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第二十九話 『いびつな器』 9. ゆがんだ袋

 


 司令室別室で木場とあさみが打ち合わせをしているのを、桔平は表情もなくながめていた。

 それは単なる日常的な光景にすぎない。

 部下と上司。

 だがその雰囲気はわずか一年前から比してみても、かなり違って見えた。

 あさみの性格はまるで変わってしまったが、木場に寄せる信頼だけは出合った頃からまったく変わらないようにも映った。

 それは桔平も同じだった。


           *


 吹き飛ばされ、コンクリートの塀に叩きつけられた桔平が、苦しげに顔をゆがめた。

 いまだ消えない闘志をみなぎらせ激しく睨みつける視線の先には、厳しい表情で仁王立ちする木場の姿がある。

 二人の面立ちは幼かったが、すでに男の顔つきそのものだった。

「やめて、木場先輩!」

 今にも泣きそうなあさみに目もくれることなく、ぜいぜいあえぐ木場が顎の汗を拭い桔平を見下ろす。

「おまえ、小さいくせに根性あるな。俺は三年生はおろか、ここいらの高校生にだって負けたことがないというのに」

「うるせえ、このでかぶつが」

「なんだと、このくそチビ!」

 鬼の形相で木場が一歩踏み出す。

 急遽、もう一ラウンド追加されることとなった。

「もうやめて。二人とも、大っ嫌い!」

 泣きながら走り去ったあさみを、木場が複雑そうに見送る。

 それを眺め、桔平が吐き捨てるように言った。

「追いかけなくていいのかよ。完全に嫌われたんじゃねえか、ゴリラ野郎」

「二人って言っただろが、おまえもだ。って、ゴリラ野郎ってどういうことだ!」

「ゴリラみてえなでくのぼうだからゴリラ野郎って言っただけだ」

「貴様!」

 小休止を経て復活した桔平が、木場の腹部に頭突きをくらわせた。

「ぐぼおっ!」

 健闘はしたものの自力の差はいかんともしがたく、いまだしっかりと立ち続ける木場に対し、桔平はよろめく足腰を何とか立たせるのがやっとだった。

 がくがくの膝に気合の鞭を入れ、顎の下の汗を拭い取る。

「俺の方が強い。俺が一番強い。俺が一番……」口内の血をごくりと飲み込み、目の前の大男を睨み続けた。「だから、てめえなんかにゃ絶対負けねえ」

 それを眉一つ揺らさず木場が眺める。

 それから静かに口を開いた。

「一番強くなってどうする。それでまわりをすべて服従させて、王様にでもなるつもりか」

「!」

「王様になりたければなればいい。おまえが誰だろうと俺には興味がない。できれば相手にもしたくはない。だがおまえがあまりにもちっぽけすぎて叩きのめす必要があるから、仕方なしに相手をしているだけだ」

「俺がちっぽけだと!」

 いきり立つ桔平。

 激しい憎悪剥き出しで食らいつく下級生を、しかし木場はあわれみの表情で見下ろすだけだった。

「誰からも相手にされない、ちっぽけな人間だろうが。おまえはそれが気に入らなくて焦っているだけなんじゃないのか」

「ふざけんな! 上等だ。てめえらがそんなふうに見てやがんなら、俺は俺以外のすべてを叩き潰すだけだ。今までどおりに。てめえが言うように、王様にでもなんにでもなってやる。まるごと全部土下座させて、俺の言いなりにしてやる。てめえも俺の奴隷の一人だ」

「笑わせるな。信頼の置ける家臣が一人もいない王なんて聞いたことがないぞ。今のおまえじゃ誰もついてはこない。力づくでねじ伏せてもいつかはみんな離れていく。もし本当に王様になりたいのなら、おまえに一番必要なのは腹を割って話せる友達だ」

