第三十二話 『百人のわからずや・前編』 10. 激高の木場
「何、本当か、忍」
忍からの一報を受け、木場が神妙な様子で周囲を見回す。
そのただならぬ表情に、近くにいた大沼が反応した。
「どうかしたんですか」
「ん、ああ……」大沼の顔をまじまじと眺め、木場がやりきれなさを吐露した。「国内線の飛行機が墜落するかもしれないということだ」
「本当ですか。場所は」
「六百キロ離れた山間部だ」
「……」絶句する大沼。「遠いですね。残念ながら、我々にはどうすることもできない」
「ああ、救難要請の打診がメガルにもあったが、何ぶん遠すぎる。付近の空港も大雨の影響で欠航状態らしいし、結局、一番近隣の空港に待機させてある全天候型Vトールを向かわせることで話がついたそうだ」
「そうですか。仕方ありませんね」そう述べた後に、大沼が核心に触れようと間合いを詰めた。「で、忍はどういうふうに」
「助けに向かってほしいと言ってきた」
「我々にですか」
「いや、ガーディアンにだ」
「……。ですが今は……」
「そうだ」暗黒の空を見上げ、木場が己の心を切りつける。「俺達にとって優先すべきはプログラムの殲滅とメガルの死守だ。それ以外は何であろうと二の次になる。忍の説明も途中で桔平に遮られた」
遥か彼方で小さな光が浮かび上がる。
ガーディアンはいまだ、得体の知れぬ敵との距離を測りかねていた。
「六百キロ。音速で飛び続けても三十分はかかる距離ですね」腕組みをし、大沼が考えを巡らせる。「救難機がスクランブルしてもすぐその速度に到達できはしないし、相手も常に動いているわけですから、コンタクトには一時間近くかかる。ここからのスクランブルは意味がない。一番近くの空港が百キロ程度だとして、今から準備してスクランブルしても到着まで三十分はかかるでしょうね。山岳部であるならヘリ一択でしょうが、速度面では論外です。しかも辿り着いたところで墜落する機体を助けられるわけではない。第一、この天候だ。うちのVトール機をいかせるのが最良でしょう。その方が救助には役に立つ。あくまでも墜落を前提としての救助ですが」
「そうだな……」木場が憤りを噴出した。「俺達だけで、なんとかできると思うか」
「無理でしょうね」
「ああ……」
木場が無線機に手をかける。
その様子を大沼はまばたきもせずに見続けていた。
「はあ!」
木場からの申し出に礼也が目を丸くする。
並列コクピットの中、何ごとがあったのかと光輔と夕季も顔を向けた。
「何かあったの?」
光輔の問いかけに、目を見開いたままの礼也が答えた。
「今から旅客機を助けに行けってよ!」
「旅客機?」
「墜落しそうなんだってよ。六百キロ先だそうだ」
「六百キロ? 遠っ!」
たった今雷砲を粉砕したばかりの夕季が、疲れた顔を光輔に差し向ける。
「遠すぎる。状況がよくわからないけれど、今にも墜落しそうなら、行っても間に合わないかもしれない」
「六百キロって、こっからどれくらいかかるんだ」
真顔の礼也に夕季も眉間に皺を寄せつつ答えを弾く。
「エアタイプならたぶん十分とかからないと思う」
「あ、そんなモンなの」光輔がほっと胸を撫で下ろす。「んじゃ、早く行ってサクっとさ……」
「でもその十分プラス帰ってくる間に、メガルは全滅する危険性がある」
「……だよね」
「おい、解析の方はどうなってんだ」礼也がややイラつき始めていた。「データよこせってゴリラえもんが言ってきてるぞ。後は自分達でなんとかするってよ」
「無理だよ。現状、メックだけじゃ五パーセント以下の成功確率しか見込めない。とても二十分近くも持ちこたえられるとは思えない」
「おいこら、てめえ、さっきから駄目だしばっかでよ。人命優先に決まってんじゃねえのか。おお!」
「どっちの」
「ああ!」
「その旅客機を助けられたとしても、ここに帰って来た時、私達の知っている人間は一人もいなくなっているかもしれない」
「……」
『それでもやるんだ』
木場の声に顔を向ける三人。
画面の中の木場は、すでに覚悟を決めた模様だった。
「手段がないのなら仕方がない。だが可能性がある限り、一人の命も無駄にはできん」
