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第三十三話 『百人のわからずや・後編』 8. 奇跡をありがとう

 


 エプロンに降り立つ光輔ら三人を出迎えたのは、メックの熱烈な歓迎だった。

 駆け寄ってくる仲間達を冷静に見据え、夕季が疲れた顔を差し向ける。

「あれ、ほんとだったんかよ。余裕の九十九パーセント」

 礼也の問いに無表情のまま振り返る夕季。

「嘘。本当はギリギリだった。確率も七十パーセントくらい」

「てめ! ……どおりで」しれっと言い放った夕季に、思わず礼也が言葉をなくす。「そりゃシャレになんねえぞ! 冗談でしたですまされるレベルじゃねえ」

 ちら、と横目を一度だけくれる夕季。それから顎を引き、迷いの残る表情で次の言葉を押し出した。

「ごめん。……でも礼也達なら、なんとかしてくれると思って」

「……」

 そんな二人のやり取りを眺め、苦笑いの光輔。

「仕方ないよ。どうせ夕季がいたって、百パーセント成功してたかどうかはわからなかったんだろ。だったら結果オーライでいいじゃんか」

「てめえはまた、ええころなこと言いやがって!」

「夕季がいなくなったことで作戦が先送りになったのは否定できない。でもあのままじゃ俺、気になって集中力なくなってたと思う。そしたらもっとひどいことになってたはずだよ。俺は二人みたいに、そんなに強くないからさ。ほんと、正義の味方、失格だよな」

「……バーカ、俺達だろ」バツが悪そうに顔をゆがめ、礼也が二人に背中を向ける。「なんだ、正義の味方ってな。恥ずかしいな、てめーは」

「はは。でも人間的には間違ってなかったろ。合格だろ」

 同意を求めて光輔がフォローを入れる。

 振り返った礼也に対し、夕季からは望んだ答えが返ることはなかった。

「わからない。私達がそうであるように、他のすべての人達にも大切なものがある。私達はそれができる立場なのを利用して、わがままを通しただけなのかもしれない」

「俺達が正義の味方かどうかなんざ知ったこっちゃねえ。わかってんのは神様じゃないってことだけだ。都合よく何でもかんでも捌けてたまるかって。結局おっさんらだって自分達正当化するために、理由後付けすんので精一杯だったんだからよ」

「理由なんて必要ないだろ」

 光輔の声に無表情な顔を向ける二人。

 すると光輔は濁りのない笑顔を二人に向けながら、当然のように次の言葉をつないでみせた。

「俺達は今までいろんな人達に助けてもらってきた。それと同じことをするのに理由なんていらないはずだろ」

 ちらりと光輔を見上げる夕季。その表情は気まずさに満ちたものだった。

「今回は自信があったからやった。でもこれからはもっとシビアな選択を迫られることがあると思う。大事なものをすべて捨ててでも受け入れなければならないような、身を切るような選択が」

