~その9~ もうすぐ結婚式
いよいよ、12月になり、式よりも前に婚姻届を出した。だから私はもう、緒方弥生だ。とっても嬉しい。だけど、結婚式のプレッシャーが半端なく、手放しで喜べないでいた。
「上条さんじゃなくて、もう、弥生様って呼ばないとね」
細川女史に言われた。他の秘書のみんなも、すでに「弥生様」と呼んでいる。社内で会う人も、「弥生様」と私を呼ぶ。
大塚さんだけ、上条さんって呼んでいたけど、最近になり、弥生様と呼び出した。
「婚姻届を出したんだから、もう、副社長夫人なんですものね。弥生様って呼ばなくちゃ」
そんなことを言いつつ、本当は面白がっていると思う。
「ところで、結婚式のドレス、もうできあがったの?」
「はい。この前、試着してみたんです。すごく素敵なドレスでした」
「すごいよね。ジョージ・クゼがデザインしたんでしょ?」
「はい」
「ヘアメイクは、渋谷吾郎でしょ?」
「大塚さん、ご存じなんですか?」
「知ってるわよ。メイクの本にもよく出ているし」
「いえ。そうじゃなくて。私の結婚式に渋谷さんがヘアメイクしてくれるっていうのを、どうして知っているんですか?」
「え?だって、雑誌に出ていたわよ。緒方財閥の総帥の息子の結婚式って、今、話題になっているわよ?」
うそ~~~!
「上条グループと提携を結んで、アメリカにビルを建てて進出。かなり注目浴びているもんね。テレビでも、アメリカで建てるビルのこと、ニュースになっていたし、ワイドショーでも話題になっていたし」
「それは観ましたけど。でも、結婚式までそんなに知れ渡っているとは…」
「知らなかったの?一臣様って、芸能人なみに有名なの…。あのルックスだし、確か、一回テレビにも出ていたと思う」
「え?!いつですか?!」
「会社に入社してすぐだったかなあ。ね?細川さん」
「社長がテレビに出た時、息子として出ていたわね、そういえば」
知らなかった!それ、見ていない。
そんなに有名なのか。ますます、結婚式が憂鬱になってきた。麗しい一臣さんの隣にいて引けを取らないかな。一臣さんや緒方財閥のみんなに恥をかかせないだろうか。ううん、上条グループにだって。
そうか。それで一臣さん、ダイエットをしろとか言ってきたのかな。
楽しみだった結婚式が、どんどん憂鬱なものに。どうしよう。
暗い。
今夜は一臣さん、遅いんだっけ?
結婚したら、もっと一緒にいられるようになるのかあ。工場視察だって最近一緒に行っていない。一緒に行くって言っていたのにな。
結婚式まで今日を合わせ、あと3日。明日も全身エステ。それから脱毛もする。
ああ、緊張だ。ドキドキだ。もう結婚式に出るため、如月お兄様も日本に来ている。先日、奥様とお子様も引き連れ、お屋敷に会いに来てくれた。一臣さんは忙しくていなかったけれど。
お兄様も「弥生、痩せたなあ。綺麗になったなあ」と言ってくれた。嬉しかった。でも、自分ではどこがどう変わったかよくわからない。
確かに、ウエストのくびれはできたって、鏡を見て自覚しているけど、それだけだ。
その日は、ランチを久々に大塚さんと江古田さんと食べた。会社のカフェで食べたら、思い切り注目を浴びてしまった。
「弥生様よ。もうすぐ結婚式よね」
「とうとう、結婚されるのねえ」
籍はもう入っている…というのは、ごく1部の人しか知っていない。
「会社のカフェだと、あれこれ言われちゃいますね」
江古田さんが小声でそう言った。
「でも、結婚式まではあまり外出しないようにって言われているし、しょうがないわよね」
大塚さんが、サラダを食べながら淡々とそう言った。
あの、誘拐事件以来、ビルの外での食事もしないようにと言われているし、帰りも等々力さんの車ですぐに移動するようにしている。一臣さんがいない時には、日陰さんが助手席に乗ることもある。
ジムでも、周りを見ると、やけにごっつい人がマシンでトレーニングをしていたりするが、たいてい、侍部隊の人だ。忍者部隊の人はあまり人前に出ないので、ジムでもどこかに潜んで私を見守っているようだ。なにしろ、車から知らない間に日陰さんは降りて、帰るまでどこに雲隠れしているのかもわからないが、私のことをしっかりと守っているようだ。
エステは男性禁止。その間、女性の忍者部隊の人が守ってくれていると、一臣さんが言っていた。女性も忍者部隊にいるんだなあ。あ、細川女史もそうだっけ。クの一っていうやつかしら。かっこいいなあ。
一臣さんも、私同様、どこに行くのでもしっかりと数人の人がガードしているらしい。
「ねえ、弥生様。結婚したら、すぐに子作りに励むの?」
また、大塚さんはそういうことを聞いてくる~~。
「それは、その。多分…」
答えづらいなあ。なんだか、恥ずかしい。
「一臣様は子供何人欲しいって?」
「特にそういう話はしていないけど…。でも、すぐに子供は欲しいって言っていました」
と、大塚さんに答えると、カフェにいる周りの人たちが耳をダンボにして私の話を聞いているのがわかった。
「お、大塚さん、そういう話は、また今度…」
小声でそう言うと、大塚さんも周りのみんなに気が付いたようで、
「そうね。今度じっくりね」
と、ひそひそとにやつきながら、そう答えた。
ランチが終わり、一旦、一臣さんのオフィスに戻った。すると、樋口さんがいて、
「一臣様もお戻りですよ」
とにこやかにそう教えてくれた。
一臣さんが、帰ってきてる?!