じっと成り行きを見守る大沼の隣で、木場が揺るぎのない信念を真っ直ぐに打ち立てる。
『だがよ、俺達がいなくなったら、あんたらだけじゃ……』
「その時はその時だ」
礼也の声を遮る木場。
それを見極め、大沼が周囲の部下達に指示を出し始めた。鳳への連絡も。
「メガルがなくなっても、俺達が必ず敗北するとは決まっていない。だが何もしなければ二百六便は確実に墜落する。数百名の命がみすみす潰えることになる。それを防げるのはおまえ達だけなんだ。わかるな、夕季」
『……』
「頼む。今すぐ救出に……」
『駄目だ!』
それは凄みのこもった桔平の一撃だった。
「駄目だ、許可しねえぞ」
司令部特設スペースでマイクスタンドを握り締め、目の据わった桔平が押し殺した声を吐き出す。
その表情は苦悩に満ちたものであった。
「さっき確認したばかりだろう。俺達にとって優先すべきものは何だ。ありゃ血判状みたいなもんだ。覆すってんなら、死ぬ覚悟があるんだろうな、おまえ」
『おい、桔平』
「今、プログラムを何とかしなければ、この先もっと被害が出る。たとえ今何百人かの命を救ったとしても、それでメガルがなくなれば、結局そいつらも全員死ぬことになるんだ。目先の出来事にとらわれて、もっと大事なものを見失ってたら意味がないだろうが」
『だがな……』
「いい加減にしろってんだ! 殺すぞ、てめえ」
『……』木場の表情が厳しさと怒りにまみれる。『桔平、見損なったぞ。おまえがそんなことを言うとはな』
「なんだてめえ、そりゃ!」
『貴様、いつからそんなものわかりのいい人間になった。どちらも捨てられないのなら、両方とも捨てないですむ選択をしろと言ったのはおまえだ。忘れたとは言わせんぞ』
「状況が違うだろうが! わけわかんねえこと言ってんじゃねえぞ、てめえ!」
『状況が違うのは重々承知だ。だがそれでもどうにかするのがおまえではなかったのか。おまえが今しようとしていることは、おまえ自身を否定することになるんだぞ。おまえが今まで必死になって守ってきたものすべてをだ』
「何言っても無駄だ。こいつらは絶対に行かせねえぞ」
『おい、桔平。俺がこいつにだけはかなわないと認めた、柊桔平はどこへいった。何度叩きのめされても、這ってでも敵の喉笛に喰らいつくのがおまえだろうが。たとえ手足をもがれても、ナイフ一本をくわえて嫌らしく笑いながらプログラムに立ち向かうのが、俺の知っているおまえだ。異論は認めん!』
「いったいどうしろってんだ、この状況で!」
『そんなことは知らん! 貴様が必死で考えろ! 失敗を恐れて立ち止まるくらいならば、大城とでもかわってしまえ。奴の方がまだマシだ。あとは個々の問題だ。俺は俺なりに両者を捨てない選択を全力で実行する。たとえ両方を失う結果になったとしても、片方を確実に失う選択だけはせん。おまえの言うことも聞かん! もう決めた!』
「責任も何もない奴が聞いたふうな口叩いてんじゃねえぞ! こっちだって、んなこたわかって言ってんだ! それをてめえ!」
『だったら背負ってやる!』
「……」
『思い出せ、桔平。おまえが本当にすべきことはなんだ。大切なものはなんだ。杏子を助けられなかったことを、誰よりも、俺よりも悔いていたのは、おまえではなかったのか。何の責任もないおまえが、俺以上の責任を誰にも言わずに背負ってきたんじゃなかったのか。このままでは一年前の俺と同じではないのか!』
「……」
睨み合いを続ける桔平から目線だけずらし、木場があさみの顔を確認する。
『聞いたとおりだ、司令官。これから俺は緊急時の特例条項にのっとって、自らの判断で独自に行動する。もし選択を誤ったのならば、当然のことだが後で必ず処罰は受ける。以上だ』
何も答えようとせず、腕組みをしたままであさみが木場の顔を凝視する。
その直視を真っ直ぐに受け止め、木場は回線を遮断した。
「……。くそ!」
拳を叩きつける桔平にちらと目をくれるあさみ。
「いいの?」
「何がだ!」
「……何も」
「じゃ、黙ってろ」
鬼の形相で振り返る桔平に、あさみはそれ以上何も言おうとはしなかった。




