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第三十二話 『百人のわからずや・前編』 OP

 


 少年は母親の隣でずっと横を向いていた。

 相手方の玄関先で、申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げる母から顔をそむけ、壁を睨みつけるように。

 帰りしな、厳しい顔で母親が少年を問い詰める。

「どうして乱暴したの。まあ君、あんなに顔腫れてたじゃないの!」

「気に入らねえからだ! あいつは嫌な奴なんだよ」

「だからって手を出すことないでしょ。口で言えばいいだろ」

「口で言ったってわかんねえ奴だからしょうが……」

「ちゃんとこっち向きな!」

 母親に肩をつかまれ無理やり正面を向かされた少年が、ぐ、と歯を食いしばる。

 その顔に反省のかけらもないことから、母が深いため息を漏らした。

「どうしておまえはそうなんだろうねえ。上のお兄ちゃん達はお父さんに似て優しいのに」

 母の言葉に少年がカッとなる。

「あんな奴ら、ただの腰抜けじゃねえか! ケンカの一つもできねえくせによ!」

「なんだって!」

「あんな親父のどこが偉いってんだ! いつもへらへら頭下げてばっかでよ、俺らの前でだけ偉そうにしてやがって」

「なんてこと言うんだい、おまえは!」

「だってそうじゃねえか! 言いたいことも言えねえで、うちでグチばっかでよ、いろんなモンためて、我慢ばっかしてやがって、そんで俺ら置いて勝手にポックリいっちまったんじゃねえか! おかげで残った俺らがこんな苦労してんじゃねえのかよ!」

「いい加減にしな!」

 厳しい表情で母親が右手を高々と掲げる。

 たしなめられても、顎を引いた姿勢でなおも睨みつける少年。

 停止した時間は、乾いた打音と振り下ろされるいかずちによって幕引きした。


           *


 薄く広大な雲の群が一つにまとまりつつあった。

 風もないのに、誰にもわからないほどの速度で極めて緩やかに。

 やがて濃度を増したその中心に小さな光のかけらが発生する。

 それを隠すように、守るように、雲の膜が幾重にも巻きつけられていった。





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