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第三十三話 『百人のわからずや・後編』 6. 信じてるよ……

 


 二百六便は今まさに最期の時を迎えようとしていた。

 海を目前に見据えながら、急激な高度の低下に抗うこともできない。

 パイロットの卓越した技術により、かろうじてきりもみを回避しているにすぎなかった。

 操縦にかかりきりの機長にかわり、強制着陸における注意を副機長がアナウンスする。

 が、ここにきてなお、墜落を確定させる伝達だけは控えていた。

 メガルとの約束を信じて。

 阿鼻叫喚のパニック状態に陥る機内。

 機体は落下を続け、乗客達の絶叫を引き連れたまま、山岳部へと突入しようとしていた。

 とどまらぬ騒乱の中、詠江は静かに一枚の写真を眺めていた。

 利発そうな二人の兄と、そこから顔をそむける腕白そうな子供の頃の桔平が写った写真だった。

 懐かしそうに眺め、穏やかに微笑む詠江。

 その表情は振り返ることをやめ未来だけを見守る、優しげで柔和なものだった。

 やがてガクンと引き抜かれるように機体が揺れ、悲鳴と絶叫にまみれ、詠江はそのまなざしを窓の外へと投げかけた。

「もう、もう駄目です!」

「最後まで諦めるな」

 口もとをゆがめながら弱音を吐く福機長を、機長は毅然たるまなざしで激励し続けた。

 そのこめかみを伝う嫌な汗。

 運命の行方を悟った誰もが諦めかけ、機長すらもその目を閉じたその時だった。

 機体がふわりと浮き上がったのは。

「奇跡か……」

 二百六便は海岸目指して再飛行を開始した。


           *


 全速力で飛行を続ける空竜王のコクピット内で、夕季は口惜しさから唇を噛みしめていた。

 その汗にまみれた顔が、焦りの色に塗り込められていく。

 もう一刻の猶予もない。

 一秒でも早く二百六便まで到達したいのに、さらなる障害が夕季の前に立ちはだかっていたからだった。

「桔平さん、GPSがおかしい。点いたり消えたりしてる。遅れて点いてる気もする。これじゃ正確な位置が把握できない!」

 夕季からの訴えを受け、桔平が拳を握りしめる。

 ピンポイントでの把握が困難な限り、確実な接触はほぼ不可能だった。

 エア・スーペリアならば独自のサーチでほぼ完璧に機体の位置を割り出すことができる。

 結果、空竜王単体で来たことがあだとなる形になってしまったのである。

「障害が起きたんでしょうか……」

 二百六便からの緊急連絡を伝え終えた忍が、不安そうな顔を桔平に向ける。

 桔平は黙り込んだまま、まるで位置の定まらない点滅を目で追うだけだった。

 墜落が目前に迫った状況で策に窮し考え込む桔平を、あさみも意識を向けつつ遠巻きに見守っていた。

「二百六便の機器はすべてダメージを負っているのかしらね。影響を受けていない予備とかはないの」

 あさみの進言に何かを閃き、桔平が自分の携帯電話を司令部の回線に直接接続する。

 呼び出したナンバーは、詠江からの着信履歴だった。

「お袋、俺だ」

 二百六便の機内でそれを受け取った詠江が、心配そうな顔で受け答えた。

「桔平かい?」

『このまま通話状態にしておいてくれ。俺がいいって言うまで絶対切るなよ』

「いいけど、もう電池があまりないみたいだよ」

『五分持てばいい』

「ああ、わかった」

 突然のアプローチに戸惑いながらも、桔平の行動に重大な意味合いが含まれていることを感じ取って、詠江は頷いてみせた。

 機内は絶望と死への恐怖に席巻され続けていた。

 スピーカー越しに伝わってくるそれに取り乱すことなく、桔平が静かに念を押す。

『お袋、俺を信じろ』

 狂乱の機内を見回し、一枚の写真を静かに眺めながら、詠江が目を伏せる。

 そして穏やかに笑った。

