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 毎朝時間が来ると護衛騎士は主の部屋へ向かう。ガレスは特に時間厳守を心掛けており、少しの遅れも許さない。

 どんなに眠くともそのような様子は一切見せず、身なりもびしっと整えて。それに応えるかのようにアデレードもきちんとしてガレスを部屋へ迎い入れる。そんな些細な事の積み重ねが、アデレードへの忠誠心を確固たるものにしているのかもしれない。

 今日はいつもより早めに部屋を出た。話し掛けてくるならこのタイミングだろうと、考えていたから。

「ガレス」

 その声が自分を呼ぶのはとても久しぶりで、ほんの少し嬉しくなってしまう。振り返った先には漆黒の髪。二番目の姫君に仕える護衛騎士が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「早いな、ジンク」

「そっちに合わせて早起きしたんだよ。ちぃ姫はまだこの時間寝てるからな」

 静まり返った廊下に、二人の声だけが響く。

「ちぃ姫に、話そうとしたんだって?」

 もしかしたら怒られるかもと覚悟していたが、ジンクは落ち着いていた。壁に背中を預け腕を組み、ガレスを見つめてくる。

「フルーネ様が不安になられていらっしゃったからだ。お前が護衛騎士をやめたいのではないかと。……そんな事、有り得ないだろう?」

 ガレスもジンクの隣に並び、同じように壁に寄り掛かる。普段のガレスならそんなだらし無い事は絶対にしなかっただろうが、たまにはこんな日があってもいいだろうとひとり口元を緩める。

「お前がどんなにフルーネ様を思っているか、それをわかってもらう為には話した方が良いと思った。……止められてしまったがな」

 ジンクと同室だった頃、身長はガレスの方が勝っていたのに、今では逆転されてしまっていた。自分より高い位置にある顔を見る為に目線を上げ、ガレスは控えめに笑った。

「怒ってもいいんだぞ」

「別に。ガレスが面白半分に言い触らすような奴じゃない事は知ってるし。……アデレード様にはどこまで?」

「私とお前が昔同室だった事しかご存知無いはずだ。フルーネ様にジンクの事を話してほしいとおっしゃられたのはアデレード様だが、きっと単なる昔話くらいにしか思っていらっしゃらない」

「ふうん」

 少しの間、沈黙が流れる。けれど嫌な感じはしない。

「……ジンク。主を不安にさせてしまうのは護衛騎士にとってあるまじき失態だ」

「……そうかもね」

 フルーネも素直でないが、ジンクの方も相当だ。似た者同士でお似合いの主従ではあるだろうが。

「ちぃ姫はね」

「ん?」

「俺の事を聞きたがったのは自分だって言っていた。アデレード様やガレスが聞かせようとしたなんて一言も口にしなかったよ」

 些細な事の積み重ねが、きっとどうしようもなく自分達を惹きつけてやまないのだ。

「素敵でしょ、俺の主は」

 自慢げに微笑むジンクは、眩しいくらいに煌めいていた。

「……ああ」

 こんな表情が出来るようになったのは、紛れも無くフルーネの存在があったからだろう。だから自信を持って大丈夫ですよ、と。届くはずもないのに心の中でそっと語りかけていた。


