハラハラして、もうドキドキして、ハラハラして……、あ、セクハラじゃなくてドキハラですよ、もう!」

「とにかく、一回落ち着けって。な」

「今、あ、って言ったよな……」

「言った、言った……」

 礼也と光輔のツッコミにも、桔平は苦笑いで耐えるしかなかった。

「いや、悪かった、マジで。もう二度と言わねえから勘弁してくれ。今おまえにやめられると困るんだってばよ。おまえがいなくなったら、誰が番組録画してくれんだよ。よく失敗するけどよ。木場はアニメとかドキュメンタリーとか録ってて、バラエティーとかあんまり観ないから、おまえだけが頼りなんだ。おまえがいなくなったら誰がお笑い番組を録画してくれんだ。あと心霊特番とか。あ、……涙出てきちゃったな。ぼろぼろぼろぼろと。そんなに悔しかったのか。あ~、あ~、ぼろぼろぼろぼろと……」

「うるせーですよ!」

 悔しさで涙までちょちょ切れ出した忍を何とか諌めようと、桔平が必死になった。

「あ、そうだ。あれ欲しがってたろ。ユーニンのCD。俺が買ってやるから許せ、な」

「またそんなもので!……」眉間をピクリとうごめかせ、忍が口を閉ざす。それから桔平をギッと睨みつけた。「初回限定BOXですか」

「……お、おお。十万円のやつ……」

「税別十万円ですよ。あと送料もかかります。そんな大金、あるんですか。本当にあなたに払えるんですか!」

「……。おっけーだ。なんとかする」ぎゅっと拳を握りしめた。「木場に借りる」

「人にお金を借りてまでそれをしようと言うのですか!」

「そんなのどうってことねえぜ。おまえにやめられるくらいなら、木場から金を借りて踏み倒すくらいの覚悟はある。あいつが嫌がっても、逆に嫌がらせしてでも絶対に借りてやる。嘘をついてでも借りてやる。おまえのためならな」

「私のためにそこまで……」

「……おお、よ。俺を信じろ、しの坊」

「はい、信じます」

「……」まばたきもせずに、夕季が忍の顔を見つめた。「……よかったね、お姉ちゃん」

 複雑な表情で夕季を見返し、忍が口もとをヒクヒクさせる。

「……。引き分け……」

「引き分け?……」

 ようやく収まった癇癪玉にほっと胸を撫で下ろす桔平。にやりと笑って、不敵な自分を取り戻した。

「だいたい正式な手続きもなしにクビにできるわけねえだろ……」

「柊副局長。さっきの件、受理しておいたわよ」

 突然割り込んできたあさみの一言に、桔平の目が点になる。

「……。さっきの件って?」

「古閑さんの解雇の件」

「……。いや、だから、あれは冗談なんだって」

 するとあさみは翳りのある笑みをちらつかせながら、残念そうにそれに答えたのだった。

「非常時の発言はすべて記録されるわ。冗談でしたではすまされないの。残念だけれど」

「……」一瞬自我を失い、すぐにことの重大さに気がつく柊副局長。「ええ~っ!」

「桔平ぇえーっ!」

 夕季と詠江が同時に桔平の名を叫んだ。

「……」沈黙の忍。その顔はもうどうにもならない現実を受け入れること以外、考えられなくなっていた。「信じろって言われたばかりなのに……。仕方ないですよね。……もう何も信じられないけれど」

「……。あの、よ……」

「あさみちゃん、なんとかならない」

 桔平の声をかき消して詠江があさみに懇願し始める。

 だがそれを受けても、あさみの姿勢が揺らぐことはなかった。

「すみません、規則なのでこればかりは」

「そこをなんとかねえ」

「残念ですが」

「そお……」

 それ以上の無理強いを止め、詠江が残念そうに顔を伏せる。

 向ける顔のない忍へと振り返ろうとした時、あさみの補足が継ぎ足された。

「ですが彼女優秀なので、改めて私が雇うことにしました」にやりと意味ありげに微笑み、状況が把握しきれないでいる忍へ目線をくれる。「主な職務は局長と副局長の補佐。やることは今までと変わらないけど、私の直属の部下となることで職場での発言権とお給料が少し上がることになるかしら。ション君の上司みたいなものだと思ってくれればいいわね」