「おい、そりゃもう選択じゃねえよ」

「……」

 礼也がぶすりとそう言うと、それ以上夕季は何も言えなくなった。

 それが仲間達にもみくちゃにされる前に、彼らが出した答えだった。


 すべてが終わり、精も根も尽き果てた司令部は、広大なスペースに誰もいないかのような静粛さに包まれていた。

 やがて忍が外部からの一報を受け取り、静かにそれを報告する。

「二百六便の機長から感謝の一報が入っています。『奇跡をありがとう』だそうです」

 顔を向ける一同に覇気は見られない。

 その中で桔平は己の感情を封じ込めるように、顔をゆがめてみせた。

「奇跡なんかじゃない。必然だ」

 声もなくその顔に注目するあさみ達。

「努力の結果だ。諦めずに頑張ってくれてありがとう。そう伝えてくれ」

「はい……」

 忍の返事を確認もせず、早々に桔平が部屋を出て行く。

 その力ない背中を眺めていたあさみが、忍の声によって引き戻された。

「すみません、進藤司令。私のミスです」

 顔を向けるあさみ。

 すると忍は力ない笑顔をたたえながら、それでも迷いのない口調でつないで言った。

「大城室長は二百六便には乗っていませんでした」

「……ほら」

 不満げに呟いたショーンの方を見ようともせず、忍がさらに朗らかに続ける。

「小田切さんが邪魔をしたため、見間違えてしまいました」

「な!」

 真顔で報告を受けていたあさみが、ふっと笑った。

「そう。気をつけてね」

「はい」

「ション君も」

「……すみません。……うん?」

 楽しそうに笑いかけ、あさみが二人に背中を向ける。

 去り際に一つ付け加えた。

「みんなを代表して、ション君、顛末書をお願いね」

「ええっ!」

 忍が気の毒そうに眉を寄せた。顔は最後まで見ようとはしなかったが。

「頑張ってください」

「……」


 大城がメガルに帰還すると、いつになく熱烈な歓迎が出迎えていた。

 戸惑う大城とそのとりまき。

 それがどういう意味かを問いただす暇もなく、熱いまなざしを向ける部下達に大城は囲まれることとなった。

「大変でしたねえ」

「……。うむ、まあな。……特にそれほどのことでもなかったが」

 いつもと何ら変わることのないそのテンションに、部下達がさらに大城を持ち上げようと一丸になる。

「たいしたことないって言うんですか。あんなすごい体験をしたのに」

「奇跡の最中にいたというのにまったく動じていない」

「なんてすばらしい人だ」

 まるで憧れのスターを取り囲むかのようなその状況に、わけがわからない状態ながらもおもはゆくなり、まんざらでもないといった大城が顔をゆるませた。

「そんなに私のプレゼンは好評だったのか」

 こそっと耳打ちする大城に、冷めた様子のとりまきもこそっと返した。

「半分くらいの方が寝ていらっしゃいましたね」

「く……」腹心の心無いツッコミに顔を引きつらせる大城。「確かに私も読んでいてよく意味がわからなかったが、どんな内容だったんだ」

「たいしたものじゃありませんよ。たぶん」

「貴様が手間ヒマをかけて作ったものだろう。たぶんとはなんだ」

「手間はかかっていません。去年と同じものをプリントアウトしただけですから」

「……」思い返すように青ざめる大城の顔。「どうりで読みやすいと思った……」

「ちなみにおととしも同じものです」

「……貴様」

 そんな二人のやり取りもつゆ知らず、周囲の熱は覚めやらぬ。

「どうだったんですか、生と死のはざまに立った感想は」

「は?」

「奇跡の生還者達の中心人物ですからね」

「組合新聞に絶対載りますよ」

「いや、テレビくるだろ」

「そうだな。何せ、大城室長のおかげで乗客は全員助かったようなものだろうからな」

「本当のことを知ったら、みんな室長に感謝しますよ」

「……」大城の目が点になる。「君達は何を言っているんだ」

 要領をえない大城の返答に、あ然となる一同。

 またまた~、と笑い飛ばして続けようとしたところを、大城の無粋なツッコミが堰き止めた。

「確かに私は出張先で非常に重要なプレゼンテーションを成功させてきたところだが、奇跡の生還だ、なんだと、何をわけがわからないことを言っている。何故そんなことでテレビがくるんだ。馬鹿にしているのか。乗客ってなんだ。観客ならわかるが、新幹線の乗客達に何故私が演説なんぞしなければならん。それで何故彼らが助かって、私が感謝されるようなことになるのだ」

「新幹線?」

 ぽかんとした顔を互いに見合う一同。

「新幹線ってなんですか?」

「はあああ!」大城のまなこがぎょろりと大剥けされる。「新幹線は新幹線だろうが! 乗ったことないのか! 遠くへ行く時に乗って行くだろうが! 速いだろ! 出張なんだから当たり前だろうが! それとも何か! 私が新幹線に乗ってはいけないと言うのか! 出張なんざ、在来線で行けと言うのか! 金がもったいないから、鈍行でとろとろとろとろ行けと言うのか! 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

 一息にまくし立て、仕上げに腕組みをしてフンと鼻息を荒げる。

 顔を見合わせあう集団の表情には、今度こそ明らかに戸惑いの色が浮かび上がっていた。

「あの」

 一人が困惑した様子で小さく手を上げる。

 それを上からぞんざいに見下ろし、大城が鼻息で撃ち落とした。

「なんだ」

「大城室長がご利用されたのは新幹線?」

「そうだ。さっきからそう言っているだろう。それが何か文句でもあるのか!」

「……。飛行機ではなくて、新幹線?」

「だから、そうだと言っているだろう。びゅわーんびゅわーんと走るやつだ。白くて長い列車だ。五百メートルくらい、……いやそんなには長くないが、結構長いやつだ。高架の下にいると、シャンシャンシャンシャン! とうるさいやつだ。何度も言わせるな! 悪いのか!」

