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第三十一話 『深い森の中で振り返った羊』 1. スクープ

 


「似合う、すんごくかっこいいよ!」

 教室でみずきに大騒ぎされ、周囲の目を気にしながら夕季が顔を赤らめる。

 それでもみずきの追撃は容赦のないものだった。

「絶対似合ってる! ちょーいけてる!」

 照れ臭そうに夕季がうなじに手をやる。

 触れようとしたはずの後ろ髪にいき当たらず、夕季はゆっくりと手を下げた。

 ショートカットの夕季が顔を上げると、すかさずみずきのシャッター攻撃が待っていた。

「ゆうちゃん、撮らせて」

「やめて、みずき……」

 カシャ、カシャ、カシャ!

「いけてる、いけてる。てか、なんで切っちゃったの。またポニーテールやるって言ってたよね!」

「言ったかな……」

「言ってたよ。言ってないかもだけど」

「……」

 その騒ぎに気づいてやってきた茂樹が、今度は目を丸くする番だった。

「おっはよう、篠原、古閑さん」

「あ、おはよう、曽我君」

「……。おはよう」

「……?」

 口を開けたまま硬直する茂樹を、みずきが不思議そうに眺めた。

「どうしたの、曽我君」

「おお、いや……。おかしい、何かがこれまでと決定的に違う気がする」

「どう見ても髪型が違ってるでしょ」

「ああ!」ぽんと打ち鳴らす。「どうりでカッコいいはずだ! さすが古閑さん!」

「でしょ!」

「おお!」

「ずっと口開いたままだね」

「いやまあ、なんで切っちゃったのかなって。似合ってるからいいけど」

「似合ってるよね。なんでいきなり切っちゃったのか、はなはだ疑問だけど」

「それは……」

「あ、古閑さん、写メ……」

「やめ……」

「ダメ!」

「……今、篠原も撮ってたよな」

「あたしはいいの! とにかく曽我君はダメ!」

「なんで駄目! とにかくって、もう!」

「スクープ! ないすですね~!」

 カシャ、カシャ、カシャ!

「ポニーテールはどうなっちゃったんですか」

「あ、俺もポニーテール結構好きなんだけど」

「それはどうでもいいんだけど」

「ちょっと待ってくださいよ! 篠原さん!」

「どういう心境の変化ですか。好きな食べ物はカレーですか?」

「もう許して……」

「ムカデとピーマン、どちらか選べって言われたら、どっちにしますか」

「ピーマン」

「そりゃそうだよな……」

「あ、別に無理に食べなくてもいいですよ。さあ、どっち」

「……ピーマン」

「ピーマン、大人気!」

「いや、どうしたいの、篠原さん!」

「じゃね、曽我君とムカデだったらどっちが好き?」

「なんで、また!」

「……」

「いや、なんで、古閑さん!」

「そんなこと聞かれても……」

「ま、そりゃそうだよね。はははは」

「じゃね、ピーマンとムカデと曽我君だと」

「ピーマン」

「がびーん!」

「そういう意味じゃ……」

「そういう意味だよ、絶対」

「ひゃ~!」

 そこへ光輔がやってきた。

「あれ? 夕季、髪切っちゃったの」

「うるさいな、光輔!」

「……なんで怒られたのかな」

「もともと大人っぽいゆうちゃんが、より大人っぽく見えるよね」腕組みをし、ふ~んと鼻から息を噴き出しながら、みずきが満足げににんまりする。「二十五歳くらいの人がコスプレで高校生の制服着てるっぽいみたいな感じになってる」

「……あ、うう……」

「おお!」再びぽんと閃く曽我茂樹十七歳。「そう言えば夏祭りの時も二十三歳くらいのお姉さんがコスプレで浴衣着てるっぽい感じだったような。あ、別にコスプレじゃないか」

