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第三十九話 『ゴルディアスの結び目』 9. 境界線

 


 三十万人都市、上矢田市中心部は騒乱のただ中にあった。

 突然暗闇の中から現れた三体の竜王が、不気味な両眼を光らせながら市街を席捲し出したからである。

 決して周囲を傷つけることなく、威圧することもなく、ただ真っ直ぐに前を向きながら緩やかに歩を進めていく異形の巨人。

 それは言葉をなくし立ちつくすだけの人々すら眼中になく、何かを探しているようにも見えた。

 時を経て、見上げることしかできなかった衆人が、自分達への害がないと踏むや、途端にはめをはずした行動に出始めた。

 ある者は写真を撮り、ある者は映像を動画サイトに献上し、まるで記念撮影のような和やかな雰囲気に全体がつつまれていった。

 その弛緩はやがて危機感の欠如とともに罵声と暴走へと変遷し、愚かな暴徒達の誕生をも促がすこととなった。

 監視ヘリと戯れるように街の上空で旋回を繰り返す空竜王を見上げ奇声をあげる楽観しきった若者達。

 別の輩は機動隊の制止すらものともせず、轟音を立てて片側五車線の道路を我が物顔で闊歩する陸竜王に安易に追従していった。

 黒く淀んだ川を上る海竜王が荒立てた水面に、堤防と橋を占拠した愉快なギャラリー達が歓声をあげる。

 彼らの耳には大音量のスピーカーの警鐘すらBGMでしかなかった。

 警官隊の警告を無視して堤防の下まで接近した高校生のグループが、海竜王が起こした波に足もとをすくわれ川へと引き込まれた。

 命からがら這い上がった彼らはわずかな恐れも見せずに、衝動的で身勝手な怒りを数十メートル先にそびえる巨像へと転嫁し始めた。

 彼らの投げた石つぶてが海竜王の周辺にばらまかれる。それはスポーツ観戦の野次となんら変わらぬテンションで無邪気に、無責任に繰り返された。

 中の一つがカツンと音を立てて目標にヒットした時だった。

 黄橙色に輝くその両眼が彼らへと振り返ったのは。

 そこに至っても彼らは弛緩の最中にい続けた。

 まさか、もしや、とたかをくくっていたからである。

 それ故、危険への対応が大幅に遅れる事態を招くこととなる。

 表情が一変し腰を抜かしたように逃げ惑うグループの中に、一人だけいつまでもにやにやと笑みを浮かべながら近づきつつある海竜王を見続ける少年がいた。

 彼は警察の避難命令を無視し、仲間に手を引かれてもなおそれを振り払い、ガムをくちゃくちゃと噛みながら海竜王と向かい合い続けた。

 もとよりの人を食った性格もあったが、ギャラリーからの注目を集める中で己の肝の据わったところをアピールする目的が色濃く、また彼自身の心に、これだけの衆人環視の中で自分だけが危険な目にあうはずがないとの甘い見積もりがあったことも確かだった。

 巨大な影がぬうっと迫り、仲間達は一人残らず消えていった。

 数メートル手前まで海竜王が近づき、その影に完全に覆われるに至り、ようやく彼の笑みから色が抜け落ちていく。咀嚼をやめ、口もとをひくつかせながら、青ざめた顔で彼は巨人を見上げるだけだった。

