第三十九話 『ゴルディアスの結び目』 3. ゴルディアスの結び目
「なんすか、さっきの」
メック・トルーパーの休息所で光輔に間抜けヅラを向けられ、桔平がジロリと睨めつける。
「知らん」
「知らないのに頷いてたんすか……」
「なんか意味ありそうにあさみが言ってやがったから、なんか意味があるのかなって思って、それらしく頷いてただけだ。聞くとバカにされそうで癪だから、知ってるふりしてわざとそういう顔をしてたんだ。男の意地だ」
「素直すね」
「おまえこそなんで聞かない」
「俺は桔平さんが知ってると思ったから、後でこっそり聞こうと思って」
「それはこっちのセリフだ!」
「ええ!」
「おまえが恥をしのんで聞いてくれて、それを後からこっそり俺が教えてもらおうって計画だったのに、なんかすっかりだいなしじゃねえか! もっと空気読め、空気を」
「……なんか、すいません」
「ったく」
「へっ。どいつもこいつも、カッコばっかつけてやがるからこういうことになるんだ」
「んだと、礼也。てめえは知ってるっていうのか」
「知るわけねえだろ」
「はああ!」
「んなの、後でこっそり調べりゃいいだけのことじゃねえか。今ならお手軽検索でネタバレ一発おっけーだ」
「なんだと! 本気で言ってやがんのか!」
「たりめえだ。んな古臭いことばっか言ってやがるから、時代に取り残されんだ。ぽんこつどもが」
「言ったな、てめえ! 後でほえづらかくな!」
「かいてたまるかって」
「で、意味は?」
「はあ!」光輔にキッと振り返る。「それを今から調べようってんじゃねえか。慌てんじゃねえって」
「あ、ごめん……」
「で?」
「……で?」
「何調べりゃいいんだって?」
「……覚えてないの?」
「後でてめえにこっそり聞けばいいと思って」
「……」
「……」
二人が同時に桔平へと振り返った。
「俺が覚えていると思うか!」
「そりゃそうだって」
「俺は別に期待してなかったけど」
「それはそれでなんかなあ!」
「ジゴージトクだって」
「あ、雅。覚えてない?」
「ん?」老舗銘菓湖満堂のドラ焼きと牛乳を合わせ食う雅が、光輔にドヤ顔を向けた。「たしかゴルゴンゾーラのあたりめとかって言ってたような」
「……んなのだっけ」
「……違う気がする」
「あたしも聞こうと思ったんだけど、局長さん、モナカと牛乳のハーモニーにすでに魂を売っていたから」
「ちょうどドヤ顔で説明しようとした感じのとこで、おまえが言葉を遮って無理やりすすめたくせによ……」
「最初はすごく嫌がってたよね……」
「これはヤバいわね! だって。もうすっかりとりこ。目がハートマーク。甘納豆とか試してみたいわね、だって」
「たしか、なんとかの結び目がどうとかって言ってたような」
「ああ、そんな感じだって」
「あたりめと結び目を聞き間違えたぽいね、光ちゃん」
「それってゴルディアスの結び目のこと?」
お茶を運んできた忍が満面の笑みを四人に差し向けた。
「それだって、たぶん!」
「間違いないよ、たぶん!」
「違うよ。あたりめって言ってたから」
「違うな、みっちゃん。確実に」
苦笑いの後で、忍が勝手に説明モードへと突入した。
「決まりごとにとらわれて八方ふさがりになったような難題を、あっと驚くような大胆な発想で解決することだよ。ガチガチに結ばれてて誰もほどけなかった結び目を、アレクサンドロス大王が剣で切り落した逸話からきてるの」
「んなの、誰でも思いつくことじゃねえか」
忍のうんちくに、親指で鼻をほじりながら礼也が皮肉をかます。
それを子供を見守るように眺めて、忍が補足した。
「でも普通は人の思考回路って、ほどけって言われるとそっちにばかり頭がいってしまって、それ以外の行動に対してはおろそかになりがちなのよ。それを非難をおそれずにあえて行うところがミソなの。実際、思いついてもまずやらないでしょ」
「やったら怒られるかもしれねえからな」
「礼也だったらやりそうだけど」
「てめえだって食うなっていわれりゃ、よけい食いたくなるだろうが!」
「そういう話だっけ?」
「コロンブスの卵みたいなものか」
「似ていますね。ちょっとだけニュアンスが違うような気もしますけれど」桔平の感想に忍が自論を付け加えて言う。「私のイメージですが、大胆すぎて誰も実行しないようなことを最初に行う柔軟な発想力や行動力、奇抜さをコロンブスの卵だとしたら、ゴルディアスの結び目は、何となくだけど、ルールはおろか、難題を突きつけた相手の意図すら尊重することなく、極めて独自の解釈で強引に周囲を屈服させることが根幹な気がする」
