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 アデレードの部屋で紅茶をいただいた後、フルーネは部屋へと戻った。途中何度も足を止めてしまったが、これ以上逃げるわけにはいかないと己を鼓舞し、何とか扉の前にたどり着く。

 目を閉じて深呼吸をひとつ。心臓の音は痛い程だったけれど、覚悟を決めてノブを回した。

「あれ?」

 部屋の中はしんとしていて、誰の気配も無い。てっきりジンクが居るものだと思っていたが、彼の姿は見えなかった。

「……どこに行ったのかしら」

 肩透かしを喰らった反面少しホッとしていて、弱気な自分に溜め息を吐いた。

「別に、好きなんかじゃ……ないもの……」

 アデレードに言われた言葉が頭を過ぎり、思わずぽつりとこぼす。静まり返った部屋に寂しさを覚え、フルーネはベッドの上に腰掛け膝を抱えた。


*****


 人払いされた国王の執務室で、部屋の主と対面するは黒髪の騎士。後ろで腕を組み、背筋を伸ばして王を見つめる。

「陛下、お話とは」

「言わずともわかるだろう」

「……レオニートの事ですか」

 あれだけ大勢の前で目立ってしまったのだ。既に王の耳に入っていてもおかしくはないと思っていた。

「私の介入が必要なら手を貸すが」

「いえ、お気持ちだけ有り難く頂戴致します。……あれは実質決闘の申し込みです。断るは騎士の名折れになりますので」

「お前が騎士を語るのは何だかおかしな感じだ。楽にしろ、本音で話してもらって構わん」

 楽しそうに笑う王にそう言われ、ジンクは一瞬困ったように眉を寄せた。それから短く息を吐き、いつもの笑顔で再び口を開く。

「一度徹底的に叩いておきたかったので」

 他人が聞いたらギョッとするような言葉でも、王には予想の範囲内だったらしい。声を上げて笑った後、身を乗り出し机の上で手を組んだ。

「そんなに気に入らないか」

「気に入りません。断ればまた何か別の手でちぃ姫に近付こうとしたでしょう。あれのしつこさはよく知っています。だったらこの機会に完膚無きまで徹底的に叩きのめしておいた方が得策かと思いまして」

「……私の前でフルーネをそう呼ぶのはお前くらいなものだな」

 別段不愉快になった様子も無く、むしろ嬉しそうに王は呟く。

「どうしてフルーネを名前で呼んでやらない? この間話をした時もぼやいていたぞ」

 予想外の方面に話が飛び、ジンクは答えに窮する。口を開いては閉じ、開いては閉じと散々迷った末、眉間にシワを寄せて黙り込んだ。

「ちぃ姫、か。……まだあれが幼い子供だと思いたいか?」

「事実、まだ子供でいらっしゃいます」

「お前がそうやって目を逸らしている間に、きっとあの子は手の届かない所へ行ってしまうぞ。女性というのは驚く程あっという間に成長してしまう。アデレードを見ろ、ついこの間までお父様お父様と慕ってくれていたのに、もう唯一の相手を見つけてしまった」

「……陛下」

 だいぶ私情に塗れた忠告に、ジンクも言葉を失う。

「ちぃ姫はまだそういう事に興味がないようですし、その心配は当分先までとっておいても大丈夫でしょう」

「見ないフリというのも大変だな? ジンク」

「……おっしゃられている意味がわかりかねますが」

 探るような王の視線から逃れるべく、ジンクは扉へと歩き出した。王はそれを咎めず、引き留める事もしない。

「失礼します」

 勝手に話を切り上げ部屋を退室しようとするジンクに、呆れたような声が掛けられる。

「難儀なものだな」

 その言葉にどんな意味が込められていたのか。ジンクは一瞬手を止め、俯いた後静かに扉を開けて廊下に出た。

 フルーネはまだ部屋には戻っていないだろう。あれだけ怒って飛び出していったのだ、しばらくは避けられるかもしれない。

 それでも足は彼女の部屋へと向く。長い廊下がいつもより更に長く感じられても、立ち止まる事はしない。どれだけ気まずくなろうとも、どれだけフルーネに嫌われようとも、自分の居場所はそこなのだと強く感じている。

「……いい天気だな」

 窓から差し込む光に目を細め、外の景色に目をやる。まるで嫌がらせのような雲ひとつ無い快晴。風に揺れる木々の葉はジンクの事をひそひそと囁き合っているようで妙に苛立った。

