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第三十九話 『ゴルディアスの結び目』 1. 風邪をひいてしまった

 


 サッカー部の練習中に飛び出したボールを追って、光輔がグラウンドの外に出て行く。

 そこで見知った後姿を確認し、足を止めた。

 肩を落とし、おぼつかない足取りで校門に向かうその背中は、おそらくは夕季のはずだった。

 妙にこじんまりとし、ふらふらと千鳥足で歩くことに疑問さえ抱かなければ。

「どうしたの、夕季」

 いつもとは違うその覇気のなさに、光輔も一歩引いた様子で接する。

 すると夕季はだるそうに顔を向けた。

「……がぜひいだみだい……」

 マスク越しの鼻声でそう言う。

 半分瞼が閉じた状態のその顔を、光輔が心配そうに覗き込んだ。

「大丈夫、か?」

「……ん……。……んん……。……ん~ん~…………」

「……。篠原は」

「みずぎもがぜでやずんでる……」

「……。今、風邪流行ってんの」

「うん。……。みたい……。……よくわからない……」

「……篠原にうつされた?」

「違うと思う。もともと風邪気味だったし。……おとついみずぎに顔に思い切りくしゃみざれたけど違うとおぼう……」

「あ~……」

「ぢがうでしょ!」

「なんで急に怒ったの……」

「ちゃんとあやまってたじ。いぎなりだったから一回目と二回目はよけられだかった。三回目はよげだ……」

「……。怒った?」

「おこらだい。わざどじゃないから。じゃんどあやまっでだじ……」

「……大人だな」

「やべで、でれぐざい……」

「顔赤いけど照れてるからじゃないよね……」

 ふいにふらふらとよろける夕季を、光輔が慌てて支えた。

「おっとっと!」

 マスクに隠された以外の夕季の顔が真っ赤に染まっていた。

 額に手を当て、思わず光輔が目を見開く。

「すげえ熱じゃん」

 夕季は一瞬じろっと光輔を見たが、冷たい手が気持ちよくてすぐにとろんとした顔になった。

「ふうん……」

「待ってろ。俺も一緒に帰るから」

 すでに意識が混濁し始めていることに気づき、光輔が言い含めるように夕季に告げた。

「いいよ。ひどりでがえれるがら」

 げほげほと咳を始める夕季。最後に、おえ~、とえずいた。

「無理だって。そんなへろへろで。すげえ顔で、おええって言ってるじゃん」

「いっでない。おええ~!」

「……。ちょっとここで待ってて。栗原に部活休むって言ってくるから」

「いいっで……」

「いや、俺こっちなんだけど……。あ、ぶつかるって!」

「すみません……」

「それ、看板な」

「わがってる」

「なに言ってんの……」

「さ、寒い……」ぶるっと震えた。「……でそう」

「大丈夫かよ!」

「ういっくしゅ!」

「あ~あ……」

 コートを脇に抱え、慌しい様子で光輔が校門まで走ってくる。

 が、そこにはもう夕季の姿はなかった。

 んもう、と呟き、きょろきょろと夕季を探し始める光輔。

 校門を出て、しばらくしたところでうずくまっている夕季を発見し、寄って行った。

 側溝の前でしゃがみ、身をかがめているさまは、まるで猫のようだった。

「何やってんだよ。待ってろって言ったのに」

「……」

 夕季からの返事はない。

「どうしたの」

 不思議そうに光輔が覗き込むと、マスクをはずした夕季が青白い顔を向け、紫色の唇を震わせた。

「……。ぎもぢ悪い」

「……」光輔の脳裏に予感が走る。悪寒の。

「……おえぇ……」

 もう誰にも止められなかった。

「おい、ちょっと!」

 誰にも見せられない夕季のその姿を困ったように眺め、光輔が心配そうに背中をさする。

「あ~あ……」悲しそうに眉を寄せた。「出てる、出てる。あ~、おまえ昼にさ……」

「やめて……」

 近くの自販機で買ってきた温かいお茶を夕季に手渡す光輔。

 それを夕季はぶるぶると震えながら両手で受け取った。

「ほら、これで口ゆすぎな」

「ありがど……」がらがら、ぺっ。またぶるっときた。「う……」

「寒いのか?」

「さぶい……」

「だから、俺こっち……」

「……もうだいじょうぶ……」

「それ電柱だって」

「エルバラ……」

「……ぜんぜん大丈夫じゃないじゃんか」

 真っ赤を通り越して真っ青に変貌したその顔を、光輔がまじまじと眺める。

 自分のコートを重ね着させ、手袋、マフラーとともに、ぶくぶくになった夕季に、光輔が嘆息してみせた。

「かなりひどそうだぞ。しぃちゃんに電話して来てもらおうよ」

「駄目、おでえぢゃんにめいわぐがががるがが……」