 仲間達の呼びかけにも答える余裕はない。

 すでに彼の腰は砕け、盛大な失禁にまみれて震えることしかできなかったからである。

 沸き起こる罵声と怒声に混じって、数知れぬ投擲が巻き起こる。

 それは決して届くことはなかったが、付近の橋の上からの少年への援護だった。

 群集心理から起こった一種の集団ヒステリーにも似たそのムーブメントは、己の正義的な行為に酔いしれる感情もともなって、みるみる膨れ上がっていった。

 海竜王がその矛先を彼らに向けるまでは。

 腰を抜かしてへたり込んだ少年の鼻先を、海竜王の巨大な踵がかすめ通る。

 方向転換した漆黒の巨体は、全身をぬめぬめと煌かせながら、堤防から橋梁へと進み始めた。

 緩慢な動きに目が錯覚を起こし、その実意外な速度に度肝を抜かれるギャラリー達。

 我に返った彼らが目にしたものは、憎悪を剥き出しにしながらホバーダッシュを開始した未知なる驚異の姿だった。

 途端に、無謀な行動を勇気や正義感と勝手に結びつけ自己満足に浸っていた善意ある人々の顔から、血の気が引いていく。

 警告の必要もなく、彼らは蜘蛛の子を散らすように橋から逃げ出していた。

 轟き渦巻く絶叫と悲鳴。

 現実の恐怖に相対するまでその場にい続けた理由は、先の少年達ともども、みな一様に同じ感覚を共有していたからだ。

 画面の外側から眺める自分だけには災いが降りかかるはずがないのだという、根拠のない自信と弛緩。

 それがいともたやすく撃ち砕かれ、災いは今や自分自身に降り注がれようとしている。

 彼らにできることは、先までの自分の行為をすべて忘れ、他人を押しのけてでも我先に逃げまどうことだけだった。

 海竜王の振り払った拳が橋梁の一部をチーズのように抉り取り、轟音と凄まじい衝撃をともなって橋を傾かせる。

 逃げ遅れた幾人かがそれに巻き込まれ、激しく揺れる橋の上に投げ出されることとなった。

 さらなる一撃を見舞おうと右拳をテイクバックする黒き魔神。

 次の軌跡は確実に橋の半分を中央からへし折るはずだった。

 それが到達しなければ。

「!」

 カン高い笛の音のような風切り音に、無力な群集が振り返ったその時だった。

 黒い空の闇を切り裂きながら現れたそれは、川面に水柱を立てて高速で進入し、勢いもろとも海竜王を数百メートルも吹き飛ばしていったのである。

 噴煙を巻き上げめり込んだ堤防から、蒼く輝く両眼に白銀の痩身を晒した高速の乱入者が立ち上がる。

 空竜王だった。

「光輔達は!」

 空竜王のコクピットの中、余裕のない表情を司令室へと差し向ける夕季。

 返ってきたのは同じ表情で受け答える桔平の顔だった。

『あと五分待ってくれ』

「早くして。海竜王のニセモノが暴れ出した」

『本当か! 他は』

「まだ大丈夫」

 ニセ海竜王のフックをかわし、夕季が牽制の拡散光刃を見舞う。

 それを左腕の一振りで払いのけ、ニセ海竜王は夕季目がけてホバーダッシュを開始した。

 攻撃を避けつつ、夕季がギャラリー達から遠ざけるルートへとニセ海竜王を誘おうとする。

 警官隊も含めて棒立ちで観覧を始めた群衆に小さく舌打ちし、桔平へと振り返った。

「そこにいる人達を早く退去させて。このままじゃ巻き添えになる!」

『わかった。すぐに避難させる』

「お願い…… !」

 ニセ海竜王の攻撃をいなした夕季の顔が、一瞬で青ざめる。

 上空からもう一体の空竜王が夕季目がけてブレードを突き立てようとしたからである。

 言葉すら飲み込み、畏怖の表情で夕季が二体の竜王と対峙した。

『どうした、夕季!』

「もう一体、来た」

『何! どっちだ』

「空竜王」

『……』

 画面と睨めっこをしつつ、桔平が考えを巡らせる。二言三言忍らと会話を交わし、桔平は夕季へと向き直った。

『夕季』

 フックとブレードの同時攻撃をギリギリでかわし、夕季が肝の冷えた表情を桔平へと戻す。

 余裕のないその顔を眺めてなお、桔平はさらなる選択を夕季に突きつけなければならなかった。

『おまえがいる周辺の半径一キロ以内の避難が完了した。おまえはそのままそのエリアでその二体を引きつけておいてくれ。すぐに礼也達を合流させる』

「わかった」理不尽な状況にムッとしながらも、すぐさま桔平の考えを察し了解する。「VTOLのポイントを近づけるなら、空竜王の接近だけは防いでみせる」

『頼んだぞ』

「了解」

 その時だった。

 まるでこちらの意図を汲み取るがごとく、ニセ空竜王が夕季のもとから離脱していったのは。

「まずい!」

 思わず言葉が口をつき、ニセ空竜王を追って夕季が急加速していく。

 雲間から覗く月の光を目ざして突き進むニセ空竜王。

 一直線に風を切るその背中に追いすがり、夕季が斬りかかろうとしたその時、乱れたルートの延長線上に航空機が向かってくるのが見えた。

 一瞬の交錯。

 回避不能、反応不可状態での高速でのニアミスは、誰もの背筋を凍らせるに充分なものだった。

「大丈夫!」

 ニセ空竜王を追いつつ、こめかみに汗を伝わせた夕季が叫ぶ。

 それにわずかに遅れて反応したのは、聞きなれた二人の声だった。

『……んだ、ありゃ』

『ひびった……』

 二人の無事を見届け、夕季がほっと胸を撫で下ろす。

 が、その安堵は長くは続かなかった。

「まずい……」

 ターゲットは市街の人口密集地域へと進路を変えつつあった。







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