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第三十一話 『深い森の中で振り返った羊』 3. みんなのフォロー

 


 無表情な顔でため息をつく楓の目の前に、様々な種類の手作りパンが置かれていた。

 楓の机の上で店を広げ、両手にメロンパンを持った礼也がかぶりつく。

「おまえも食えよ」

「……」

 反応がない楓を気に止める様子もなく、礼也が難しい顔で首を傾げる。

「う~ん、もらったはいいが、なんか今いちだな。やっぱフレールのが一番うめえな」意気揚々と顔を上げた。「こないだよ、おばちゃん、オマケで一個くれたんだぜ。何だと思う?」

「……。さあ」

「マンゴー・メロンパンだ」鼻息を荒げる。「新作だぜ。常連だけ狙いすまして、モニター・テストしてやがったんだ。マンゴーなのにメロンパンたあ、ふざけんなって思ったが、これがまた激ウマでよ。中に果肉が入っててよ」

「……」

「おい、そういや、夕季のバカ、髪切ったの知ってっか」

「……ううん」

「中途ハンパにトシくった女子アナみてえな髪型にしやがってよ」

「ふ~ん……」

 楓の様子がおかしいことに気がつき、礼也が顔をゆがめる。

「なんだ、ノリわりいな」

「……。……そう」

 はあ、とため息をついた楓に、礼也がようやく引っかかりを認める。

「何スネてんだって」

「……スネてなんかない」

「嘘こけ。なんか怒ってんじゃねえか、てめえは」

「……別に」

 押せども返らない楓の様子に、礼也が真顔になった。

 パンをしまい、ふう、とため息をついて立ち上がった。

「なんだかわかんねえけど、嫌われちまったみてえだな。こういうのは俺も勘弁だ」

「……」

「せっかくくだらねえ話ができるダチができたと思ってたのによ。ま、もともとだ。じゃあな。ツンケン」

「……」

 礼也が後ろを向いて、片手を上げる。

 その背中を見守ることすらできず、楓はただ顔をそむけ続けるだけだった。


 終業時間が訪れ、定時で帰宅しようとした忍が振り返る。

 その視線の先には、申し訳なさそうな顔を向ける桔平の姿があった。

「夕季の件、すまなかったな」

「はい?」

 忍が不思議そうな表情を向けると、桔平はバツが悪そうに眉を寄せた。

「いやな、あいつに悪いことしたかなって……」

 その意図を汲み取り、忍が穏やかに笑ってみせた。

「仕方がありませんよ。上が決めたことですから」

「でもな、なんだか俺の考えてたのとだいぶ違ってたようだったんでな」

「大丈夫ですよ。あの子もそんなに聞き分けの悪い方じゃないですし。わかってくれてますよ、桔平さんの立場も」

「……」笑顔の忍に、それでも腑に落ちない表情を向ける。「でも、あいつ、ひょっとしたら修学旅行、楽しみにしてたんじゃないのかって気がしてな」

「ええ、そんな感じはしましたね」

「やっぱな……」

 帰宅と交代の人間達の入れ替わりで賑わうフロアの喧騒に、二人の言葉が消えていく。

 場内アナウンスの後、眉をハの字に寄せた忍が緩やかに口を開いた。

「本当は行かせてあげたかったんですけれどね。光ちゃんじゃ仕方ないですよ。光ちゃん、旅行、楽しみにしてましたからね。うちに来て、一緒にご飯食べながら、夕季にあーだのこーだの言っていたし。どこに行くかも知らないのに」

「だよな。あのおこちゃまはよ」桔平が、ふ~んと鼻から息を噴き出す。「夕季、うっとおしがってたろ」

「そうでもなかったですよ。そんな顔はしてましたけれど、内心はあの子なりに楽しみにしていたんじゃないでしょうかね」

「あいつがか」ふ~ん、ふ~ん、と後頭部を掻きむしる。「やっちまったかな、俺。何せ、急な話だったからな。どうしても二人とも嫌だって言ったら、別の手を考えようかとも思ってたんだけどな、あいつがあっさりオーケーしてくれたからよ」