「やったね、今回で見事二歳アップだね」

「ううぅ……」

「あ、そう言えばさ、プールに行った時も女子大生が水着着てるみたいな……」

「光輔、死ねば!」

「ええっ! 辛らつすぎない!」

「ほんとさ、どうして切っちゃったの?」みずきのズカズカは止まらない。「何かあったの? こりゃ切らなきゃって感じのイベントとか」

「別に……」

「お、お……」何かに気づき、茂樹がかすかに悲しそうな顔をする。「……失恋、じゃないよね」

「何言ってんの、バカぁ?」

「いや、篠原さんてば、ストレートにもほどがあるでしょ……」

「ゆうちゃんが失恋なんかするわけないじゃない。誰に?」

「……そうなんだよな。光輔、なわけないし……」

「ハアッ! バカあっ?」

「いや、もう、そんな怒んなくても……」

「バカ! おまえ、まったくバカ!」

「くそ! おまえに言われるとハラが立ってくるな!」

「そんなのじゃないよ……」

 恥ずかしそうに身をよじる夕季に、三人が注目する。

 バツが悪そうに顔をそむけながら、夕季は続けて口にした。

「……前から切りたいって思ってて……。いろいろ都合悪かったし……」

 夕季が髪を切った理由は、身軽になるためともう一つあった。

 最近少し知られ始めてきたせいか、校内での注目度が気になり、それをそらす意図もあったのである。

 が、目の前の二人の反応からして、それは明らかに失敗であったものと推察された。

「もうすぐ修学旅行だしね」

 みずきの楽しそうな一言に、夕季が、はっとなる。

「あー、俺、もう、楽しみで、楽しみで」

「穂村君、どこに行くのか知ってる?」

「知らないけど」

「中学の時もそうだったよね……」

「おおお、古閑さん、一緒に写真撮ろうね。てか、撮ってね」

「ダメ。とにかくダメ!」

「何故に、篠原さん!」

「だって」

「お願いだから、だってととにかくはやめて。……悲しくなっちゃう」

「気持ち悪いよねえ」

「茂樹、憤激!」

「夕季も楽しみだろ?」

「……え、う」

「えう?」

「ゆうちゃんはあたしと同じ班になるの。ね」

「……」

「あ、俺も」

「やだ」

「やだって、もうさ……」

「あ~、楽しみだなあ。どこ行くんだろ」

「どこでもいいんだね、穂村君て……」

 三人のやり取りが夕季の耳の奥へと遠ざかっていく。

 そう言えば、という顔になって、少しだけ口もとをゆるませた。

 遠くの席から淋しげに見守る小川の存在すら気づかずに。

「ねえ、よく見るとベテランの女子アナの人みたいにも見えるよね? 三十歳くらいの」

「うぅ……」


「おう、あさみ」

 桔平の声に夕季が振り返る。

 その驚いた顔に、夕季がムッとなった。

「ありゃ、間違えた。まぎらわしいんだよな、おんなじ髪型しやがって」

「全然違うと思う」

「そんなことねえって。二十年来のつき合いのこの俺が思わず間違えちまったくらいだ」

「身長も髪の色も違うけど。だいたい進藤さんが高校生の制服着てるわけないじゃない」

「いや、ほれ、コスプレとかな」

「バカなの!」

「く! こんな小娘に暴言ぶちかまされて思い切り悔しいが返す言葉がねえ……。確かにそうだが、まあ、雰囲気だな。木場の奴でも間違えると思うぜ」

「それはないと思う……」

「目つきの悪さとかよ」

「うるさい、死ねば!」

「いや、おまえ、もうちょっとさ……」

「おい、進藤」

 夕季が振り返る。

 その怒りに満ちた表情に、木場が三歩も後退した。

「……おっと、夕季か。すまん」

「ほらな」

「……」

「何がほらな、なんだ」

「いやいや、おまえがあまりにもベタだからな」

「なんの話だ。……なんだ、その自慢気な顔は」

「よし、しの坊に言ってやろ」

「なんのためにだ!」

「おまえがしの坊にあきれられるのを見るためだ」

「な! 本気で間違えるわけないだろう。雰囲気が似ていたし、ちょっと気を抜いていただけだ」

「お? 逆ギレか。俺は間違えなかったぜ。だいたいこんなのとあさみを見間違えるわけねえだろ」

 桔平が夕季の背中をバンバン叩いた。

「こーんな、ちんちんちんのちんちくりんとよ」

「痛い!」

「ちんちくりりんのことかー!」

 当然、夕季がカチンとなる。

「思い切り間違えたくせに」

「はあん! 何言ってんだ! てめえ!」

「進藤さんに言いつけるから」

「あ、ちょっと待て、夕季ちゃんてば」

「やはり、貴様も間違えたのか」

「ああ!」ギッと木場へと振り返る。「ったりめーだ! 間違えるに決まってんだろーが。まぎらわしい頭しやがって。振り向いてもフケ顔だから、どっかのオーエルみてえで全然違和感ねえぞ! トシくった女子アナが若作りのためによくそういう髪型にするんだよな。な、夕季」

