第三十八話 『テスタメント』 3. ノイズ
その夜、夕季は誰からも見送られることなく、村から去ろうとしていた。
長老から聞かされた真実を何度も頭の中で反芻する。
かつてドラグ・カイザーと呼ばれる守り神が、彼らの手にはあったという。
それは次々と押し寄せる脅威に対抗すべく彼らが作り出した最後の砦とも、異文明の神を先人達が盗んだのだとも伝えられていた。
だが異文明に奪われ、いつしかドラグ・カイザーは悪魔の化身としてその世界から恐れられるようになった。
そしてカノルの目の前で両親を切り裂いたそれこそが、夕季の持つ空竜王をかたどったものだったのである。
「行くのか」
長老の声がして夕季が振り返る。
表情もなくそれを眺め、夕季はまた夜の闇を見据えた。
「あなた達が私からあれを遠ざけた理由はわかった。そして、彼らがここへやってきてしまった理由も」
夕季が悲しげに胸のストーンを握り締める。
その心情を解し、それでもなお彼は、夕季の前でそれを口に出さなければならなかった。
「かつては彼らと争っていたこともあった。遠い遠い昔の話だがな。争いを求める彼らから自分達を守るためにやむをえずだ。それは互いを削りあうだけの不毛な争いだった。いつしか何故争い続けるのかすらもわからなくなり、我々は抗うことをやめた。それが何も生み出さないことに気がついたからだ。我々は彼らの手から逃れるべく、深い深い場所へと潜った。だが彼らは我々を見逃してはくれなかった。執拗に我々を追いかけ、逃げても逃げても追い続けてきたのだ。まるで我々との争いを求めるように。この争いは、どちらかが滅びるまで終わらない運命なのだろう」
夕季はそれに答えようとはしなかった。
ただ自分の行く道だけを、その脳裏に焼きつけ続けていた。
「それでも行くのか」
「ええ」振り返らずに頷く。「それが何も生み出さなくても、悲しみを作り上げる元凶があるのなら、私はそれを放ってはおけない。イヨリのためにも。一人ぼっちになってしまったカノルのためにも」
「君にそれができるのか」
「……できる」
「或いはその元凶こそが、君自身や、君の愛する人達そのものであったとしてもか」
はっとなって夕季が振り返る。
そこにはすでに長老の姿はなかった。
村も、谷も、光もない。
ただ暗闇だけが夕季を取り囲んでいた。
混乱し、周囲を見回す夕季。
闇の中に一人取り残され、ようやく見つけた光のありかに目を向ける。
それはエメラルドグリーンの輝きを放つ、胸もとのストーンが発する光だった。
それを取り囲むように光の点が増え始める。
夜空に煌く星を描くように、瞬く間に無数の光が夕季の周囲に集結しつつあった。
そう、この光に導かれて、彼らはやってきてしまったのである。
村を壊滅へと誘ったのは、夕季本人でもあったのだ。
その救いのない責任を、今ここで昇華させなければならなかった。
イヨリとの約束を果たすためにも。
ジリジリと間合いを詰め、一斉に飛びかかった闇の軍団に誘いかけるように、夕季が空竜王に乗り込む。
迫り来る一撃をハッチの閉塞で逃れ、タイムラグゼロで覚醒させた白銀の刃でその半数近くを薙ぎ払った。
悲鳴も発せずにただ消えていく闇の住人達。
それらは記憶の中のインプや他の魔獣達に酷似しているようであり、またそのどれとも違うようでもあった。
すべてを殲滅し一息ついた頃合で、背後からの衝撃と激痛に、夕季が振り返る。
そこで目にしたものに、夕季は驚愕せざるをえなかった。
目の前に空竜王がいたからだ。
それはかつてあいまみえたレプリカとは違い、ひたすら黒く、光すら持たない闇のような相手だった。
対峙するだけで、自身の精神が吸い取られていくような錯覚すら起こさせる。
かろうじて意識の断絶から逃れられたのは、先に受けた衝撃のせいだった。
空竜王の背部を貫通したブレードが、夕季の背中へと到達し、わき腹にかけて深手を負っていたためである。
出血にかまう余裕もなく、夕季が攻撃行動にシフトする。
拡散空刃の乱れ撃ちとブレードの突撃を息もつかせぬコンビネーションで繰り出す。が、そのことごとくをこともなくかわされ、相手に反撃の機会を与えることとなった。
