第三十八話 『テスタメント』 11. 消えてなくなる星
夕季が目を見開いて硬直する。
すべてをひかるに見抜かれていた。
夕季のかもし出す雰囲気で、ひかるはすでに自分がその世界にいない存在であることを感じ取っていたのである。
まばたきも忘れて立ちつくす夕季と改めて向かい合い、ひかるが確かな光を放つ視線を差し向けた。
「よかったら教えてくれない。自分以外の誰かを守るために、失いたくない大切なもののために、自ら進んで命を投げ出せるような人だったのかな。私は」
「どうしてそんなことを聞くんですか」
ひかるの顔を見つめたまま、夕季がぎゅっと拳を握りしめる。
「ん? もしそうなら嬉しいなって思って。別に他意はないよ」表情を和らげ、またバツが悪そうに顔を横に向けて笑った。「たぶんここにいる私はそうじゃないから」
「……。私は……」
「?」
「もし私がそういう状況になったとしたら、この世界の私ならどうすると思いますか」
「さあ、わからないな」
質問に質問で答える夕季にも嫌な顔一つせず、ひかるは楽しげに笑ってみせた。
「その時になってみないとわからないかな。状況もあるけれど、タイミングとかもかなり重要だからね。今すぐ死んでもかまわないって時もあれば、今だけは何があっても死ねないってこともあるだろうしさ。さっきも言ったけれど、同じ人間でも環境によって性格も選択も違ってくる。咄嗟の状況なら、自分でも理解できないような行動に走ることも仕方がないと思うよ。でも、きっとあなたなら、大切な人達を置いて真っ先に逃げ出すようなことはしない気がする。なんとなくだけど、そう思う。たぶん間違いないでしょう」
「本当に知りたいですか」
「……」
夕季に押し込まれる形になり、ひかるが口をつぐむ。
その表情が決して嘘をつかないものだとわかってしまったからである。
「やっぱりやめとく。どっちにしろ、自己嫌悪に陥りそうだから」
丁寧にお引取りを願おうとするひかる。
しかし夕季はひかるから顔をそむけると、言葉を選ぶように一言一言を繰り出し始めた。
「もしひかるさんがそういう目にあっていたのなら、私はなんとしてでもひかるさんを助けたいと思う。きっと他の人達も同じだと思う」
「……」わずかな間を置いてから、ひかるがにっこり笑った。「そう。ありがとう。なんだかすごく嬉しい」
「……」
次にひかるの口から飛び出した言霊は、おおよそ本人すら認めたくないほどの迷い言だった。
「もし私がニセモノだったとしたなら、どうする」
はっとなって顔を向ける夕季。
「あなたがつくり出した、あなたにとって都合のいい人間だとしたら。もしそうなら、あなたは自分が見た夢によって、自分自身の価値観を変えることになるかもしれない。でもそれがあなたの深層心理から飛び出したものなら、あながち間違っているとも言えないけれどね」
「……」
「もしくは」ひかるが目を伏せた。「この世界のすべてが、あなたを変えようとしている何らかの力によって仕向けられた幻なのかもしれない」
「……」
「この世界ね、もうすぐなくなるんだよ」
「!」
目を見開いたまま硬直する夕季。
するとひかるはいたずらっぽく笑って、夕季にウインクをしてみせた。
「なんちぃてね」
「……」
「予言の話だけどね。もうすぐこの星は消えてなくなるって言われてる。もう何度目かな。何十年か前にもそんな話題で持ちきりになってたみたい。それから何度か本当の滅亡説が飛びかって、都合何度目かの滅亡予定がもうすぐ。所詮、都市伝説レベルの話だけれど。噂だと新年が迎えられないとか。困るよね、せめて年越しくらいさせてくれないと。もう年賀状頼んじゃったから」
「……あ」
言葉もない夕季を見つめ、またおもしろそうにひかるが笑う。
「おかしいよね。この星全体が何十億年ってスケールで存在しているはずなのに、その消滅がたかだか百年くらいしか生きられない私達の寿命の中で何度も修正されてやってくるのって。星の存在サイクルに比べれば、私達の寿命どころか、種の生存スパンですらほんの一瞬のはずなのにね。偶然そんな場面にい合せることですら、奇跡なんてレベルじゃないでしょ。今まで宝くじに当たった人は数え切れないくらいいるけれど、自分達の滅亡に遭遇した人は誰もいないからね。きっとまともに言葉すら交わせなかったころから、私達はずっとこんなことを言い続けてきたんだろうな。星の寿命がいつかはやってくることを考えれば、たまたまそれに遭遇することもありえることなのかもしれないけれど、その前に私達が絶滅してるでしょって話。どんな生き物も生存できない状態が、それこそ何億年も続いてからのことじゃないのかな。現時点での、この星以外の他の惑星みたいな状況でね。その頃別の惑星では今の私達のような存在が誕生していて、この星のことを生き物が棲めないような劣悪な環境だって言ってたりしてね。まあ、突然大きな隕石が落ちてくるとか、私達がかつてないほど環境を破壊したせいだって理由づけすれば、今すぐにでも充分起こりえることなのかもしれないけれど。或いは、あなたがやってきたことこそが、そのフラグなのかな」
