第三十二話 『百人のわからずや・前編』 9. 救難コード受信
それから幾度かの危機を乗り越え、わずかなインターバルが訪れる。
雷砲の間隔はすでにかなり短くなっており、それも数十秒から数分と不規則なものだった。
つかの間の休憩時間を解析に割り当てても、その都度新たな脅威が押し寄せ、集中を切らされる。
それでも短い時間とは言え確実に一服をもうけられる光輔達はまだマシだった。
夕季と雅は常に意識をフル回転させ続ける必要があったからである。
「みっちゃん、大丈夫か」
桔平が心配そうに画面上の雅に問いかける。
雅はやや青ざめた顔で、口もとをへの字に結んで桔平と向き合った。
『ちょっとだけ気持ち悪いけど大丈夫』
「具合悪そうだぞ。本当に平気か」
『うん、体力的にはまだいけると思う。だけど……』
「だけど、なんだ」
『さっき食べたプリンがちょっと上がってきたかも』
「出撃前はプリン食っちゃ駄目だって何回も言ったよな!」
『だってできるだけ栄養補給はしておけって局長さんが』
「そうだったかしら」
『確かプリンは二つまでならいいって言いましたよね』
「言ったかしらね……」
『はい』口もとをニヤリとつり上げる。『三つだったかも』
「言ってないわよ」
『……聞き間違いかも』
「三つ食ったのか、プリン!」
『ええまあ……』
「駄目じゃんか!」
『でもパックに三つ入ってたから。残して傷むともったいないし』
「いやいやいや、駄目だろ、ちょっといい加減にしとけな。頼むから言うこと聞いてくれな。もう子供じゃないんだから。今ちょっとだけ、普段はちゃらんぽらんだけど実はやる時はやるガンバリ屋さんなんだなって思ったけど、なしな! 緊張しすぎて気分悪くなるのも駄目だから、リラックスしてる分にゃいいんだけどよ。もちっとメリハリとかな……」
『その点は大丈夫です。こう見えても、ちゃんとやることはやりますから』胸をドンと叩き、突然、カッと目を見開く。『おえっぷ!』
「……吐いたら自分で片づけるんだぞ」
『それとこれとは話が別です』
「何の話なんだ……」
『またプリンかよ……』
『まただね……』
礼也と光輔が辟易顔を差し向けた。
『学習能力ゼロだな』
『ていうか、完全にナメてるよね』
『ええまあ』
『ドヤ顔かって!』
あきれ顔の桔平がやれやれという様子で嘆息する。
たまたま目が合った忍が、何とも言えない表情で桔平を見つめた。
「夕季、おまえの方はどうだ」
桔平に振られ、眉間に皺を寄せた夕季が顔を向ける。
その表情は明らかに雅よりもつらそうだった。
『大丈夫』
「……大丈夫ってツラじゃねえぞ」
その理由は誰もが知るところだった。
コンタクターである雅への負担を少しでも軽減するために、自らの意思であえて消耗度合を多めに請け負っていたからである。
実際問題として、仮に夕季が一時戦線離脱したとしても他の手段をこうじる選択肢はある。そして夕季の復帰次第で作戦は続行可能である。が、しかし、一旦雅が体調を崩せば、容易にはリスタートもままならないことになるだろう。また不完全な状態で任務を継続すれば、本来のスペックを発揮できないばかりか、ガリガリと体力ばかりが削られ続けることは誰の目にも明らかだった。
そのためコンタクターの温存策は最低限の必須条件でもあった。
負担割合を他の二人のオビディエンサーに振り分けないのにも正当な理由があった。
これからメガルが行おうとするサンダーブレーク作戦の趣旨は、ガーディアンの精度には及ばないものの竜王の感応力を利用して擬似的にホールド状態を作り出し、メックの特装車両に連動させることによって、高精度の追尾機能を持つボールサム・クラッカーと同等の射撃システムを構築しようとするものだった。
それは本来ロックオンできないはずの対象にも有効とされ、雷雲がリリースを展開する前の段階で強制ロックオンさせ、砲撃の後爆散、もしくは消滅させることで、すべての敵からの攻撃を未然に防ぐことが前提となる。
そしてそのプロセスを発展させることで、発現の数秒前の段階で雷の発生を誘発させ、完成に先んじて駆逐することすら理論上は可能とされていた。
