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第三十八話 『テスタメント』 5. かわりなきもの

 


 夕季は自分達が住んでいたアパートの前にいた。

 空竜王で付近まで茜に連れて来てもらったのだ。

 この一件において、茜はかなりのペナルティを背負うこととなるだろう。それでもすでに別のものとなってしまった自分との友情のために危険を冒した茜の情愛に、心からの感謝の気持ちを述べた。

 茜の話によると、あれ以来忍はメガルを辞め、一日のほとんどをこのアパートの部屋で過ごしているらしい。

 夕季の死によって充分な補償は得られることだろう。だがそれが一体なんだと言うのだ。

 込み上げる想いに身を震わせつつも、夕季はアパートの部屋の前へと立った。

 明かりが見えたので、忍は中にいるようだった。

 ドアノブに手をかけ、それを引き戻す。

 それ以上の勇気が出なかった。

 自分は古閑夕季と同じもの、それ以外の何でもないからだ。

 忍が求める、夕季本人では、決してない。

 忍が拒否反応を示せば、自らの心は深く傷つくことだろう。それ以上に耐えられなかったのが、忍自身の心に拭い去れぬほどの悲しみを植えつけてしまうことだった。

 そして、人間と同じく頭を垂れた姿勢でそれを選択した。

 もう二度と忍とは会わないことを。

 扉に背を向け、階段へと向かう。

 その時、背後で物音がした。

 カチャリとドアを開ける音。

 咄嗟に隠れなければと考える。

 が、その後から聞こえた声に、夕季は思わず振り返ってしまったのである。

「あれ、おかしいな。誰かがいたと思ったんだけど」

 忍だった。

 動くこともままならず、夕季の視線が忍の顔へと釘付けとなる。

 忍はかつてすごした頃と何らかわらぬままだった。

 夕季の姿を見つけ、不思議そうにまじまじと眺め始める。

 これ以上の接触を危険と判断した夕季が、その場から立ち去ろうとしたその時だった。

「夕季なの?」

 信じられない言葉だった。

「夕季なんでしょ。何してるのそんなところで」

「……」

 何もできずにただ立ちつくすのみの夕季。

 訓練服の上から茜に借りたパーカーを着込み、フードで頭部を覆い隠したシルエットは夕季のものとはほど遠い。

 だが忍は戸惑う夕季に走り寄り、にっこりと笑いかけたのである。

「早く入りなよ。遠慮しないで。自分のうちなんだから」

 強引に手を引き、部屋へと招き入れようとする忍に、ようやく夕季がかすかな声を搾り出す。

「お、ねえちゃん……」

「何やってたの、今まで。連絡くらいしてよ」

「……」

 普段と何一つかわらぬ忍の様子が痛々しくもあり、夕季の心の傷をさらにえぐり続けた。

「……私はもう……」

「ずいぶんかわっちゃったね」

「!」

 今の夕季に表情というものはありえない。だがその心の奥に浮かび上がる形を見据え、さらに嬉しそうに忍は笑ってみせたのだ。

「わかるもんだね。どんなになっても、夕季は夕季だ。カレーはもう食べられないだろうけれどね。せっかく毎日作って待ってたのに。ひょっとして、匂いくらいならわかる?」

 夕季が忍の本当の想いに気づき、そして圧倒される。

 決して世間との交わりを断ち内なる世界にこもっていたわけではなく、夕季を信じ、夕季の帰りをずっと待っていたのだ。

 希望や絶望すらも超越した、信じ続けることによって。

 フードに手をかけ、その実態を目の当たりにしてなお、忍の表情に微塵の動揺も見られない。

 その笑顔はひたすら眩しく聡明だった。

 自分の知る忍しか持ちえない、世界中に一つしかない夕季だけの宝石だった。

「お姉、ちゃん……」

 夕季が忍にしがみつく。

 それを母親のごとき愛情で見守り、大切な子供を抱くように頭を撫で始めた。

 目に涙を浮かべたまま。

「おかえり、夕季」

「……ただいま……」

「うん……」

「そいつから離れろ!」

 それは突然の出来事だった。

 武装した十数名の兵士が、階下から夕季に銃口を向けたのである。

 メガルから仕向けられた、特殊部隊だった。

「確保だ!」

「お姉ちゃん!」