「ああ、信じてるよ……」


「夕季、どうだ」

 ショーンに主旨を告げたのち、桔平が忍に命じて夕季と詠江の回線をリンクさせる。

『ちょっとずれてる。前のが邪魔をしているのかもしれない』

「はっきりしてる方が本物だ。そっちを信じろ」

『了解』

「下降は仕方がない。コントロールを失わないようなんとかふんばれと伝えろ」

「わかりました」

 桔平の指示に忍が頷く。

 その時だった。

『見えた!』

 機体を示す点滅と空竜王のそれが重なる様子を見届け、桔平が窓の外の暗雲を見上げた。

 はっきりと姿を現し始めた障害を睨みつけるように。


 水面を切る石のように、海面を飛び跳ねる魚のように、空気を切り裂き空竜王が時と距離を縮めていく。

 夕季が二百六便の機影を捉えた時、機体は山の中腹へと突入する寸前だった。

 瞬時に計算された進入経路から、背面飛行で機体の真下へと潜り込む空竜王。

 こめかみを伝う汗すら拭うことなく、唇をきつく噛みしめ、ただ目の前の機体とシンクロすることだけに集中した。

 二つの飛行体が息を合わせたように重なると同時に、夕季の視界から景色が引き抜かれていく。

 生い茂る木々をなぎ倒し、展開した翼で山々を切り開いていく空竜王。

 下側から抱えるように抱き、二百六便が地面へと接触する数メートル手前で、なんとか夕季がその機体を引き起こした。

『あんま力入れて持ち上げんじゃねえぞ。ポッキリ折れちまう』

「わかってる」

 小さく桔平に頷き、夕季がありったけの感応力を放出させる。

 森の中目がけて頭から突っ込む形にはなったが、機体の下部をこすりながらも、二百六便は徐々に上昇を始めた。

 やがて海が見えると、空竜王は機体を抱えたまま翼の角度を変え、飛行艇のごとく滑るように海面へと接水していった。

 ほとんど衝撃もなく、海へとゆるやかに胴体着陸する二百六便。

 沸き起こる歓喜の渦の中、詠江は窓の外に見た。

 遠く海中から飛び立つ、白銀に輝く空竜王の姿を。


「夕季から間に合ったと連絡がありました」

 口もとをゆるませ、忍が桔平へと振り返る。

「二百六便に確認もとりましたが、乗客も乗務員も全員無事だそうです」

「やった!」

 誰よりも先に雄叫びをぶちまけたのは、ショーンだった。

 疲れ切った面々がリアクションすら起こせずに傍観する中、ばつが悪そうに咳払いを一つしてショーンが自分の席に腰かける。

 その時点になり、ようやく他の面々が怪気炎を噴き上げるに至った。

「よっし!」

「やりましたね! やりましたね!」

「ああ、やったぞ! くそったれが!」

「ほんと、くそったれですよね!」

「ああ! くそったれだ、ちくしょう!」

「喜ぶのはもう少し後にしてもらえない?」

 抱きつきかかった桔平と忍が、あさみの一言ではっと我に返る。

 いまだプログラムの驚異は継続中なのだ。

「よし、あさみ、そっちとかわる」

「お願い」

 あさみを下がらせ、桔平が本来のポジションへと移動する。

 腕組みをして一息ついたあさみと、困惑する忍の目線が合致した。

 咄嗟にそそくさと顔をそむける忍。

 ここへきて忍は、自分が非常に大それたことをしてしまっていたのを、はっきりと思い出してしまったからである。

 やれやれと言わんばかりにそれを眺め、あさみがふっと笑った。

 目先を変えれば、すでに桔平の指示のもと、次の戦いが始まっていた。

「……司令」

 申し訳なさそうな忍の声に、再び顔を向けるあさみ。

「何」

 すると忍は、どこか腑に落ちないような微妙な様子でそれを口にし始めた。

「二百六便の飛行記録を確認していたのですが、彼らは雷とすれ違うようにして被害を受けたようです」

「雷?」

「はい」かすかに首を傾げる。「ここから約四百キロ離れた雲の上空を通過した時にです」