言わば予測ロックオンとも呼ぶべきものであり、事象の先読みをし、それに対応することが可能な擬似タイムマシンのようなシステムでもあったのである。
にわかには信じがたい理論ではあったが、オペレーションの根幹に竜王の伝達システムを組み込むことによって、伝達速度の向上とともに、人間の反射速度の限界を遥かに凌駕することが可能になるとのことだった。
エア・スーペリアでの攻撃予測パターンを数十分先まで解析し、その結果をメガルのスーパーコンピュータにプログラミングさせさえすれば、竜王のサポートなしでもライトニングバスター砲を操ること自体は可能である。そうなればその間メガルの防衛をメックに任せ、光輔らはプログラムの実体撃破に専念できることだろう。
だが、その猶予中にプログラムの正体が突き止められなければ意味をなさず、先読みを感知した相手がパターンを変えてくることも充分に考えられたため、実際にはかなり困難だと思われていた。
加えて、メックだけでは人間の反応速度そのものに難があり、それを実現するための絶対条件が、竜王を介してのシステム強化と、ガーディアンによる予測解析だったのである。
とは言うものの、他の何よりも現実的で確実ではあるのだが、作戦的には不確定要素だらけであることは否めなかった。
それとは並行して、もう一つの懸念に関係者達は疑念を抱かざるをえなかった。
この作戦の目的にはあくまでもメガルの防衛、ひいてはプログラムの殲滅という大前提がある。
だがそれによってもたらされるものは、研究者達が日々研鑚し望んでも到達できなかった、自然現象のコントロールと支配の技術的な実現だった。
それまで手をこまねいているしかなかった自然の猛威に対し、介入すれば撃退可能、しかしながら何もしなければ手はずを怠ったという図式ができ上がる。
それはこの先に起こるであろう天文学的な数の災害に対し、メガルが対処するのが当然という世論を産み出すことに直結するものでもあった。
人道的な立場から容認すれば、この先メガルは全世界の災害対応に追われ忙殺されることだろう。プログラムに関わる時間すらも許されず、地球より重い一つ一つの命を盾と人質にして。
今回の緊急招集における臨時役員会議において、あさみと桔平がその場にいた人間達すべてを恫喝してでも周知徹底させたのが、その恒久的な対応方針だった。
いわく、今回の記録のすべては門外不出とし、それを遵守できなかった者は厳罰に処すと。
関連して、これまでよりもさらに肝に銘じろと、プログラムへの対応を第一目的に掲げ、全員に誓約書まで書かせた。
桔平やあさみも含めてである。
クラッカーの発動。
ガーディアンの攻撃精度が徐々に上がるとともに、夕季の疲弊が著しく露呈し始めていた。
『夕季、大丈夫か!』
「平気、……!」
「今、うぷって顔したよね……」
「したな……」
「黙ってて」夕季が二人を睨みつける。「……もう少しでさっきみやちゃんからもらったプリンが出てきそうだった」
「おまえもか……」
「……。甘いものを補充しておかないといけないと思ったから……」
『四つ入りだったから』
「さっき三つ入りって言ったじゃん……」
「真面目なのか不真面目なのかよくわかんねーな……」
「……一応真剣なつもり」
「いや、わかってるけどな……」
「もうしゃべんなくていいよ……」
「うん……」
『四つ入りだったから』
「もういいって!」
「きつそうだな」
桔平の呟きに、忍がそろりと顔を向けた。
夕季らのやり取りを画面上で眺め、桔平とあさみが困惑した顔を向け合う。
「でも彼女にはまだまだ働いてもらわなければいけない」
きっぱり言い切るあさみに、桔平がやや不快そうに顔をゆがめたものの、またすぐにもとの表情へと戻った。
「想定してたよりもかなり余裕がないわね。やはり当初の予定どおり、霧崎君と穂村君をメックのサポートに残して、夕季一人で索敵させるしかない」
「索敵っつっても、闇雲に飛んでても相手の居場所なんざわかんねえだろ」