 夕季が叫ぶ。

 夕季を押しのけ、忍が彼らの前へと立ちはだかったからだった。

 心配する夕季に、穏やかに笑いかけながら。

「大丈夫、心配しないで。私が手出しはさせないから」

「お姉ちゃん!」

「夕季は私が……」

「かまわん、撃て!」

 けたたましい銃声が夜の帳を切り裂く。

 微笑みの中に果てていく、聖母のシルエットを月光に浮かび上がらせて。

「……必ず、……守る、から……」

「お姉ちゃーんっ!」

 夕季の絶叫だけが、ノイズのように世界中を切り裂き続けていた。


「……夕季」

 目が覚めた時、目の前には心配そうに見つめる忍の顔があった。

 ほっとすると同時に、いまだ引きずる後味の悪さが夕季の笑顔の構築を妨げていた。

「どうしたの、夕季。うなされてたよ。うわ、汗びっしょりじゃん」

 夕季の様子がおかしいことに気づき、忍が顔色を曇らせる。

「……ちょっと変な夢を見ただけ」

「変な夢?」

「うん」

「どんな?」

「……。よく覚えてない……」

「そう」それ以上は興味を示すことなく、忍が夕季の額に手を当てる。「熱でもあるの」

「……ないと思うけど」

「やっぱり変だね。元気なさそうだし。学校、行ける?」

「大丈夫」

 腑に落ちない様子で首を傾げながら、忍が部屋を出ていった。

 時は、午前六時六分六秒を刻んでいた。

 夢は一瞬で見ると、以前忍から聞かされたことがある。

 忍いわく、目が覚める直前に一瞬のうちに焼き付けられたスチール写真を、目が覚めた時に後から作られた記憶が追いかけ、膨大な夢物語に置き換えると言うのだ。

 何らかの理由で頭の上に時計が落ちてきて目覚めた時、夢の中でもそれにそった物語が即座に遡って展開され、ラストに何かが落ちてくるつじつま合わせをする流れになっているらしい。

 あくまでも忍が立てた個人的な仮説ではあるものの、その仮説が真実だとしたら、そのデータ量たるや、一秒にも満たない刹那の中に大河ドラマの全話分が詰め込まれているのかもしれないね、と忍は笑いながら言っていた。

 それにしても奇妙な夢を立て続けに見るとは、不可思議だった。

 もともと夕季はあまり夢を見ない方なのだが、何故今日に限ってそんなことが起きたのか。それも心の奥底を引きずるような生々しい夢ばかりを。

 立ち上がり、ズキンと頭が痛んで夕季が額に手をかざす。

 この疲れようは尋常ではなかった。

 ガーディアンをフル活動した時よりも多大なダメージが蓄積している。

 おそらくはたった一晩のうちに、これまでに経験したことがないほど脳を酷使してきたのだろう。記憶に残らないものも含め、数え切れないほどの夢を見たことによって。

 消化しきれない引っ掛かりを脳裏に残したまま、夕季が学校へ向かうための仕度を始める。

 スウェットが汗まみれであるため、着替えの前にシャワーを浴びなければと思った。

 昨日のプログラムから何かがおかしくなっている。

 あれはいったい何だったのか。

「?」

 そこで疑問が生じる。

 どうやってここまでたどりついたのかの記憶が一切ないのだ。

 アンノウンプログラムを探るために出撃し、その光の中に取り込まれた。

 そこから先の記憶が何一つないのだ。

 本来あるべき、解決までの経緯や、帰ってきた安堵も、その記憶の一切合切が。

「……」

 ふと違和感を感じ、夕季が室内を見回す。

 それはいつもの自分の部屋とは明らかに異なっていた。

 眉を寄せ部屋の外に出ると、そこには廊下があった。続く階段を確認するに、そこが今まで住んでいたアパートではなく、一軒家のレイアウトであることにたどりついた。

 信じられないといった表情で壁にかけられた制服に目をやる。

 そのデザインも自分の知るものとは微妙に違っていた。

 弾かれるようにカーテンに手をかけ、窓から見下ろした外の景色に視線が釘付けとなった。

「夕季ー、御飯できてるよー」

 階下から忍の声がしても、夕季は呼吸すら忘れるように硬直したままだった。

「ここは、どこだろう……」







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