光輔と礼也がぽかんとなって同時に茶をすする。
「……。ニュアンスが違うってとこまではわかった……」
「……。俺は何となく似ているってとこまでだな……」
「あたりめじゃないってことがわかった」
「結局、力技で周囲にものを言わせなくしちゃうことに変わりはないんだけれどね」
「だよな、だよな!」突然桔平が一人で騒ぎ始める。「普通は人間はモナカと日本茶を切り離して考えたりしねえもんだ。どんなお茶が合うか、どんなモナカが合うかってとこで折り合いをつけるからな。だからあいつらの考えはおかしいんだ。ゴーインすぎんだ。モナカやお茶に対するリスペクトもなんもねえ、理屈抜き無理くりのパワープレイだ」
「すげえ、必死すね」
「俺は間違ってねえ。全然負けてねえからな」
「いや、さっきほとんど負けを認めてたじゃねえか」
「いや、だけどな!」
「もう諦めてモナカ三倍送れって、綾さんからメールきましたよ~」
「いつの間に三倍に!」
「あたしが勝手に代理人になって交渉したからかな?」
「おかしいよねえ!」
「何の話?」
今一事情が飲み込めない忍に、雅がありったけの笑顔を差し向ける。
「はい、しぃちゃん」
「え? どら焼きと牛乳がどうかしたの」
「食べてみてよ」
「あ、あたし甘いものは……」
「駄目だったっけ?」
「駄目っていうか、それほどっていうか」
「あっはっは。おっかしい。食いしん坊のくせに」
「みやちゃん、ほっぺにあんこがついてるよ」
「ええ! どうやってついたのかしら!」
「はは……」
「でも、さすがだね、しぃちゃん。もの知り~」
「いえいえ、それほどでも」光輔に褒められ、鼻息をふんごーと噴きあげた。「雑学の本読むの、好きだから」
「そういや、コンビニですぐ変な本買ってくるって、夕季がぼやいてたな」
「別に変な本じゃないんだけど……。ぼやいてたの?」
苦笑いの忍を、礼也がまじまじと眺めた。
「何? 礼也」
「いやよ。説明する人をするために、ここにいんのかなって」
「ど~ゆ~意味かなあ……」
「あ! そのために変な本を!」
「変な本じゃないからね、光ちゃん!」
ずずずと茶をすすり、桔平が深くため息をついた。
「まあ、わかってることは、はっきり言ってケイゴの奴がアレキサンダーとはまるきり違う凡人だってことだな。そこだけは、はっきりくっきりだ。凡人の発想はアレキサンダー派の俺には到底理解不可能だからな。たまたま偶然の手がらなんだろうが、それでもあいつの柔軟なアプローチの姿勢だけは認めてやらんといかんかもな。はなはだ不本意ではあるが。そういうことだよな、しの坊」
「え? 何がですか」
「いや、だからよ……」
「なんかすごく負け惜しみ言ってるように聞こえるんすが」
「どっちが凡人だって。とっとと負けを認めちまえ」
決死の形相で桔平が振り返った。
「いや、負けてねえ。百歩譲って俺が凡人じゃないとしてもだ、ケイゴが凡人以下の考えをしたという事実は曲がらんとこだろ」
「百歩譲って凡人じゃないって意味わかんないんすけど……」
「どっちも凡人以下ってことに聞こえたって。メクソとハナクソの戦いに優劣はつけられねえからな」
「所詮、おまえらのお粗末な思考回路じゃ一生かかってもたどりつけんだろうが、結局俺は負けてねえってことだな。だったらケイゴの顔を立ててやってもいい。結局ドローだ」
「どうしても負けたくないんすね……」
「残念だが負けを認めるよりはるかにカッコわりぃって」
「だったらてめえらがモナカ代払え!」
「うわ、本音がでちゃった……」
「全部出し切ったって!」
「送料だけはメガルの全負担だ!」
忍が引きつり笑いを浮かべる。
「しかたないですよね。人の嗜好はさまざまですから。外国に間違って伝わった日本の文化をその道の専門家がやりこめるっていう番組、私も好きで観ちゃうんですけれど、あれってその国の慣習や風土に合ったアプローチもあってちょうどうまくマッチしただけなんだから、別にいいんじゃないかなって思ったりもしますね。間違ってる方がこれはこういうものだって得意げになってるのを見ると、おいおいちょっと待てよ、って感じにはなりますけどね」
