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第三十九話 『ゴルディアスの結び目』 7. 目覚めた世界

 


 煌びやかな水色のドレスを身に纏った茜の姿を夕季が目で追う。

 それを一瞥もせずに通り抜け、妖麗な笑みを小さく界に差し向けると、茜は人の中にまみれていった。

 再び界へと向き直る夕季。

「どうして声をかけてくれたの」

「ん」

「あなたは最初から私を誘う気なんてなかった」

 にやついた笑みが界から失せる。

「そんなことはない。君にも同士になってほしくて僕自身が選んだ」

「心にもないことを言わないで」

「嘘じゃない。本気でそう思っている。君にその気がないことは最初からわかっていたけれどね。気が変わったというのなら、改めて勧誘するよ。僕らの仲間になる気はないか」

「そう言いながら、あなたは断る理由を考えている。私に全然興味がないから」

「全部お見通しか……」それから少しだけ夕季を気遣うように笑い直した。「僕達はおのおのが抱く理想を少しでも現実に近づけたくて立ち上がった。でも勧誘はするが決して強制はしない。僕は舞台を用意するだけだ。自らが望んだ理念を強く抱き、己の意思をもって立ち上がることにこそ意味があると考えるからだ。残念なことに、君はその気持ちが少々薄いようだね。むしろ僕達に興味がないのは君の方だろう。君と僕の思想には決定的な隔たりがある。君は、この世界のすべての人間が救えるものだと考えていないか。すべての人間に救うべき価値があると」

「……」

「誤解をおそれずに言おう。残念ながら、この世界には救うに値しない人間が確実に存在する。決してエゴや高飛車なエリート意識で人間の優劣を押しつけるわけじゃない。身勝手なだけの人間を排除し、選ばれた人間とそれ以外の人間達を区別することは、その後の理想を構築するために必要なプロセスだ。だからといって、君の信念や思想を否定する気もない。だが、もし君が命がけで守った人間が、自分だけが助かりたいがために君の気持ちを裏切り、無害で善良な人々を押しのけ、結果、君の大切な人達を死に至らしめたとしたらどうする。それでも君はその愚かな命を尊いと信じ、救いたいと思うのか。自分の命を賭してまで守らなければならない存在だと思えるのか。もしそうなら君の思想も、その稚拙な輩の行為と同じだと僕は考える。互いの心を殺した上で、底辺の最下層にしかない妥協点まで歩み寄る行為など、愚の骨頂だろう。それこそ悲劇の引きがねにしかなりえない。だから君を仲間にすることを断念した。君との共通点をみいだすためには、この世界のすべての人間に手を差しのべなければならないから」

「……」

「違うとは言わせない。好きな人間ばかりではない。でも、たとえ嫌いな人間でも救わなければならないと君は思っている。嫌々かもしれないが、きっとそう思っているはずだ。君自身も気づいていない心の奥底で、君はそう感じている。それを望んでいる。否定してもかまわない。だが自分自身の気持ちを欺くことは不可能だ」

「どうしてそんなことがあなたにわかるの」

「言っただろう。君のことならば、なんでも知っていると。君が知っていることもすべて」

「……」

「なんてね」界がふっと笑う。「正直言うと、断るためだけに君がわざわざやって来るとは思っていなかった。君の性格を少々読み違えていたようだ」

「私もそのつもりだった。聞きたいことはあったけれど、足が向かなかったから」

「じゃあ、どうして」

「ただ、なんとなく」

「君らしくもないな」

「そうかもしれない。昨日、それまで一度もできなかったことができるようになった。一人で達成することにこそ意味があると感じていたから、手伝ってもらうことに抵抗はあったけれど、終わってみたら、そんなの別にどうでもいいことだったんだとさえ思えてきた。その後一人でやってみたらあっさり成功したし、今まで勝手にずっとこだわっていたことがバカみたいだと思った。自分にとっては必要なプロセスだったはずなのに」

「なんの話」

「……。どうでもいい話」

「で、知りたいことはわかったのかな」

「いいえ。でもいい。それももうどうでもよくなったから」

「気になるな。僕に聞きたいことって何かな」

「たいしたことじゃない」

「それは残念だ」ガッカリしたそぶりをする。「デウスエクスマキナって知ってるよね。安易なご都合主義の代名詞であり、演劇界ではタブーともされる手法だ。だが人間達はずっとそれを信じてきた。愚かな自分達の行いをいつか神が救ってくれるのでは、とね」

「……」

「本当にそんなことが起こると思うかい。答えはノーだ。なぜなら、神は人間達を嫌っているから。理由は人類の歴史をたどれば明白だろう。なのに、わざわざ見捨てた僕らを救いにやってくるはずがない。自分達を神そのものに当てはめて考えれば誰にだってわかることだ。死滅していく地球から逃れるために必要なものすべてを持って宇宙に出て行った人間達が、人の住めなくなったこの星に残したゴキブリやダニを助けるために戻ってくるはずがない。彼らは、彼ら自身の手で生き抜いていくしかないんだ」

