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第三十二話 『百人のわからずや・前編』 1. 降り立つ人物

 


 眠い目を何度もまたたかせながら、夕季は校門を通り抜けた。

 あくびをしようと口に手を当てたところで、誰かの視線に気がつき振り返る。

 どこか不安げな様子できょろきょろと周囲を見回していると、視界の外側から笑顔が飛び込んできた。

 水杜茜だった。

 固まってしまったような夕季の顔に、戸惑う茜も同じ表情になった。

 無表情の二人が見つめ合う。

「……どうかしたの」

 茜がそう言うと、夕季がようやく呪縛から逃れたように肩の力を抜いた。

「誰かに見られていたような気がしたから」

「……。あたし、かな?」

「……」

「びっくりさせようと思ってこそっと近づいてきたから」

 茜が少しだけ困った素振りで眉を寄せて笑う。

 夕季も眉を寄せ、困った顔を茜に返してみせた。

「誰かに呼ばれたような気も……。勘違いだったみたい」

「ああ」にっこり笑う。「おはよう、古閑さん」

「……おはよう」

 戸惑いながら挨拶を返す夕季を楽しげに眺め、茜は両手でカバンを持ちながら夕季と並んで歩き出した。

 微妙な表情でそれを受け入れる夕季。

 当然のことながら、制服は夕季と同じものを着用していた。

 特に会話が弾むわけでもなかったが、茜は夕季の横顔を見つめながら、他愛もない話題を嬉しそうにリリースしてきた。

 茜の姿を見かけ、同級生と思しき輩が何人も挨拶をしてくる。男女隔てなく声をかけてくるところをみるに、茜はすっかりクラスになじみ人気者になっている様子だった。

 見覚えのあるその顔ぶれは、夕季が一年間ともに過ごしてもあまり心を開けなかった学友達でもあった。

 クラスがえによる変動はほとんどなく、他のクラスと比べ内向的なイメージの選抜クラスにもすんなり溶け込み、級友達に嬉しそうに笑顔を返す茜を、夕季は不思議そうに眺めていた。

