第三十三話 『百人のわからずや・後編』 4. 女の戦い
『お姉ちゃん、二百六便の進路は!』
二百六便の機体が完全に滑空飛行に移行するとの知らせを受け、夕季が切迫した表情をスクリーン一杯に押し出す。
それに対する忍の表情も、さらなる危機感に満ちたものだった。
「まだ同じルート上にいるけれど、いつ失速するか予測できない。早く向かって」
『了解』
そのマイクを奪い取り、桔平が夕季を呼び戻そうとした。
「駄目だ! 戻って来い、夕季!」
憮然とした顔で桔平を見据える夕季に、桔平が変わらぬ口調で続ける。
「もう無理だ。間に合わん」そこに少しだけ悲しみの色が入り混じった。「もういい。戻ってきて、任務に復帰してくれ」
『もういいって何』
憮然と言い放った夕季に、驚きの表情を向ける桔平。
それをグイと睨みつけ、夕季は激情を残らずぶちまけた。
『余裕がないんだから、くだらないこと言うなら黙ってて』
「くだらないだと! てめえ、どういう意味だ!」
マイクスタンドが軋むほど強く握り締め、ギリギリと歯噛みした隙間から桔平が怒りを漏らす。
「いいか、聞け。確信もないのに意味のないことをするなって言っているんだ。もし遭難機を救助できたとしても、それが原因でメガルが崩壊したら、おまえのしたことは重大な規律違反になる。プログラムの手助けをするようなオビィなら、もう二度と必要とされない。そんなこともわかんねえのか!」
『確信ならある』
「何だと!」
目を剥く桔平を真正面から拘束し、夕季はまばたきもせずにそれを撃ち込んでいった。
『雷撃の出現パターンを九十九パーセントの的中率で二十分先まで解析してある。空竜王のスピードなら、二百六便を助けるのに十分もかからない。それなら次の予測対応までに余裕で帰ってこれる』
「てめえ、はったりこいてんじゃねえぞ。またぶったたかれてえのか!」
激しく怒りをあらわにしメインパネルに拳を叩きつける桔平を、顔色一つ変えずに夕季は直視し続けた。
『はったりじゃない。確証がある。そっちが理解できるなら、今からデータを送る。複雑な計算式が必要だから、どうせわからないだろうけど』
「……」
『もう一刻の猶予もない。これ以上邪魔をするつもりなら、一生許さないから』
毒気を抜かれ、勢いを削がれる桔平。
噛みしめた歯と歯の隙間から押し出したのは、混乱と迷いの交錯した自分自身でも理解しがたい感情だった。
「おい、できるかどうかもわからないのに許可は……」
『できる!』
「間に合わなかったらどうする」
『間に合う!』
「……。自信はあるのか!」
『ある!』
「本当?」
『……』
あさみの介入に、即答を続ける夕季の心がクールダウンする。それでも微塵にも揺るがない信念を真正面から叩きつけた。
『現状でその高度を維持しているのなら、まだしばらくは失速の心配はないはず。滑空状態さえキープできれば、下降は最小限に抑えられる。パイロットの腕はいいと思う。あとはその腕を信じるだけ』
「信じていいの?」
やや顎を引き、噛みしめるようにその後の言葉を押し出した。
『信じてもらえないのなら、私ももう誰も信じない。以上です』
「そう、わかったわ。作戦は継続します」
桔平をちらと見やり、微笑を打ち消してあさみが宣言した。
「引き続き各員、全力で対応するように。必ず両方成功させるわよ」
歓喜に沸くメガル内部。
しかし桔平一人がまだ納得していない様子だった。
「おい待て夕季」
無線をクローズした夕季を、さらに呼び戻そうと呼びかける。
そのスイッチをため息をつきながら忍が強制切断した。
「何しやがる、てめえ!」
「二百人の命が亡くなっても、あなたに責任がとれるのですか」
噛みついてくる桔平を口もとを引き締めて見つめ返し、忍があきれたようにそれを口にした。
「とる。何千万、いや、何億という命を救うためなら、いくらでもとる。納得いかねえなら、この命くれてやる」
「本当にそう思っているんですか。たかだか自分一人の責任で、何億もの命を背負えると。思い上がりもはなはだしいですね」
「なんだと、てめえ!」