「性格的にそうなっちゃうんでしょうね、どうしても」忍が苦笑いする。それから嬉しそうな顔を向けた。「でも、あの子がそんなふうに考えられるようになったのも、やっぱり光ちゃんのおかげだと思うから。私はそれでよかったんじゃないかって思いますよ。ようやくあの子にも、なくしたくない大事なものができたんじゃないですかね」

 そう言って暮れていく空を見上げた忍を、桔平は複雑そうな表情で眺めていた。

「……。そう言えば、おまえ、子供の頃よく男の子に間違えられただろ」

「はあ?」

 びっくりの形相で忍が振り返る。

「なんですか、唐突に」

「いやな」ちらちら忍の顔色をうかがいながら、桔平がにそにそとそれを切り出した。「あいつ、ショートカットにしただろ。おまえも同じ髪型にしたら、どんな感じだろうなって木場とさっき話してたんだ」

「それとさっきの話と何が関係あるんですか」

「いや、ないよ、ない。でも、そう言やあ、昔、杏ちゃんも、初めておまえを見た時、男の子だと思ったとか言ってたのを思い出してな。すげえ美少年が来たって騒いでたような」

「はあ!」

「よく見たら女の子で、ガッカリしてたからな、杏ちゃん。俺なんか全然男扱いもしてもらえなかったのに、羨ましいやねえ……」

「どこがすか!」桔平の声をかき消して、忍がヒートし始める。「子供の頃からずっと男の子みたいだって言われ続けたこっちの身にもなってくださいよ! このとおり昔から肩幅は広いわ、背はデカいわ、剣道やってたから腕っ節も強くて、中二くらいまで腕相撲でも男の子に負けたことなくて、よそのクラスからも毎日挑戦にやってくるし、ああ、うっとおしい! そんなに女の子の手を握りたいのかって、腕相撲って実は口実なんでしょ、って思いましたよ、実際」

「年頃の男の子がおまえの手を握りにくるわけねえだろ」

「おおきなお世話ですよ!」

「おまえも苦労してきたんだな」桔平が目を閉じ、う~ん、と腕組みをしてみせた。「でもモテたろ。女の子に。ラブレターとかもらったんじゃねえのか、よく。女の子に」

「ええ、モテましたよ、女の子にね! ラブレター! もらいましたよ、よくね、女の子から!」

「あ、やっぱり。羨ましいやねえ……」

「どこがすか! ずっと女の子からしかラブレターこなくて、ようやく男の子からもらったと思ったら、僕のお姉さんになってくださいって、どういうことすか!」

「いや、まあ、下級生から見たらカッコいいお姉さんに見えるんだろな、おまえが」

「上級生の人からですよ!」

「ははははは」

「笑いごとじゃないすわ!」

 まじまじと見つめる桔平の視界一杯に、血走ったつり目顔の忍が迫っていた。

「子供の頃から背はまわりの子から頭二つくらい飛び出してるし、小学校五年で身長が百六十センチ超えて、フケ顔で上級生からも先輩先輩って呼ばれてて、それで中一の時についたあだ名が、『女子高生』ですよ! 一緒にいたりょうちゃんやひかるのお姉さんですかって、しょっちゅう言われてましたわ!」

「んじゃ、女子高生の時のあだ名は、『女子大生』か『オーエル』か」

「『先生』ですがな!」

「ですがなって、おまえ……」

「知らんがな!」

「……」

「最初は同級生の男の子達に女教師みたいだなって言われ始めて、しばらくそう呼ばれてたんすよ。なんですか、女教師って。もう、職業でもないでしょ。いかがわしいビデオとかでしか聞いたことないっすわ。んで、それじゃいじめだろう、かわいそうだからやめてあげようってことになったはいいけど、そのかわりに先生にしようってどういうことっすか」

「知らんがな……」

「知らんがなじゃないがな! 同級生達が、先生、勉強教えてって、本当の先生がいる前で大声で言って、何も悪くないのに私が先生に、ほお~、おまえも先生か、って嫌味言われて睨まれるわ、しまいには本当の先生達まで私のことを先生って呼び出して、よし、次の問題先生やってみろ、正解、さすが先生だなって先生に言われて、もう何が何だかわけわかりませんわ! いくらフケ顔だからって、死にそうっすわ!」