「では飛行機には乗らなかったのですか」

「何故飛行機に乗らなければならん。あんなところ、新幹線で充分だ! 久しぶりに早起きしたがな!」

「早起き?」

「往きも帰りも?」

「当然だ!」

「言われてみれば、帰ってくるのがやけに早いような気も……」

「考えたら、六百キロも離れてたんだったな……」

「ついさっき、やった~、って言ったような気もするしな……」

「おい、それは……」

 大城の声がそこで途切れる。

 あとは潮が引くように一斉に背中を向けてしまった部下達を、言葉もなく見守るだけだった。

「……。これはどういうことだ……」

「さあ……」とりまきが軽蔑したような顔を向けた。「わけはさっぱりわかりませんが、とりあえずみんなが室長にガッカリしたことは確かですね。ガッカリ解散です。彼らのやるせなさが後ろ姿から滲み出ていますね」

「……。……何か腹が立つな」

「ええ、情けないですね、誠に」

「いや、おまえにだ」

「そうですか。私もガッカリしていたところです」

「……。グリーン車がまずかったか……」

「あ、それからですが、帰ったら局長室に顔を出すよう言付かっています」

「……何故今頃言う」

「ええ、すっかり忘れていました」

「貴様……。何か褒められるようなことをしたか?」

「いえ、おそらくお目玉かと」

「何! 私が何をしたと言うのだ!」

「室長の部外者への応対で、局長に反感を買ったものと思われます」

「何だと! いつだ、それは!」カッと目を見開いて部下を睨みつける。「心当たりが多すぎて見当がつかん」

「前々から評判が悪かったですからね。ついにきたかという感じです」

「う~む……」

「最低でも始末書でしょう。前のやつをコピーしときましょうか」

「……。頼む」

「はい」


 休息スペースで腰を根付かせ、桔平がたばこの煙を吐き出す。

 虚ろな視線を天井に泳がせたまま、何度も煙を吐き出し続けた。

 物音に気づき、視線を向けると、あさみがカップコーヒーを二つ持って、桔平の隣に座るところだった。

 何も言わずに一つを桔平の前に置き、あさみが目を閉じて煎れたてのコーヒーをすする。

「はあ~、染みるわあ~」

「……。すまなかった。責任は取る」

 ぼそりと桔平が言うと、あさみは静かにその目線だけを向けた。

「何の」

「……」

 言葉もない桔平に、あさみが感情を交えない平坦な口調でその答えを差し出した。

「私達は自分達のわがままのために動いて、たまたま結果を残せた。それだけのことよ。結果が出なかったら、責任を取ってもらうつもりではあったけれどね」

「そんなざれごとが通るとは思ってねえよ」

 動じない桔平を、ちらりと横目だけで受け止めるあさみ。

「何か勘違いしてない。綺麗ごとじゃないって言っていたのはあなたでしょ。私達は人助けをしているのではなく、人を欺いているのよ。それとも、本当に正義の味方にでもなったつもりだったの」

 またもや桔平が言葉を失う。

 あさみの本心が見えてこない。それ以上に、自分自身がぶれてしまっていることを痛感していた。

「俺は卑怯者だ」

「知ってる」

「……口では偉そうなことを言っておきながら、心のどこかで、いや、確実に他の誰かが押し切ってくれることを期待していた」

「そうなの」

「……。もしあいつが言い切ってくれなかったら……」

「あなたが口ゲンカで負けるなんてね」

「……」

「でも、もし彼女が黙っていても、きっと木場さんが言い切ってくれてたんじゃない?」

「!」

「木場さんじゃなかったら鳳さんとかね。夕季や霧崎君達もへそを曲げたら動かないでしょうし、他にも結構頑固な人が多そうだから、結果は変わらなかったんじゃないかしら。あなたの部下全員をクビにでもしていたら別でしょうけれど、そしたらメックもメガル自体も成り立たなくなるでしょうね。これだけ命令に従わない人間ばかりというのも問題よね。結局、全部統括者のあなたのせいってことになるけれどね。あ、それ砂糖二倍よ。足りなかったら自分でなんとかしてね」

「……」

「認めたくないけれど、今の世の中には無駄な抵抗を続ける人間も必要みたい。でないと秩序が保たれなくなる。損な役回りね」

「わかってる……」

「わがままで見栄っ張りでわからずやで、最低の意地っ張り。怖いわね。どんなところでも、見ている人はちゃんと見ている」

「?」

「わかっているんだけれど、いちいち彼女の言うことが当たりすぎててイラッとしたわ。いろいろ考えたけど何も浮かんでこなかったから余計にね」

「……。俺達は、間違ってたんだろうな」

「人として?」

 桔平が恨めしそうに視線を向けると、あさみの横目線と合致した。

「人としてだ」

「……。そうね」

「……。あさみ」

「ん」

「……ありがとう」

「……。こちらこそ」

「……」

 それ以上何も言わず、二人はカップのコーヒーをすするだけだった。






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