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第三十八話 『テスタメント』 6. 混乱

 


 不安を募らせつつも、夕季が改札から外に出る。

 家のあった場所は見知らぬ土地だったが、学校へと続く通学路は見慣れた景色とほぼかわらなかった。

 ただ、少しずつどこかが違ってはいた。

 頭の中を整理するのに必死で、まだあまり情報を引き出せてはいない。

 忍から妙な顔をされたこともあり、根掘り葉掘り探るのは控えるようにしていた。

 続きは家に帰ってからじっくり行えばいい。

 それでも朝の短いやりとりでわかったことと言えば、それがもとの世界と極めて類似した、まったく別の世界だということだった。

 まず夕季や忍の両親がまだ生きているという大きな相違点があげられる。

 当然自分達が住んでいるのは両親名義の持ち家ということなのだが、二人とも仕事で海外出張に出ており、会えるのは一年に一度か二度だということだった。

 次に忍がまだ大学生であったということ。内定している会社はコンピューター関連の企業で、メガルの名前はどこにも出てこなかった。

 夕季と忍は帰国子女であり、忍の大学進学を機に、二人だけ親元を離れ日本に帰ってきたらしかった。

 混乱していた思考が徐々に現況把握へと導き始められる。

 これが夢でなく現実なのだとすれば、先のウォリアーの世界や自身がサイボーグとなった世界も現実であったことになる。

 光に包まれ連れてこられたまた別の世界。

 それが何を意味しているものかを理解するには、まだまだ判断材料が足りなかった。

 或いは、と考える。

 この世界こそが元からの世界であり、夕季が他の世界を訪れたことにより何らかのバランスがくずれ、軸が微妙にずれたのだろうかと。

 それは危険な発想だった。

 もしそれが真実ならばこの世界はパラレルな空間ではなくなり、夕季が元の世界へ戻ることもかなわなくなるからだ。

 変化はしたが、こここそが、帰ろうとしていた元の世界そのものなのだから。

 どこかの選択肢で起きていたはずの事象が発生せず、かわりの分岐の後が今へとつながっている。

 すでにこの世にいないはずの人間が存在し、また逆も然りなのかもしれない。

 それを両親の生死に当てはめれば、少なくとも夕季が幼少の頃から干渉が遡っていたことになる。

 或いは、この世界の成り立ち自体が根っこからかわってしまったのかもしれなかった。

 通り抜ける木枯らしに身を震わせる。

 抱きしめたマフラーは自分の趣味からはほど遠いキュートなもので、いつもより十センチ以上も短いスカートが頼りなかった。

 白い息を吐き出しながら夕季が街の風景に目を向ける。

 街並みはクリスマスが近いためか賑わっており、それももといた世界と何ら変わることはなかった。

「おっはよ、ゆうぽん」

 思い切り背中をはたかれ、夕季が体勢を崩す。

 その声には聞き覚えがあった。

 拭い去れない違和感を抱えつつ、そろりと顔を向ける。

 するとその声の主、篠原みずきが満面の笑みで待ちかまえていた。

「……みずき」

 夕季がそう呼ぶと、みずきの顔色が変わった。

 不思議そうに眉を寄せ、みずきが夕季の顔を覗き込む。

「どうしたの。いつもそんな呼び方しないよね」

「……ごめん、篠原さん」

 夕季が言い直すと、みずきがやや不服そうな表情になった。

「何それ、わざとかい。わかりにっきいよ、ゆうぽん」

「……」

「どうかしたの。なんだか変だよ、今日のゆうぽん」

「……」

 そこへもう一人の顔見知り、園馬祥子が現れた。

「おいっしゅ、みずぴー、ゆうぽん」

「おいっしゅ、しょーこ」

「あれ、ゆうぽん、おいっしゅは」

「……」


 学校の敷地内に足を踏み入れる夕季達。

 気難しげに眉を寄せる自分を気にして何度もちらちら様子をうかがってくる二人に対し、不審がられないよう夕季がなんとか笑顔を返す。

 ひきつるその口もとに首を傾げつつも、みずきと祥子の会話は昨夜観たドラマの話題へとシフトしていった。

 顎の下の妙な汗を手の甲で拭い、夕季が、ふうと一息つく。

 ことがことだけに、慎重に立ち振る舞う必要があると自分に言い聞かせた。

