第三十三話 『百人のわからずや・後編』 1. 百人のわからずや
桔平が退室した後、つかの間の静粛が訪れる。
気まずい沈黙を破ったのは、盗み見るようにあさみに目線を送る忍だった。
「助けるべきです」
視線を忍に合わせ、あさみがため息を差し向けた。
「組織はあなたの個人的な見解だけでは動かないわよ」
「彼らに命令を出してください。お願いします」
「私に責任を負えってこと」
じろりと睨めつけるあさみに、忍の気概が削り取られる。
「……私が」
「あなたにどんな責任が取れるの」
「……」
忍とのやり取りをいなし、あさみは無表情にディスプレイを確認し始めた。そこに映し出されていたのは、あくまでもプログラムに関する事項ばかりだった。
口を真一文字に結び、持ち上げた顎ごと心を引き締める忍。
それから無線機へと伸びる手もとには、一切の躊躇も見られなかった。
「夕季、礼也、光ちゃん、聞いて」
ちらと目線を向けるあさみ。
その冷たいまなざしの奥に異なる色合いが浮き上がりつつあった。
『みんな、ここから六百キロ先の山間部で、旅客機が墜落しそうなの。助けに行ってほしい』
突然の忍からのホットラインに、礼也以下、コクピット内の全員が目を丸くする。
「てかよ、オッサン達からの命令なんだろうな」
怪訝そうに顔をゆがめる礼也に、忍が困惑した笑みを向けた。
『上からの許可は下りてません。私の独断です』
「はあ!」
礼也が目を剥いて前のめりの体勢になる。
画面の奥にはおろおろとうろたえるだけのショーンと、厳しい表情で睨みつけるあさみの顔が見てとれた。
「いきなり何言い出してんだ。ゴリラえもんといい、あんたといい。意味、わかってやってんのか!」
『助けられるのはあなた達だけなの。お願い』
「お願い、お願いってな、今ここでこいつをしとめなかったら、また被害がでかくなるんだろ。余裕ねえのわかってて、承知でふっかけてやがんじゃねえだろーな! 駄目もとで命令出してんじゃねえって。人命よりプログラム優先なんだろ。思い切り気にいらねえけどよ! こっちだって行きてえのはヤマヤマなんだよ。あんま、イラッとさせんじゃねえって!」
『命令じゃない。お願いなの』
「どういうこと?」
礼也の頬をグイと押しのけ、苦痛に顔をゆがめる夕季が忍と向かい合う。
その顔を確認し、忍は穏やかに笑ってみせた。
『夕季、お願い。全員というわけにはいかないと思う。でもあなただけでも行ってほしい。空竜王なら間に合うかもしれない』
どこかふっきれたような笑顔の忍に、夕季が即断で頷く。
「わかった」
「てめ、何勝手やってやがる」
礼也がぶすりと突き刺す。
夕季はその仏頂面を真顔で見つめ返し、さらに押し込み続けた。
「まだ助かる可能性があるならやってみる。協力して」
「は、あ……」
あっ気にとられる礼也。
「あんた、自分が何言ってんのか、わかってんのか!」あさみの様子をちらりと確認し、忍に釘を刺す礼也。「てめえ勝手なことやって、こっちも巻き込んで命令違反爆買いしようとしてんだぜ。俺が考えても、無茶すぎだって!」
だがそれを受けてもなお、忍の気持ちが揺らぐことはなかった。
『ええ、よくわかっている。でもどうしても助けたいの。私がそうであるように、二百人の乗客一人一人にも必ずそう願っている人達がいる。誰も死なせたくないの。責任は私がとります』
「責任とるって……」
「礼也」
夕季に呼ばれ、礼也が顔を向ける。
「今ので確信した」
「何をだ」
「その飛行機にはおばさんが乗ってる」
「!」ぎょろりと目を剥く礼也。「んだと! マジでか!」
わずかに遅れてはっとなった光輔が、画面上の忍へと食いついていった。
「ちょっと待って。しぃちゃん、本当なの? おばちゃんが乗ってるって」
すると忍が力なく笑ってみせた。
何もできない自分を蔑むように、そしてすべてを他の希望に託すように。
『誰が乗っていようとそんなの関係ない。みんな同じはずだよ。誰一人死なせたくない。無理は承知よ。お願い』
「しぃちゃん……」
「お願い、お願いって、あんた、クビぐらいじゃすまねえぞ。まるで話になんねえくらい無茶苦茶だ」
『わかってる。自分勝手なお願いだって。でも今までだって、こんなふうに私達のために無茶をしてくれていた人達がいるの、みんなならわかってるよね。その人達が困っているのに、苦しそうにしているのに、黙ってほうってはおけないじゃない。……ごめんね、夕季』
