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「何考えてるの!? 馬鹿じゃないの!?」

 城に戻ってきてから開口一番、フルーネは思い切りジンクを怒鳴り付けた。

 さすがに他人の私邸で、まして姉の婚約者の屋敷で喚く事など出来ず、ずっと我慢していたのだ。

「護衛騎士というのは陛下が直々に任命されるものなのに、それを勝負事に利用しようだなんて! ジンクもレオニート殿もどうかしているわ!」

 胸の片隅に生まれた小さな不安。それを掻き消したくてフルーネはついつい声を張り上げてしまう。

 受けなくても良かった。まるで決闘のような申し出には違いなかったが、レオニートはあくまで勝負としか言わなかった。そんなの馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って一蹴してしまえば良かったのに、敢えてジンクは受けたのだ。

 それが何故なのか、たどり着いたひとつの可能性がどうしようもなくフルーネの心を乱す。

「ちぃ姫」

「その呼び方やめてって言ったじゃない!」

 考えれば考える程頭の中はぐしゃぐしゃで、悲しいのか悔しいのかもわからない。自分では制御出来なくなった感情の高ぶりを、ただ吐き出して八つ当たりをするだけ。

「ち……」

 呼び掛けて止めたジンクの声。フルーネはいたたまれなくなって背中を向けた。

「……ごめんなさい。頭冷やしてくる。少し……ひとりにして」

 返事を聞く前に部屋を飛び出し、廊下を駆けていくフルーネ。あれほどみっともない主にはなるまいと思っていたのに、いざこんな時になって逃げ出したりしている。

 こんな背中じゃない。ジンクに見ていてもらいたいのは、もっと凛として迷いの無い背中だったのに。

「フルーネ!」

 人とすれ違ったのにも気付かず走り過ぎようとしたフルーネを、誰かが呼び止める。反射的に振り返った視線の先に、心配そうな表情をしたアデレードが立っていた。

「姉上」

「ひとりでどうしたの? ジンクは?」

 いつも一緒にいた護衛騎士が傍らにいない。彼の所在を聞かれるのは当然の事なのに、今は名前を耳にするのも辛い。

「喧嘩してしまったの? やっぱりレオニート殿の事で?」

「……」

 レオニートを恨む気持ちは少なからずある。彼が余計な事を言わなければ、こんな風に不安に思う事はなかった。ジンクの気持ちが見えなくて、本当はジンクの事を何も知らなかったなんて気付く事もなかった。

 けれど遅かれ早かれ訪れていた未来が、ほんの少しだけ早まっただけのようにも思えてならない。

「姉上……」

 きっと本当は、すべてフルーネの自業自得なのかもしれない。

「ジンクは、もしかして……私の護衛騎士をやめたいと思っているのではないかしら……」

 改めて口にした瞬間、疑いは確信に変わってしまった。きっとそうだ、そうに決まっていると暗い声が頭の中で響く。

 青ざめたフルーネをアデレードは抱きしめ、何度も頭や背中を撫でた。

「フルーネ、私の部屋にいらっしゃい。ね、そうしましょう?」

「でも」

「たまにはガレスとお話してあげて。ええ、それがいいわ」

「……ガレスと?」

 優しい優しい姉の肩越しに、彼女の厳格な護衛騎士と目が合った。


*****


 姉の部屋はいつも甘い香りがして、訪れる度にうっとりとしてしまう。さすがに今はそんな気分になれなかったが、ぐるぐる嫌な考えばかり廻る頭は少し落ち着いた。

「ごめんなさい姉上。迷惑ばかりかけて」

「あら、かけているのは心配よ。迷惑だなんて、そんな事ないわ」

 俯くフルーネをソファに座らせ、アデレードは柔らかく微笑んだ。色をなくした白い頬に指を添わせ、そっと撫でる。

「ディオン殿も心配していらしたのよ。自分が夜会を開いたからあんな事になってしまったと」

「え……そ、それは違うわ! 姉上、ちゃんと伝えておいて。ディオン殿のせいなんかじゃないって」

「ありがとうフルーネ。でも本当に、どうしたものかしらね。護衛騎士の座を賭けて、だなんて。前代未聞だわ」

 護衛騎士は国王陛下が騎士団の中から選出し、任命するもの。それは大変名誉なものに違いなく、その為に騎士団に入り腕を磨く者もいるという。

 けれど一度決められた護衛騎士が後からその座を奪われるなど、これまで起こった事が無い。

「ジンクがどうしてあんな申し出を受けたのか、私考えてみたの」

「……フルーネ」

「本当はずっと私の騎士でいるのが嫌で、でも父上からの命令だから逆らえなかったんじゃないかって。そう考えれば納得がいくもの。レオニート殿の申し出を好機と考えて受けたんだわ。だって彼に負ければ自分から騎士を辞めた事にはならないもの」