 まずは情報収集が優先である。

 周囲をくまなく確認し、判断材料をもらさずインプットしようと努める。

 だが状況を確認するより先に、耳障りな騒音が飛び込んできた。

「うるっせーな、毎度、毎度」

 これもまた、聞き慣れた声だった。だがいつも聞くトーンとはかなり違っている。

「またやってるよ、ゆうぽん」

 振り向くと、耳打ちしてくるみずきの目線の先に知った顔があった。

「まったくヤンチャだよね、穂村も」

 それは光輔そのものだった。

 金色に逆立った頭髪と、わざとらしく着崩した制服を気にしなければ。

「だから、生まれつきだって言ってんだろよ。うちのかーちゃんもとーちゃんも金髪なんだから」

 いかにも真面目そうな風紀係の前で光輔が悪態をつく。

 そのそばには腰ぎんちゃくのように隆雄の姿があった。

「嘘を言え。君のご両親は二人とも日本人じゃないか」

 顔を引きつらせながら、それでも使命感から懸命に食らいつくメガネの風紀係が、光輔にぐっと顔を近づけられ目をそらす。

「茨城と千葉のハーフなんだよ、俺は。あっちで代々ヤンキーやってる奴は、もともと地毛が金髪だって知らねえのか、てめえは」

「そんなことが……」

「そんなこともこんなこともねえだろ! 遺伝だよ、遺伝! 文句があんなら親に言え! 言えるもんならよお!」

 ビクン、と風紀係がすくみ上がる。

「そろそろ行ってあげたら、ゆうぽん」

 やれやれといった様子でそう言ったみずきに、夕季がそろりと顔を向けた。

 その途端に夕季が硬直する。

 周囲のみなが夕季に注目していたからだ。

 まるでそれが当然と言わんばかりに安心し、期待を込めたまなざしで。

「あたしが……」

 言葉を飲み込んだ夕季が、考え直し口もとを結ぶ。

 はあ、とため息をつき、仕方なさそうに光輔に向き直ろうとすると、祥子からの待ったがかかった。

「必要ないみたいだよ」

「?」

 風紀委員の胸倉に手をかけた光輔目がけ、一人の女子生徒が突進してくるのが見えた。

「こらー! 穂村光輔!」

 ショートカットで浅黒い肌の、いかにも体育会系の女子が目を吊り上げながら走り寄る。

 そのすべてが記憶とはまるで違うものだったが、顔のつくりは桐嶋楓そのものだった。

「またあんたは!」

「いっけね。うるせーのが来やがった」

 割って入ろうとした楓から逃げるように、光輔が風紀係から手を離す。

 それは楓の必殺ビンタへの対処法でもあった。

「逃げるな、穂村光輔!」

「姉御がぶったたこうとするからじゃねえか」

「姉御じゃない。学校じゃ桐嶋先輩って言え!」

「わかったよ、桐嶋先っ輩!」

 楓のスイングをかいくぐりながら、光輔がアッパーカットを打ち放つ。

 それは楓の制服のスカートを派手にまくり上げ、周囲に感嘆のどよめきを巻き起こした。

「うっひょ~、シマシマ」

「ひさしぶりのシマシマっスね」

 光輔と隆雄がおもしろそうに笑い合う。

 顔を紅潮させた楓が、スカートを押さえながら二人を睨みつけた。

「こないだのは姉御らしくなかったからな」

「ああ、あのイチ……」

「てめーら……」

 ごごごご、と燃え盛る怒りの炎を感じ取り、二人の顔が蒼白になる。

「やべ、逃げるぞ、隆雄」

「了解っス」

 超特急で逃げ出した光輔らの後を追って、竹ボウキを手にした楓が飛び出していった。

「さすが桐嶋先輩」

 腕組みしながらうんうんと頷く祥子に、夕季が顔を向ける。

「それに比べて元生徒会長の頼りないこと」

 祥子の視線の先を追う夕季。

 どうやら元生徒会長は楓ではなく、青白い顔でうなだれる風紀委員のことらしかった。

 わけがわからず夕季が眺めていると、息を切らせながら楓が戻ってきた。

「ぐはっ、ぐはあ……。足だきゃ、はええってば。んはっ……、ったくもう、あのバカたれどもが」

 楓を出迎えるや、元生徒会長が泣きそうな顔を向けた。

「あ、桐嶋さん、どうもありがとう……」

「あんなバカに好き勝手言われて、黙ってるだけじゃ駄目でしょ。あんたは上級生なんだから。しっかりしなよ」豪快に笑いながら楓が元生徒会長の背中をバーンと叩く。「あんたの正義感だけはみんな認めてんだからさ。勉強も大事だけどさ、もっと身体鍛えなよ、霧崎」