「お姉ちゃん……」
その背景を察した夕季が言葉を失う。
忍の本気を踏みにじるわけにはいかなかった。
たとえどんな結果になったとしても。
と、その時だった。
『俺が命令した』
突然の木場の乱入に振り返るガーディアンチーム。
『俺が忍に命令した。責任はすべて俺が取る。最初に命令したのは俺だ。勝手におまえの手柄にするな、馬鹿者が』
『隊長……』
「てがらってよ……」
『誰にもできないことをするのも俺達の使命だ。忘れるな。一つの一つの命が集まって一億の命となる。世界中の数十億となる。そのどれもが等しく尊い命だ。一つとしておろそかにしてはならない。そこに可能性がある限り、当然ベストをつくすまでだ。責任の所在が必要ならば、すべて俺が受け持つ。心配するな。俺がいなくなって困るようなことは何もない。もし次の責任が必要となっても、他の誰かが必ずかわりとなるだろう。それだけのことだ』
その迷いのかけらもない顔を、光輔らはただ茫然と眺めるだけだった。
続いて新たな出演者がサプライズで訪れる。
『俺も許可したぞ』
『鳳さん……』
『現場責任者、じきじきの命令だ。それが最良であると俺自身も判断した。忍はいやいやおまえらに命令を伝えただけだ。何の落ち度もねえ。俺も落ち度はねえ。俺がいなくなると家族とみんなが困ることは間違いない。こんなことでクビになってたまるか』
『俺も許可を通した』
三人目の演者は大沼だった。
『忍の言うとおりだ。その人間が思うように動けないのなら、他の誰かが代わりになればいい。もうこちらの準備は完了した。早くデータを渡せ、夕季』
「大沼さん……」
『いいこと言うじゃねえか、大沼』鳳が嬉しそうに笑った。『俺達は一人一人が万能なわけじゃない。だがこうしてがん首揃えてる以上、やり方はいくらでもある。簡単なことだ。……あんな奴のためにバツ受けるのは癪だがな』
茶番劇はまだまだ終わらなかった。
『なら俺も命令したぞ! 癪だけどな』
『俺もっス。癪っス』
『おまえらは、忍に命令できるほど偉くないだろ』
調子にのる駒田と黒崎を南沢がたしなめた。
『あとのことは任せてください、木場さん、鳳さん。意志は我々全員が受け継ぎます』
『……うむ……』
『どういう意味だ、大沼!』
「どいつもこいつもブサイクなツラして奇麗事並べやがって」
空気がやや落ち着きを取り戻した頃合いで、礼也があきれたように呟く。
その顔色をうかがうように、夕季が礼也を眺めた。
「……。礼也、あたし……」
「夕季、今のは全部なしだ。俺達ゃ、何も聞いてねえ」
「礼也!」
キッと礼也に振り返る夕季。
そこで夕季は見た。にやりと笑って前だけを見つめる、濁りなきその顔を。
「へっ。おもしれえじゃねえか、おっさんども。気に入った! 俺の独断でてめえを行かせる。リーダーとしてな!」
『礼也……』
心配げに見守っていた忍の顔が笑みに包まれる。
「何でもかんでも俺が全部ひっくるめて被ってやる。気にすんじゃねえ。癪だけどな!」
「あ、じゃ、俺も。……別に癪じゃないけど」
「よし、わかった。死なばもろともだ。文句があるなら、メロンパン百個持ってこい。罰ゲームで俺らが全部食ってやる!」
「それは……」
「それは嫌!」
「ふざけんな。ぜってー、助けろよ、てめー」
「わかってる」
「さっきみたく、身体、真っ二つに割ってけ。んで、わりかしいい方をこっちに置いてけ!」
「それは無理」
「んだと!」
「でも一人でできないことなら、誰かがもう一人になればいい。私がそのもう一人になる。失敗は許されないから、サポートお願いします」
「へっ、ぼっちのてめえが言っても説得力ねえな」
「いちいち嫌味を言わないと気がすまないの」
「はあ! てめえこそいちいちつっかかって、肝心なとこで失敗すんじゃねえって!」
「意地でもやってみせる。そっちも絶対失敗しないで」
「意地でも失敗しねえ!」
「俺は意地でもサポートするけど……」
「データを今から送ります。あとはよろしく」
『任せろ』
『頼もしいな、木場。任せたぞ。正直、俺はちんぷんかんぷんだ』
『……。大沼』
『任せてください』
「頼りねえな……」
「だいじょぶかな……」
「ちょっと心配……」
『大丈夫だ、大沼に全部任せろ!』