「私達は、そんなに価値のある人間なんですか。責任って、自分達より多くの命を軽々しく扱ってしまえることを言うんですか」
「そうじゃねえだろ。何を子供みたいなことを言っている!」
「子供で結構です。そうやって目の前の困難を遠ざけることが大人の対応だと言うのなら、あなたは今後一切責任を押しつけ合う人達のことを口にすべきではない。逃げることをクールな対応だと言い訳して、ものわかりのいい人間でいればいいです。その方が出世できますしね」
「わかったふうな口きくんじゃねえ。いい加減にしねえか!」
「しません。どうしたんですか。いつもの切れがないですね。本当は心の中がやましいことだらけだからじゃないんですか。ぼろが出ちゃいましたね。実はもともとそういう考えの人間で、私達の前で無理してただけだったんじゃないんですか」
「いい加減にしろって言ってるんだ!」
「命さえかければみんなが納得してくれるとでも思ってるんですか。軽い命ですね。あさはかもいいところです」
「なんだと!」
二人の罵り合いに辟易した顔を向けるあさみ。
「いい加減にしなさい、二人とも」
それぞれの思惑を抱いた表情で二人が振り返ると、あさみは厳しい顔つきで二人を対等に見下ろしていた。
「今はバカげた言い争いをしている時じゃないでしょ。あなた達にそんな権限はないわ。越権行為もたいがいになさい」じろりと桔平を睨めつける。「私達がオフィシャルな存在になった以上、一人の命だって安易に見捨てるわけにはいかない。どうしても切り捨てなければならないと言うのなら、命じゃなくて、自分の未来だけにしなさい。彼女のように。それができない人間にはここで発言する権利は与えません」
「……」
「古閑さん、あなたも言い過ぎ」
「……。すみません……」
「本当に、子供と変わらないわね。二人とも」
殺伐とした空間に耐え切れず、ショーン一人が身悶える中、そんなことなど一向に解そうとしない人物が画面の中から手を上げた。
『あの、おなかがいたくなってきちゃったんで、おトイレ行ってきてもいいですか』
雅だった。
ポカンとなる四人を尻目に、別の画面から礼也が嬉しそうな声をあげた。
『おお、行ってこい、行ってこい。もれちゃう前に』
雅がにんまりする。
『本当だから』
『いや、言わなくてもいいから……』
苦笑いの光輔を見つめ、雅が腑に落ちない様子で首を傾げてみせた。
『さっき食べたプリンが腐ってたのかも』
『あ、おまえ、またプリン食いに行く気だろ!』
『バレた?』
にへへへ、と笑う雅を眺め、ふっと笑うあさみ。その表情のまま、視線だけを桔平へと差し向けた。
「ですって」
「……」
おもしろそうに笑い、あさみがマイクに顔を近づける。
「仕方ないわね。早く戻ってきてね。十分以内には」
『あいあいさ~』
「これじゃ、作戦の続けようがないわね……」
朗らかな雅の笑顔が、司令室の緊張感を台無しにしようとしていた。
「わがままで見栄っ張りで、最低の意地っ張りだったっけ?」
忍を眺め、あさみがあざ笑うようにそれを切り出す。
忍もすぐにその意図に気づいた。
「わからずやもです」
「本当、最低ね。たちが悪い」
「最低ですね」
なんとなくそれが自分を指していることを察して、桔平が顔をゆがめてあさみを睨む。
「何が言いたい」
それを倍の力で弾き返し、あさみは一喝するのだった。
「カッコつけてないで、とっととやることやれって言ってるの。これでもわからないのなら、昔のことほじくり返して、もっとグサッとくること言うわよ」
「……」
言葉も出ない桔平のかわりにもろ手を上げたのは、雷撃砲への対応でてんてこまいの礼也だった。
『いいこと言った! あんた』回線に割り込み、余裕のない表情で歓喜の援護をぶちかます。『どっちも捨てられねえんなら、どっちともとりゃいいじゃねえか。譲れねえモンは一つじゃねえだろ。人間は欲張りでみだらな生きモンなんだからよ』
それに頷くあさみ。
「そうね。いいこと言うわ」
『だろ』
「ええ」あさみが桔平ににやりと笑いかけた。「霧崎君はこう言っているけれど、どうする。私は彼の意見に賛同するわ」