「ガガルガガ?……。イヤ~ンガガルガガ? なんちって……」

「そう、ぞれ。強すぎで何度やっでも倒ぜない。にぐい」

「にぐい?」

「ごんなごと恥ずかじくて小川君には言えだい」

「いや、言えばいいじゃん。手伝ってくれって」

「駄目! はずがじいがら! おがばぐんにひぎょうぼのっていばれる!」

「そんなこと言わないって。俺も一緒に手伝うからさ。よくなってから」

「駄目! 自分で自分がいやにだるほどにぐい!」

「今自分が半べそになってまで何言ってるのか、ちゃんとわかってる?」

 気丈に歩き出してすぐにふらっとよれる夕季を、光輔が受け止めた。

「ちょっとお……」

「……。おぇ……」

「ちょっとおっ!」


 忍は焦った様子でその喫茶店に入って来た。

「こっちだよ、しぃちゃん」

 きょろきょろと見回し、光輔の顔を見つける。

 途端に忍がほっとした表情になった。

「光ちゃん、ありがと」

「あ、しぃちゃん、ごめん。仕事中なのにさ」

「大丈夫。桔平さんに早退させてもらってきたから。光ちゃんこそごめんね。迷惑かけちゃって」

 コートを脱ぎ、光輔に笑いかける。

「いや、そんなの全然だけど……」

 正面の夕季に目配せする。

「来る途中で三回吐いた」

「三回も」

「うん」光輔が頷く。「たぶんさ、お昼に食べた……」

「わかった、光ちゃん」

 隣に座り、心配そうに忍がその顔を覗き込んだ。

「夕季、大丈夫?」

「……う~ん……」

「立てる?」

「……う~ん……」

「……」

「……お米……」

「何言ってるの……」

 何を聞いても目を泳がせながら上の空の夕季を見て、忍が真剣な顔で眉を寄せる。

「さっきからずっとこんな感じ」

 そのままの表情で忍が光輔へと振り返った。

「かなりきてるね」

「うん」

「……う~ん……」

 話しかけられたと勘違いした夕季に振り返る二人。

 夕季の目は半開き状態で、片方の瞼がぴくぴくと痙攣していた。

 光輔と忍が無表情にそれを眺める。

「……。夕季、頼んどいた宿題、やってくれた?」

「ごべん、ばだ……」

「……。こないだ貸した百万円返して」

「……う~ん、明日返す……」

「マジで! ……いやいや」

「……」光輔のワルノリを黙って見守る忍。「かなりやばいよね」

「やばい、やばい」

「お姉ちゃん、カレーは包んでおいて……」

「……」

「……。ガガルガガは?」

「にぐい……」

 忍の車の後部座席に夕季を乗せる二人。

「光ちゃんも乗ってきなよ。送ってくから」

 忍がそう言うと、光輔が手を突き出してそれを断った。

「俺はいいよ。早く病院に連れてってあげてよ」

「……そうだね。向こうで待ってるのも何だしね」忍が笑う。「ありがとう、光ちゃん。助かった」

「そんなのいいよ、別に」

「よかったらそこで何か食べてく? お金出すから」

「そんなのいい……、いいの?」

「いいよ、それくらい」

 千円札を二枚握り締め、夕季を乗せた車が発進していくのを見守る光輔。

 コートを貸したままなのに気づいて、ぶるっと身体を震わせた。

「へっぶし!」


 呼び鈴の音に忍が玄関へ行くと、玄関には光輔の姿があった。

「あ、光ちゃん」

 笑顔で出迎える忍に、光輔が神妙な顔を向ける。

「夕季、どう」

「うん。今眠ってる。さっきまで点滴うってたんだよ」

「そう」

「お見舞いに来てくれたの? ありがとね」

 忍が嬉しそうに笑いかけると、光輔は手に持ったビニール袋を差し出した。

「これ。いちごとアイス」

「あ、ありがと。あいつ喜ぶよ。うわ、手、冷たいよ。外、寒かったでしょ」

「あ、うん……」玄関先から部屋の中を見回す光輔。「あの、コート、貸したままだったからさ」

 忍がはっとなる。

「ああ、ごめん、ごめん。忘れてた。二枚はおってたからそうかなとは思ったんだけど」

「はは。……じゃ、俺行くから」

 コートを受け取ろうとする光輔を忍が引き止めた。

「上がってってよ。今コーヒー入れるから」

「でもさ……」

「後で送ってあげるから。迷惑かけちゃったんだから、それくらいさせてよ」

「いや、別に迷惑だなんて……」

「こたつに入ってて。風邪うつらないようにね」

「あ、うん……」

 忍に押し込まれる形で光輔がこたつにすべり込む。

 ちらっと振り返ると、自分の部屋で夕季がすやすや眠っているのが見えた。

 そろっと覗き込み、しげしげと眺め始める。

「う~ん……」

「!」

 夕季のうめき声にびくっと反応し、顔を引きつらせて身をのけぞらせる光輔。かけ布団のずれをそっと直した。

 複雑な表情でその寝顔を光輔が眺めていると、ふいに忍が飛び込んできた。