無尽蔵に襲い来る怒涛の攻撃を身を削りながらも何とかしのぎ、バックステップで間合いをはかる夕季。
しかし、黒き空竜王はそれをも正確に見極め、さらに一歩踏み込んできたのである。
まるで夕季の思考を先読みするかのような動きだった。
横払いのブレードが空竜王のハッチを紙のように切り裂く。
咄嗟にシートに身を押し沈めたものの、その切っ先は防御のためにかざした夕季の片腕をも奪っていった。
激痛に顔をゆがめた時、視界の半分が黒く染まっていることに気づく。
どうやら、先の立ち合いで光も一つ失ってしまったようだった。
あえぐように唇を噛み締め、残された身体と気力で前を見据える。
だがそれ以上の攻撃はなかった。
相打ち覚悟で突き刺した夕季のブレードが、黒空竜王の腹部を貫いていた。
両の膝を折り、抱きつくように黒い空竜王が活動を停止する。
それを確認し、夕季がハッチを展開させた。
油断は禁物ではあったが、それ以上に確信に近い自信がそうさせたのである。
そこにいるはずの搭乗者と、その思考の可能性を思い浮かべて。
攻撃パターンも回避行動も、すべてが夕季のそれに酷似していた。
いつしか夕季は、それが自分自身なのではとも思い始めていたのだ。
ならば行動の先読みも納得がいく。
半分になってしまった視野で、夕季はそれを見極めなければならなかった。
残された腕を相手のハッチにかけようとする。
その直後、めまいがして、夕季は膝から崩れ落ちていった。
そこで初めて全身に深手を負っていることに気づく。
冷静に見極め、自らの命がもう永くないことを悟った。
遠のく意識。
そこでは耳障りなノイズが乱入し始めていた。
『……ザ……ル……』
目まぐるしく入れかわる黒い風景の中で頭を抱え、フラッシュバックにすべての視界を奪われた。
『夕季、夕季』
誰かの声に夕季の心が呼び戻されていく。
『夕季、夕季……』
それは懐かしいとさえ思える優しげな響きだった。
やがて巨大な光の塊に抱かれるように、安らかにその瞳を閉じていった。
「夕季……」
目を覚ますと、眼前には心配そうに見つめる桔平の顔があった。
白色に覆い尽くされた無機質な部屋の中で、わずかに目線だけを動かし様子を探ろうとする。
「桔平さん……」
すると桔平がほっとしたような顔になった。
「……。……本当に夕季なんだな」
その言葉の意味が理解できずに、夕季が思いをめぐらせる。
一見病室のようではあったが、窓は一つもなく、十メートル四方程度の無菌室かシェルターのようにも見えた。
「ここは……。どうして……」
「夕季……」
すぐに顔色を曇らせる桔平。
その奥の壁際には、表情もなく見つめるあさみの姿があった。
他には誰もいない。
「お姉ちゃんは……」
「柊主任」
「ああ、わかっている……」
あさみに促され、桔平が重い口ぶりで話し始める。
「おまえ、あの時のことを覚えているか」
「あの時のこと……」虚ろなまま記憶をたどる。「……アンノウンプログラム」
「そうだ」重々しく桔平が頷いてみせた。「偵察のために出動したおまえが、大きな光の塊に飲み込まれたのは覚えているな」
「……あの後、どうなったの」
「……」口を真一文字に結ぶ。搾り出した言葉は、おおよそ夕季の想像を超えたものだった。「あの後、すぐに弾き出されたんだ。機体はほぼ全壊とも言えるほどのひどい状態だった……」
口をつぐむ桔平に、目覚めてからずっと抱え続けた違和感のわけを思い知る夕季。
「!」
差し上げた両手が、自分の記憶とは異なる変化を遂げていたのである。
「……」
ショックを隠しきれない夕季に、桔平はさらなる厳しい現実を突きつけなければならなかった。
「見てのとおりだ。おまえの身体は、以前のおまえのものではなくなってしまった。全部俺達の責任だ。すまん」
シーツをはがし、足もとも確認する。腕同様、両足も見慣れない機械へと変貌していた。
「だがな、夕季、おまえがおまえであることには……」
その声はもはや耳に届くことがなかった。
桔平からすべての経緯を説明され、そこがラボのような場所であったことを夕季は知った。