「……ぐ」

「そういやよ、女子アナでも声優でも、おまえらそうじゃないだろっていう奴が無理やりやらされてる感がツボだったのに、今の奴らは最初からそれ前提みたいなとこが見え見えだから萎えるんだよな。なんか、アイドルになるのがオプションくらいに思ってやがる。そんなんじゃ、心を揺さぶるようなホンモンは育たねえぞ。『お母さ~ん!』とか、『ありゃ、いいモンだ~!』とか、『まいっちんぐ~!』とかな。実はおまえもそういうのやってみたいんじゃねえのか。やめとけ、やめとけ、いかにもダイコンだろうからな。棒だ、棒。あっはっは!」

 ムムッと口をへの字に曲げた夕季が、激情にまかせて桔平にローキックをくらわせる。

 怒りをあらわにし、桔平が夕季を睨みつけた。

「ってえな、てめえ、このちんちくちん、あ、噛んだ! ほんとに舌噛んだ!」

 同じ場所へのローキック。

「ってえ!」

 半泣きの桔平が太ももをさすりながら、夕季に噛みついていった。

「二度も蹴りやがったな! オヤジにも蹴られたことねえのに!」ふっ、と笑う。「その分、お袋には嵐のように蹴られまくったわけだがな」

「蹴って何が悪いの」

「何! てめ、そんなセリフ、どこで覚えてきやがった! どっかで聞いたことあるぞ! あれだろ! あれだ!」

「お姉ちゃんのDVD」

「やろ、しの坊! 俺にも貸せって言っとけ!」

「やだ」

「何!」

 タイムラグを経て、桔平が膝からガクンと崩れ落ちていった。

「あ、やべ、マジきいてきた。同じとこ二回はまずいだろ、夕季。……変だな、なんだか気持ち悪くなってきたぞ。木場、保健室に連れてってくれ」

「そんなものここにはない!」

 う~ん、う~ん、とうずくまる桔平を、夕季は冷ややかに見下ろしていた。

 そこへタイミングよく、あさみがやってきた。

「あら、どうしたの?」

「……」木場が言葉を失う。

 そんなことなどおかまいなしに、夕季が、ぷいと顔をそむけた。

「謝らないから」

「俺も謝らねぃけど、頼むから助けてくれ……」

「は?」

 ポカンと口を開けるあさみに、木場が気の毒そうな顔を向けた。

「なんでもないんだ。気にするな」

「そう。仲よくしたら?」

 ぷんすかと夕季が立ち去った後で、ようやくダメージから回復した桔平が立ち上がって、あさみの顔をマジマジと眺める。

「何?」

 桔平と木場が顔を見合わせた。

「全然似てねえな」

「そうだな。全然似てない。どうして間違えたんだろうな」

「きっとあれだ。ご本人と一緒になった時に、ボロが出るパターンだ」

「う~む……」

「?」不思議そうに首を傾げ、何事かに気づく。「あ、そうそう。ちょうど二人に話があったんだけど」

 あさみが差し出した書類を二人が覗き込む。

 その内容を確認し、桔平がわずかに眉を寄せた。


「結構似合ってるね」

 風呂上りに忍に見つめられ、タオルで髪を拭きながら夕季が戸惑いをみせる。

「それだと髪もすぐ乾きそうだね。あたしもやろうかな」

 背中まである黒髪に手で触れ、忍がショートカットのイメージを構築する。

「……」牛乳を一口含み、夕季が真顔で言った。「やめた方がいいとおもう」

「どうして?」

「いろいろ面倒だから」

「は?」

 不思議そうな顔を向ける忍をちらと見て、夕季がごくごくと牛乳を流し込んだ。

「あ、そう言えばあんた、修学旅行行くの初めてなんだよね」

 思い出したような忍の問いかけに、夕季の喉が止まる。

 すると忍は、おもしろそうに笑いながら言った。

「楽しみでしょ?」

「……」

 後ろを向いたまま、続けて夕季が牛乳を流し込み始める。

「……別に」

 ぽんとおなかを叩き、かすかに口もとをほころばせた。


「お~い、夕季」

 後ろから桔平に呼びかけられ、夕季が振り返る。

「ちょっと話がある」

「何」

「修学旅行のことだが……」






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