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第三十一話 『深い森の中で振り返った羊』 8. 四面楚歌

 


『ぶっ殺してやる!』

 言うやいなや、陸竜王が腰だめの姿勢からナックルダスターを空竜王目がけて撃ち放つ。

 躊躇のないそのアクションに、夕季は飛び上がって鋼の砲弾を避けるのが精一杯だった。

 礼也の連続攻撃を紙一重でかわし、咄嗟に光輔との交信を試みる夕季。

「光輔、礼也がおかしい……」

 が、藁にもすがる思いで振り返ったその眼前を銀色のフッカーが通り抜けていった時、すべてが無駄であることを悟らされたのだった。

『夕季、今助けてやるからな。大人しくしてろ』

「……光輔」

 煌々と黄橙色の光を放つ妖しげな両眼。漆黒の闇色にペイントされた海竜王のその体躯は、礼也同様、もはや交渉の余地すら見出せないしろものとなっていた。

 ぬめりと輝く銀色の槍を紙一重で避ける夕季の空竜王。

 そこへたたみかけるように礼也の陸竜王が飛びかかってきた。

 繰り出された拳をカミソリ一枚の間合いでかわしたところへ、海竜王のフッカーが足に巻きつき、空竜王が振り回される。

「あああっ!」激しく脳がシェイクされるのを、夕季は歯を食いしばって耐えるしかなかった。「く!」

 闇雲に振り回したブレードで何とかチェーンを切断し、よろめきながら立ち上がる。

 すかさず背中に訪れた衝撃に、空竜王は市民公園の大池まで弾き飛ばされることとなった。

 真紅に染まった怒りの巨人を駆る、礼也の放った一撃だった。

「くっ!」離脱のために飛び上がろうとしたところを、乱れ撃ちのダスターの一片が頭部にまともにヒットし弾き倒される。「ぐ!」

 どこからくるかわからない二体の連携攻撃に、夕季は目まぐるしくかわる状況を整理し続けるだけで精一杯だった。

 池の中でしりもちをつき、真横から襲撃してくる光輔の長爪を転がりながら避ける夕季。

 この世の何ものよりも硬質で鋭利な尖端が、空竜王の胸元を彫刻刀よろしく削り取り、抉り飛ばしていった。

「!」

 のけぞり、退いた一歩で踏み止まるも、気配に気づいて振り返ると、太陽を背にし大きく跳び上がって拳を振りかぶる陸竜王の姿が、視界一杯に飛び込んできた。

 余裕など微塵もなく、ギリギリのタイミングで夕季が陸竜王の燃え上がる拳を顔の真横にそらす。

 勢いそのまま、一直線上で交錯した陸竜王と空竜王が、爆発音を撒き散らしながら激突した。

 弾かれ、倒れ落ちるエネルギーで地面を激しく揺すぶるとともに、拳が突き刺さった地面が大きく陥没する。

 背中をシートに思い切り叩きつけられ、夕季の全身が大きく跳ねた。

 シールドの発生している状況下ではあったが、ヒリヒリする焦燥感ともあいまって、身も心もダメージは蓄積し続けていた。

 顔中汗にまみれ、歯を食いしばって、懸命に覆い被さる陸竜王を引き剥がす夕季。

 その目の前には、止めたままの呼吸を再開する間もなく、海竜王のシルエットが立ちふさがっていた。

 最少の動作で光輔がフッカーを突き立てようとするところを、跳び退いて回避する夕季。

 降り立った背後にはすでに礼也が待ち構えていた。

 詰め将棋のように追い詰められ、背後から陸竜王に両腕をつかまれて、夕季が窮する。

『逃がさねえぞ』

「く!」

 正面から海竜王が高速で迫りつつあった。

『やれ、光輔!』

 無慈悲な礼也の断罪宣告。

 もはや二人にとって、夕季は敵としての対象でしかなかったのである。

『礼也、しっかり押さえてろ』鈍く輝く凶悪なる長爪を振りかざし、光輔が哀しみをたたえた声を押し出す。『苦しいだろ、夕季。今、楽にしてやるからな』

 それが光輔という人間の本質から滲み出る哀しみであることを見抜き、夕季の心に複雑な感情が交錯する。

 気の迷いはあれど、光輔は心の底から夕季の身を案じ、また己の身を引き裂く想いでそれに至ったであろうことは容易に想像できた。

 表面に出る態度は違うものの、礼也も同じであることも。

『光輔、覚悟を決めろ。残念だが、こいつはもう俺達の知っている夕季じゃねえ。こいつを救うには、これしか方法がないんだ』

「く!」

 心を強く持ち続け、夕季が渾身の力で伸び上がる。

 翼を広げて飛び立とうとすると、紙一重で脇をすり抜けたフッカーが陸竜王にヒットし、その右肩を貫いた。

『ぐあっ!』

 ダメージを受けて退いてもなお大地に埋めた両足で踏み止まり、陸竜王は空竜王の右手を離さないでいる。

『ぜってー離さねえぞ!』

 飛び立ち離脱すべく、陸竜王を引き剥がそうとする夕季。

 何度も蹴りつけようやく陸竜王を押しのけたところへ、海竜王が果敢にダイブしてきた。

 公園の大池の中で水柱を噴き上げながらもみ合いになる二体の竜王。

 力勝負になれば、非力な空竜王は分が悪かった。

 海竜王に顔を鷲づかみにされ、空竜王が水面に押しつけられる。