「その理屈はおかしい」

「?」

「もしこの星を生き物の棲めない環境にしてしまったのが私達ならば、嫌われるのは自分達のしたことを放り出して勝手に逃げ出した私達のはず。私達には、残された彼らを救う義務がある。たとえ嫌われたとしても」

「確かにそうだ。たとえ話だとしても穴だらけだった」

「あなたは、この世界を壊そうとしているのが、私達以外の他の存在だと言っているように思える。自分達が全うすべき責任を放棄しておいて、助けてくれないのを嫌われているせいだと決めつけるのなら、ただのおごりやわがままでしかない。都合がいいのは私達の方かもしれない」

「そうだね」潔く自分の過ちを笑顔にかえる。「今の発言は軽率だった。撤回するよ。僕達の目的はそんな稚拙で不毛な議論を押し通すことじゃない。それはこの場においてはなんの意味ももたない」

「……」

「命は平等かもしれないが、人生は不平等だ。その不平等を正し、公正で差別のない理想の世界をつくることができるのは選ばれた人間だけだということを君に伝えたかった。それこそが選ばれた者の存在理由だから」

「あなたは誰から選ばれたの」

「!」

 夕季の何気ない一言に、界の両眼がカッと開く。

 それが楔となったことすら意識もせず、トーンをかえることなく夕季は続けた。

「あなたは私のことをなんでも知っていると言った。私自身が知らないことまで」

「……」

「あなたがどれだけの真実を知っていて、何が本当なのか、私にはわからない。でも一つだけ誰も知らないことがある」

「何かな」

「この世界が目覚めたわけを」

「……」一瞬真顔を晒し、すぐに余裕を構築する。「興味深い話題だな。神話の類かな。それとも宗教的な話? もし宇宙の起源のことを指しているのなら、ビッグバンのことくらいしか思いつかない。ここでこんなことを言うのも変かもしれないけれど、僕もこの手の話は嫌いじゃない。答え合わせをしてもらってもいいかな。ええと、まず、この宇宙が誕生する以前は何もなかった。無から一瞬でこの世界が生まれたということだったね。人間の意識がそのビッグバンを作り出したという説もある。自分達のためだけの世界を人間達、この場合は神と呼ばれるものも含めていいのかな、それを自分達の手で作り出したから、人間だけが適応できる世界ができた。これなら、地球やそこに住む人間達が宇宙の中心にあるという理論も、神話的な発想も暴論ではなくなる。それ以前の世界を含む空間がすべて意識体であったならば、その空間を包む存在すら無であったこともつじつまが合う。意識の持ち主が何であるかという疑問は残るけれどね。答えは合ってた? それ以外の答えを君が持っているのなら、後学のためにぜひ教えてほしいな。君個人のことならば、もっと興味はあるがね」

 あくまで余裕を崩さない界を、夕季がまっすぐに見つめる。

 それは界の口もとをかすかに揺るがせた。

「この世界が目覚める前、すべてが夢の中のできごとだった」

「夢……」

「長い長い夢を見ていた。いろいろな夢。幸福な夢や、苦しい夢を。永遠に続くと思ったその夢から目覚めた時、唐突にこの世界が始まった。この世界が目覚めた」

「……。それを他の人には言ったの」

「言ってない。あなたにだけ。聞いてばかりでは悪いと思ったから」

「とてもおもしろい話だ。またじっくり聞きたいな。ちなみに根拠はあるの」

「ない。でもどんなことにも必ず意味はある。ここにいる人達があなたを選んだことや、あなたとこうして知り合えたことにも必ず」

「何故そう思う」

「この世界を望んだのは、私自身だから」

「……」

 戸惑い言葉をなくす界に、ここに来て初めて夕季が笑みを見せる。控えめで、それでいて淋しげな笑顔。

 それは求めるものが手に入らなかった諦めのように、界の目には映った。

「仲間の人とゲームとか、する」

「……。しないな」

「甘納豆にミルクをかけて食べたことは」

「……ないな」

「私も」

「……」

「あなたとは何も共通点がない」

「……そうだね。いつかまた会うことがあるかもしれない。その時君が勝ち抜いていることを心から願うよ」

 眉を寄せ、困ったように界が笑う。

「さっきの話だけれど、知りたかったことって、何かな」

「……」

「たいしたことじゃないのはわかっている。でもよかったら聞かせてほしい。君が僕への興味を失う前に。もう失っているのかもしれないが……」

「どうしたら一人でいることを受け入れられるのか」

「!」

「私もいつか一人になる。すでにそうなのかもしれない。そのことを考えるとすごく不安になる。怖くてしかたがない。あなたなら答えを知っているような気がした。でも、私の気のせいだった」

「……何故それを僕が知っていると思った」

「淋しそうに見えたから、いつも」

「……」

 笑みを崩すことなく背を向ける夕季。

「君はやっぱり長い髪の方が似合うんじゃないかな」

 ようやく搾り出した界の決別の言葉に、後ろ髪を引かれるように夕季が振り返った。

「髪は伸ばさない。邪魔だから」

 そのまなざしには、一分の迷いもなかった。

 それ以上何も返さずに夕季が界の視界からフェードアウトしていく。

 その残り香を追うように、界はいつまでも同じ方向を眺め続けていた。






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