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第三十七話 『ベリアルの友人』 10. 偽善者の正体

 


 茜は白いビニール袋を持ち、校舎の裏でゴミを拾っていた。

 コンビニエンスストアで受け取ったレジ袋の半分近くが、それまで拾い集めたゴミで埋まっていた。

 誰もいない場所で、誰に頼まれたわけでもなく、放課後の裏庭で無表情のまま淡々とそれを続ける。

 目の前に人影が立ったことに気づき顔を上げると、少しだけばつが悪そうに笑った。

「見られちゃったか」

 その笑顔を、先までの茜と同じような無表情な顔で夕季が見つめていた。

「いつもこんなことしてるの」

「いつもってわけじゃないんだけどね。気が向いた時だけ」にへへへ、と茜が笑う。「今日は多いなあって思って、少しいやになってたけど」

「手伝う」

 そう言って手を出そうとした夕季を、茜が慌てて阻止する。

「いいよ、別に。頼まれたわけでもないし、適当にやってただけだから。それにどうせそろそろやめようと思ってたところだったしね。古閑さんに見つかって、やめ時なくしたあって思ってたくらい」

「……ごめん」

「あっははは、冗談だってば」

 高らかに笑い、嬉しそうに夕季を眺める。

 が、その顔はどこかいつもより生気なく夕季には映っていた。

「でもせっかくだから、もう少しやろっかな。古閑さんの顔見たら、ちょっとやる気が出てきた」

「……」

 何も付け足さずに夕季が茜の手伝いを始める。

 それを後ろから眺め、今度は茜から疑問を投げかけた。

「どうしてこんなことしてるのか聞かないの」

 紙くずを手に持ち、表情をかえることなく振り返る夕季。茜の顔をじっと見つめながら、ゴミを袋に押し込んだ。

「悪いことをしているわけでもないし」

「いいことだったら、偽善者でもかまわないってこと?」

「そういうわけじゃ……」

「あっははは」

 おもしろそうに笑い出した茜に、夕季がやや困惑する。

 それを楽しげに眺め、茜は夕季に笑いかけた。

「古閑さんっていい人だよね」

「……違うと思う」

 てらいなくストレートを放り込んでくる茜に、戸惑いを隠せない夕季。

 それを見て尚も茜は、夕季の苦手なコース目がけて、直球だけを投げ続けるのだった。

「違わないよ、たぶんね。人のことってよくわかるんだ。自分のことはさっぱりだけどね」

 そう言って少しだけ表情を曇らせた茜の様子を、夕季が気にかけてみせた。

「私がどうかはわからないけれど、水杜さんはいい人だと思う」

「そんなふうに見える?」

「見える」

 笑顔で振り返った茜に、今度は目をそらすことなく夕季も直球を打ち返した。

 するとさらにおもしろそうに笑いながら、茜がやや意地悪な顔になった。

「わかってないなあ。実は私ってば、まっこと腹黒い人間なんですけどね」

「そうは見えない」

「計算、計算」

「……」

「どうやったらいい人に見えるのか、いつも考えてはいるけどね」

 少しだけあらわれた茜のかげりに気づく夕季。

「どうして」

「たぶん私は、古閑さんみたいにいい人じゃないから」

 そう言って顔を向けた茜の表情は、どこかやましさを含んでいるようにも見えた。

「むしろ、悪い人になろうとしているように見える」

 決して気遣うわけでもなく、夕季が素直に感じたことを口にする。

 それを受け、茜が苦笑いをしてみせた。

「騙されてるなあ、古閑さん。人を騙すのなんて簡単なんだよ。信じさせればいいだけなんだから。でも本当に信じてほしい人だけは、なぜだか騙せないんだけどね」

 言葉を失う夕季に、罪悪感を感じているかのような顔を向ける茜。

 それから茜は、陽の傾き出した空を眺め、小さく笑って切り出した。

「ここの人達って、掃除の時間でもちゃんと掃除しないんだね。教室とかもぱぱっとやっつけて、あとはみんなでおしゃべりしてる。教室の真ん中に紙くずとか落ちてても、全然気にならないみたい。前の学校が結構厳しかったから違和感あったんだけど、私もみんなとおしゃべりするの好きだから、結局同じことをしてる。それで偉そうなことなんて言えないしね。でも綺麗になってる時もあるから、誰かが拾ってくれてるってことなんだよね。ゴミはひとりでにはなくならないから。そういうことしてくれてる人がいるのに、私はその人のことを知らない。知らないけれど、やってくれてる人がいる。そう思ったら、自分がその人じゃないのが、すごく嫌な気持ちになってきてさ。その人に負けてるような気がして。聞いてみたらびっくりでしょ。ただの負けず嫌いが善意とか抜きで、意地くそでやってただけなんだから」