 夕季の脳天に極太の杭が突き刺さる。

 どこかで見たことがある顔だとは思っていた。

 が、身体つきも雰囲気もまるで違っていたため、それが礼也だとは全然わからなかったのである。

 立場はまるで逆だが、それでも仲よさげに並んで校舎へと向かう二人を、夕季は複雑そうに見続けていた。

「今日は出番がなかったね、ゆうぽん」

 落ち込んでいると勘違いしたみずきがフォローに入る。

 そろりと顔を向けた夕季の耳に、またもや知った声が聞こえてきた。

「あんな奴らがいるから、我が校のレベルが下がるんだ。そろそろ真剣に対応しなければいけない時かもしれないな」

 いかにも堅物そうなその少年、曽我茂樹は、この世のすべての不真面目を憎むがごとく、眉を怒らせていた。

「あ、委員長。おはよ」

「ああ、おはよう。園馬君、古閑君、篠原君」それから夕季の方へと向き直った。「古閑君、今日の昼、委員会だから遅れないでね」

「……」

 きっちりと横で髪を分けた真面目そうなその生徒は、夕季に目を向ける時間すら惜しそうに単語帳へと視線を戻し、一直線に歩いて行った。


 はかり知れないほどの違和感の中、夕季がみずきから聞いた教室の自分の席に座る。

 その多くは見知った顔であるのに、やはりどこか違う。

 小川秋人はメガネをしておらず、小柄だが明るくてお洒落で清潔感があり、話術も巧みだった。クラスの中でも人気がある方で、常に周囲には女子生徒の姿があると聞いた。

 また隣のクラスの羽柴祐作は光輔と仲がいいわけでもなく、祥子とつき合っているわけでもなく、ちょっと太目の普通の男子だということだった。

 まとまりかけていた頭がまた混乱し始めていた。

 なまじ知った顔ばかりだから、もとの世界とのギャップが激しすぎて、受け入れられなくなっていたのである。

 気分転換に外の空気を吸おうと立ち上がる。

 そこで光輔と鉢合わせになった。

 光輔は運動神経はいいが部活等はしておらず、体育コースも選択していなかったため、夕季達と同じクラスらしかった。

「おっす、古閑」

 光輔がニヤリと笑う。

 みずきらの話によれば、光輔とは、夕季が日本にやって来てからずっと同じクラスであり、腐れ縁で、周囲の二人への認識は、まるで世話女房か、おしどり夫婦のような関係なのだそうだ。

「今日のごきげん、どうなっちょ!」

 言うやいなや、光輔が夕季のスカートをまくり上げる。

 一瞬何が起こったのか理解できなかった夕季だったが、白だ、ピンクだと騒ぎ立てる光輔らを見据え、ぐっと口もとを引き締めた。

「白っス」

「いや、ピンクだろ、隆雄君」

「ん~、よくわかんなかったかもっス」

「んじゃ、もう一回いっときますか……」

 光輔の表情が瞬時に切り替わる。

 無表情に、それでも怒りをあらわにして立ち塞がる夕季と目が合ったからである。

「お、なんか怒って……」

 言う間もなく、光輔が弾け飛ぶ。

 夕季の渾身のビンタが、光輔の左頬にヒットしたからだった。

「てめえ、何しやがんだ!」

 夕季以上の怒りを噴き上げ、光輔が詰め寄る。

 肩に手をかけようとした光輔だったが、次の瞬間、夕季に逆手に捻られ、苦悶の表情となった。

「いてててて!」

 周囲が思い切り引いているのがわかる。

 光輔にではなく、夕季のその行為に。

「てててて! おまえいつの間にそんなあらわざを……」

 どうすればいいのかわからなくなった夕季の視界には、苦しみから逃れようと暴れまくる光輔の姿すらも映らなくなっていた。

 心配そうに近寄るみずきに、困惑した顔を向ける。

「どうしたの、ゆうぽん」その表情は明らかに対処に困っている様子だった。「いつもはそんなに怒らないじゃない」

「いつもって……」

「挨拶みたいなものじゃない。いつもの軽い悪ふざけなのに、どうしたの。本当、今日、変だよ。大丈夫?」

「……」

「てててて! 離せ! てめ、このやろう! 腕が、お~れ~る~!」

 夕季は光輔を解放することも忘れ、複雑そうな視線を空の彼方へと差し向けた。

「こら、おまえ達、何をしている。さっさと席につけ」

 その声に聞き覚えがあり、夕季の心臓が止まりそうになった。

「は~い、こだま先生」

 みずきの呟きに呪縛が解かれた夕季の視線が、先の声の主に釘付けとなった。

「陵太郎さん……」

「いてててて、早く離せって!……」







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