 この間からやけにおかしい。レオニートと再会した日から、胸の奥のもやもやした何かがずっと残っている。最初は彼の事が嫌いだからだと思っていた。騎士団で顔を合わせる度に覚えていた嫌悪感が振り返したのだと。

 けれど今感じているこの嫌な気持ちは、あの頃には無かった苦しさを伴っている。何かが昔と違う感情を持て余し、ジンクは小さく舌打ちした。

 考え事をしている間に、フルーネの部屋が見えてくる。扉の前に立ち、しばらくぼうっと足元を眺めた。中からは何の物音も聞こえず、やはりフルーネはまだ戻っていないのだと知る。

「……ま、仕方ないけどね」

 向こう側には誰もいないはずの扉を律儀にノックし、ジンクは部屋の中へと入った。その瞬間、人の気配を感じる。

「……っ」

 不審者でも入ったかと身構えるが、ぐるりと室内を見回してその警戒があっさり解かれる。ベッドの上で背を丸め、小さくなって眠る人影。すやすやと微かな寝息を立てるその寝顔を確認してジンクはぽかんと口を開けていた。

「……ちぃ姫」

 予想に反して戻っていたフルーネは、もしかしてジンクを待っていたのだろうか。ブーツも脱がずに眠っている所を見ると、待ち疲れてうっかり落ちてしまったようにも思える。

「ん……」

 白い頬に掛かった髪の毛を払ってやると、フルーネはくすぐったそうに顔を背けた。まだ起きる気配は無い。

 こんなに無防備に眠る姫君は、やはりまだまだ子供なのだとジンクは妙にホッとする。大人になる日など来るのだろうか。ちょっとそういう話題を出しただけで顔を真っ赤にするのに、フルーネが大人の女性へと成長を遂げる所など想像も出来ない。

 ずっとこのままでいるような気がした。ずっとこのままでいればいいのにと思った。

「……ちぃ姫」

 ベッドを軋ませ、ジンクは眠るフルーネに覆い被さるように手をついた。滑らかな肌も長い睫毛も桜色の唇も、今はまだ誰の物でも無いのに。

 いつか誰かの物になってしまう日が来るのだ。

「……俺が認めた奴じゃなきゃ、やんないけどな」

 小さく呟き再びフルーネの頬に手を伸ばした瞬間、何の前触れもなく姫君の瞳が開かれた。


*****


 意識がゆらゆらと揺れる。心地良いまどろみがフルーネを捉えて引き留める。

(……?)

 頬に何かが触れた気がした。一瞬だけの出来事。なのにそこから熱を帯びて体中に広がっていく感覚。

(……誰?)

 耳をくすぐる優しい声に熱量が増す。蕩けた頭では何を言っているのかわからなくて、声だけがぼんやりと響いた。

(……何?)

 声だけでなく、確かな言葉を聞きたい。焦がれるような感情が胸の内に湧き、フルーネはまどろみから逃れようと足掻く。

 知っているから。触れたものが何だったのか、囁く声が誰のものなのか。届きそうで届かないその人を捕まえたくて、フルーネは意識を浮上させた。

「ジンク……?」

 黒い瞳に黒い髪。視界いっぱいに広がる漆黒に、フルーネは口を開けたまま固まった。状況が掴めない。

 自分は今仰向けになっていて、それなのにジンクを正面に捉えているというのはどういう事か。

「……え?」

 ジンクもジンクで目を丸くしたまま固まっているし、誰もこの体勢の理由を説明してくれない。間抜けな顔で見つめ合う二人。不意に聞こえた鳥の囀りを合図に、止まっていた時間が動き出す。