『俺もだって。そのおばさんの意見に一票だ!』
「おばさん……」
「どうやれっていうんだ!」
顔色をなくすあさみに食ってかかる桔平。
それを叩き落したのは、またもや礼也だった。
『んなこた、てめーで考えろ。やる気がねえんなら、黙って指でもしゃぶってろって、このぽんこつ!』
「く!……」
『なんか文句あんなら、言ってみろって!』
勝ち誇ったように礼也がカラカラと笑う。
それをあさみがじろりと見やった。
「ねえ、霧崎君。おばさんはちょっとどうかしらね……」
空竜王は地表に影響を及ぼさず、なおかつ可能な限り最高の速度で二百六便を目指していた。
もしマッハ六以上の飛行を継続して行えれば、理論値では五分以内に六百キロメートル地点まで到達できる。
あくまでも理論値においてではあったが。
司令室特設スペースでは難しい顔の四人が画面とにらめっこを続けていた。
二百六便の進路が定まらず、高速で飛行する空竜王とのポイントのズレが生じ始めていたからだ。
「この天候ではレーダーはあてになりませんね。減衰が激しすぎる」腕組みのショーンが難しい顔であさみを見据える。「距離が遠すぎるし、障害物も多い。GPSでの追跡に頼るしかない」
「飛行場は?」
「使えそうな飛行場はほぼ閉鎖状態です」あさみを見つめる忍の顔が、苦痛にゆがんだ。「一番近い空港だと、この天候で二百六便クラスの機体を着陸させられる能力がありません」
「それでも一般道に着陸させるよりはましでしょ。空竜王のサポートさえあれば、なんとかなるはずよ」
「はい。打診してみます」
「凪野博士の名前でね」
「はい」
「こちらから救援が向かっている旨を伝えて、空竜王の進行方向に向かわせてはいかがです」
「駄目だ。相対速度がありすぎる……」
三人が一斉に振り返る。
ショーンの提案に異議を唱えたのは、拳を顎に当て難しい顔でレーダーを睨みつける桔平だった。
その真剣なまなざしに忍がゴクリと生唾を飲み込んだ。
「相対速度がマッハ三なら、すれ違うと一秒ごとに単純計算で一キロ離れることになる。一度すれ違ってしまったら、次にコンタクトを取るまでに大きなロスタイムになるわね」
桔平と同じポーズで画面を凝視するあさみが憂いを露呈させた。
「生存確率がかなり落ちますね」
「それに反転をすることで高度が著しく低下する。リスクが高すぎるわ」
「ルートの示唆をしたらいかがでしょうか」
「……」
置いてきぼりのショーンは忍の顔をただ眺めるだけだった。
現状での最適案と値踏みし、あさみが忍へと振り向いた。
「最短で空竜王と合流できて、無理なく接触可能なコースが望ましいわね。すぐに計算して。失速回避も念頭においてね。この際、市街地以外なら場所はどこでもかまわないわ」
「了解しました」
「凪野博士の名前で通達を起こして、予想進路の関係各所にすぐに避難勧告を出すよう指示して。なるべくなら人がいそうな場所は避けたいところだけれど」
「もう完了しています。予想進路の半径三十キロ圏内はいつでも住民の避難ができるよう各市町村を通して動き始めています」
「手際がいいわね」
「その外郭にも、こちらからの連絡一つで避難誘導が行えるよう言い含めておきました。凪野博士の名前を勝手に拝借しました。すみません」
「かまいません。わかったわ」忍の顔を真っ直ぐ見つめ、あさみがにこっと笑う。「二百六便に連絡しましょう。こちらの誘導に従わせる必要がある。最適なポイントを算出次第、Vトールをそこへ向かわせて」
出番のなかったショーンが勢いよく立ち上がる。
「じゃ、僕が……」
その言葉を身体ごと制したのは、表情の一変した桔平だった。
「どけ、俺が指示する」
「んぐ!」
「くそ、どいつもこいつも、メンドくせえ!」
ショーンを突き飛ばし、毅然とした顔つきで連絡用のマイクをつかむ桔平。
「二百六便、応答しろ。こちらはメガル……」
それをあ然とした表情で眺めていたあさみと忍が、顔を見合わせてにやりと笑った。
「忙しくなりそうですね」
「こうなるとは思っていたけれど」
一人取り残されたショーンは、茫然とその場に立ちつくすだけだった。