「まあな。ハンバーガーやピザだって、本場と日本じゃフォーマットがかなり違うだろうからな。あっちから見たら、なんだこりゃ、だろうな。カレーとかもな」
「日本人の味覚に合わせたアレンジは当然必要ですからね」
「お袋が作ったお子様カレーを、こんなのカレーじゃない、とかいって本場の奴らに否定されたら、確かにハラが立つな」
「それ、ハラ立ちますね」
「大きなお世話だってな。俺はこれが好きなんだからほっとけって感じでよ。まあ、味付けうんぬんって話になりゃ、関東と関西でも全然違うしな。ちなみに俺の地元じゃ、トンカツは味噌で食う」
「好みはその人が育った環境によっても、さまざまですからね」少しだけ淋しげな様子で目線をそらす。「楓ちゃんちのカレーはしゃびしゃびらしいけど、うちのはドロドロですしね」
「あれ、じゃがいものせいだろ。あんまよくないらしいな」
「でも、じゃがいも入れないと、なんだかさびしくないですか」
「確かにそれはある」
横目でじっと見つめる光輔と忍の視線が合致した。
「俺、しぃちゃんのカレー好きだけど」
「ありがとう。また食べにきて」
「うん」
「お肉いっぱい入れるね。豚だけど」
「マジで!」
「俺もいくって」
「あたすも!」
「カレーで思い出したが、夕季のやつ、風邪治ったのか」
桔平に問われ、忍が嬉しそうに振り返った。
「だいぶよくなりましたよ。もう大丈夫だって。昨日はお見舞いありがとうございました」
「そりゃいいけどよ。なんかかえって悪いことしちまったな」
「何がですか」
「いや、調子悪くて食えねえのに、大好物のカレー買ってっちまってよ」
「ああ」やや苦笑いになった。「においだけで、えずいてましたからね。それでも何度も食べようとしてましたけれど。よっぽど食べたかったみたいです。すごく悔しそうでした」
「結局どうしたんだ」
「私としぃちゃんでおいしくいただきました」
「みっちゃんか……」
「目の前でばくばく食べてやりましたぜ」
「悔しかっただろうな、あいつ……」
「冷凍しておいて後でチンして食べたら? って、聞いたんですけど、いいって言うから」
「すごく悔しそうでやんした」
「なんでドヤ顔なんだって」
「今日はみずきちゃんが友達を連れてお見舞いにきてくれてるそうです」
「みずぴーか。んじゃ、また今日も蛇鶴八軒でカレー買ってってやるか」
「そんな、悪いですから」
「気にすんじゃねえ。おまえの分も買っといてやるから。みずぴー達は帰っちまうよな」
「……すみません」
「そういうことなら、俺も黙ってられねえな」
「お、おれ……」
「黙れ、クソ坊主ども!」
「あたすも~」
「そういや、黒崎の野郎がシャワートイレの使い方間違って覚えてやがってよ。あいつ、紙で拭いてから、シャワーで洗って仕上げるらしい。そりゃ逆だろってみんなでバッシングしてやったら、泣きそうなツラで必死に弁解してやがったな。俺はこの方がよりキレイになると考えます、だってよ。最初にこうなんすよね、ってドヤ顔で語りだしたりしなきゃ、あそこまでみんなにヘイトされずにすんだのによ。ザマミロって感じだ」
「別にいいじゃないですか……」
「いいよね……」
「あれってキレイになったかどうかわかんねえ状況でケツに温風あててもいいんか?」
「あたしも後でクロちゃんバッシングしにいこー!」
「そういや、夕季が風邪ひくって発想もなかったな」
「誰も思いつかねえって」
「鬼のカクランだよね~」
「みんな、怒られるよ……」
「さあ、食べなよ、しぃちゃん」
「あ、ちょっと待って、みやちゃん」
「へっへっへ」
「なんでそんな悪そうな顔なの……」
「あ、みやちゃん、これけっこうヤバいかも!」
「ね」
「甘納豆とかでもいいかも……」
夕季に見送られ、みずきと祥子が楽しそうに会話を交わしながらアパートの階段を下りていく。
駐車場で人にぶつかり、みずきの顔が豹変した。
「あ、すいません!」
「いや、いいよ」
「ちょっと、ちゃんと前見なよ。すいませんでした」
「いや、本当に大丈夫だから。こっちもごめんね」
ぺこぺこと頭を下げて、二人がそそくさとその場から離れる。曲がり角をすぎてから、途端に騒ぎ出した。
「今の人、カッコよかったね!」
「カッコよかった! ぶつかった時、いいにおいがした」
「気をつけろって。でもさ、あんなところで何してたのかな」
「さあ」みずきが首を傾げる。「ゆうちゃんの知り合いかな。ずっとゆうちゃんの部屋の方見てたけど……」