第三十一話 『深い森の中で振り返った羊』 2. 修学旅行には行かない
山凌高校の一室に見知った顔が集まり、輪を作っていた。
困惑する面々の中、一際がっかりした様子の光輔が口を開く。
「おまえ、なんで行かないの。もったいない」
光輔にあきれたように言われ、恨めしそうに夕季がその顔を見上げた。
「……調子がよくないみたいだから。やめとけって」
「誰が」
「お……、医者さん」
「なんだよ、それ。調子よくないって何がだよ」
「……ちょっと、……ドクターストップだから仕方ない」
「はあ~……」眉間に皺を寄せた夕季をまじまじと眺め、光輔がため息をついてみせる。「嫌かもしんないけどさ、こういうのってもうないんだぜ」
「穂村君!」
見かねてみずきが間に入る。
「体調が悪いんだから、しようがないじゃない。ゆうちゃんのせいじゃないよ」
それでも光輔の恨み言は止むことはなかった。
「でもよ、信じられないよ。俺なんかずっと前から楽しみで楽しみでさ」
「……」
そして夕季は、みなを見送ることもなく、修学旅行の関与しない数日間を過ごすこととなった。
「え?」
信じられない、といった表情で、楓が振り返る。
席の周りには、デジタルカメラを手にした数人の同級生の姿があった。
「れ……、霧崎君の写真?」
「そう」中の一人が嬉しそうに受け答える。「桐嶋さんなら頼めるかなって」
「……」
楓が複雑そうな顔で級友達を見つめた。
「どうして?」
「どうしてって……」
友人同士で顔を見合わせる。
「……カッコいいから、かな」
「ねえ……」
うふふ、うふふ、と確認し合う彼女らを眺め、楓が小さくため息をついた。
「誰も持ってなくて。他のクラスの人とかも欲しいって言ってるよ。隠し撮りとかすると怒りそうだし」
「めちゃくちゃ怒りそうだよね」
「あ、桐嶋さんが持ってるなら、それもらえるとありがたいかな~」
「!」目が点になり、口を一文字に結ぶ。「……持ってない」
「持ってないかあ~」
「ええ~、持ってないのお~」
「……」
ふん、と一息もらし、楓が席に座り直す。
「私が言うのもおかしいかなって思うけど」
「でも桐嶋さんなら……」
「霧崎君、そういうの嫌いだから。たぶん」
「そっか……」
しゅんとなる友人達を気にし、楓が笑顔で振り返った。
「あ、でも、自分から頼めばいいと思うよ。彼、そんなに悪い人じゃないし。本人が頼めばきっといいって言うと思う。かえって人づてだと、いきなりへそ曲げると思う」
「え~、でも……」
「大丈夫。私も一緒に頼んであげるから」
「え~、ほんと?」
「うん」
目がなくなるほどの笑顔で彼女達に頷いてみせる。
それから楓は顔をそむけ、面倒臭そうにため息をついた。
南沢と駒田は勤務を終え、いつものように談笑しながら帰り支度をすませようとしていた。
見なれないショートカットとすれ違い、それが夕季であることを思い出し追いかける。
振り向いたその顔のあまりの覇気のなさに、思わず二人が躊躇した。
「……なんだか元気がないな」
駒田の顔をじっと眺め、ふ~ん、と夕季がため息をもらす。
「いや、おまえ、人の顔を見て、ふ~ん、て……」
「……ごめんなさい」
「……いや、いいけどな。そう言えばおまえ、ポニーテール……」
「そう言えば、おまえ、どうして修学旅行に行かなかったんだ」駒田の声をかき消し、南沢が不思議そうな顔を向けてきた。「旅行先のこといろいろ調べてたろ。俺や幸子にどんなところか聞いてきたり」
「あ、俺も聞かれたぞ」
「おまえもか」
「おお。隣にいた黒崎には聞かなかったけどな。な?」
「……」
「ははは……」南沢、苦笑い。「てっきり楽しみにしてるものだと思ってたんだけどな」
「そういうわけじゃ……」やや口ごもる。「初めてだったからちょっとふわふわしてただけだよ」
「……ふわふわしてたのか、……おまえが」
「何かあったのか?」
駒田に問われると、口をへの字に曲げ、観念したように夕季が口を割った。
「光輔とどっちか一人だけって言われたから」
そのハの字の眉が不憫で、南沢と駒田はそろってため息をついてみせた。
「……なら仕方ないな」
「あいつが自分が行きたいって言ったのか」
「……」駒田をちらと見て、夕季が目を伏せて小さな声を出す。「光輔は何も知らないと思う」
「どうして」
そうたずねる南沢の顔を、困ったように見つめた。
「あたしが先に旅行を断ったから」
ははっと笑い、南沢が夕季を気遣うそぶりをしてみせた。
「でも、空を飛べるおまえの方が、何かあった時に融通がきくんじゃないのか」
「……そうだけど。本当は政府に対する建前の意味合いの方が強いみたいだって聞いたから。よく考えたら、知らない人達と旅行とかしたことないし、そういうのも面倒臭いかなって」
「知らない人って、クラスメートだろ」
「うん」
「嫌いなのか」
「……嫌いじゃないけど」
「んじゃ、おまえが……」夕季にじっと見つめられ、駒田が口をつぐむ。「……嫌われてるってことはないよな」
