第三十九話 『ゴルディアスの結び目』 10. 削りあい
ビルとビルの間隙を縫い、陸橋を潜り、アスファルトの道路を滑るように、二体の空竜王が夜の歓楽街を飛び回る。
衝撃波は建物を揺らし、ビリビリと震え砕け散るガラス窓とともに、多くの人間達を仰け反らせた。
その光景を眉一つ動かさずに見下ろす影があった。
湖邨界とその仲間達だった。
飛び駆ける二体の空竜王は常人の目では追うこともかなわぬ高速でネオンロードを突き抜け、時にはピンボールのように建造物に激突しつつチェイスを繰り広げる。
それは地上百メートル以上の高さから見守る界達の視界一杯に広がり、逃げ、時には間近まで接近してきた。
上空へと吸い込まれた二体のシルエットが、突如として数百メートル先の五車線道路に舞い降りる。
その青白い光は振り返る間もなく、一瞬で界達の眼前へと迫ってきた。
建物目がけ、体当たりを仕掛けるように。
瞬きもせぬ三人の視線がそれを追い続ける。
閉鎖空間に巻き起こる阿鼻叫喚の悲鳴と怒号にも微動だにせず、界らは地を這うように滑り込んだ白銀のミサイルを見下ろし続けていた。
あわやというタイミングで強引な機動をしかけ、高速の弾丸が踏み止まる。
衝撃波は余波とともに周辺をまとめて震わせていった。
ビルの数メートル手前で不自然な軌跡を描いて垂直上昇を開始する白き翼は、一瞬で界達のいるフロアまで到達し、引き裂くほどの衝撃で建物を揺らした。
小さな声を漏らし退いた茜をかばうように、航が手を差しのべる。
それすら心にとどめぬがごとくに、界は尋常ならざる動体視力で天空へと突き抜ける空竜王の姿を追いかけ続けた。
後に続く、もう一体の空竜王の姿にも。
クレイジーなマヌーバに振り回されながらも、なんとか夕季がフェイクに食らいつく。
見失うわけにはいかなかった。
目を離せばそれが命取りとなりかねない。
恐怖心をまるで持たぬ相手に対し、周囲へ気を配りながら高速機動で追従するのは、非常に難度の高いチャレンジだった。
数知れぬ対象を巻き上げ、撒き散らして、二体の空竜王が縦横無尽にストリートを駆け抜けていく。
突然正面のビル目がけ突進を敢行し始めた相手に、夕季が焦りの色を浮かべる。
体当たりをしないことは見抜いていた。だが綺麗に避けるつもりもないだろう。
それでも壁面を切り裂きながら通り抜ける悪意あるトレースは、高層ビルを倒壊させるに充分な破壊力を持つものと思われた。
「く!」
意を決し、夕季が更なる速度域に身を投じる。
急加速で接近するや、ブレードの一太刀をニセものの踵へと見舞った。
それに高精度のセンサーで感知するかのように、ニセ空竜王が機体をわずかに浮かせる。
背後からの攻撃から逃れるべく、フェイクは上空へと離脱していった。
地面すれすれの位置から急上昇を敢行する相手を、同じ軌跡をなぞり追撃する空竜王。
わずかに遅れた機動の帳尻合わせに、ビルの壁面すれすれの道路に両足を突き立て、蹴り上げる力で急加速へとつなげた。
強化ガラスをビリビリと震わせ、皮一枚の隙間を隔てて、空竜王が絶壁のコンクリートを這うように駆け上がっていく。
真上に捉えたニセ者との距離は、微塵も変わらない。
顔中に汗を浮かべ、唇を噛みしめ、肝を縮ませつつも、高層ホテルと平行に垂直上昇をしていく夕季。
閉塞物の呪縛から解放され、暗黒の空が視界一杯に広がる直前に、夕季は見た。
最上階のフロアから眺めている界達の姿を。
一瞬の交錯を、まるでストップモーションのように感じ取る。
補正を持たない界からは、空竜王のシルエットしか確認はできない。
だが夕季は確かに感じたのである。