「ふざけんな、てめー! ふぬけのたわ言なんざ、もううんざりだ!」

 進まぬ足を無理やり押し出し、桔平が木場に殴りかかっていった。


 刹那の後、大の字になってくたばっている桔平と、そばで息を切らせている木場の姿があった。

 複雑なまなざしで桔平を見つめながら、ざわざわと近づく雑音に意識を向ける木場。

 現れたのは三年生達の集団だった。

「何か用か」

 ジロリと見やった木場から目をそむけ、中の一人が桔平を顎でしゃくる。

「おまえじゃねえ。そっちのチビに話がある」

 その顔ぶれに桔平は見覚えがあった。 

 いずれも、桔平にケンカで負けた輩達であり、頃合いを見計らい、やって来たのだ。

 苦痛に顔をゆがめ、桔平が立ち上がる。ダメージは全身に及び、肩で息をしながら膝をついた。

 それでも退くことのない闘争心だけは、相手に叩きつけ続けていた。

 その様子をちらと見て、木場が三年生達に向き直った。

「話なら俺が聞く。ことと次第によってはもう一度俺がこいつをぶちのめす」

 桔平が動きを止めて木場に注目する。

 もはやいきり立つ乱入者達すら、その視界に映っていなかった。

「てめえは関係ねえだろ。すっこんでろ」

「ある」

 腰の引けた一人が木場に食ってかかり、ジロリと返り討ちに合っておとなしくなった。

「こいつは俺の友達だ。文句があるなら俺が聞く」

 きっぱりと言い切り、木場が桔平を親指でくいと指す。

 硬直する桔平。

 何も言い返せずにすごすごと引き返していく三年生達には目もくれず、桔平が仁王立ちの木場を激しく睨みつけた。

「おい、てめえ、ふざけんな」

 木場が振り返る。まるで何事もなかったかのように。

「何がだ」

「勝手に友達とか言ってんじゃねえ。気色わりい」

「俺もだ」残念そうに眉をひそめる。「だが咄嗟にそれしか浮かんでこなかった」

 それで桔平が納得できようはずもない。

「うぜえんだ、てめえ。おら、続きやんぞ」

「断る」

 ふらふらのファイティング・ポーズをかろうじて保つ桔平が、気のない木場の返答に表情をなくす。

 木場は木材の上に置かれた制服を着込みながら、のん気な声を出して言った。

「小さい奴とケンカするのは疲れるからな。俺とまたやりたかったら、身長をあと十センチ伸ばしてから来い」

「……。てめえが十センチ削って来い」

 勢いを削がれた桔平が、精一杯の強がりを続ける。

 それすら一笑にふし、木場は背中を向けた。

「それができるのならとっくにしている」あきれたように鼻で笑った。「ただでさえ家が貧しくて服を買う金もないというのに、まだ成長が止まらん。おまえがうらやましい」

「……」

「俺は野球部で今度主将になった。力が有り余っているのなら、おまえも野球部に入れ」

 もはや立ち向かう気力も失せ、ただその背中を見守るだけの桔平に、木場が立ち止まって一言添えてみせる。

 それに対する桔平の返事は、予想どおりのものだった。

「……誰がてめえの下なんぞに」

「ならもう相手をしてやらん。俺はそんなにヒマじゃないからな。悔しかったら何でもいい。俺を見返してみせろ。ただし、ケンカ以外でだ」

「おい、てめえ、待て!」

 立ち去ろうとする木場を引き止める桔平。

 すると木場は自嘲するように笑って返したのだった。

「すまんが、これからバイトだ。親父が呑んだくれのぐーたらだからな。生活がかかっているから、これ以上は相手してやれん。妹に新しい服も買ってやりたいしな。おまえには特別に進藤のそばをうろちょろする許可をやるから、ありがたく思え」

「はあ!」

「彼女には借りがある。今のバイト先も進藤が親父さんに頼んで紹介してくれたんだ。バカどもが寄って来ないように勝手に見張っていたんだが、俺もいろいろと忙しくなってきた。本当なら他人に任せたくはないが、おまえは見込みがありそうだ。あいつのボディガードはおまえに任せることにする」

「何、勝手言ってやがる!」

「頼む」

 その真剣な口調に、桔平が言葉を失う。

 続けて木場が口にしたそれに、桔平の全身が総毛立った。

「おまえが作ろうとしているのはなんだ。国か、家族か」

「はあ!」

「何かを守るために強くなりたいんだろう。誰か、か?」

 すべてを見抜かれていることに気がつき、桔平は動けなくなった。

 今、決めなければならなかった。

 従うべきか、戦うべきか。

 が、そんな桔平の葛藤もつゆ知らず、木場は振り返って笑ったのだった。

「もしおまえがそれを守るために無理をしなければならないのなら、いつでも俺に言ってこい。少しくらいなら、力になってやれるかもしれん」

「……」

「おまえの性根は曲がっている。だが腐ってはいない。そのゆがんで縮こまった袋をまっすぐ大きく広げることができたら、俺もその中に入ってやってもいいぞ」

「……」桔平がぐっと顎を引く。「てめえみてえなデカブツが入る袋なんざ、どこにもねえよ」

「そうか。なら、俺の勘違いだ」

 そう言って笑った木場の顔を、桔平はまともに見続けることができなかった。

 涙が出そうになるのをごまかすために、顔をそむけて、けっ、と吐き捨てる。

「ガキが偉そうに語ってんじゃねえぞ」

「いいだろうが。ガキ同士なんだから」

「……。けっ、ゴリラえもんが」

「……」ふっと笑う。桔平に背中を向け、それから気がついた。「なんだと、貴様!」

「おせえだろ……」


           *


 いまだ変わることのない木場の大きな背中を眺め、桔平が深く息を吐き出す。

「ゆがんだ袋、か……」

 そう呟いた。


 その一報を受け、桔平の顔が険しくゆがんだ。

「何! レプリカが盗まれただと!」

 腕組みのあさみが、眉も揺らさずにそれを受け止める。

「たった今、連絡があったわ」

「誰が! 何のために!」

「まだ何もわからないわ。ただ管理していたデリーの人達の話によると、誰も侵入した形跡はなかったそうよ。あなたも知っているでしょ。デリーの警備の厳重さは」

「……」

 桔平が口に手を当てて考えにふける。

 そのとおりだった。

 デリー支部の警備体制はメガル随一で、百万の軍隊を持ってしても打ち破れないだろうと揶揄されるほど大げさなものだったのだから。

「……。じゃ、誰が」

「内部の犯行かしらね。共同出資の形態をとってはいるけど、中国はデリーのことをよく思ってないみたいだし」

「それは無理だ。口裏を合わせるだけで、数万人単位の懐柔が必要になる。それも全世界の関係者が関わっているから、デリーが組織ぐるみで行ったとしても必ず破綻する」

「不可能ね。アメリカもロシアも無理。なら、もっと非現実的だけど、可能性のある原因だとしたら?」

「は?」

 ポカンと口を開けた顔を向ける桔平に、意味ありげな笑みを差し向けるあさみ。

 それから口もとの笑みを消し去り、静かにそれを口にした。

「私達が彼らの怒りを買ったのだとしたら……」







                                     了


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