「あのな……」

「……」

 言葉もない桔平とショーン。

 もっと複雑なのは忍本人だった。

「……微妙なんですけど」

 一通りのリアクションを確認してから、表情を正したあさみが桔平を見据えた。

「非常時においてはどんな些細な発言も見逃すわけにはいきません。今後不用意な発言は慎むように」

「……あい」

「今回はおばさまに免じて特別に不問とします」

「……びみょー」


 その夜、忍と夕季のアパートでは、詠江の振る舞いによる祝賀会が催されていた。

 詠江の作った料理を口一杯に頬張りながら、みなが喜びの声をあげる。

 べろんべろんに酔っ払った忍はことさら絶好調で、木場の鼻の穴に筑前煮のごぼうをぐりぐりと突っ込む始末だった。

「あ、口と間違えちゃった!」

「やめろ、忍! 食べ物を粗末にするな!」

「木場さんがいけないんですよ。こんな大きな鼻の穴してるから。やだ、ゴボウが刺さった。ゴ、ゴボッ、ゴッボウが、あっははは! 普通刺さらんでしょ。鼻の穴、でっか。コラ! いい加減にしなさいってば!」

「それはこっちのセリフだ! 飲みすぎだぞ、貴様!」

「……うい~」

「きったねえって!」

「きたないね……」

 礼也と光輔が眺める前で、まったくこの酔っ払いが、という顔をしながら、木場が鼻の穴から抜き取ったごぼうをぱくりと食らう。

「食っちまったって!」

「うわあ……」

「うい~!」

 だら焼きを横から雅に奪われ、悲しそうに目を伏せる夕季。

 そこへ詠江からのおかわりが差し出された。

 嬉しそうに頭を下げる夕季に、詠江も嬉しそうに笑い返す。

 横から伸びた光輔と礼也の手を、顔も向けずに夕季の平手が叩き落とした。

「すごく痛い!」

「いてえって!」

「あっはっは! ……。うぼっ! ヤバい、突然きた! 行きます!」

「こら忍、よせ! そこは俺のズボンだ! 夕季、洗面器!」

「ちょっと待ってて! お姉ちゃん、もう少し我慢して!」

「もう駄目。今にも出ちゃう! とりあえずこれでいいや……」

「それは俺の上着だ!」

 それを楽しそうに見届けながら台所へと戻る詠江。

 同じ頃あさみは、司令室の控え室で重箱の中身を眺め、嬉しそうに笑うのだった。

「お袋」

 台所で一人で缶ビールを空ける桔平に呼ばれ、詠江が振り返った。

「兄貴達にも礼を言っといてくれ。あの携帯がなかったら、誰も助からなかったかもしれねえ」

「ああ、言っとくよ」桔平の顔をまじまじと眺め、嬉しそうに笑う。

「なんだ」

「おまえが人に謝るなんてねえ。初めて見たよ」

「ふざけんな」けっ、と吐き捨てる。「俺なんざ、謝ってばっかだ。昔っからな。あんたが知らなかっただけだろ」

「あさみちゃん達に頭が上がらないのは昔から知ってたけれどね」

「言ってろ!」

 ふて腐れ横を向いた桔平を穏やかに見つめ、もう一度詠江が光輔達へと目を向けた。

「いい子達だねえ」

「ああ」缶に口をつけたまま、桔平も涼しげな顔で光輔達を眺めた。「俺の宝モンだ」

「おまえはまだまだ半人前だけど、これでようやく一人前になれそうだよ」

 じろりと疑いの目を向ける詠江から不快そうに顔をそむけ、桔平が空になったビール缶をゴミ箱に放る。

「うっせえ、俺はとっくに百人前だっての!」

 何度も縁にぶつかりながら、缶はなんとか箱の中へと収まって消えた。








                                     了

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