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第三十二話 『百人のわからずや・前編』 2. 死亡フラグ

 


 メガルのゲート前で立ち止まり、初老の婦人が眼前のだだっ広い敷地をぐるりと見渡した。

 げんなりしたように深く息を吐き出し、ふと目に止まった光景に心が惹かれる。

 うまそうにメロンパンを頬張りながらゲートに近づいていく礼也の姿だった。

「おいしそうだねえ」

 あんぐり口を開けた礼也が顔を向けると、にこにこと笑う愛想のいい老婦人と目が合った。

「……。食うか?」

 今一つ疑心暗鬼ながらも、人のよさそうなおばちゃんであるのと、お気に入りを褒められた嬉しさから、礼也がプレミアム・メロンを差し出す。

「あら、いいの」礼也から受け取り、さっそく一口食してみる。途端に婦人の瞳が少女のように輝き始めた。「まあ、おいしい」

「だろ」鼻の穴を目一杯広げ、礼也が自慢げにふんぞり返る。「ここのは特別なんだよ」

 それ以上の言葉は必要ない。

 礼也が提唱するメロンパン万国共通論が証明された瞬間だった。とてつもなく小さな一歩ではあったが。

 すっかり打ち解け、意気投合する二人。

 礼也が初対面の人間に心を許すのは、極めて異例だった。

「お、すげえな、おばちゃん。これ、あれだろ? 宇宙からでも通話できますってやつ」

 婦人から見せられた新型のスマートフォンを眺め、礼也が目を丸くする。

 頬骨に直接響かせて通話できるため雑音も気にならず、ひそひそ話でもマイクが拾ってクリアな音源に変換するので周囲の迷惑にもなりにくいですよ、といううたい文句の優れモノだった。礼也が言うように発売間もない高額商品なので、持っている人間自体がかなり限られていたわけであるのだが。

「まだ出たばっかで、二十万以上するんだろ、こいつって。金持ちなんだな、あんた」

 すると婦人がやや困った顔になった。

「外国で働いている息子がくれたんだよ。こういう関係の仕事してるみたいでね。これならどこからでも通話できるからって」

「なるほどな。まだこいつを充分いかせる回線が揃ってねえって話だが」

「ちっとも使い方がわからなくてねえ。お兄ちゃん、わかる?」

「お兄ちゃんて。俺もこういうのは……。お、光輔ーっ!」

 礼也も困り顔になりかけた頃合いで、光輔の姿を見かけて呼び止めた。

 結局光輔も交えた三人がかりで説明書とにらめっこしながら、なんとか使用できるレベルまで解析することに成功した。

「おばちゃん、ここの人のお袋さんか」

 一息つきながら、礼也が婦人にたずねる。

 礼也と光輔に菓子を手渡しながら、婦人が嬉しそうに笑ってみせた。

「こっちのは頭のいい方の人間じゃないけどね」

「メックの隊員?」

 受け取った煎餅を早速光輔がくわえる。

「そんな名前だったかね。何もできないけど、ケンカが強いのだけが自慢の、どうしようもないボンクラ息子でね」

「ここはそんなのばっかだからな」くわえた煎餅をぷらぷらさせ、礼也が腕組みをしてみせた。「んで、自分がたいしたことないのにようやく気づいて、急にへこへこ愛想振りまき始めちゃうんだって」