「……。おかしい、遠すぎる……」考えにふけるあさみ。何かを思いつき、にやりと忍の顔を見つめた。「これでギブアンドテイクが成立しそうね」


 しだいに雷砲に対する対応がぶれ始めていた。

 最初の頃は一秒近くあった予測ロックオンの猶予も、現況ではコンマ数秒の精度しか残らない。

 竜王の回路を通過することによって猶予時間が数倍から十倍程度まで引き上げられてはいたが、誤差修正を加えながらの予測ロックオンは、常にタイトロープ状態となっていた。

 ここ二回ほど連続で雷撃の直撃がメガルを見舞う。

 予想限界値にはとっくに達しており、すでにいつシステムダウンが起きてもおかしくない状況だった。

 メガル全体が揺らぎ出した頃合いで、疲れ果てた面々が甲高い風切り音に顔を上げる。

 すると一点の光は瞬く間に膨れ上がり、一瞬のうちに空竜王のその姿を形作った。

『集束!』

「しゃ!」

「よっし!」

 夕季の呼びかけにタイムラグゼロで呼応する礼也と光輔。

 ガーディアン、エア・スーペリアに集束した一秒後には彼方の空を睨み上げ、撃ち放ったボールサム・クラッカーによってフールフールの雷砲を迎撃した。

 抜き差しならないガナー役から解放され、脱力するように椅子の背もたれに雪崩れかかる大沼。

 その安堵の表情で、頼もしそうにガーディアンを見上げた。

「俺の勝ちだな真吾」にやりとし、同じ格好でふてくされる黒崎の顔をまじまじと眺める。「約束どおりおごれよ」

「ひどいっすよ。俺だって光輔君じゃなくて礼也と組んでさえいれば……」


「へっくしょい!」

 予測ストックがつきかけ、何とかギリギリのタイミングで滑り込んできた夕季が、光輔のくしゃみではっと我に返る。

「遅くなってごめん」

「ちゃんと間に合ったんだよね?」

 鼻をこすりながら顔を向ける光輔に、今さらながらどっと疲労に見舞われる夕季が、表情を落としてため息をついた。

「何とか」

「何とかってなんだ。てめ、罰ゲーム覚悟しとけ!」

 イケイケ顔の礼也にさらに疲れた顔を仕向け、とにかく長い長いため息を夕季が吐き出した。

「メロンパンはやだ」

「てめえ!」

「もういい。メンドくさい……」とにかく長い長い長い……

「てめ、何もすんな! そこで鼻毛でも抜いてろ!」

「桔平と一緒にするな!」

『まる聞こえだぞ! てめーら!』

 司令室特別スペースでギリギリと奥歯を噛みしめ、怒りに震える拳を桔平が握り締める。

「おい、夕季。例の雲は見てきたのか」

 何とか気持ちを落ち着けてそうたずねる桔平に、再計算を始めていた夕季が本来の表情を取り戻した。

「確認してきた」

『どうだった』

「私達が計算していたポイントよりもかなり外側の方なのに、他の場所より少しだけ雲が濃い気がした。気にしなければ見過ごすようなレベルだけど。すれ違いながら遠くから見てる感じだと、時々小さな光が見えた。何千万箇所もあるポイントのうちで、何度もその周辺だけが光るのはおかしい」夕季の目が光を灯す。「ひょっとしたら、そこに本体がいるのかもしれない」

「ですって」

 マイクスタンドを握り締める桔平の肩越しに、あさみが意味ありげな笑みを投げかける。

「これも二百六便の功績ね。彼らを助けなかったら、私達の勝利の可能性は見えてこなかったってことじゃないかしら……」

「後付けはもうどうでもいい!」

 突然の桔平の怒号に静まり返る室内。

 その静粛の中、桔平はフールフールのいるであろうレーダー上の地点を睨みつけ、すべてを叩きつけた。

「もう何一つとりこぼさねえ。守るモンは全部守って、邪魔する奴はまとめて叩き潰す!」

 ポカンとなる忍やショーンを置き去りにし、あきれたようにあさみが笑ってみせた。






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