「……それはわからない」
「いや、ないって。心配するなよ」
「そうだぞ、夕季。考えすぎだ」
「うん……。光輔には言っちゃ駄目だよ」
「お……」
「ああ……」
それ以上二人は、何も言わなくなった。
ピンときてしまったからである。
「……。そのかわり、桔平さんが高級料理をごちそうしてくれるって言ってたから」
「なんだ、高級料理って……」う~むと考えをめぐらせ、南沢がポンと閃く。「焼肉だな、きっと」
「焼肉だ、焼肉」
「焼肉だと思う……」はあ~あ、と土石流のようなため息を吐き出した。「……楽しみ」
「楽しみって顔じゃないぞ……」
「とりあえず、ジュースでも飲め……」
「……ありがとう」
その淋しげな顔を、南沢と駒田は複雑そうに眺めるだけだった。
終礼がすんだ教室には、場違いな二つの表情があった。
キャッキャと取り囲む女子達にヌケたような笑顔を振りまく礼也と、それを遠目に仏頂面で眺める楓。
他のクラスの生徒達も交わり、礼也が急にモテ始めたのを見守り、楓は複雑な心境だった。
「霧崎君、何が好きなの?」
一人に問われ、礼也が、ん、と振り返る。
得意満面の顔で言い切った。
「メロンパン」
「またまた~。真剣に聞いているのに」
「こっちも真剣だって。あんなうめえモン他にねえだろ、実際この世に」
一笑にふす女子生徒達に、やや真顔の礼也が食らいつく。
それでも彼女達はまるで動じる様子もなかった。
「またまた~」
「ごまかそうとしてる~」
「焼肉~って顔だよね」
「ざけんな、メロンパンって顔だって」
「それ、どんな顔?」
「綾さんみてえな顔だって」
「誰?」
その楽しそうな光景を、楓は淋しそうに眺めていた。
下校しようと立ち上がった楓を、廊下で礼也が呼び止めた。
「おい、待てって。何勝手に行っちまってんだって」じっと睨みつける。「今日はフレールの百円デーだろうが。てめえ一人で行く気か! ぬけがけか」
ゆるやかに楓が顔を向ける。
「楽しそうにしてたから、邪魔しちゃ悪いかなって思って」
「バカ、全然噛み合わねえって。ズレズレのズレまくりだって!」楽しそうに吐き捨てた。「あいつら、メロンパンの素晴らしさが理解できねえんだぞ。非国民だって」
「……」
「?」
その無表情の理由を礼也は知る由もなかった。
「おい、夕、き……」
表情のないその夕季の顔に驚き、呼び止めた桔平が二歩退いた。
桔平の顔を面倒臭げに眺め、ふ~ん、と夕季がため息をもらす。
「ふ~んてまたおまえはよ、人の顔見て失礼だろ……」
「ごめんなさい……」
「いや、いいけどな……」
桔平が、ふっと笑った。
「光輔の奴、今ごろみんなと楽しんでやがるかな。ガキみてえにはしゃいでやがったからな。荷物ん中にゲーム機入れてこうとしてやがったし。バカだよな、ほんとよ」
「……」
「あとは空気読んでプログラムがおとなしくしててくれるのを祈るだけだ。ノーモーションで発動でもしない限りは、よっぽど大丈夫なんだろうけどな。その万が一が一回でもきたら、言い訳できんからな。実際はおまえらの居場所さえしっかりつかんでりゃ、市内だろうと遠方だろうとそんなに大差はないはずだろうが」
旅行先の宿泊所から一キロ以内のビルの屋上では、ヘリが常時スタンバイの状態で待ち構えていた。最寄りの空港に待機させている、海竜王積載済みの専用機に最短でリレーするためである。もちろん有事に備えての保険であり、光輔には内緒だったのだが。
「ま、おまえが先に了承してくれたんで、こっちゃ助かったがな。俺やあさみ的には、合流に時間がかかる光輔が残った方がいいかなとも思ったんだが、正直、あの能天気に死刑宣告は言い出しにくい。いいトシして、アホみたいに浮かれまくってやがったからな。たかが修学旅行ごときで。ま、おまえと違って、あいつはおこちゃまだからな。察してやってくれな」
「……」
「……。おまえ、めちゃめちゃ落ちてねえか?」
「……そんなことない」
「……。……行きたくなかったんだよな?」
「……。行きたくなかった、けど……」
「けど?……」
「……」
了承した時の夕季のひょうひょうとした様子から、たいした問題ではないと桔平は思い込んでいたのだが、覇気のないその表情を目の当りにし、さすがに考えを改めたようだった。
「おい、夕季、夜、メシ食いに行くぞ。何がいい」
「……。何でもいいけど……」ぐむっと顎を引く。「高級料理だよね」
「……高級、カレー」
「……。高級カレー?」
「高、級……」
「……いいけど」
「……仕方ねえ、木場も連れてってやるか」遠い目をしてみせる。「スポンサーとして。高級チェーン店焼肉だ」
「……やっぱり」
「へ?」
「なんでもない」
「おう。しの坊にも言っとけ」
「……うん」
ふいに夕季が振り返る。
「おい、どうした、夕季」
「……なんでもない」
腑に落ちない様子で眉をひそめる。
誰かに呼ばれたような気がしていた。