「……っ、きゃああああ!!」

「は!? ち、ちぃ姫、落ち着いてください!」

 逃げようにもジンクが邪魔で身動きが取れず、フルーネは両腕を使って顔を隠した。

「何!? 何なの!? どういう事よこれは!!」

「どういう事なんでしょうね」

「他人事みたいに言うな馬鹿ー!!」

 まだ近くにジンクがいる気配がする。蒸発してしまいそうな程体中が熱くて息苦しい。

「いや、えーと、ちぃ姫の口許にヨダレが」

「嘘っ!?」

 慌てて指で探っている間にジンクは体をどけ、フルーネに背中を向けた。微かに溜め息が聞こえてきて、フルーネはベッドから飛び降りる。

「ちょっと、ヨダレなんて垂らしてないじゃない」

「あれ、見間違いでしたかね」

「あなたねえっ!!」

「おかえりなさい」

 怒鳴り付ける寸前に、毒気を抜かれた。優しく微笑みながら振り返られたらもう怒るに怒れない。行き場をなくした拳を開き、フルーネはジンクから目を逸らした。

「……ただいま」

 だからジンクは狡いのだと、唇を尖らせる。

「しばらくは避けられても仕方ないかなって思ってましたよ」

「そ、それは……」

 笑いながら軽い口調で喋るけれど、いつものジンクの声より少し暗い。ちょっとは彼の方も気にしていたのだろうかと、フルーネは横目で様子を見る。

 黒の瞳と目が合った瞬間、ガレスの話を思い出した。

「……あの、ジンク」

「はい?」

「わ、私、その、……ガレスと話を」

 恐る恐る口にした瞬間、ジンクが眉間にシワを寄せた。怒っているというよりは困惑しているのか。

「……ガレスと何を?」

「あ、あなたとガレスが同室だったって」

「それから?」

「えと、その、ガレスが……ジンクが見られたくないものを見てしまったって」

「……後は?」

 強張った表情のジンクなんて珍し過ぎて明日は嵐が来るかもしれない。それは、ガレスが語ろうとした事がよほど彼にとっては重要な事なのだという証なのだろう。

「そこまで。そこまでしか聞かなかったの。聞けなかった。だって、そんなの卑怯だもの」

「ちぃ姫?」

「わ、私は自信が無いの。ジンクの主としてあなたに相応しいのか。ジンクの気持ちがわからなくて、本当は護衛騎士をやめたくてレオニート殿の申し出を受けたんじゃないのかって、こ、怖くなって。何でもいいからジンクの事知りたくなったのよ。そうしたら、あなたの気持ちがわかるかもって」

 胸の奥に溜め込んだ思いを、今しか無いと一気に吐き出す。自分が素直でないのはフルーネ自身がよく理解していた。

 タイミングを逃したら、きっと本当にこぼれ落ちてしまう。

「ちぃ姫、それは……」

 フルーネの言葉が意外だったのか、ジンクは目を見開いて遮ろうとした。伸ばされた手をフルーネは反射的に握りしめる。

「正直に言えば、ガレスの話の続きを聞きたい。でも、ジンクが嫌がる事をするのは、主としてあまりに卑怯だわ。格好悪いの。だから聞かない。聞きません」

「……ふ」

 言い切った直後に、堪え切れずに漏れたような笑い声が降ってきた。人が真剣に伝えようと頑張ったのに何事かと睨み付ければ、心底楽しそうなジンクの笑顔がそこにあった。

「い、言わなきゃわかんないのに、わざわざ正直に白状しちゃうとか」

「な、何よ、いいじゃない! 馬鹿にしてるの!?」

「いえいえ、尊敬してるんです」

「肩を震わせながら言ったって説得力無いのよ!!」

 茶化されているようで非常に腹立たしいが、彼が笑ってくれてどこかホッとしていた。

 むくれるフルーネの手を握り返し、ジンクは囁く。

「それで? ……まだ言いたい事、あるでしょう?」

「あなた、それ絶対主に対する態度じゃないわよ」

 触れた指先から伝わる熱は、胸を苦しくさせる。

「ほ、本当はひとつだけ、知りたいわ」

「どうぞ。何なりと」

 気付けばとても近い距離にジンクが来ていた。耳元で声が聞こえて思わず肩が跳ねる。

「……私の事、嫌じゃ、ない? 護衛騎士を続けたいと思ってる?」

 もっともっと知りたいのが本音だけれど、今はこれだけでいい。ほんの少しだけ、信じられる勇気が欲しいから。

「そんなだからレオニートなんかに目をつけられるんですよ」

「は、はあ!?」

「……俺が」

 指先に力が込められる。

「俺が一番、ちぃ姫の騎士に相応しいでしょ」

 その答えが嬉しくて、それで良かったはずなのに、苦しさは増すばかり。ジンクにはどうしても言えなくて、フルーネは理由もわからない感情を笑顔の裏にそっと隠した。

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