~その6~ ビバ!夏のバカンス
私は、一臣さんの腕の中で、思い切り甘えていた。なんでだろう。すごく甘えたくなっていた。
不安だからじゃない。きっと、二人きりの時間が、すっごく嬉しくて、気分がハイになっているからだ。
一臣さんは、いつもベッドで優しい。ベタベタに引っ付き、抱き着いたとしても、優しく受け止めてくれる。でも、さすがに今日は、
「今日の弥生、甘えん坊だな」
と言われてしまった。
「い、嫌?」
「ん?」
「甘えん坊は嫌ですか?」
「弥生に甘えられるのは嫌じゃない」
ほ…。いい加減、嫌になったのかと思ってびびっちゃった。
「甘えん坊ですごく可愛いって思っていた」
「え?」
可愛い?
「誰かに甘えられるのは苦手だったのにな」
「…一臣さんも甘えていいですよ」
「はは。もう甘えてる。それは自覚している」
「え?そうなんですか?」
「そうだろ?弥生も俺が甘えると、優しく髪や背中を撫でているだろ?」
あ。私の胸に顔をうずめてくる時?
しばらくベッドの上で、二人でいちゃいちゃしていた。この時間が好きだ。一臣さんと手を繋いだり、指を絡めたり、足を絡めたり。抱きしめたり抱きしめられたり、キスをしたり。
「そろそろ、シャワー浴びて着替えないとな」
「…もう、ですか?」
まだ、こんな時間を満喫していたかったのに。
「じゃあ、軽井沢デートをやめるか?」
そうだった。デートだった。
「やめないです!先、シャワー浴びてきます」
私はそう言って、ダッシュでベッドからバスルームに駆け抜けた。
「ダメだ!一緒に浴びるんだ」
そう言って、一臣さんまで狭いユニットバスに入ってきた。
「ここ、一臣さんの部屋みたいに大きくないですよ」
「いいだろ?くっつきあって、体洗うのも」
もう。とか言いつつ、まだまだ一臣さんといちゃつけて嬉しい。
そしてシャワーも済み、私は一臣さんに買ってもらったワンピースに着替えた。一臣さんは、ラフなシャツにラフなパンツ。いつもスーツ姿でバシッと決めているから、雰囲気が違う。でも、とっても似合う。何でこうも一臣さんって、何を着ても麗しいのかな。
「なんだよ」
「え?」
「そんなに見惚れるな」
「ごめんなさい」
また言われちゃった。いまだに見惚れていると「怖い」とか、「寒気がする」って言うんだもん。冗談なのか、本気なのか。やっぱり、大学時代のトラウマなの?
でも、私の背中に腕を回し、ご機嫌そうに階段を降りたから、嫌がっているわけじゃないんだよね。いつも、そこだけちょっと複雑…。
等々力さんの車に乗り込み、私と一臣さんは軽井沢へ向かった。
ああ。これぞ、避暑地デート!って感じだよね!
って、わっくわくで軽井沢に行くと、
「すごい人ですね。都会みたい」
と、思い切り期待を裏切られた。道路は混んでいるし、人はいっぱいいるし。
もっと、涼しい場所で、人もいなくって、二人きりの時間を優雅に満喫できると思っていたのに。
「こんなもんだろ、軽井沢の夏ってのは」
「そうなんですか…」
「安心しろ。昼飯は、この混雑なところとは離れた店で食うから」
「え?」
「等々力、先に昼飯食うから店に行ってくれ」
「はい」
そうなんだ。どんなレストランかな。わくわくだな。
「ここですか?」
「ああ。会員制で、予約も1日に数組しか入れないこだわりの店だ」
へえ。へえ。へえ~~!すごい!