そこにいる界とはっきりと目が合ったことを。
人ならざるもの同士の戦いを、畏怖するように見守るその視線を。
刹那の後、開けた空に叩きつけられるように投げ出される夕季の視界。
不運なことに、心乱された一瞬のコンタクトが、決定的なビハインドを夕季にもたらそうとしていた。
いつの間にかフェイク空竜王が眼前まで迫っていたのである。
咄嗟にかけた急激なブレークが、シールドに守られた夕季の身体すらその場から引き抜いていく。
ダメージは脳を揺らし、ほんのわずかに露呈したその隙が、相手にアドバンテージをもたらすこととなった。
変幻自在な機動を先読みし、パズルを解くように夕季を追いつめるニセ空竜王。
最高速の到達地点には、必殺の刃が襲いかかってきた。
「く……」
うめきながらも活目し、夕季が退路を見極める。
常に後塵を拝する現状を打開し勝機を見出すためには、身を削らせ、致命の一撃を打ち込む他なかった。
月を背負ったニセ空竜王の両眼が怪しげな光を放つ。
その威嚇をフェイントと見破り、逆に間合いを詰める夕季。
ふいをつかれた相手が空を蹴るバックステップで間合いを取ろうとするも、さらに追従していく空竜王。
感情の漏れないはずのフェイクから狼狽の手ごたえを夕季は感じ取っていた。
これで相手より一手先に出た。
後は最後の詰めを敢行するだけだった。
が、しかし、ブレード一太刀分のダッシュを試みるその寸前に、流れる雲の群れが夕季の視覚を惑わせた。
「!」
それは一瞬のフラッシュバックだった。
あふれ出た記憶のほんの断片に、確かにそれを見定めたのである。
闇夜に融ける黒き空竜王の姿を。
そこに踏み込んではいけないと、本能が警告していた。
咄嗟の判断でブレードを引き抜き、この世の法則を否定する急激な転身でわずかな空間を懐に抱く。
たったそれだけのことで、シールドに保護された夕季の身体が悲鳴をあげるほどのダメージを負う。
その無謀な立体起動が、生死を分かつ分岐点となった。
苦痛に顔をゆがめ歯を食いしばる夕季の全身が、次の瞬間冷たい汗にまみれる。
視界の隅にかすかに確認できたのは、ニセ空竜王の振り抜いたブレードに抉り取られる装甲の一部分だった。
それはコンマ数秒前まで夕季の首が存在していた場所でもあった。
ニセ空竜王は後退したわけではなく、逆に踏み込んで夕季の死角へともぐりこんでいたのだ。
あのままブレードを突き刺していれば、相打ちどころか、自分の方が真っ二つになっていたはずだった。
睨み合う二体の空竜王。
膠着状態の崩壊は、聞きなれた叫び声によってもたらされた。
『夕季! 避けろ!』
「!」
夕季の退いた空間に間合いを詰めた、ニセ空竜王が弾き飛ばされる。
死地に飛び込んだのは、カウンターとなって敵を貫いた海竜王の銀色の槍だった。
「大丈夫か! 夕季!」
大地を踏みしめ、硬質フックを引き戻した光輔が咆哮する。
顎の下の汗を手の甲で拭い取りながら、夕季がそれに応じた。
「……ありがとう、光輔」
『いこう、夕季。礼也が他の二体を押さえてくれてる』
「わかった」
『集束して一気に奴らを叩く』
「集束……」
歯切れの悪い夕季にも、光輔の目の光は微塵も輝きを失うことはない。
「躊躇している暇はない。どのみちガーディアンでなけりゃ、こいつらは倒せないんだ。雅も承知してくれた」
『!』
『わかった』
それを受け、もう一度しっかりと光輔が頷いてみせる。
「きっと今まで以上の強敵になると思う。でも、奴らを倒すには他に方法がない」それから礼也を呼び出した。「礼也、やろう」
『すっかりお待ちかねだって!』