*****


「騎士団の屯所に行くの?」

 机の上に広げていた書類から目を離し、フルーネは顔を上げた。主の為に資料を棚から出す作業をしていたジンクは振り向かずに応える。

「ええ。決闘前には団長に挨拶するのが決まりですから」

「ふーん……」

「ちぃ姫?」

 何か言いたそうな雰囲気を感じ取り、ジンクが振り向く。

「じゃあ午後はお休みをあげる」

「はい? えっと、ちぃ姫、それは……」

「明日の開始時間まであなたは自由! 私の事は気にしないで体を休めるなり遊びに行くなり好きになさい」

 思いもよらなかった提案に、ジンクは少しの間ぽかんと口を開けていた。

「何よ、その顔」

「いや、だって」

「たまには休息だって必要でしょう? その、あ、明日は……が、頑張ってもらわないと、いけないんだから……」

 段々小さくなっていく声。段々赤みを増していく頬。

 負けるつもりなどさらさら無いが、改めてそう言われると胸が熱くなる。主に気を遣ってもらうという状況は些か情けないが、フルーネの気持ちはこの上なく有り難かった。

「……っ、ほら、もう行けば!?」

 照れ臭さが限界に達したフルーネに背中を押され、ジンクは笑いながら彼女の部屋を後にした。


*****


 太陽が雲に隠れて少し肌寒い中、騎士達は訓練に勤しんでいた。訓練用の剣を振る者、周りを走っている者、手合わせをしている者。

 窓からそれを眺めていたジンクの耳に、扉の開く音が聞こえた。

「待たせたな」

「全然。むしろ迷惑掛けてすみません」

「よせ。お前が謝ると明日嵐になる」

「失礼な」

 アスタルは豪快に一笑し、椅子に腰掛けた。その傍らにソロイが立つ。

「……あれはもう挨拶を済ませたんですか?」

「ああ、朝一番にな」

「へえ」

「ん? 何かあったか?」

 キョトンとした顔のアスタルに、ジンクもキョトンと返す。何か、と言われてもよくわからない。レオニートと何かあったのかを尋ねられているのなら、あの夜会以来顔を合わせていないのだから、答えはいいえだ。

「どういう意味ですか?」

「いや……まあ、気にするな」

「それは無理でしょ。気になって明日の勝負に俺が負けたら団長のせいですよ」

「恐ろしいな」

 わざとらしく肩を竦め、アスタルは指を組んだ。

「少し、雰囲気が違って見えたんだ。お前はレオニートを前にしたり話題を耳にしたりするとすぐに嫌そうな顔をするだろう。まあ、今もそれは変わらないんだが……以前よりも余裕があるように見えたよ」

 心当たりなんて思い出すまでも無い。他人の目にも明らかな程、ジンクが浮かれているという証拠。

 フルーネに必要とされたから。ジンクがいなくなるかもと不安を抱き悩んでくれたから。彼女の為なら何でも出来るような気がしていた。きっとそれがジンクの心に余裕をもたらしたのだ。

「……何でもないです」

「そういう事にしておこうか」

「最初にはぐらかしたの団長のくせに」

 まさか見透かされてはいないだろうが、ニヤニヤと意味ありげに笑みを浮かべられると居心地が悪い。

「……えー、明日の決闘において私は騎士の誇りと」

「随分いきなりだな。そんなに隠したい事があるのか」

「俺はしきたりに乗っ取って挨拶しに来たんですよ。黙って聞いててください」

「しきたり通りの挨拶はレオニートが一字一句間違えずにきっちりやっていったからな、飽きた」

「飽きたって」

 ジンクが呆れるのと同時に、ソロイも額に手をあてて溜め息をついた。アスタルは面倒見も良いし団長としてのカリスマ性には長けているが、堅苦しさを嫌う傾向にある。豪快な彼らしいと言えば彼らしいのだが。

「お前が明日の決闘、勝つ気があるのか無いのか。その宣言だけでいい」

 不意に真剣な眼差しがジンクに注がれる。真っ直ぐに、ジンクの覚悟を問う瞳。

 覚悟なんてとっくに決まっている。

「勝ちますよ、絶対」

 勝って、レオニートをフルーネから遠ざける。フルーネの傍に仕える立場を、みすみす奪われたりなどしない。あそこはジンクがずっと追い求めてきた居場所なのだから。

「よし。確かに聞いたからな」

 嬉しそうに笑い、椅子から立ち上がるアスタル。ジンクの傍まで大股で近付き、避ける隙も与えずに腕を伸ばして頭を撫でた。撫でたというよりは、乱暴に髪を掻き乱したという表現の方が適切だが。