「……」

「ほんとはね、その人がどんな気持ちでそんなことやってるのかなって、知りたい気持ちもあったんだ。私の選択肢の中には、こういう行為ってなかったから。でも結局よくわからなかった。ゴミを捨てる人達への怒りなのか、やり遂げた達成感なのか。きっとそんなこと考えてる時点で、私は駄目駄目なんだろうなって、ただそう思った」

 以前、楓が校庭の清掃を一人でしていたのを、夕季は何度か目にしたことがあった。

 清掃時間にではなく、自主的にである。

 楓の性格的に他人の目を意識しての行為かと考えたこともあったが、周囲に誰もいない時にもちょくちょく目撃したことから、必ずしもそうではなさそうだった。

 それを特別なこととも感じずに挨拶をしていく人間に、掃除の手伝いを強要することもなく、当たり前のように手を止めずに楓も挨拶を返す。

 今では生徒会長の肩書きすらないはずなのに。

 楓ほどでもなかったが、みずきも目の前にゴミが落ちていれば拾うことがあった。

 目につけば会話中でも普通に拾う。悪態をつくこともあったが、ほとんど無意識のうちにそれをおこなっていた。

 まるで息をするように、ごく自然に。

 彼女らと比べ、たとえ茜が嫌々それをおこなっていたとしても、それはなんら区別する意味のないことだった。

 悪態をつきながらでもゴミを拾えば綺麗になるからだ。

 少なくとも、やらないことに言い訳をする人間にはそれを批判する権利はないと、夕季は思っていた。

「古閑さんも、よくゴミ拾ってるよね」

「!」茜に笑いかけられ、夕季が、ぐむむ、と顎を引く。「ごくたまに。……目の前に落ちてたりすると」

「そうかな。よく拾ってるイメージなんだけどな」

「……。普段やらない人間がたまにやるとイメージが強く残るから」

「それって自分で言っちゃうことじゃないよね。あっははは」

「……」

「見てる人は見てるって言うけどさ、それってほんとかなって思ってたんだ」

 声のトーンを落として話し始めた茜に、夕季が注目した。

「今、古閑さんが言ってたみたいにね、いつもそういうことしてる人って、それが当たり前のように思われてるじゃない。いいことしてるのに、まるで空気のように思われちゃう。で、たまにそういう感じじゃない人がすると、すごくプラスのイメージとして残る。アピールとしては抜群だよね。逆にいい人がちょっとお休みすると、なんだやっぱり偽善か、とか思われちゃったりね。いい人でいるメリットってなんだろうって、考えちゃう。むしろ損してばかりじゃないかな。中にはちゃんとそういうの見ててくれる人もいるんだろうけど、そういう人ってもともと陰ながら見守ってくれてる人達だから、あまりアピールには協力してくれないんだよね。あれこれ文句言う人に限ってマンガ本とか製品円盤とか買わないから、何も製作側に伝わらないじゃん、みたいなさ。まあ、こういう安直で打算的なこと考えてる時点で、自分のあまりの小ささに泣けてくるんだけど。でもよかったよ、古閑さんが見ててくれて。やってて意味があったなって思った。珍しく、損得抜きで嬉しかったから。ひょっとしたら、あなたみたいな人に褒められたくて、私はこんなことやってたのかもしれないな」

「……」

 言葉を失う夕季を眺め、茜が少し意地悪そうな顔になった。

「古閑さんがみんなにアピールしてくれると、もっと嬉しいんだけど」

「……じゃあ」

「嘘だよ」申し訳なさそうに見つめ、あっははは、と笑う。「やめて、恥ずかしいから。さすがにあざとすぎでしょ。逆に好感度ダウンもいいとこ」

 そう言って屈託なく笑う茜の顔に、夕季の視線が吸い込まれる。

 夕季をからかっておもしろがる部分が、どこか雅と重なって見えた。

 ふいに笑うことをやめ、嬉しそうに夕季に振り返る茜。

「でもいい人になってみてわかったこともある。いい人って、いろいろな人達を支えているからいい人なんだよね。普通の人達だけじゃなくて、駄目な人も、悪い人も。そういうことを損得で考えないから、本当にいい人なんだろうな。私には到底無理。どう、腹黒いでしょ」

「……誰でも考えることだから」

 笑顔で振り返る茜を、夕季が真正面から受け止める。

「好きな人だけでなくて、誰にでも優しくすることってなかなかできない。本当にそうなのかどうかはわからないけれど、それをしようとしているだけでも水杜さんはすごいと思う。表面だけではずっとは続かないから。たぶん、水杜さんは自然とそれができているんだと思う。あたしには、……絶対無理」