「なんのお料理のお店ですか?」
「そんなに堅苦しくない感じの懐石料理だ。ちゃんと腹いっぱい食えるから安心しろ」
そう言いながら一臣さんは車を降り、
「等々力、悪いな。別室で食べてもらうことになって」
と、等々力さんに謝った。
「いいえ。こんな素敵なレストランでお昼をいただけるだけで満足です」
「え?一緒にじゃダメなんですか?」
「弥生様は一臣様とお二人でどうぞ。せっかくのデートなんですから」
ぼわ。
あ、なんか、顔赤くなったかも。
「ほら、弥生。行くぞ」
「はい」
一臣さんがいつものように背中に手を回し、エスコートしてくれた。そして、お店のドアを開けると、
「いらっしゃいませ、緒方様」
と、綺麗な50代くらいの女性が出迎えてくれた。
「ああ」
「3年ぶりですか?まあ、お隣にいらっしゃる可愛い方は?」
「フィアンセだ」
「え?」
一瞬、その女性が固まった。そして、
「そうなんですか。フィアンセの方とご一緒に来られたんですね」
と、すぐにその女性はにこやかになった。
「俺が婚約したことは知らなかったのか?」
「いいえ。存じておりました。フィアンセがいらっしゃることも、もう随分と前から。でも、緒方様、ずっとそのことで、悩んでいらしたので…」
「……今は大丈夫だ。だから、フィアンセの弥生も連れてきたんだ」
「そうですか。…ふふ。香がいたら、ショックを受けるでしょうね」
「香…。ああ、娘さん、今日はいないのか」
「ええ。今年から東京に行って働いていますから」
そんな会話をしながら、私たちは部屋に通された。ここはすべてが個室になっているようだった。
「では、お食事をお持ちしますけど、飲み物はどうなさいますか?」
「俺はワインをくれ。弥生は酒が飲めないから、なんかジュースでも持ってきてやってくれ」
「はい」
頷いて、静かにその人は部屋を出て行った。
「この店の店長さんですか?」
「店長の奥さん」
「香さんっていうのが、娘さん?」
「ああ。前に何度かこの店に来て、話したことが数回あった。多分、俺に惚れてた」
え。
なんだって、こうも一臣さんはモテるんだ。いくところ、いくところ、そんな女性がいるなんて。
「一臣さん、何か悩みがあったんですか?」
「え?」
「さっき、店長の奥様が言ってた…」
「ああ。お前との結婚が嫌だとか、親父が勝手に結婚相手を決めたとか、そういう話だ。香っていう娘が、まだその頃、高校生だったと思うが、そんなに嫌なら結婚しなけりゃいいのにって、そんなことを言ってた」
え。何それ。
「で、あの店長の奥さんが、この世界には、自分の思いだけではどうにもならないことがあるんだって、そんなことを香と俺に言った」
「……」
「あの奥さん、今の旦那と結婚する前付き合ってた人がいて、事故で死なれたらしい。だから、そんなことを言ったんじゃないのか」
「そうなんですか」
「もともとは、ここの店長と見合いで結婚が決まっていたのに、横恋慕したやつがいて、で、そいつが勝手に車で事故って死んじまって…。ここの店長が傷心の奥さんを慰め、結局見合い相手だった店長と結婚したって聞いたよ」
「……一回は、自分のもとを去ったのに?」
「そんだけ、好きだったのか…。それとも、奥さんがあまりにも不憫に思えたのか。その辺はわからない。だけど、まあ、見ていると仲よさそうだし、良かったんじゃないのか」
「……その奥さんが、一臣さんの悩みを聞いてあげていたんですか?」
「う~~~ん。まあ、うちの親の話を俺がして、奥さんの結婚までのなれそめを聞いたりしたから、それで、俺も親が勝手に決めた婚約者がいて、俺は結婚なんかしたくもなくて…って、愚痴ったりした覚えはあるな」
グッサリ。
過去の話とはいえ、どうもその辺の話を一臣さんがしだすと、傷ついてしまう。
「ふ…」
え?人がサックリと傷ついているのに、なんで一臣さん笑ったの?
「その嫌がってたフィアンセを、まさか連れてくるとは思わなかったんだろうな。さっき、びっくりしていたもんなあ」
「え?」
「寛子さんって言うんだ。あの奥さん。ここには、たいてい、俺一人で来た。もともとは、親父が連れてきてくれた店だ。忙しくて親父は、それ以来この店には来ていないけどな」
「当時付き合ってた女性とは来なかったんですか?」
「来たよ。数人連れてきたことがある。そのたび、帰りがけに香に文句を言われた」
「…」
「で、寛子さんには、慰められた。いつか、本気で好きになった女性と来れたらいいですねって。それは無理だっていつも俺は答えてた。でもさ、寛子さんが別に愛人だっていいじゃないですかって、そう言ってさ」
愛人!?
「親父も、愛人連れてよく来ていたらしいし。なにしろ、会員制でいろんな奴にばれないで済むからな」
「……あ、愛人でもいいからって、そう言ってたんですか?」
「ああ。フィアンセを好きになれないなら、別に他に女作って本気になるのもいいかもしれないってさ」
やだ。やだやだやだやだ、そんなの。なんだって、そんなこと言うの?寛子さんは。
「真っ青になるな。愛人作る気なんか、ないんだから安心しろ」
「……でも」
「ん?」
「もし、もし一臣さんが私のことを好きになってくれなかったら、本気で好きになる人を愛人にしていたんですか?」
「さあな。もしなんてないからな。俺はお前に惚れた。惚れた女がフィアンセだった。だから、愛人も必要ない。…。だろ?」
「はい」
そうだけど。なんだか、しっくりと来ないのはなんでかな。
「そうだな。じゃあ、俺も、そのもしもの話をさせてもらうと」
「はい」
「もし、お前が婚約者じゃなくて、他に婚約者がいて、お前に惚れたとしたら、お前をここに連れてくる」
「私が愛人ですか?」
「まさか。愛人になんてしない」
え。じゃあ、何?愛人にもなれないの?