 打撃音が池全体を揺らし、中心部から広がった波紋が周囲のベンチまで捲くれ上がった。

「く……」打開策を求め、もがく夕季。「光輔、ごめん」

 ブレードを海竜王の額に突き立て、のけぞったところを、空中に逃げようと空竜王が翼を展開した。

 背後から追いかけてくる溶岩の塊のようなナックルダスターがつま先をかすめ、背中に冷たいものが走り抜ける。

 全身、汗まみれだった。

 上昇し、ようやく安全な距離を取ることができて、夕季がほっと一息つく。

 そこへ心配そうな桔平の声が飛び込んできた。

『夕季、奴ら相手に二対一じゃ不利だ。このままじゃ捕まるのも時間の問題だ。奴らにかまわず空からオセだけを狙え』

「了解。……!」

 精も根もつきはて、安堵の汗を拭った夕季のもとに、新たなる刺客が訪れた。

 地上からの一斉攻撃。

 木場達、メック・トルーパーのものだった。

『撃ち落とせ、あれは魔獣だ!』

『俺達の家族を苦しめるあの魔獣を倒せ!』

『魔獣の手から、大切な人間を守るんだ!』

『決して逃がすな!』

『俺達が倒す!』

 夕季が目を細める。

 夕季には彼らが何を見たのかがわかっていた。

 そしてそれを自分が見てしまった時に、今のように冷静でいられる自信がないことも知っていた。

 もし忍や綾音が自分をかばって死に、その魂が苦しみを訴えかけてきたとしたなら、自分には何もできないだろうことは充分考えられたからである。

 永遠の苦しみを訴え、助けを求める、かつての愛すべき人間達。

 それに刃を向けられるほど、己が強くないこともよく知っていた。

 ただ一つ、桔平の支えだけが頼りだった。

『夕季、しっかりしろ! 自分を信じろ!』

 すべての迷いを断ち切り、夕季が心を決めた。


 司令室特別スペースでは、桔平が固唾を飲んでディスプレイの中の出来事を見守っていた。

 仲間同士が争い合うその悪夢のような光景に、何度も生唾を飲み込み戦慄する。

「おかあさん……」

 嘆き声に耳を傾けると、忍が椅子から滑り落ち両膝をついた格好で、自分の身体を抱きしめていた。

 震える瞳から涙がこぼれ続ける。

「お母さん、苦しいよね。お父さんなら無事だから……。……心配しないで。……。……夕季は、私が……。そんな顔しないで……」

 くっ、と言葉をつまらせると同時に、涙が滝のようにあふれ出た。

 それだけで桔平には、忍の見ている光景が透けて見えるようだった。

 死の間際、幼い自分達を気にかける母を心配させまいと、すでにこの世にない父の存在を隠し、気丈に振る舞う忍。まだ言葉すら話せない小さな夕季を抱きしめ、泣きながら笑ってみせているのだろう。

 ショーンも同様に号泣し、亡き父への謝罪を繰り返していた。

「パパ、僕は大丈夫だよ。ママも……」

 もし自分ならば、と桔平が考え始める。

 スクリーンに目を向けると、やはり少女の姿のあさみが白もやの中に浮かび上がっていた。

 中学生か高校生か。出合った頃のようにも思え、もっと成長した姿のように見えることもある。

 一つだけはっきりしていることは、今のあさみからはまるでかけ離れた容貌であり、それを見ていたのが少年期の桔平自身であろうということだった。

(桔平君……、桔平君……)

 その声は脳内に直接語りかけてくるようだった。

 苦しそうな声。

 それでも幻影のあさみは桔平を真っ直ぐ見つめ、笑顔を向けようとしているように見えた。

 まるで桔平を心配させまいとするように。

(大丈夫だよ、桔平君……。大丈夫……)

「!」

 あることに気がつき、桔平の胸に痛烈な楔が突き刺さる。

 もし幻影を見る人間の目に現れている人物が、苦しみから逃れようと助けを求めたり、見る者を責めているわけではなく、悲しみ嘆く相手を気遣い、優しく温かく見守っているのだとしたらと。


 雑念を振り払い、白けたもやの中に数知れぬ魂を浮かび上がらせるオセと、一撃の間合いを隔てて向かい合う夕季。

 何が正しいのかさえわからないこの状況下で、桔平の支えだけを頼りに己の感情を封じ込めようとした。

 それがどんな結果につながろうと、すべてを受け入れる覚悟のもとに。

 が、この悲しい茶番を終わらせるべくブレードを振りかぶった時、オセの姿にそれまで見られなかった変化が現れた。

 魔獣がある人間の姿に形を変えたのである。

「!……」

『どうした、夕季、何かあったのか!』

 桔平の声も耳に届かない。

 それははっきりと知っていたわけではなかったが、どこか見覚えのある顔だった。

 夕季や忍によく似た、優しそうな顔。

 様子のおかしい夕季に気がつき、司令室で見守る桔平が眉を寄せて生唾を飲み込む。

 嫌な予感がしていた。

「夕季、大丈夫か!」

『……お、かあさん……』

「!」

 その囁きに、桔平は言葉を失うことしかできなかった。






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