 それを受け、婦人がややバツの悪そうな顔になる。

「なんだか出世して偉い人になったとかミエミエの嘘ついてるから、一度叱ってやろうかと思ってね。本当、頑固者でミエっぱりの駄目息子で困っちゃうよ。誰に似たんだか」

「そいつは確かにイテえな。でもよ、実際の偉い奴らもたいしたことねえボンクラばっかだからな」ふ~ん、と礼也が唸る。「副局長とか特によ。ありゃ、実にイテえ」

「ああ、そんなようなこと言ってたかね。副隊長だったかね?」

「副隊長の人?」光輔が礼也の顔を見た。「まあ、副局長っていったら、一応ここで上から二番目だからさ」

「一応な」

「うん。副隊長って何人いたっけ」

「たぶんそっちだね。今はあさみちゃんが一番偉い人みたいだから」

「ん?」

「ん?」

 二人が顔を見合わせた。


 フロアではおなじみの光景が繰り広げられていた。

「おまえらはホウレンソウがねえんだ。報告! 連絡! 相談! こんなの基本だろ!」

 キンキンにヒートする桔平の前で頭を垂れて萎縮する二人組。かつて何たらのナイフと呼ばれ、今ではすっかり牙を無くしてしまった大城室長とその取り巻きだった。

「なんで勝手に決裁通してやがんだ。直で局長んとこいって、あらかじめ俺がいいって言ったってことになってるってな、どういうこった。俺が怒られたじゃねえか! 日頃の行いが悪すぎてすっかり信じちゃったわよ、って、俺のキャラに勝手に駄目押し付け加えやがって!」

「副局長のお手を煩わせては申し訳ないと思いまして……」

「ふざけんな!」

「ひいい!」

「俺をナメてやがんのか」

「いえいえ」

「何がイエイエ~イだ」

「いえ……」

 ねっちり拘束され、ようやく桔平から解放された大城が、それまでの渋チン顔から本来の傲慢さを取り戻す。

「何様のつもりだ。あのバカ者は」

 取り巻きの輩に不満を爆発させる。

「私がどれだけここに貢献しているのか、想像もできんのか。あんな男は組織に必要ない。かわりならいくらでもいる。誰でもできる。本当に必要なのは、我々のように下から組織を支える人間達なのだ」

 それを聞かされる人間の顔に表情はなく、話も右から左だった。

「あの、そろそろ出張の準備もしませんと……」

「プレゼンなんぞ、適当にまとめとけ」

「はあ……」

「ん?」

 何かに気がつき、大城の目がキラリと光る。

 切れたナイフの切れ味を取り戻した瞬間だった。

「あ~、そこの方」

 トイレから出てきたところで声をかけられ、婦人が振り返る。

 そこには厳しい顔で睨みつける大城の姿があった。

「ここの人間じゃないでしょう。何やってるの」

 途端に婦人が恐縮顔になる。

「あ、すみません。ちょっとおトイレに」

「そういうことじゃないでしょう」

 大城が語気を強めると、婦人の表情が緊張の色につつまれた。

「ここは一般人が簡単に来るようなところじゃないって言ってるんだ。当然許可証はあるんだろうね。見せて」

「いえ、許可証は持ってないですけど……」

「ちょっと待ちなさい。許可証もなくここに入ってきたのか。ここがどういうところだか知らないのか。国の機密だらけの場所なんだぞ。ゲートチェックはどうなっている! 誰だ!」