「!」
「もしこの世界があなた一人だけのために存在するものだとしたら、あなたがそれを否定した瞬間に私達は存在する意味を失うものね。反対にあなたがこの世界を選べば、あなたはこの世界の人間として存在し続けることになるのかもしれない。今までどおりに」
「……何を言っているんですか」
「私にもよくわからなくなってきちゃった」夕季から視線をそむけたまま、ひかるは少しだけ淋しそうに笑って続けた。「ただ、ひょっとしたらって思っただけ……」
「……」唇を噛み、夕季が想いをめぐらせる。決意とともに繰り出した言葉は、一つの賭けのようなものだった。「ひょっとしたら、私は一度死んでいるのかもしれない」
「……」
そろりと表情のない顔を向けたひかるに、夕季の心が一歩退く。
「あ……、二度かもしれない。……もっとかも。自分でもよくわからない……」
「そう」
「そうって……」
「信じる」
「信じるの!」
「うん。信じちゃ駄目?」
「……普通は信じない」
「ひょっとして、からかわれた?」
「そ!……。……はい」
「無意味だよ。私はあなたの言うことなら、どんなことでも信じているから」
「……どうしてですか」
「さあ、どうしてかな」にっこり笑いかけた。「どうしてだと思う」
「……」
夕季が口ごもる。
何故そんなことを口に出したのか自分でもうまく説明できなかった。
が、それは次のひかるの言葉によって導かれることとなった。
「私もそうなのかもしれないからかな。あなた達の世界で死んだ私の魂が、いつからかこの世界に溶け込んでたりして。反対にこっちの世界で死んじゃった人達が、あなた達の世界にいってたりするのかもしれない。そうやって自分の命の火が尽きるまでいろいろな世界を渡り歩くの。一つの世界だけでそれぞれの寿命をまっとうできる人もいるけれど、私達は本当の死を迎えるまでそれを繰り返す。転生とは意味合いが違うけれどね。前世ってわけでもない。定められた寿命をまっとうできなかった人だけが、そういった苦しみを延々と味わうことになる。殺されて生き返って、またすぐ殺される人もいたりして。言ってみれば、無間地獄のようなものだよね。中には、あなたみたいに前の世界の記憶が残っている人もいるはず。それってすごくイレギュラーで、本人にとっては迷惑な話なんだろうけれど。今のあなたみたいに、新しい世界に順応する上での妨げになるだけだから」
「……」
「そう言ってほしかったんでしょ」
意味ありげに笑いかけるひかるに、夕季が不服そうな顔になる。
「先生って、すごく意地悪ですよね」
「あ、その言い方、すごく古閑さんみたい」
「!」
「まあ古閑さんだから別にいいんだな」
「……」
「私は別にかまわないよ。どっちの古閑さんでも。好きな方を、あなたが選べばいい」
その真意がわからぬまま、夕季はただ穏やかに笑いかけるひかるの顔を見つめ続けることしかできなかった。
夕季がこちらの世界に飛ばされてから、約一週間が過ぎようとしていた。
最初は腑に落ちない様子で接してきた周囲も、ここにきてその違和感を拭えず、いつしか夕季を遠ざけるようになり始めていた。
夕季を理解しようとする、ほんのわずかな人間達を除いては。
「!」
ふいに制服の内ポケットに手を入れ、違和感に気づき青ざめる。
ストーンがなくなっていたのである。
今朝確認し、登校してから制服は着用したままだった。
家を出る前に何らかの理由でどこかに置き忘れたのかもしれないと思った。そうならばいいが、家以外のどこかで落としたとすれば、見つけることは極めて困難だろう。
せわしく教室内を見渡したが、それらしいものは見つけられなかった。
それがこの世界と元の世界をつなぐ唯一の糸口だと感じていたため、気が気ではなかった。一刻も早く朝通った道を逆にたどり、家に帰らなければならないと考える。
と、その時。
「ゆうぽん」
篠原みずきだった。
彼女も数少ない夕季の理解者の一人だった。
