第三十三話 『百人のわからずや・後編』 OP
聞き覚えのある声に呼び止められ、詠江が振り返る。
そこには桔平の遊び友達の少年の姿があった。
「どうしたの、翔君」
今にも泣き出しそうな少年の顔に詠江が笑いかける。
少年は普段はおとなしく、常に桔平が子分のように従えていたため、あまり声を聞いたこともなかった。
それがいつになく切羽詰った表情で何かを伝えようとしている。
一向に口を開かない少年を不思議に思い、詠江が眉をひそめた時、堰を割るようにそれがあふれ出した。
「桔平君、悪くないよ。僕を助けてくれたんだよ。あいつら年上のくせに桔平君に言い返せないから、僕のお父さんの悪口言ったんだ。そしたら桔平君が怒って……」
感極まり泣き出す少年。
「そうだったの……」
詠江は嬉しそうに少年の頭を優しく撫でた。
夕刻、桔平が学校から帰り玄関を開けると、甘い匂いが流れ込んできた。
すかさず詠江の声が聞こえてくる。
「桔平、帰ったのかい。台所にだら焼き作ってあるから、食べな」
「……いらねえよ」
そう言い、桔平が自分の部屋へと向かう。
すぐに何かを気にかけるように部屋から出ると、そろっと仏間の様子をうかがった。
詠江は背中を向けたまま、黙々と裁縫をし続けていた。
何も告げようとせず、何も問いただすこともなく。
台所へ向かい、桔平がだら焼きの皿に手をつける。
「……」
声も発せずに、ただ黙々と食べ続けた。
その気配に気づき、詠江が手を止める。
振り向くことはなかったが、嬉しそうに詠江は微笑むのだった。
*
機内はまさにパニック状態だった。
何らかのトラブルがあったことは明白であり、中途半端で不完全な外部との連絡網がさらに混乱を極めることとなっていた。
闇雲に駆けずり回り喚き散らし絶望を口にする者、或いは親しき者への最後のメッセージを伝えるべく心を決めた人間達を複雑そうに見守りながら、詠江は光輔から渡されたマニュアルと携帯電話を手にとった。
桔平の番号を検索するために。




