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第三十二話 『百人のわからずや・前編』 3. 手も足も出ない

 


 それは誰も見たことがない光景だった。

 多くの一般職員達が見守る中、フロアのど真ん中で顔を真っ赤にした桔平が縮こまって頭を垂れていたのだから。

 思わず絶句する衆人一同。

 その中で誰はばかることなく、老婦人は桔平への戒めを積み重ねていった。

「まったく、いくつになってもおまえは成長しないねえ。昔から先生にも口答えばかりして、何様のつもりさ」ふいに表情を和らげ、かたわらの大城らに振り向く。「本当にすみません。言うこときかなくて、ご迷惑ばかりおかけして。大変でしょうけれど、みなさん、この馬鹿のこと、よろしくお願いしますね」

「いえいえ……」

 恐縮して顔中あぶら汗まみれの大城が両手を突き出して否定する。

「とてもご立派なご子息をお持ちでさぞかしご自慢でしょうに……」

「とんでもありませんよ、こんなバカちん」パチンと桔平の頭をはたく。「こんないい上司の人達に恵まれて、このバカこそ幸せものですよ」

「いえいえ、そんな、上司だなんてとんでも……」

「まわりの人達を見れば全部わかるんですよ。その人間がどんな人生を送ってきたのかとかも。このバカにはもったいないほど、みなさんがよくしてくださっているのがよくわかります。本当にありがとうございます」

「は、は~……」

「こいつら見てそう思うんなら、まったくあてになんねえな」

 苦虫を噛み潰したような顔になって桔平が重い口を開いた。

「あのな、なんか勘違いしてるみたいだけどな、こいつらは俺の部下で……」

「桔平!」

「ひいいいっ!」

 怒声一発、青ざめる桔平を真正面から睨みつけ、母親は更なる叱責を叩きつけた。

「嘘つきなさんな。こんな立派な人達よりおまえの方が偉いわけないだろ。おまえは昔からそうだ。自分の立場もわきまえずに、目上の人に食いついてばかりで。おかげでどれだけ苦労させられたことか」

「いや、本当なんだってばよ。なあ」

「ええ、まあ……」

「なんだその歯切れの悪い口ぶりは」

「桔平!」

「ひいいっ!」

 その不毛なやり取りはそれからしばらく続いた。


 メック・トルーパーの休息所は、主だった顔ぶれの笑い声であふれていた。

 その中心で笑顔を振りまく桔平の母、柊詠江と、みなと離れて仏頂面を窓の外へと向ける桔平。

「こら、たまには連絡くらいせんか」

「……いや、まあな……」

「お兄ちゃん達はちゃんと連絡くれるのにおまえは電話もよこさんで」

「兄貴達だって全然実家には帰ってねえじゃねえか」

「当たり前だろ。二人とも外国勤めなんだから、そうそう帰ってこられるかい。おまえとは立場が違うんだよ」

「だから、ちゃんと仕送りしてやってんじゃねえか。バカ兄貴どもは今じゃ金もよこさねえんだろ」

「あたしが断ったんだよ。お兄ちゃん達は今一番お金がいる時なんだよ。わかるだろ、それくらい。バカはどっちだい!」

「だったら俺のも断ってくれてもいいんだけどな。何かと金は入り用だしよ」

「おまえは結婚もせんでふらふらしとるだけだろうが。無駄遣いせんようにこっちで預かってやっとるんだ!」

「あ、だったらそろそろ返して……」

「桔平!」

「ひいいいっ!」

 一同がフリーズ状態で見守る中、桔平のメンタルがガリガリと削り取られていく。

 母、詠江の存在は、桔平の人生において、常に最大のウィークポイントだった。

「お兄さん、いたんすか。初耳すね」

 対面で呟いた光輔に、桔平が渋チン面を向ける。

「おお、黒歴史だからな」

「どっちがだい!」

「ひいいいっ!」

 詠江を挟んで光輔の反対側に座る礼也が、何とも言えない、気の毒そうな顔で桔平を眺めた。

「できの悪いのほどかわいいってえからな」

「おまえが言うか……」

「お兄さん、外国勤めなんすか」

 光輔に問われ、桔平が今にも吐きそうな顔を差し向ける。

「そんないいモンじゃねえよ。カナダでちんけな会社二人でやってるだけだ。結構従業員も増えたとか言ってやがったが、わかったモンじゃねえ」

「へえ、すごいすね」

「何がすごいもんかよ。貧乏なくせに奨学金もらって、夜間大学なんぞいきやがってよ。アルバイトしながら家に金入れて、あげくのはてにはまともに就職もしねえで、勝手にITだかパンティーだかの会社始めやがって。ほんと、ヤクザな奴らだってばよ」