「こうやっておとなしくしてると、けっこうかわいいでしょ」

 一瞬びくっとして、そろりと光輔が振り返る。

「こいつのこんなとこ、あんまり見られないもんね」

「ははっ……」何気なく顔を向けると、夕季がぱっちりと目を開けて光輔の方を見ていた。「げ!」

「何やってるの。こんなところで」

「いや、何ってわけでも……」

 いつもの口調でぶすりと突き刺す夕季に光輔が何も言えなくなる。

 すると忍が楽しげに笑いながら、光輔のフォローにかかった。

「光ちゃん、あんたのこと心配して見に来てくれたんだよ。そんな言い方しちゃ駄目じゃない」

「でも、こんなとこ見せなくたっていいじゃない……」

 むすっとふくれる夕季が顔をそむける。

「あ、俺もう帰ろうかな」

「まだいいじゃない。ゆっくりしてきなよ」

 いたたまれなくなった光輔を、忍がまた引きとめた。

「いや、でもさ……。……!」

 一旦立ち上がろうとし、困ったような顔でそれをやめる光輔。

「夕季、光ちゃんがいちご買ってきてくれたんだよ。後で出してあげるからね」

「あ、しぃちゃんからもらったお金で買っただけだから」

「いつものあんたと違うから、光ちゃん調子出ないってさ。早く良くなりなよ」

「……」ちらと光輔を見てから、夕季がすぐに顔をそむけた。「……いつまでそこにいるの。向こうにいきなよ」

「……。ははは」

 苦笑いの光輔に、キッとなって振り返る夕季。

「ははは、じゃないでしょ!」

 それを眺めていた忍が、思わずぷっと吹き出した。

「あっははは!」

「何! お姉ちゃんまで!」

「あんたがしっかり手を握ってるから、光ちゃん行きたくても行けないんじゃない?」

 忍に指差され、夕季がはっとなって手もとを見る。

 ようやく自分が光輔の手をぎゅっと握っていることに気づき、かあっと、赤面する夕季。投げ捨てるように、ぱっと手を離した。

「とっとと離せばいいのに!」

「いや、あったかくて気持ちよかったから……」

「夕季も光ちゃんの手が冷たくて気持ちよかったんじゃない?」

「そうだけど!」

「ははっ……」

 光輔の苦笑いを浴びながら、慌てて夕季がふとんにもぐり込む。

「絶対にみずき達に言わないでよ。言ったら、許さないからね」

「……」

「桔平さんには言ってもいい?」

 意地悪そうな忍の声に、夕季のメンタルが完全に崩壊した。

「一番駄目! もし言ったら、あたしもう空竜王に乗るのやめる!」

「何だか、違う子みたいになっちゃってるね」

「うん……」

 忍と光輔が顔を見合わせる。

「もう、知らない!」

 布団にもぐったまま、泣きそうな声で夕季が叫んだ。

「もう知らない、だって!」今にも噴き出しそうな忍が、笑いをこらえながら夕季を見下ろす。「夕季、ずっとその路線でいった方がいいんじゃない? またラブレターどっさりくるよ。下級生の女の子から」

「お姉ちゃんと一緒にしないで」

「何!」

 眉間にシワを寄せたまま複雑そうに夕季を見つめている光輔に、忍が気がついた。

「どうしたの、光ちゃん。気持ち悪かった?」

「いや……」困惑の表情を忍に向ける。「なんか、ちょっとだけ、普通の女の子みたいかなって思っちゃった」

「だよね。普段そういうことまず言わないからね。夕季、光ちゃんがあんたのことかわいいってさ。あっははは!」

「いや、かわいいとか言ってないし!」

「……ふうぅぅぅううう……」

「あ、なんかすげえ怒ってるし……」


 誰からの接触も許さないその場所で、凪野守人は音声のみの報告者に対して怪訝そうな顔を向けた。

「光の塊……」

 思い当たるすべての考察を総動員し、その答えを見つけるべく試みる。

 だがその顔に苦悩の色をともしたまま、黙り込むことしかできなかった。

『隕石の落下現象なのではととぼけてはいましたが、実際には正体不明の発光体の中に空竜王が数秒間吸い込まれていたとの報告もあります。それで何かが変わったような結果も示されませんでしたが、ただただ不可解ではあります。またカウンターの誤作動の件ですが、一瞬アザゼルの表記を示したということです』

「アザゼルだと!」

『彼らのブラフでしょうか』

 報告者が不要な思料を交える。

 本来ならば切り捨てられるはずのその邪推を、凪野は眉をわずかにうごめかせて受け止めた。

「それはない。彼らにとって何のメリットもないはずだ……」

 そこで言葉をとどめる。

「……まさか」

 それは思わず口をついて出たものだった。








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