第三十話 『フェイク』 8. 信用
桔平の突飛な提案に、そこにいた誰もが面食らう。
オビディエンサーの三人だけでなく、特設スペースにいた全員が。
だが誰もがたわ言かと疑ったそれを、桔平はもう一度自信満面に繰り返したのだった。
「とにかくビビれ。その恐怖心を逆に武器にしろ」
『どうやって!』
慌てふためく礼也を尻目に、あさみだけが口もとをにやりとさせた。
その答え合わせを、桔平が淡々と行い始める。
「レプリカがおまえ達より勝る点は、恐怖心がないことだ。だから躊躇も迷いもなく突っ込んでくる。同じ突っ込んでいくにしても、考える間を置くことでおまえ達は奴らより一歩出遅れるはずだ。もっとわかりやすくたとえて言うなら、初めて対戦する得体の知れない相手なのに、おまえらの方は呼吸一つまでパターンが研究しつくされているのに似ている。不利なんてレベルじゃねえ。相手にだけこっちの弱点がわかってんだからな。となれば、先にセカンドボールを拾うのは、常に奴らの方になってくるのも仕方ない。いくら同等のスペックがあっても、先手先手を必ずキープしてくる相手にかなわないのは当然だ。向かっていけば奴らの術中にはまるだけだろう。とにかくそれを逆手に取って、奴らの考えもしない状況に持ち込むしか勝機はねえ。騙されたフリして裏をかく。今のおまえ達にはそれしか勝機はねえ。わかったか」
『……なんか腑に落ちねえけどわかったって』
『……セカンドボールのたとえがわかりやすかったす』
『わかった』煮え切らない他の二人に比べ、夕季が眉間に力を込めて頷いてみせる。『途中から違う話になってたけど、なんとなく言いたいことはわかった』
「え、マジか?」思わずびっくり顔。「……おじさん全然気づかなかったけど」
「そうね」あさみが残念そうに腕組みをして続けた。「たとえから先がかなり飛躍していたけど、おじさんの言いたいことはおぼろげに伝わってきたわ」
「あ、そう……」
『で、どうするの』
「ん?」
『逆手に取って、それからどうすればいいの』
「……」一瞬、ぽかんとなる桔平。「……そこまではまだ考えてない」
『……おじさん』
絶えず敵の攻撃をしのぎ、かわしながらも、桔平の助言を得てわずかに三人が落ち着きを取り戻す。
状況は何一つ変わってはいなかった。
もとより光輔と礼也は一歩引いたスタンスでレプリカと渡り合っており、頭が沸騰していたのは夕季一人だけだったのだから。
それでも普段は人並みはずれた胆力を持つ夕季が、それ以上取り乱すことなくクールダウンしたことは大きかった。
レプリカの追撃をかわしながら、空から冷静に戦局を見極める。
「腕をやられている方が礼也なの」
『はあ! 俺がやられるかって!』
「わかった」
不服そうな礼也を軽くいなし、夕季が演算の結果を提示する。
「光輔、礼也、援護して」
『どうする気だ』
「あたしが陸竜王のレプリカを海まで連れて行く。そこからレプリカが帰ってくるまでの間に、残りの二体を三人で破壊する」
『卑屈な戦法だな、てめえ』
「今はそれしかない。海に行く前に空竜王のレプリカに追いつかれたらアウトだから、何としてでも食い止めて」
『しゃあねえな』
『わかったよ、夕季』
高空から夕季が急激なブレイクをかけるが、スッパ抜かれるような急降下にもレプリカは容易に追従してきた。
背後から迫り来る風切り音に、ニセ陸竜王がわずかに意識を差し向ける。
その気をそらすために、礼也が囮のバーン・クラッカーを連続して撃ち放った。
着実に夕季に追いすがり、ブレード一枚分の距離まで接近するニセ空竜王。
が、攻撃のポジションをとった場面で、突如として現れた銀の槍に急襲され、体勢を崩すこととなった。
レプリカの攻撃から逃げ回りながら、光輔が援護弾を食らわせたのである。
研ぎ澄まされた神経が、紙一重でニセ海竜王の攻撃を察知する。
飛び退いた光輔はもんどりうって転がり、飛びかかってくるニセ海竜王ともみ合いになった。
時を同じくし、ニセ陸竜王の背後をとった夕季が、そのまま抱えるように空高く持ち上げる。
体勢を立て直し再追撃を開始したニセ空竜王を見舞ったのは、顔面へのバーン・クラッカーの強襲だった。