肉体の損傷度合いはひどいもので、四肢を始め、臓器のほとんどを人工のものと取り替えなければならないような大手術だったようだ。
元からの肉体とのフィッティングがいまだ不完全な状態であり、拒否反応を抑制し矯正するため、競泳用のユニフォームにも似たボディスーツに全身が覆われた状態だった。
そのため夕季は、自分の傷跡を確認することすらできなかった。
調整が不完全なうちは、自発的な歩行すら許されなかった。
生理機能はすべて接続されたプラグを介してなされており、夕季は調整終了の許可が下りるまで、何もせずにベッドの上で過ごさなければならなかったのだ。
現状において、排泄、摂取もすべてがサポートを必要とし、装置をはずせば身体機能に著しい影響を及ぼすと厳重に言い含められていた。
執拗に巻かれた頭部の包帯に触れ、それを解く気さえ起こらずに嘆息する。
顔にも大怪我を負っていることを告げられていたが、どのみちそこに鏡の類は一切なかったからだ。
せめて姉の忍に会いたいと申し出たものの、色よい返事は戻らなかった。
そのわけを推測する。
おそらくは、ことの動向が定まらぬうちは自分の存在は、生死不明、もしくはすでにこの世にないものとされているのだろう。
でなければ、たとえ変わり果てた姿になろうとも、忍が夕季の存在を簡単に消し去るはずがないからだ。
そう夕季は思い込もうとしていた。
わずかに心が揺らぎながらも。
あれ以来、桔平も数度部屋を訪れたにすぎなかった。
それだけで自分がおかれた状況をある程度推測できる。
少なくとも、しばらくは勝手に部屋から出入りする自由は与えられないはずだろう。
「!」
かたわらのテーブルの上に、緑色に輝く石を見つけた。
雅から預かっていたガイアストーンだった。
ストーンを取ろうとしてバランスを崩した夕季が、咄嗟に手を伸ばしベッドのフレームにしがみつく。
すると自然と足が出て、何の抵抗もなく立ち上がることができた。
おそるおそる数歩歩いてみる。
多少の違和感はあったが、ごく自然な所作で日常の動きを取り戻すことができた。
そして夕季はすべてを掌握するに至る。
ここに閉じ込めた輩らに、たばかられていたことを。
「ぐ……」
背後から近づき、夕季が二人の世話係を瞬く間に鎮圧する。
そこがどこかはわからなかったが、とにかく外へと飛び出した。
すぐさま警報のアラートが唸り始める。
不本意ではあったが、立ちはだかる幾人かを直接的な力で制し、脱出の糸口を模索し続けた。
ここがメガルであることを祈りながら。
地下数十階の回廊と幾重ものトリックを潜り抜け、ようやく夕季が地上へ出る。
はたしてそこは、メガルの本棟だった。
白衣と帽子を着用し、こそこそと目立たぬように徘徊する夕季。
見知った顔の何人かとはすれ違ったものの、明確な位置づけが不明である以上、安易な接触は避けようと考えた。
ただ忍に会いたかった。
そのためにはコントロールセンターへと赴かなければならない。
しかし、それは不可能だった。
勝手に抜け出した以上、桔平らを頼るわけにもいかないからだ。
忍び込んだメック・トルーパーのロッカー室で訓練服に着替え、帽子を深くかぶる。不自然ではあったが、もとの格好のままよりはいくらかましだった。
「!」
ふと目を向けた場所に見慣れた顔を見つけ、建物の陰に身を潜める夕季。
肩を落とし会話を交わすその二人とは、光輔と礼也だった。
「まだそんなこと言ってやがるのか」
礼也にたしなめられ、光輔が覇気のない表情を差し向ける。
「でもさ、俺、まだ信じられないんだよ。あいつが本当にいなくなっちゃたってのがさ」
「もう忘れろよ」
「でもさ、今にもひょっこりと……」
「あいつは死んじまったんだぞ」
その言葉にかつてないほどの破壊的な衝撃を受ける。
聞くまでもなく、あいつとは自分のことを指しているのだと、夕季は即座に理解した。
光輔の口もとがわなわなと震え、その目線を落とした。
礼也もそんな光輔から顔を背け、くっ、と喚くのだった。
物音に気がつき、夕季が顔を向ける。
そこには目を見開いて後ずさる、見知った顔があった。
そこにいることが不自然ですらある人物。
水杜茜だった。