「いや、死ぬなよ。……いつの間にかフケ顔の話になってんだな」

「てか、あの流れでどうしてこんな話になるんですか! さっきちょっといい話っぽくなりかけてたじゃないですか!」

「いや、意味はないんだけど、ふと思い出して」

「それでどうして私がこんな嫌な思いをしなければならないんですか!」

「いやな……、あ、涙」

「やかましいですよ!」

「……。おまえ、思い出して涙ぐむほど、この話題で悔しい思いをしてきたんだな」やや反省し、桔平がぐむむむと眉を寄せる。「よしわかった。このことは禁句だって、みんなに言っとくから。おまえのフケ顔のことにはこれから触れるんじゃないぞってメックの奴らに周知させるよう言っとくぞ」

「はあ!」これまで以上に忍が目を剥いて噛みついた。「おかしいでしょ、それ! そんなんふれまわってオフィシャルにする必要ないっしょーが! 何さりげなくそこいら中に広めようとしてんすか! 頭、わいてんすか!」

「ほお~、おまえ、結構容赦ないツッコミすんだな……」感心したような顔になった桔平が、ふいにポンと何かを思い出す。「あ、そうだ。今日やる、モノマネグランドスラム、録っといてくれよ」

「あ、いいですよ」一秒で笑顔を取り戻した。「ちょうど私も録画しようと思っていましたから」

「ポロッケが出るの、久しぶりだもんな。見逃せねえよなあ」

「私はクリカソが好きです」

「清水アチラは」

「あれはちょっと」

「おまえ、シモネタ弱いなあ。あのテープ芸はもはや神業の領域だろ」

「いえ、あれは邪道ですから」

「ピギーフォーはどうよ」

「あれは、ううん……」

「あれはううんだよなあ」

「ええ、おもしろいんですけど……」

「おもしろいんだけどな……」

「ええ……」

 業務を終えた職員は速やかに帰宅しろというアナウンスが繰り返し流れていた。


 夕季は忍とともに客間でテレビを観ていた。

 低俗なバラエティ番組に、忍が腹を抱えてゲラゲラ笑う。

 それを横目で見ながら、夕季が静かにため息をついた。

 着信に気づき、携帯電話を手にする。

 みずきからだった。

 自分の部屋へ行き応答する。

 みずきは昨日もコールしてきてくれていた。

 元気にしているかと心配され、夕季も笑ってそれに受け答えた。

『あ、ちょっと待って、穂村君がかわってって』

「光輔……」

 一秒後、光輔の騒々しい叫び声に、夕季が電話を遠ざけることになった。

『あ、夕季、元気? お土産いっぱい買ってくから、楽しみにしてて』

 顔をしかめ、耳に指を差し込む。

「別にいいよ」

『今、茂樹達と一緒に見てるんだけどさ、何か欲しいものある? リクエストとか?』

「ない」

『じゃあさ、木刀とチョウチンだとどっちがいい?』

「……どっちも嫌」

『なんだよ、それ。わがままだな。んじゃ、こけしな』

「……」

『あ、しぃちゃん、頼んどいた日本代表の試合、録っといてくれたかな。ちょうど今やってるんだけど』

「……」テレビの方にちらと目をやると、お笑い番組を視聴中の忍のバカ笑いが飛び込んできた。

「あっはははは! ちょっと、夕季、清水アチラ出てるよ! あ、電話中か、ごめん。ちょっと、鼻! 鼻が! ぶっはははは!」

「……大きな声じゃ言えないけど、お姉ちゃん、たぶん失敗してる」

『ええ! ……大きな声じゃ言えないの?』

「夜中にBSで再放送するみたいだから、あたしが録画しておく」

『あ、マジ。サンキュー。さすが夕季、愛してる!』

「!」

『ちょっと、今のどういうことなの!』

『どういうことだ、てめー!』

『いやいや、つい勢いで……』

「……」

 微妙な表情で夕季が通話を終える。

 少しだけ元気を取り戻したようだった。





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