「受け付けで今回は特に必要ないと言われましたので……」

「そんな話があるか!」

「あ、息子がここに勤めていますので、顔を見に……」

「そんなことは関係ない!」

「……」

「ちょっとこっちまで来てもらおうか。いろいろ聞きたいこともあるから。その息子っていう人間の所属場所は」

「所属はよく知らないんですけど、メック・トゥールバーとかいうところにいるはずです」

「メック・トルーパーだ」

「……すみません」

「メック・トルーパーの身内か。まったく。名前は」

「あ、それなら、身内用の証明証ならあります。名前はひいらぎ……」

 大きな旅行バッグの中から証明証を取り出そうとするが、荷物を詰め込みすぎていて、中々目的物に到達できなかった。

 その時、光輔の大声がフロア中に響き渡った。

「あ~、いたいた!」

「ああん!」と振り返る大城。

「駄目だよ、おばちゃん。こんなとこに来ちゃ」

 近寄って来る光輔目がけ、大城のピリピリ視線ビームが炸裂した。

「なんだ、君は!」

 その迫力に光輔が一歩退く。

「あ、えっと……」

「穂村君ですな」

 取り巻きの声すら、今のヒートアップ大城には届いていなかった。

「穂村? 財団の物乞い連中か」

「いえ、そうじゃなくて……」

 その直後に事態は大きく動いた。

「おい、光輔、いたか。お?」

「ん?」

 礼也の姿を認めた瞬間に、大城の顔色が豹変する。

 さっと目をそむけ、こめかみを伝う汗をハンカチで拭った。

 カチャカチャと現況整理と対応策を計算し始めるが、出てくるのは先の知れた未来を認めようとしない脂汗だけだった。

「おばちゃん、駄目だろ。勝手にうろうろしちゃよ。ここはいろいろメンドくせえとこなんだから」

 まったくもう、という様子で礼也が腰に手を当てる。

 すると婦人は顔がなくなるほどの笑みを浮かべ、礼也を見つめた。

「ごめんなさいね。ちょっと忘れ物をしたかと心配になっちゃって」

「ふんとに、もうよ。俺らはアイ・パスですむけど、おばちゃんは証明証なくしたら簡単には出れねえからな。あれに全部記録してあんだからよ」

「ああ、こうやってちゃんと持ってるから大丈夫だよ」

 すっかりしまい込んだバッグの奥から、プラスチック製のカードを取り出す。

 メック・トルーパーを始めとする特定の勤務者の家族にだけ発行が許される、登録制の磁気カードだった。ちなみに審査はかなり厳しく条件も限定されていたため、誰もが持てるようなシロモノではなかった。そのため一般職員の家族が出入りするには、忘れ物の弁当一つ届けるだけでも数箇所で三枚以上の書類に記入して許可証を受け取る必要があり、その面倒くささから多くの職員が自ら敷地の外へ出向くという選択をするほどだった。

「ちゃんとすぐ出せるとこに持っとけって。一緒に入った俺らの責任にもなっちまうからよ」

「ああ、ごめん、ごめん。やっぱり入り口のところで書類書いた方がよかったかね」

「必要ねえって。あんなメンドいの。せっかくカード発行してもらってんだからよ。おばちゃんは特別扱いなんだって」

 そのやりとりをちらちらと盗み見する大城を、光輔が不思議そうに眺めた。

 光輔と目が合い、逃げるように顔をそむける大城。こそこそっと取り巻きに耳打ちした。

「おい、あっちの子供は誰だ。霧崎と一緒にいる」

「いい加減に覚えられたらいかがですか」

 あきれたように告げる取り巻きに、大城の目が点になる。

「穂村光輔君ですよ。何回もここに来ているじゃないですか」

「何!」大城の目がカッと見開かれる。「誰だ?」

「おい、あんたら、このおばちゃんになんか用か」

 ふてぶてしい礼也の物言いに、愛想のいい二人が朗らかに振り返る。

「いえ、用ってほどのことでもないのですが」

「私が入っちゃいけないところに迷い込んじゃったらしくてね。この人達に謝ってたところなんだよ」

「あ!」駄目駄目~、と扇ぐように両手を上下させる。「いえね、この人が迷ってるようでしたので、ご案内してさしあげようかと思って……」

「あ、そうだったんですか。ご親切にどうも」

「ふ~ん」素直に礼を言いお辞儀をする老婦人の背中越しに、焦る大城らに明らかな疑いのまなざしを向ける礼也。「だったらいいけどよ。ま、メンドくさいことになんなくてよかったな、あんたら」

「は?」

 その時、再び災難が舞い戻ってきた。

「あー、おい!」

 フロアの向こう側から響き渡る桔平のがなり声に、二人がビクンと身体をすくませる。

「もう一個思い出したぞ。おい、またやりやがったな。さっきなんで黙ってた」

「ひいい!」

 子供のようにゲンコツをハア~、とする桔平に、子供のように震えあがる大城ら。

 しかし三度目の災難は思わぬ方向からやってきた。

 桔平の身に思いもよらぬハプニングが起きたのである。

 身の毛もよだつと言った方が的確な部類のいかずちが。

「桔平!」

 聞き覚えのある声にビクンとすくみあがり、おそるおそる振り返る桔平。

 そこに飛び込んできたのは、礼也と光輔に案内されてきた老婦人の、つり上がった表情だった。

「……お袋」

「こうなるとは思ったけどね……」

「ベタベタだって……」




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