 照れつつの夕季のフォローに、茜が嬉しそうに笑ってみせた。

 一点の曇りもない笑顔で。

「そう。なんだか気が楽になった。ありがとう」

「……うん」

「ねえ、私もゆうきって呼んでいい」

「いいよ」

 茜からの突然の申し出にも、ためらうことなく夕季が頷く。

 それが笑顔であることに、茜は嬉しそうに笑い返すのだった。

「ゆうちゃんの方がいいかな」

「別にいいけど……」少しだけ困った顔になる。「光輔の前ではやめてほしい」

「あっははは。絶対からかうよね、あの子。じゃあさ、私のこともあかねって呼んでよ。じゃないと変だから」

「……あかねさんじゃ駄目」

「駄目じゃないけど……」苦笑いで夕季を見つめる茜。「みずぴーのことは、みずきって呼んでるよね」

「みずぴー?……。みずきは……」

 友達だからと言いかけ、夕季が思いとどまる。

 それを察し、茜がふっと笑った。

「かえろっか、夕季」

「……うん」

「……。やっぱりまだしっくりこないね……」

「ごめんなさい……」

「そのうち自然に呼び合えるようになるから待ってて」

「うん」

 二人が笑い合った。

「ねえ、じゃあ、あかねちんは?」

「……つらい」

「……つらいの?」


 駅までの並木道を初めて二人だけで並んで歩く、夕季と茜。

 夕季にやや固さは見られたものの、気さくに話しかけ続ける茜に心を開きつつあった。

「でね、まるもっちゃんがさ……」

「……」

 ふいに茜の言葉が途切れる。

 それを不思議に思い振り返った夕季が見たのは、それまで見たこともなかったような覇気のない茜の顔だった。

「また転校するかもしれない」

「!」

 さすがに驚きの色を隠せない夕季に、茜は少しだけ淋しそうに笑って続けた。

「思ってたより早く、お父さんの仕事がかたづきそうなんだって。本当は来年の夏休みくらいまではいられそうだったんだけど、話が全然違うじゃん。もともとお父さんの身の回りの世話とかする目的でついてきてたんだけど、今度は国外にいかされそうだから、もとの学校に戻った方がいいかもって言われた。やっとここにもなじんできたんだけど」

「……前の学校なら、今より親しい友達もたくさんいるんだよね」

「まあね。そういう意味では楽かもね。気合入れすぎて結構無理してたし、ここでは。なんか変だったでしょ、私」

「……そんなふうには見えなかった」

「そんなはずないよ。自分が一番よくわかってる」

「……」

「嘘でもそういうふうに言ってもらえると、嬉しいけれどね」真顔でそう答え、また淋しそうに笑ってみせた。「でも、なんだか淋しい感じ。ここの人達も、大事な友達だって思ってるから。やっと手に入った、失いたくないものだから……」

「……」

「ベリアルって悪魔、知ってる? ソドムの街を崩壊させた悪魔」

 表情もなく夕季が茜の顔に注目する。

 聞き覚えのある単語だったからだ。

「ベリアルは、どの悪魔よりも人間を嫌ってる。人間達を憎んで滅ぼそうとしている。理由は定かではないけれど、人間がベリアル達の領域を侵そうとしたからだとか聞いたことがある。だから他の悪魔達が怒って自分達の世界に帰ってからも、一人だけこの世界に残ったの。表向きは改心して見せて、他の悪魔から人間を守るため。でも本当は、一人残らず人間達を消し去るのが目的なの。人間達が描く悪魔の中でも、より異質な感じがするのもそのせい。ベリアルはいつでもどこかから私達を見ている。親しい友人の姿で近づいて、心配するふりを装いながら危険な言葉を耳もとで囁くの。甘い吐息で油断させておいて、相手を破滅させるために。そしていつしか私達は欺かれる。自分達すら気づかないうちに。誰もその姿を見た人はいない。でも死の間際になってようやく気づくの。あれがベリアルだったんだって。人間達はいつか必ずベリアルと戦うことになる。いつか必ず。それだけじゃない。ベリアルは仲間の悪魔達も裏切っているから、仲間達からも嫌われているの。だから彼らすらも滅ぼそうとしている。狡猾なベリアルは人間達と自分の仲間を戦わせ、互いを同士討ちさせようとしているの。理由なんてない。誰にも理解することすら無理。ただそれがベリアルだからとしか言い表すことができない」

「……」

 何かに取り憑かれたかのように一心不乱に話し続ける茜に、夕季が警戒心を強める。

 それを気にとめることもなく、茜はわずかにトーンだけを落とした。

「ベリアルが必ずしも他人であるとは限らない。なぜなら、ベリアルはもう一人の自分でもあるから。別の世界にいるベリアルが、もう一人の自分にとってかわろうとするの。その人から、何もかもを奪って」表情を読み取ろうと眉を寄せた夕季に気づくように、茜がその接近を背中で阻止する。そしてそれまでにない、冷えた言葉を発した。「私達って、なんとなく似ている気がしない? どうしてそんなことを言い出したのか、もう気がついているんでしょ」

「……」

「そう、私があなたのベリアルだから……」




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