わあ~~~い!!!喜びながらドアをノックして、一臣さんの返事も待たず、バタンと開けた。
「一臣さん!!おかえりなさい!!!」
「ただいま」
そう言いながら、一臣さんはソファに座ったまま、両手を広げた。私は駆け寄り、一臣さんの胸に抱き着いた。
ギュウ。抱きしめると一臣さんも抱きしめてくれた。そして、くるっと私の体を前に向かせて、膝の上に座らされた。
「午後は時間が空く。どうする?」
「え?」
「ここでするか?」
「いいえ。そ、それは、その…」
「っていうわけにもいかないんだ。親父が後で来るって言っていたし。ずっと大阪支社に行っていたけど、ようやく東京に戻ったらしい」
「総おじ様が?あ、違った。お義父様だった」
「弥生に会いたがっていたからなあ。ハイテンションで来るんだろうなあ」
そう言って一臣さんは、私をギュッと抱きしめた。
「せっかくの二人きりの時間が…」
ぼそっと寂しそうに一臣さんが呟いた。キュン!なんか、一臣さん、可愛い。
時々甘えたり、可愛くなる。きっと、こんな一臣さんを知っているのは私だけなんだよね。
お義父様は、一臣さんの予想通り、ハイテンションでやってきた。
「弥生ちゃん!お土産あるよ~~」
甘そうなケーキだ。私の目が光ると、
「親父、それは他の誰かにあげろよな。弥生は今、ダイエット中だ」
と言って、テーブルに置かれたケーキをまたお義父様の手に持たせた。
「弥生ちゃんに買ってきたのに」
「今までの弥生の苦労が水の泡になるんだよっ。明後日結婚式なんだぞ!」
「多少食べたって、大丈夫だろ?」
「ダメだ!ウェディングドレスが入らなかったらどうするんだよっ!」
お義父様は、寂しそうにケーキを抱え、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「え?あれ?」
何か用があったんじゃないの!?
「あ、拗ねたな。ま、いっか」
え~~~~~!