「すごく立派な人みたいに聞こえるけど……」

「暴力沙汰で野球部が大会出れねえようなヤンキー校で、兵隊にしかなれなかったような男が言っていいセリフじゃねえな……」

「下は下で県下有数の進学校に行ったくせに進学もしねえで、一旦は町工場に就職したもののすぐに辞めて上の兄貴の手伝いしに出ていきやがってよ。仕送りすりゃいいってモンでもねえだろ。な。ITだかパンティーだかわけわかんねえけどよ、結局俺と同じ高卒だ」

「同じ高卒でもすごく違うような……」

「ITとパンティーの違いがわかんねえ男にゃ言われたくねえわな……」

 はあ、とため息を漏らし、詠江がやりきれなさそうな顔を桔平に差し向ける。

「おまえはいつまでたっても半人前だねえ。少しはお兄ちゃん達を見習いな」

「俺はとっくの昔に百人前だってんだ。あんなクソ兄貴どもと比べるんじゃねえ」

「また頭の悪そうなことばかり言って。だからおまえは近所の人達からも相手にされないんだよ」

「だから、俺が相手にしてねえんだってばよ!」

「負け惜しみだけは一人前だねえ」

「うるせえぞ、クソババア!」

 上半身を乗り出し、パチンと頭をはたく。

「だあ~! バカになんじゃねえか!」

「これ以上どうバカになるっていうんだい。この悪たれ坊主!」

 衝撃的な光景に思わず目が点になるガーディアン・チームの面々。

「桔平さんが押されまくってる」

「さすが、おっかさんだって」

「あの人のこんなところ、初めて見た」

 桔平の左隣でぼそりと呟いた夕季を、礼也と光輔が不本意そうに見つめた。

「……俺達はいつも見ているわけだが」

「……うんうん」

「……。何……」

 恨めしそうな横目を向けた桔平と夕季の横目が合致した。

「……何」

「まったく、おまえには何回泣かされたことか」

 腕組み仁王立ち状態の詠江から顔をそむけ、桔平がささやかな抵抗を試みる。

「嘘こけ。てめえが泣いてるとこなんざ、見たことねえぞ」

「また、おまえは」

 その時、右手を高々と掲げテイクバックの体勢に入った詠江と、スウェイで逃れようとした桔平の間に夕季が割って入った。

 ジロリと睨めつける夕季に、桔平が不快そうな視線をくれる。

「んだ、おまえ」

「自分のお母さんに向かって何てこと言うの」

「ああ!」

「桔平!」

「ひいいいっ!」

 頭をはたく素振りをし、縮こまった桔平をあきれたように見下ろした詠江がため息をつきながら腰を下ろした。

 何とか気を取り直し、再び詠江へと挑みかかる桔平。

「あんたはいつだってそうだ。俺が何やったって文句ばっかでよ。兄貴達にゃエコヒーキばっかしやがって、今まで一回だって俺のこと褒めたことあるのか」

「褒められるようなこともしてないのに褒められるわけないだろが! おまえのどこを褒めりゃいいのか、こっちの方が知りたいよ! お願いだから、一度くらい褒めさせとくれよ!」

「はあ~ん!」

「正論過ぎてグウの根も出ねえな……」

「でもさ、メガルの副局長って実はすごいことだよね」礼也のぼそりに慌てて光輔がフォローを入れようとチャレンジした。「何気に地球のピンチだって何回も救ってるわけ、だし……」

「……まあ、すごいことのはずなんだけどよ」

「うん、すごいことのはず、なんだけど……」

「ちっともすごい気がしない」

 みなの情けない視線が夕季一点に集中した。

「普段が駄目すぎるから」

「このやろ! ガンガンに注目されてる状況でさらに追い討ちかけてきやがったか! 筋金入りの引っ込み思案だったおまえもメンタル強くなったモンだな! さては友達できてチョーシこいてんのか! 嬉しすぎて天狗か! チョーシこい天狗か!」

「うるさいから耳もとで怒鳴らないで」

「はあああっ!」

 パチン!

「ってえな!」

 涙目の桔平の抵抗を詠江が正面から撃ち落した。

「いい加減にしな! いい年してこんな可愛らしい子にまで何噛みついてんだい!」

「……」

 思わずポッと顔を赤らめた夕季に、光輔と礼也の目線が釘付けとなった。

「……可愛らしいって言われて照れちゃってるね」

「……生まれて初めて言われたからすげえ嬉しいんだろうな」

 鬼の形相で、キッ! と睨みつける夕季に、二人の心が思わず後退する。

「ちっとも可愛らしくないね……」

「ねえな!」





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