「どおしたの、ゆうぽん。そわそわして」
「……別に」
みずきに悟られまいと夕季が平静を装う。
そのわざとらしさに、みずきが不可思議な様子で首を傾げた。
「変なの。まあいいや。ねえ、ゆうぽん。帰りにカラオケいこうよ」
みずきに誘われ、夕季がそろりと振り返る。
正しくはみずきは理解者ではなく、夕季を見離せないといった様子で接してきていた。
その表情を見れば、みずきの戸惑いの大きさがわかる。
「歌える歌、ないから」
それどころではなかったのだが、自分を気遣って近づいてきてくれたことがわかっていたため、断ることで夕季の心が痛む。
実際、当の夕季ですら、周囲とどういうスタンスで接すればいいのか、まったくわからなかったのである。
そんな気持ちを知ってか知らずか、やや焦ったようにみずきが再プッシュしてくる。
「いつもの歌えばいいじゃん。あの英語の歌」
「?」
「何とかトゥユーだっけ。ウォウオ~とかいうやつ」
その一言に夕季がまばたきすら忘れる。
「どうしたの」
みずきの声も耳に届かない。
夕季の心の中に、新たなる疑念が浮かび上がってきていた。
放課後、誰もいなくなった薄暗い教室の中で、夕季は一人自分の席に座っていた。
汚れ一つない机を眺め、考えをめぐらせる。
先のみずきとのやり取りを何度も思い返していた。
みずきが口にしたスタンダード・ナンバーは夕季のお気に入りの曲だった。ただそれを誰にも告げたことはなく、おそらくは忍ですら知らないはずだった。
何より不可解だったのは、こちらの夕季とも趣味の傾向が同じだということだった。
ひかるの言葉を思い出す。
環境の違いはあっても根は同じ夕季だということが、今では否定できずにいた。
あれから学校内ではストーンを見つけられなかった。
それが何より大事であるはずなのに、何故か今は、もう一度ひかると話がしてみたいと強く思っていた。
夕季が立ち上がる。
その時だった。
「おう……」
呼びかけに振り返ると、そこに光輔の姿を認めた。
元気がない様子でうなだれ、時おりちらちらと夕季の方を確認する。
何も話すことがなかったが、その深刻そうな様子に、夕季は黙って立ち去ることができなかった。
どうしてもかける言葉が見つからない。
すると光輔の方からアプローチしてきた。
「どうしちゃったんだよ、古閑。古閑がそんなんだと、俺、調子出ないっていうか……」
覇気のない声に、夕季の方が身につまされる思いにかられる。
「光輔……」
光輔が、はっとなった。
それから目を伏せ、淋しそうに夕季を見つめた。
「……。そんなふうに呼ぶの、初めてだよな」
夕季が顎を引く。
相手を気遣っての態度だった。
「……駄目」
「いや、駄目じゃないけど……」
「……」
ぼりぼりと後頭部をかき、光輔が苦虫を噛み潰したような顔を夕季からそむける。
それは諦めのようにも見えた。
「やっぱり、おまえ、変わっちまったんだな」
「あたしはあたしだから」
「わかってるよ、そんなの!」
追い討ちをかけるような自分の言葉に、夕季が嫌悪感を抱く。
だが本当に何を言うべきか、わからなくなっていた。
そんな夕季の困った顔を、光輔が今にも崩れ落ちそうなまなざしで支えようとした。
「どんなになっても古閑は古閑だ。そんなのわかってる。だから戻って欲しいんだよ。戻ってこいよ、古閑。俺いつまでも待ってるから。俺も努力する。もし今の古閑が本当の古閑なら、俺が前みたいに笑えるようになるまで頑張ってみる。だから」
「……」
夕季が口もとを引き締める。
自分のためではなく、相手の気持ちを汲み取ろうと。
「なんて呼んでいたの」
「……。言わない。古閑に思い出して欲しいから」
「……わかった、穂村君」
光輔が少しだけ笑った。なんとなく嬉しそうであり、そして淋しそうでもあった。
それを見て夕季の心が痛みを訴え出した。呼び方が当たっていたのかどうかはわからない。ただ光輔が夕季のことを気遣っていたことは、痛いほどに伝わってきていた。
記憶喪失の方がまだマシだった。
いくら相手のことを思っても、今の夕季には思い出せるものすらないのだから。
校外でひかるを待ち伏せする。
が、夕季が声をかけるよりも先に、またもやひかるの方が先にそれに気がついた。
「大丈夫?」
ひかるに優しく微笑みかけられ、夕季の心が崩壊する。
「ひかる、……先生……」
「好きな呼び方でいいよ。二人だけの時は」
「……」
「心配なんだ。あなたも、あなたのまわりの人達も」
すべてを見抜いている様子だった。