 声が震える。視界が滲む。なんとか気丈に振る舞おうとして早口になるが、抵抗虚しく瞳からは涙の粒がこぼれ落ちた。

「それは私が悪いの。私が、ジンクが守りたいと思える程の主人になれなかったから」

 もしもジンクの主がアデレードだったら。彼は絶対の忠誠を誓い、命を掛けて守り抜いただろう。

 慈愛と気品に満ちた麗しき姉姫。フルーネとはなにもかもが違う一番目の姫君。もしも自分が彼女のように生きていたら。

「フルーネ」

 珍しく少し怒ったように名前を呼ぶアデレード。ハッとして顔を上げると軽く額を指先が弾いた。

「……私はあなたの事が大好きなのに、あなたは自分の事が好きではないのね」

「え……えと……」

「あなたはいつも真っ直ぐに前を向いて、目を逸らさない。ちゃんと自分の考えを持って、自らが進む道をその手で切り開こうとしている。そういう所、私はとても大好きで、とても羨ましいと思っているの」

 初めて聞く言葉にフルーネは目を見張る。アデレードがフルーネをそんな風に思っているなど、にわかには信じがたい。フルーネこそアデレードを羨ましく思っていたのに。

「ジンクだって、あなたの事ちゃんと主だと認めていてよ」

「で、でも」

「ガレス」

 口を閉ざしたまま傍らに立っていた護衛騎士を呼び、アデレードは立ち上がる。優しくて、少し悪戯っぽい光を帯びた瞳で、不安げに見上げる妹姫にウインクをしてみせた。

「私お茶を淹れてくるわね。すぐに戻るから」

 引き留める間もなく部屋を出ていくアデレード。パタンと音を立てて閉じられた扉を見つめ、フルーネは緊張に体を強張らせる。

 そうっと目だけを動かし、無言のガレスを見遣る。アデレードの護衛騎士に任命されてから随分経つが、改めて彼と話をした事など一度も無い。

 アデレードの許しがなければ私的な事は一切口にせず、完璧に主と従者という線引きをしている忠実で厳格な騎士。今この場で彼と二人きりにされても、どうすればいいのかフルーネにはわからず気まずい空気が漂う。