「ん~~~。親父説き伏せて婚約破棄にしてお前と結婚するか、それが無理なら、駆け落ちだな」
「え?!」
「だってお前、貧乏でも大丈夫だろ?俺の一人や二人、養ってくれそうだしな」
「は、はい。それはもう、一臣さんの10人くらい、養います…けど」
「あははは。俺、10人分?すげえ頼もしいな」
えっと。なんの話をしていたんだっけ。
「だからな?結局そういうことだ。もしもの話でも、やっぱり俺はお前に惚れて、お前と一緒になる運命なんだ」
「え?」
「はい。もしもの話はこれでおしまい。そろそろ、飯が来るぞ。腹減っただろ?」
「あ、はい!」
「あはは。ほら、食いもんのこととなると、目が輝くよな」
そう言って一臣さんは笑った。
食事が運ばれ、私と一臣さんは乾杯をしてから料理を堪能した。とっても美味しいものだった。
そして、食事が済み、デザートを寛子さんが運びに来て、
「緒方様、お口にあいましたか?」
と、上品に聞いてきた。
「ああ、うまかった。弥生も満足しただろ?」
「はい。とっても美味しかったです」
「弥生様とおっしゃるんですね。本当に可愛らしい方で…。こういう方が本当は緒方様の好みで?」
「何を言い出すんだよ、寛子さんは」
「いえ。くすくす。なんだか、今日の緒方様、顔つきが違うから。いつもより優しくて、穏やかな表情をしているし、弥生さんに話しかける時は、すごく優しい目をしているし…」
「う…。ゴホン!」
あ。一臣さん、照れた!片眉が思い切り上がって、咳払い。あれは照れた時の仕草。
「いろいろと、寛子さんには俺の愚痴聞いてもらったっけな。悪かったな。いっつも愚痴ばっかりで」
「いいえ。いいんですよ。あの頃、香も失礼なことばっかり言って申し訳なかったです」
「ああ。けっこう手厳しかったよなあ」
「ごめんなさいね。でもあの子、緒方様のこと大好きだったから。きっと幸せになってもらいたかったんですよ」
「そう…。じゃあ、今度香さんが戻ってきた時、俺が幸せになったと伝えてくれ」
「え?」
「愛人も作んないで済むし、婚約も破棄しないで済んだと。ちゃんと婚約者と幸せな結婚をするから安心してって、そう伝えてくれ」
「……はい」
寛子さんは静かに微笑み頷くと、
「また、来年、いらしてくださいね」
と、そう優しく一臣さんに言った。
「う~~ん。やんちゃな子がいるかもしれないけど、それでもいいのか?」
「え?まあ!気が早いんですね、緒方様は」
「別に気が早いわけじゃない。弥生とは結婚したらすぐに子どもを作るつもりでいるからな」
「そうなんですか?まあ、まあ、楽しみ。ぜひ、お子様もお連れになってくださいね」
「ああ」
やばい。
嬉しい。
嬉しすぎて、涙が。と同時に鼻水も…。
「ズズズ…」
鼻水をすすると、一臣さんが私の顔を覗き込み、
「なんで泣いているんだ?弥生」
と、呆れながら聞いてきた。
「う、嬉しくて…です」
「はは。本当にお前は」
一臣さんに頭をこつかれた。
「こいつ、こういうやつなんだ。嬉しくても悲しくても俺のこととなるとビービー泣く泣き虫で…」
「くす。可愛らしいですね」
「………ああ」
一臣さんは、とても静かに頷いた。
「ふふ。本当に緒方様、幸せそう」
そう言って、寛子さんは部屋を去って行った。
「弥生」
「すびばせん。泣いたりして」
「いや…。それより、鼻を噛め」
「はい」
鼻を噛むと、一臣さんが優しく、私の頭を撫でた。そして、
「やばいよな?幸せすぎて」
と、目を細めてそう言った。
「う、は、はい」
うわ。また、泣きそう。私の涙腺おかしいかも。
「あはは。お前、本当に面白いな。鼻の頭、真っ赤だぞ」
また笑った。今日の一臣さん、すごくよく笑う。
ああ。軽井沢、万歳。避暑地、万歳。夏のバカンス万歳!
最高の夏になりました。