弾き飛ばされ木々をへし追って不時着するニセ空竜王を拘束すべく、礼也がたたみかけていく。
がしかし、礼也が到達するより一瞬早く、ニセ空竜王は飛び立ったのだった。
「ち!」
舌打ちし、礼也が反対方向を見据える。
そこでは組み伏せられた光輔が、レプリカにマウントからの一撃をもらうところだった。
ふいに弾かれるように飛びのくレプリカ海竜王。
死角から襲いかかるバーン・クラッカーを避けるために、咄嗟に反応したのだった。
立ち上がり、なんとか相手との間合いをとった光輔が、礼也に交信してきた。
「サンキュー、礼也」わずかな疑問が浮かび上がる。「なんで俺がやられてるってわかったの。識別用のペンキだってほとんどハゲてるのに」
『弱い方がおまえだって信用してたからだ』
「信用……」
『信用だ!』
その頃夕季は、ニセ陸竜王を抱えたまま遠海を目指していた。
執拗に抵抗するレプリカに何度も攻撃を受けたが、表層を削り取られながらも何とか耐え忍ぶ。
セーフティな距離をかせぐために、もう少しだけ無理をしなければならなかった。
と、その時。
「!」
急激に近づきつつある気配を夕季が察知した。
ニセ空竜王だった。
追い上げられる焦燥にヒリヒリと身を焼かれ、く、と夕季が歯噛みする。
ピタリと背中につかれ、相手がブレードを大きくクロスしたタイミングで、洋上からニセ陸竜王を開放した。
高空から落下し、ドボンと海面に大穴を穿つニセ陸竜王を確認しつつ、急反転する夕季。
本当はもう少し遠方まで運んでいきたかったところだったが、これ以上は危険領域だと判断し、泣く泣く断念したのである。
悪あがきで繰り出したバーン・クラッカーが足もとをかすめたのを今さらながらに思い出し、さかのぼって身震いした。
あれがもし夕季の動きを止めていたら、間違いなく二体のニセモノに空竜王は蹂躙されていたことだろう。
ギリギリのタイミングでニセ空竜王のブレードをかわすのが精一杯で、他のことを気にとめる余裕すらなかったのだから。
もう一つの誤算は、ニセ空竜王が仲間を救うために海面へは向かわず、すぐさま夕季を追ってマークを続けてきたことだった。
味方の危機すら眼中になく、ひたすら定められた獲物だけを狙いすまして駆逐する、高性能の誘導ミサイル。
その濁り無き目的を目の当たりにし、またもや背筋がぞくっと震えた。
だがこれでわずかながらアドバンテージは作り出せた。
あとは光輔達のいる場所へと戻るだけだった。
生き残りを賭けた、本物とニセモノとの最終決戦のために。
バーン・クラッカーの連打にニセ海竜王が飛び退く。
数的優位に立ちながらも、光輔と礼也は単騎のレプリカを撃破し切れずにいた。
その理由は夕季が感じた、彼らの本能に他ならなかった。
まるで礼也のことなど眼中にないがごとくに、常にニセモノがオリジナルを追いかける展開となっており、それに混乱した礼也が決定打を撃ちあぐねていたからである。
「てめえ、どっちだ!」
腰だめにかまえ、頻繁に入れかわる二体の海竜王を前に、礼也が躊躇しまくる。
パニック状態で浮き足立っていたのは光輔も同様だった。
『こっちだよ』
「こっちってどっちだ!」
『向かって、え~と……』
「そう言いながらクルクルしてんじゃねえ!」
く、と歯噛みし、礼也が強硬手段に出た。
「うわ!」
足もとで爆裂したクラッカーを避け、光輔が半泣き状態で振り返った。
「何すんだよ、危ないな!」
『ビビって逃げた方がホンモンだと思ったんだけどよ……』画面上で礼也がバツが悪そうに笑う。『両方とも逃げやがったな』
「当たり前だろ!」
『光輔! 礼也!』
二人が顔を向けると、二機の空竜王が体勢を入れ替えながら急降下してくるところだった。
海竜王が待ち受ける場所目がけて突入してくる二体の空竜王に、光輔と礼也の顔つきが変わる。
二人の眼前に猛スピードで迫る空竜王達。
音速を遥かに凌駕する二体の魔神は、激しく風を切り裂きながら大地をえぐり取ろうとしていた。
人型とは言え、それは二トンを超える六メートルもの高速弾頭に相違ない。
まともに激突すれば、この世のどんな建造物も木っ端微塵に吹き飛ぶはずだった。
たとえ竜王であったとしても、無傷ですまされるとは思えない。