「お義父様、何か用事があったんですよね?」
「いいや。弥生に会いたかっただけだろ」
「でも、だとしても…」
「いいんだよ。これで二人きりの時間が持てるってもんだ」
まったく~~。そう言って、私に抱き着いてきたし。
「いよいよですね、結婚式」
「ああ。さっさと終わらせたいよな」
「はい」
「…ん?緊張しているのか」
「はい」
「まあ、気軽にしてろよ。俺らは座っているだけ。あとは勝手に周りが動くから」
「でも…。みんなに見られていると思うだけで緊張です」
「大丈夫だ。それなりにプロが何とか見映えよくしてくれるはずだから」
え…。そういう心配じゃ…。いや、そういう心配もあるか。一臣さんの花嫁として、相応しく見えるかどうか。
「弥生は全部、周りの奴の任せておけばいい。な?」
「はい」
「ただ、バクバク食べるのだけはよせよな?」
「しません。緊張で何も喉を通りません」
「はは…。だったらいいが、いつもみたいにバクバク食っていたら、さすがにみんな引くだろうからな~」
もう!いつもだって、そんなにバクバク食べていないよ。
あ、そうか。こうやって冗談言って、緊張を解いてくれているのか…。
一臣さんが、「怖いぞ」とか「鳥肌が立った」とか言うのは、照れ隠し。それはなんとなく、最近になってわかってきた。
冗談を言ってからかうのも、私に緊張させないようにしているのかもしれない。一臣さんの優しさなのかも。
ギュ。一臣さんを抱きしめた。一臣さんのコロンに包まれて、安心とドキドキを感じる。
そして…。いよいよ、結婚式の日がやってきた。
緊張で朝から何も食べれそうもなかった。でも、
「弥生様、式ではきっと何も召し上がることができないと思うので、朝食はしっかりととったほうがよろしいですよ」
と、喜多見さんに言われ、なんとかお味噌汁とご飯と漬物だけを流し込んだ。
「一臣さんは何も食べなくても大丈夫なのかな」
「一臣お坊ちゃまは、大きなパーティや、他にもいろんなセレモニーに出たこともありますし、それなりに心得ていると思いますよ」
なるほど。緊張なんてしていないんだな…。それもそうか。面倒くさがってはいるけれど、緊張なんてしないか。
「弥生様、大丈夫ですか?顔色、あまりよくないですけど。昨日、寝れましたか?」
「はい。一応…。何度か目が覚めたりしましたけど」
「頑張ってくださいね!私たち、ついていくことはできないんですけど、応援しています」
「はい。ありがとう」
亜美ちゃんとトモちゃんにそう言われ、少し元気が出た。
部屋に戻ると、一臣さんは余裕の顔で新聞を読んでいた。
「朝飯食えたのか?」
「はい。頑張って食べました」
「そうか。じゃあ、そろそろ行く支度をするか」
「はい」
わあ。ますます緊張してきた!
ふわ…。
思い切り緊張していると、一臣さんが私をそっと抱きしめた。
「一臣さん?」
それから、髪を優しく撫で、耳たぶにキスをした。
ドキン。
「寝れたのか?」
「はい。多分」
「多分?」
「何度か目が覚めちゃって…」
「そうか。俺は弥生が隣にいたから、ぐっすり寝れたけどな」
「ですよね」
くーくー可愛い寝息立てて寝ていたもん。
「弥生。俺も緊張はしている」
「え?うそ」
「嘘じゃない。さすがの俺だって、緊張くらいはする」
「そうなんですか!」
「俺をなんだと思っているんだ。ロボットじゃないぞ」
「ロボットだとは思っていません。でも、緊張とかしないんだろうなって、そう思っていました」
「緊張するさ。副社長の就任式の時も緊張したしな」
そうなんだ。緊張しているって言うのを、まったく感じさせないからわからなかった。
「弥生が隣にいるから、安心できる」
「え?」
「弥生がいつも俺のそばにいてくれるから、いろんなプレッシャーから潰されないで済む」
あ。そうだった。副社長に就任するんだって、一臣さんにとってすごくプレッシャーなことだったんだ。
「弥生がいなかったら、きっと俺はまだ睡眠障害を患っていた。無事、副社長になれたかどうかもわからない。それに、フィアンセが弥生じゃなかったら、今日の結婚式は人生最悪のものになってた。逃げ出したいくらいのな」
「……」
一臣さんは優しい目で私を見つめ、優しく頬にキスをした。
「弥生でよかった。弥生だから、嬉しいって思える」
「嬉しい?」
「今日の式だ」
「嬉しいんですかっ?!」
「当たり前だろ?惚れている女との結婚式なんだからな」
うわあ。嬉しい!!
「泣くな。目が腫れたらブス顔になるぞ」
「は、はい~~~」
ぐっと泣くのを我慢した。すると、
「あはは。今の顔、最高」
と思い切り笑われた。
行く準備を整え、一臣さんと部屋を出た。いつものように一臣さんは、私の腰に腕を回し、
「じゃあ、行くぞ?」
と優しく囁いた。
「はい!」
なんだか、元気が出てきちゃった。
もう大丈夫。緊張しているけど、でも、私には一臣さんがいる。
それに、メイドさんも、コックさんも総出で玄関先まで見送りに来てくれた。
「弥生様、一臣様、いってらっしゃいませ」
「はい、行ってきます!」
こうやって、みんなが私と一臣さんを応援し、見守ってくれている。
だから、大丈夫。
車の中で、一臣さんの手を握った。車内でも、樋口さんと等々力さんが優しい言葉をかけてくれた。
そして、時々一臣さんは、冗談を言って私をからかい、大笑いをした。
車は、どんどん結婚式場であるホテルに向かって行った。