「そうね」腕組みするあさみが、肩を上下させるほどの深く長いため息を漏らした。「当初はこの段階でプログラムの大元が大体特定できているんじゃないかとたかをくくっていたけれど、思っていた以上に発信元がばらけているわね。雲の端から端。要するにすべての場所に所在の可能性が残ってしまった。さっき言った有効な数よりも外側に、特定しづらい薄い雲が何百キロも無数に散らばっている。もしそこまで含めての話になると、改めてデータを組み込んでからの再計算が必要となってくるわね」
「そんな余裕あるわけねえだろ」
「そうね」
忍とショーンも難しい顔であさみと桔平を見上げる。
「雷の直撃程度なら建物自体はビクともしないわ。むしろあのレベルになるとパルスによる機器への影響の方が問題ね。いくらメガルでも集中的に何度ももらえばもたない。基地も人間も無傷のまま、回路だけがずたずたに切断されて、メガルは二度と使い物にならないくらい破壊される」
「パルス対策なら万全だったはずなのによ」
「ケタが違うわ。世界最強の軍隊をもってしても攻略不可と言われた迎撃要塞も、自然の猛威にはなす術がないってことかしら。或いは」含みを持たせ、ぶすりと刺す。「これが天を怒らせた結果だとすれば、その報復として納得できる仕打ちね」
「くだらねえこと言ってんじゃねえ」
ばっさり切り捨て、桔平がまたディスプレイに向き直った。
「おい、夕季、どんな按配だ」
『何とか三十秒先までは読めるようになった』青白い顔を向ける。『そこまではほぼ百パーセントが見込めるけれど、それ以上になるとまだ自信がない。たぶん今計算できているのでも、何百回か過ぎた段階のやつだと思う。きっとそれ以前はその外側から来ていると思う。もっと深く調べるにはデータを完全に組み直しての再計算が必要』
「そうか、やっぱりな……。再計算する時間は?」
『追いつかない。今でも精一杯。そこまで広げると、対応が間に合わなくなる。せめてもう少し時間があれば……』
「……」
顎に手を当て、桔平が考える。その表情は苦悩だった。
「所詮、予測は予測か……。ション」
「はい」呼ばれたショーンがすぐに不愉快そうな顔つきになった。「……ション」
「バスター砲の射程は」
気を取り直してショーンが資料の検索を行う。
「竜王の増幅機能を元に算出したデータによれば、約五百キロメートルというところです」
「五百か……」
「通常の砲撃兵器の十倍以上の射程です。速度はミサイルよりはるかに上です」
「メックだけだと」
「その五分の一以下のスペックになります。光の出掛かりをサーチしてロックさせるシステムですから、数万分の一秒の遅れですら命中精度はかなり落ちることになります」
「隕石くらいなら全部撃ち落せそうだな」
「理論上はおそらく。大気圏に突入する前ならば、落下エネルギーを完全に打ち消せるはずです」
「ついでにそれで監視衛星の二、三十個くらい壊しておく?」
はあん、と不快そうにあさみを睨めつける桔平。
「やめとけ。それっぱか壊しても、なんの意味もない」
「まあね」
「せめてもう少し余裕ができればな」
「……」
腕組みをする二人が司令室内の巨大モニターへと目をやる。
そこではガーディアン、エア・スーペリアが静かに滞空し続けていた。
暗く立ち込めた空の彼方、遥か遠方での小さな輝きが、脅威の駆除を淡々と告げる。
それがどういう状況なのかを正確に把握できる人間は多くはなく、司令部ではどうリアクションをとるべきか躊躇する者のため息が充満していた。
「夕季……」
『もう少し』
桔平の声をかき消して夕季が口を真っ直ぐに結ぶ。続けて聞こえてきたのは、徒労ともとれるうめき声だった。
『もう少しで見えてきそうなのに……』
誰もが次の言葉を飲み込む。
着実に近づきつつある終焉へ向かい、事態は深刻さを増しながら加速し始めていた。
その時だった。
「司令、政府からの救難コードを受信しました」
忍の声に振り返る特設スペースの面々。
「内容は」
あさみからの確認に、忍は一拍置いてからそれを口にしなければならなかった。
「全邦空国内線の二百六便にエンジントラブルが起きたそうです。徐々に高度が下がりつつあるとのことです」
「それって……」
忍と視線を合わせ、あさみが言葉を封じる。
深刻な様子でごくりと生唾を飲み込む忍に、他の面々は得体の知れない不安を払拭することができずにいた。