それをフックをかまえて光輔が待ち受けようとしていた。
恐怖心を利用しろ。
桔平のその言葉を思い出す。
もし桔平の読みが本当ならば、他のものなどには一切目もくれず、最後まで恐怖心を持たずに相手目がけて突っ込んでくる方がニセモノのはずだった。
後方からは同じスタイルのニセモノが飛びかかろうとしていたが、礼也の牽制によって矛先がそらされることとなった。
その気配も捨て置き、光輔が前だけに集中を研ぎ澄ませる。
光輔はフックを振りかぶったまま、そこから一歩たりと動こうとはしなかった。
光輔と二体の空竜王を結ぶルートはほぼ一直線であり、眼前に迫った脅威は、もはや選択によって回避できる余地を残していなかった。
容易に動けば危険だった。
もし恐怖心から避けたとしても、相手が同じ方向にスライドしてくる確率も決して少なくないからである。
『光輔!』
夕季の呼びかけに、わずかに目に力を込める光輔。
刹那の後、先頭の空竜王と光輔が交差する。
そして、微動だにしない光輔の脇を一ミリだけ残してかすめ、一機目の空竜王は密林する木々に激突していったのだった。
先発をやり過ごすと同時に光輔が跳び上がる。
タイミングとも呼べないギリギリの試みだった。
頭を蹴りつけようとした光輔を避けるべく、後発の空竜王がわずかに高度を下げる。
それは海竜王のつま先をかすめるほどの小さな修正だったが、充分な誘導となった。
モーションもなく、二機目の空竜王が、光輔の後方のニセ海竜王に激突していったのである。
フックを突き出した体勢のレプリカに、それを回避するのは不可能だった。
激しい衝撃に見舞われ、もつれるように吹き飛んでいく二体。
別方向では、先に突っ込んだ空竜王が木々の破片を撒き散らしながら、垂直上昇していくところだった。
「うおおおーっ!」
先に立ち上がったニセ海竜王を、礼也がクラッカーの乱れ撃ちで撃破する。
背中から倒れ込むそれを押しのけ飛び立とうとした空竜王を、跳躍してきた光輔の高密度フックが貫いた。
空から決着を見届け、夕季が、ふうと一息つく。
不確定要素だらけのこの立ち合いにおいて、いくつかの厳然たるルールが存在していることに夕季は気づいていた。
一つに、ニセモノ達はターゲットを切り替えることを意図的にはせず、常に自分と同タイプの相手に狙いを定めていたこと。
加えて、戦術的な目的で味方との接近を試みようとはしないこと。
そこから弾き出されるたった一つのアドバンテージ。
それは追われる側が夕季だということだけは、光輔の中にもはっきりと確定していたことだった。
たしかに人である以上、恐怖心は拭えない。
だが度胸では、決して三人ともレプリカに負けてはいなかった。
レプリカ達が本物より速く強いのは恐怖心による躊躇がないからであり、言葉を返せば、自分達が恐怖心さえ見せなければ対等となる。その上で相手が決して引かないことを逆手にとったのだ。
自分達を信用することはもとより、危険ではあるが相手の取り決めさえも信用することで、互いの行動に制限を設ける。
桔平が示唆したものとは意味あいが違ってはいたが、それが光輔達が選んだ、恐怖心を武器にするという答えだった。
仲間を深く知る上で、利用するのではなく信頼し合う気持ちこそが、レプリカにはない彼らの武器だったのである。
「なんてでたらめな……」
そう言いかけてショーンが口をつぐむ。
倒したはずの二体のレプリカが、のっそりと立ち上がっていたのだ。
「まだ終わってないぞ。きっちりとどめを……」
続けざま、桔平の苦言が流される。
画面の奥にレプリカの陸竜王の姿を認めたからだった。
「んだ、しつけえな……」
顎下の汗を拭い、礼也がごくりと唾を飲み込む。
全身を激しく破損していたが、レプリカの海空竜王は、よろめくようにそこに立ちはだかっていた。
「どいつもこいつも」
再び戦闘ポジションに移行する礼也。
その時、三人の耳に地鳴りが轟いた。
『あああーっ!』
雅の悲鳴だった。
「どうした、雅!」
焦って追求する礼也に、苦しみながらも雅がなんとか返答しようとする。
『レプリカが、レプリカが……』
「レプリカがどうした!」
『集束しようとしている』
「!」
明けましておめでとうございます。