 夕季に見られていることに気づき、茜がわずかに首を傾げる。

「どうかした」

 そう言って微笑みかける茜に、夕季は焦ったように顔をそむけることしかできなかった。

「別に……」

「別にかあ」長い髪を揺らし、あはは、と笑う。「古閑さんって、おもしろいね」

「!」

 妙な雰囲気を感じ取り、夕季が慌て始める。

 笑顔に包まれた茜のまなざしの奥に、つかみきれない得体の知れない何かを見たような気がしたからだった。

 どこか雅に似た何かも。

 昇降口まで辿り着き、手を振って茜が自分達のクラスの下駄箱に向かおうとする。

 ほっと胸を撫で下ろした夕季が自分の下駄箱の蓋を開いた瞬間、その背筋がぞくっと総毛だった。

「どうかした」

 硬直してしまった夕季の様子に違和感を覚えた茜が、後ろからこそっと顔を出す。

「べ……、何も……」

 そう言って振り返った夕季の顔がこわばっていたことを不思議に思い、茜が下駄箱の中を覗き込んだ。

 途端にぱああっと目を見開く。

「うわっ、すごっ!」

 きらきらと瞳を輝かせ続ける茜を、夕季は困った表情で見続けるだけだった。


「はあ……」

「はあああ~……」

 自宅で同時にため息をつき、夕季と忍が困った顔を見合わせる。

 より深いため息をもらした忍の方が、優先権を夕季に譲った。

「どうかしたの。ため息なんかついちゃって」

 忍に問われ、眉を寄せ口をへの字に結んだ夕季が、カバンから封筒の束を取り出した。

 そのおそらくは好意的な類であろうと思われる文章の塊を、二人でじっと見つめる。

「どうすればいいの」

 泣きそうな顔を忍へと差し向ける。

 すると忍はやや困った様子でそれを見つめ返した。

「どうすれば、って、せっかく書いてくれたんだから、読んどいたら。中には気に入った手紙とかあるかもよ」両手を腰に当て、ふ~ん、と唸る。「初めてもらったの?」

「……前にも少しはあったけど、学校新聞に載ってから急に増えてきた。今日だけで四通」

 内容は以前に読んだものと大差ないだろう。

 体育祭での雄姿に惚れたという文面から始まり、やれかっこいいだの、やれお姉さまがどうだの、やれバトルガールがどうのと、男女年齢問わず。

「……。ねえ、返事、書かなくちゃいけない?」

「前はどうしてたの」

「ほとんど読まないで捨ててた」

「ひど。だったらまたそうすれば?」

 なかば呆れ気味に忍が吐き捨てる。

 その、この野郎め、という顔に、夕季が心からの悩みのまなざしを向けた。

「……。無視して逆恨みとかされたら面倒だなって思って」

「あたしの時はそんなのなかったけど」

 その小さなプライドに、当然夕季は気づかない。

「変に気を持たせるのもどうかなだから、いいと思うよ」

「でも手書きの人もいるし」

「普通ラブレターって言ったら手書きでしょうが」

「……。お姉ちゃん、昭和の人みたい……」

「何言ってんの!」忍がカッと目を見開く。「びっくりしたな、もう」

「……ごめん」

「一応、中だけはチェックしておいた方がいいかもね」

「うん。……女の子のとかもあるし」

「……。半分くらい?」

「半分以上……。お姉ちゃんももらってたの?」

「……」自嘲気味に笑う。「ふふ。過去の栄光ってやつですかい」

「……」

「まあ、大半はお姉さんになってくださいってやつだったけど……」

「……。それ、おんなじかも」

「上級生の男の子から!」

「一年の女の子達。……うん?」

「だよね~! やっぱさ!」

「……」

「でも、本当に伝えたい人にだけは、気持ちって伝わらないものなんだよね」

「……。そうかも」

「あれ?」淋しげに顔をそむけていた忍が、途端におもしろそうに笑いながら振り返った。「てこた、やっぱいるんだ。好きな人」

「……」はめられた、という様子で、夕季がムッとなった。「木場さん」

「ちょっ、おま、ちょっ、ちょっと、あんた、それって……」

「嘘だけど」

「……」忍の目がすわる。薄汚いものを見るように、夕季を見下ろした。「今日久しぶりにカレーにしようと思ったけど、ヤメるからね」

「……」再びムッとなる夕季。一触即発の表情だった。一瞬だけは。「ごめんなさい」

「ほんとに好きだよね……」

「……久しぶりだし」

 悲しそうな顔でうつむいた夕季を眺め、忍が、ははっと笑った。

 そう言えば、と夕季が顔を上げた。

「お姉ちゃんも何かあったの。すごく切実な様子だったけど」

「ああ……」夕季に問われ、忘れかけていた愁いを取り戻す。「ユーニンのCDボックスが出るんだけどさ、高いんだよね。十万だって」

「……」

「さっきテレビでやってたんだけど、特典で記念コンサートのブルーレイディスクが付いてるの初回だけなんだって。欲しいけど高いよねえ、十万は。こんなに悩んだの、久しぶりだよ。あ、税抜きだったよ! ……そりゃそうか」

 真顔で注目している夕季に気づき、忍が不思議そうに覗き込んだ。

「どうかしたの」

「別に……」がっかりした気持ちが表情からあふれ出る。「実に切実だと思って」

「ほんと、久しぶりだよ、こんなに悩んだの。いつ以来だろ。もう何年も前の気がする」

「ゴールデンウィークの前にもそんなこと言ってなかった?」

「そうそう! ヴァン・ダムのDVDボックス以来だよ。ゴールデンウイークにさあ、一気観しようと思って、ブルーレイにしようかどうか迷いに迷って、結局DVDの方買っちゃったんだよねえ。あの時もさんざん悩んだんだけどさ、今思うとあれって、木場さんが観たくてうまく乗せられちゃった感じがするなあ。デジタルリマスターだからいいぞとか言ってさ。あれもさ、木場さん、ブルーレイだと自分が観れないのもあったんだよ、きっと。そう言えば、いつ返してくれるんだろ。あたしまだ全部観てないのに。夏のボーナスでブルーレイ・プレイヤー買っちゃったから、今思うと失敗だったなあ。ブルーレイの方が綺麗なんだよね。最近レコーダーの調子も悪いから、いっそブルーレイのレコーダーにしとけばよかったかも。最近よく予約録画失敗するんだよねえ。失敗したの、みやちゃんがちょうど観たかったとか言って観てる時もあるから、まあいいっちゃいいんだけどね」

「それ、失敗してないと思う」

「たまにみやちゃんが、間違って予約キャンセルしちゃった、って後から教えてくれる時もあるけどね。その日にどうしても観たいのあったから慌ててたみたいでさ。仕方ないよね」

「……」

「やっぱり冬のボーナスで買おうかな。ダブルで録画できるの。そしたら勝手にみやちゃんに予約キャンセルされなくてすむしね」

「二つとも予約されると思う」

「はあああ。清水の舞台から飛び降りたつもりで、分割購入にしようかな。十二回払いの。あ、でもボーナス返済もからめればもっと早く……。あれ! 待てよ! それだとさ、レコーダーが! ……いやいや、ないわ~」