「この年齢でこれやられるのすっごい恥ずかしいんですけど」

「俺から見ればまだまだ小僧だよ」

「痛い! ちょっ、力加減……いだだだだ!」

 傍観者という楽な立ち位置にいたソロイが小さく笑う。

「団長、それくらいに。ジンクはこのあとどうする? 訓練場は好きに使って構わないが。湯殿と休憩室も」

「あー、ちぃ姫にも午後は好きに時間を使いなさいって言われたんですけどね」

 ぐしゃぐしゃにされた髪を直し、ジンクはニッと歯を見せて笑った。

「戻ります。ちぃ姫の所に」

「……そうか。そうだな。それがいい」

 戻ったジンクを見てフルーネはどんな反応をするだろうか。せっかくお休みをあげたのにと怒るだろうか。

「じゃあ、失礼します」

 頬を赤く染めて動揺するフルーネを思い浮かべ、頬を緩ませながらジンクは退室した。


*****


 屯所の外へ出ると、湿気を含んだ風が頬を掠めた。雲は先程よりも厚くなっているようで、一雨きそうだと予想させる。

「さて」

 あとは真っ直ぐ帰るだけ。雨が来る前にと急ぎ足で歩き始めたジンクの背中に、突然声が掛けられた。

「あ、あの」

「はい?」

 声の主は年端もいかない少女だった。亜麻色の髪を二つに結んだ、フルーネよりもやや幼く見える少女。おどおどして落ち着かない様子の彼女に、ジンクは首を傾げる。

「何かご用?」

「は、はい。あの、騎士団の方ですか……?」

「まあ一応」

「わ、私、何だか誰かに付け回されているみたいで……」

「はあ」

 事情を聞いてみれば、今朝用事があって出掛けてからすぐに、視線を感じるようになったらしい。場所を変えても視線は消えず、恐ろしさと気持ち悪さから騎士団に何とかしてもらおうと足を運んだのだという。

「俺は騎士団所属だけど、そういうのは別の奴に任せた方がいいと思うんで……誰かに話を通してみるからとりあえず中入って」

「あ、い、いえ、早く帰らなくちゃいけなくて、今日はとりあえず家までついて来てもらえたらって、思っただけなので」

 首を振る少女の顔は青く、微かに指先が震えている。ジンクは少し考えた後、息を短く吐き出した。

「いいよ、送ってく。騎士団の方には後で俺から話しておくよ。明日にでも家に向かわせるから」

「あ、ありがとうございます」

 少女は一瞬笑顔を見せたが、後はずっと無言で俯いていた。歩いている最中も物音がしただけで肩を震わせ、パッと辺りを見回す。気が休まる時など無いようで、家に着くまでそんな事が何度も繰り返された。

 繁華街の通りから少し離れた場所に少女の自宅はあり、そんなに時間を掛けずに辿り着けた。軽くノックをしてみるが、反応は無い。

「家の人は?」

「あ……もしかしたら買い物に出てるかも……」

「そう。ひとりで大丈夫?」

 早く戻りたい気持ちはあるが、青ざめたままの少女をひとり残していくのも気が引ける。

「だ、大丈夫じゃ、ない、です」

「……?」

 声が震えている。ひとりにされる事に恐怖を感じているのだろうか。やはり家族が帰ってくるまで待とうかと言いかけたジンクは、少女の声に遮られた。

「お茶でもっ、飲んでいきませんかっ? ここまで送ってもらったお礼に!」

「え? いや、そんなのは別に……」

 急に大声を出され、ジンクは思わず後ずさる。その背中にドンと何かがぶつかった。

「遠慮しないで」

 男の声が低く囁き、次の瞬間強い力で突き飛ばされた。タイミング良く少女の家の扉が開き、ジンクは転がるように中へ倒れ込む。

「……っ!」

 素早く起き上がり体勢を整えたジンクの視界に映ったのは、いつか下町で絡んできた男達の姿。そして彼等に捕えられた中年の男女だった。

「……は! そういう事」

 扉が閉められ、恐らくジンクを突き飛ばしたであろう男が、少女の肩を抱くようにして近付いてきた。まだ若く、ジンクとそう歳が変わらないように見えた。

「え、なになに? もう状況がわかっちゃったの? さっすが護衛騎士」

「俺の事知ってるって事は、レオニートの差し金か?」

「さあ? この間の報復なだけかもしれないよ。俺は関与してなかったけど」

 白々しさに舌打ちをし、剣の柄に手を掛ける。

「駄目だよ、大人しくしてな。何の為の人質だと思ってんの」

「……」

 涙を浮かべた少女と目が合ったけれど、恨みの念は湧いてこなかった。怯え切った彼女を安心させるように、うっすらと微笑む。

「笑っていられるのも今のうち。さあ、覚悟はいいかな?」

 青年の声を合図に、男達はジンクに向かって歩き出した。

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