「……えっと……」

「フルーネ様」

「は、はいっ!?」

 唐突に名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。

「本当は私が話すべき事では無いのでしょうが、アデレード様がお心を痛めるのは私の望む所ではございませんので」

「な、何?」

 切れ長の目をすっと細めるガレス。妙な威圧感に襲われ、フルーネはぎゅっと膝の上で拳を握った。

「フルーネ様は、ジンクに初めて会った時の事を覚えておられますか」

「え? ええ、あの、八年くらい前に、騎士団の訓練場で」

「その時ジンクに何をおっしゃったかも?」

「ええ。その……とても綺麗な黒髪ねって」

 幼かったからこそ言えた素直な賛辞。この国で黒髪はあまり珍しくないが、当時は今まで見てきた誰よりもジンクの髪が美しく見えたのだ。

「そうですね。私もその場に居合わせておりましたので、確かにそうおっしゃられたと記憶しております」

「い、居たの!?」

「はい」

 慌てて記憶を辿るも、どうしたってジンクしか出てこない。自分がジンクしか覚えていないようで――事実そうなのだが――フルーネは頬を朱に染めた。

「あの頃私は少しの間ジンクと宿舎で同室でした」

「え……は、初めて聞いた」

「ジンクはあまり私と顔を合わせたがらないでしょう。私の事を話すのもきっと嫌がると思います」

「何か、理由が?」

 軽いジンクと堅いガレスは衝突しそうと言えばしそうだが、ガレスの様子からはそうでは無いように思えた。

「……ジンクが見られたくないと思っているものを、私が見てしまったからです」

「見られたく、ないもの?」

 初めて聞く話ばかりで、フルーネは戸惑うばかりだ。本当に何も知らなかったのだと、胸の奥が締め付けられる。

 ジンクが見られたくなかったのはどんなものなのか。

「ジンクがこの国の生まれでない事はご存知ですか」

「……いいえ」

「彼はずっと北の方の出身です。私も団長に少し聞いた程度なので詳細は存じませんが、ジンクがまだ小さい頃両親は病で亡くなったそうです」

 心臓が鳴る。このまま聞いてしまっていいのだろうか。正直な気持ちを言えば、知りたい。けれどこんなのは卑怯ではないだろうか。見られたくないもの、知られたくない事を、ジンクのいない場所で、他人の口から聞くなんて。

 先を話そうと口を開くガレス。フルーネは考えるよりも先に立ち上がり、その口を手の平で塞いだ。

「……」

「ご、ごめんなさい。でも、でも、あの……」

 ガレスはやや驚いたように固まっていたが、少し微笑んだようにも見えた。静かにフルーネの手を外し、息を短く吐き出す。

「謝る必要などございません。やはり私の口から話すべきではありませんでした」

「ご……ごめんなさい」

「いえ。少しでもフルーネ様のお心が軽くなればと思いましたが、きっとジンクに直接尋ねるのが正解です」

「……私が尋ねても、きっとジンクは答えてくれないわ」

 同じ騎士団の仲間にすら知られたくなかった事を、フルーネに話してくれるとは思えなかった。よほど信頼されていなければ。

「フルーネ様は酷いお方でいらっしゃる」

「な……」

 それは一体どういう意味か。問おうとした瞬間、ガレスはフルーネの足元に跪づいた。

「ガ、ガレス?」

「我々護衛騎士は主をお守りするのが役目です。それは護衛騎士に任命された事への責任感からだけではございません」

「え?」

「もっと単純です」

 頭を垂れたガレスの顔は見えない。けれど不思議と、彼が穏やかな表情をしているような気がした。

「私はアデレード様を信じ、心からの忠誠を誓っております。それが、私がアデレード様をお守りする一番の理由でございます」

「ガレス……」

「ジンクも恐らく同じ気持ちです。責任感だけでお守りしていたのでは無いと思います」

 ゆっくりと立ち上がり、ガレスの瞳がフルーネを見下ろす。揺るぎない信念を持つ瞳。彼の言葉は紛れも無く心からのものだと感じた。

「我々は主をお守りするのが役目、そしてフルーネ様達は我々護衛騎士を信じてくださるのが主としてのお役目かと」

「主としての……」

「はい。ジンクの事を信じてあげてください。彼はあなたを大切に思っています。護衛騎士を辞めたいだなんて……思うはずはありません。絶対に」

 言い切るガレスにフルーネの心は揺れる。本当にジンクは自分の事を主として認めてくれていただろうか。

「信じていただけないのはとても辛い事です、フルーネ様」

「……だから、酷いって?」

「無礼な発言、お許しください」

「……いいえ、私が悪いのだもの。許すも許さないも無いわ」

 信じるには自分に自信が無く、嘘だと切り捨てるには今まで過ごした時間が眩し過ぎる。それでも前に進まなければならないのだとしたら、信じる事を選びたい。

「ありがとうガレス。私を気遣ってくれて。まだ少し怖いけれど……ジンクの事信じるわ」

 ジンクが胸を張れるような主でいたい。その気持ちはずっと揺らがないでいるのだから。

「お話終わったかしら?」

 声を掛けられ振り返ると、扉の隙間からアデレードが顔を覗かせていた。一番気遣ってくれた姉に笑顔を見せ、フルーネは頭を下げる。

「ありがとう姉上。弱気になって混乱してみっともない所見せて、迷惑……じゃない、心配掛けてごめんなさい」

「あら。私はそんなフルーネ、可愛いと思ったわ」

「え?」

 首を傾げるフルーネに、アデレードは頬を染めてふんわり微笑んだ。

「だってジンクの事大好きだから、余計に不安になっちゃったんですものね」

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