「……。カレー、忘れちゃ駄目だよ……」


 あくびをひきずりながら桔平がコントロール・ルームに出勤する。

 そこで始業時間前にも関わらず、すでに端末の入力作業をしている忍の姿を見かけた。

「お、張り切ってやがんな」

 くるっと振り返り、忍が凛々しい表情を向ける。

「ええ、買いたいものがあるんです。目標ができると俄然やる気が出てきますよね。ばりばり仕事して、その上でしっかり節約して、欲しい物を必ずゲットしますよ」

「へ~……」あくびをかます。「まあ、申し訳ねえがもとがメック扱いだから、どんなに頑張ってもション達総合職には給料じゃ勝てないんだがな」

「そんなこと関係ありませんよ。働けるって素晴らしいことですよね」

「おまえはほんとに優等生だな。まさに働く人達の鑑だな。さすが古閑先生」

「はあ!」

「謙遜すんなって」

「してねえですよ!」

「ったく、おまえらは姉妹揃って照れ屋だな。俺は日本中の怠け者のみなさんがおまえらのことを手本にして見習ってくれたらいいのにと心から思うぞ。おまえらは近代日本が忘れてしまった、勤労感謝の塊だな」

「いえ、そんな……。勤労感謝の塊ですか?」

「他にたとえようがねえだろ。昔で言うところの金の卵だな。略してキンタ……」

「略さなくていいです!」

「ほんと、立派だよな。で、何、欲しいんだ」

「ユーニンのCDボックスです」

「……そう、でもねえか……」

「ユーニンですよ、ユーニン!」突如として立ち上がり、目を剥いて忍が食いつき始めた。「ハモってあげたいとか、やさシーサーにつつまれたならとかで有名な、あのユーニンです! 本当にわかってるんですか!」

「やさシーサーってなんだ……」

「ユーニンですよ、何言ってるんですか!」

「いや、わかってるって。あれだろ。中央フリーメイ○ンとか、あの日で帰りたいとかの……」

「何言ってんですか! なんでユーニンが秘密結社のテーマソングを唄わなきゃいけないんですか! わけわかんないこと言ってたら本当に消されますよ! あの日で帰りたいってシモネタにもほどがあるでしょーが! あの日ってどの日ですか! 信者が暴動起こしますよ! あ~、ヤバい、ヤバい!」

「おお、やけに活き活きしてきやがったな」ほほお、と笑い、ビッと指差す。「おまえ、実はシモネタどんとこいだろ。女子力ほとんどねえくせに」

「なんですか、それ! ユーニン、ディスってんですか!」

「いや、ユーニンは全然ディスってねえんだけどな……」

「あんまり心無い書き込みばかりしていると炎上しますよ!」

「書き込みはしねえから安心しろ。熱心なのはよくわかったから、くれぐれも他のファンに迷惑かけるなよ」

「大丈夫です」キリッと真顔になる。「私はそういう人達とは違いますから」

「……そうか、まあ頑張れ」その迫力に、桔平が一歩後退する。「で、いくらくらいなんだ」

「十万円です」

「十万! 高っ!」

「それも税別でですよ。税金と送料プラスして代引き手数料込みなら、ほぼ十一万コースですよ」

「高額商品なんだから送料はただにしてほしいよな。カード払いにすれば手数料はかかんねえだろ」

「カードは怖いので使いません。いつもはコンビニ受け取りなんですけど、今回は駄目みたいで」

「おまえらしいな……」

「しかも振り込みでの支払いは分割でもコンビニでできるのに、受け渡しは駄目っていう謎仕様なんですよ」

「そういうものなのか?」

「あっと驚くタメゴローですね。桔平さんももっといろいろ調べた方がいいですよ。知らないで損するのは自分ですからね。常に新しいことにチャレンジしていかないと、時代に取り残されちゃいますよ」

「そういうおまえが昭和テイスト丸出しなんだけどな」

「何言っちゃってんですか」またまたあ、という顔で桔平を眺め、どっかりと椅子に座る。「よっこいしょういち」

「いや、教えた俺も悪かったが……」

「こうなったらなんでもやります。残業もしますよ」腕まくりをし、ふんごー! と鼻息を荒げた。「さあ、なんでも言ってください。さあ、さあ!」

「……んじゃ、ヴァン・ダムのDVD貸してくれ」

「それは無理です」

「ええっ!」


 山凌市近隣の空港に一人の人物が降り立った。

 両手に大荷物を持ち、穏やかな笑みをたたえた初老の婦人。

 そのまなざしの奥に宿る激しい光を、誰一人見抜くことはなかった。





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