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その9.狂犬のラブレター

 渡良辺はらは、自分が書いた手紙を読み返した。文面にもういじるところはない。直して直して、こうなった。封筒にはすでに、とっくの昔に宛名と差出人が書き入れてあり、あとは入れて封をするだけなんだけれども、今もそれができずにいた。

――渡良辺、また手紙書いてよ。

 王子様の言葉が耳に蘇る。思い出した回数だけ磨り減ってしまうとしたら、きっともうぼろぼろ。でも渡良辺の記憶のそれはずっと変わらない。いやもしかしたら全部自分の妄想なんでは。

 あんなのは社交辞令、だってプリンスはごたごたを収拾するために立ち回っていたんだから。そう思いこもうとして、ちがうだろと理性のあきれた声がささやく。ごたごたをいやがるのなら、渡良辺に手紙を書き続けさせるわけがない。手紙を欲しがるということは、渡良辺が外江を想うことを彼自身が求めたということ――

「ちがうったら!」

 思わず叫んで立ち上がる。そしてあわててきょろきょろとまわりを見回した。ここは彼女の部屋で、時間は夜。幸い隣の部屋の姉からの突っ込みはなかった。

 求めたってなんだ求めたって! そんなわけないから!! 恥ずかしくて埋まりたい。でも、また王子様の言葉が渡良辺をつつく。

――俺、あんたの手紙好きなんだ。

 好き? わたしの手紙? だって、でも、全然返事くれなかったじゃない。ずーっと知らんぷりしてたじゃない。なんでいまさら、そんなこと言うの。

 でも、やはりうれしかった。そう言われた日、帰ってからすぐに手紙を書いた。けれど読み返して渡良辺はぎゃあと叫んで手紙を破った。なにこれ。こんな。こんな外江君が好きですな手紙。好きって言葉はなくてもわかっちゃうよ。わたしがどきどきしているってわかっちゃうよ。それから渡良辺は頭を振り、冷静に、読まれても大丈夫なように書き直した。けれど読み返して、これもだめだと思った。外江の名前が一度も出てこない、誰に出しても問題ないような手紙に仕上がっていた。外江がなにをして自分の手紙を欲しがったのか自信はないけれど、少なくともこんな当たり障りのないことや、渡良辺の思うことだけをつづった手紙じゃないだろう。自分がもらったら腹を立てそうだ。なんだこのひとりごとはと。

 書き直して書き直して、だめだよあのひとなんだか突っ込みきついんだもん色々見透かしてくるんだもんと頭の中で攻防して、気がついたら日にちはあっというまに過ぎていた。期末考査は散々だった。もともと成績はよくないけれども。

 明日は終業式。終われば夏休み。夏休みになったら、もう手紙を下駄箱に入れるなんてできない。あの日から1通も手紙を出せていない。夏休みが終わったら、プリンスの気まぐれはきっと終わってしまう。ううん、もうとっくに終わっているんじゃないだろうか。ふたりのあいだになんにもないまま、すでに1ヶ月が過ぎている。

 手紙の文面はできている。渡良辺が見せられるぎりぎりの気持ちをしたためたもの。でもいまだに封をする勇気がなかった。不安で、取り出してもう一度読んでしまう。誤字も脱字もない。そう長くもない。ないのは覚悟と勇気だけ。

 読まれない手紙を出す方が気楽だった。


 朝七時。見慣れた外江の下駄箱の前で、渡良辺はかたまっていた。出せない。どうしよう。でも出さなきゃ終わっちゃう。追い立てられて泣きたくなった。

「ちょっと、出すの出さないの」

「ぎゃあああっ!」

 叫んで文字通りからだが飛んだ。

「なんつー声を……」

「なんでここにいるのなんでここにいるの!」

「だって今日来なきゃ終わりじゃん」

 なにを当然なことを、外江がさらっと言った言葉に胸が痛んだ。そうだよね、終わりだったよね。ずっとなんにもしないわたしに呆れて、夏休み明けるまでなんて待たないよね。

「今日来なきゃあとは自宅へ行くしかないかと」

「へ?」

 数秒見つめ合う。

「いやだって家しか知らないから」

「なに言ってるの!? ないから! ない! 絶対だめ!」

 外江は肩をそびやかした。それからこちらに歩み寄ってきたので、びくっと一歩下がる。手を差し出してくる。

「……なに?」

 ぴらぴら。うながしてくる。動けずにいるとぴっと奪われた。え、この距離で? 腕長くない? あ、背が高いから? いやなんだか動きも早くない? 奪われるつもりはなかった渡良辺はあっけにとられていると、外江はびっとシールの封を破った。

「まままま待ってなにしてるの!」

「なにって、読もうと」

「書いた本人の前でやめてよ! 今どっか行くから3分待って!」

 外江は顔をしかめた。

「いいからあんたもここにいなよ」

「なんで!?」

「そんなにかからないから」

 容赦なく手紙を広げだす。ひどい鬼だ鬼がいる。渡良辺は向きを変えて逃げ出そうとして襟首をつかまれた。ぐえっと変な音が出る。王子、それ女の子にすることじゃない。

「やだー! やだやだやだやだやだー!」

「大声出さない」

「お、お願いだから、ここはやめて! 誰か来るよ、来たら変な目で見られるよ!」

「別にいいけど」

「よ・く・な・い!」

「……必死すぎ……」

「ね、ここじゃないとこにして、ね!?」

 しょうがないな、外江は手紙を下げた。しかし渡良辺の襟首からも手を外さない。

「どこならいいの?」

 どこ。どこだ。渡良辺は、ともかく誰にも見られたくなかった。こんなところを見られたら恥ずかしさで死ねる自信がある。その場合、死因はなにになるんだろう。

「絶対、全然、ひとのこないとこがいい」

 処刑を待つ気持ちで、渡良辺はうなだれた。


「なんだここ……」

「誰にも見えないもん」

 外江の呆れた声が痛くても、知らぬふりで渡良辺はえいっと窓枠を飛び越え、廊下から外へ出た。ここは2階だが、比較的広い足場がある。ここなら、しゃがんでしまえばすぐにでも校内から見えなくなるし、外からは木々が遮ってくれている。

「見つけたときは隠れ家みたいで気に入ってたんだけど、別に使い道はなかった」

「そりゃそうだろうよ」

「あとね、芸術棟の3階にもこういうとこあるの。あっちは高いからちょっとこわい」

「やめなさい……」

 ここは2階だからまだそれほどの高さではないけれども、なんの防護もないので飛び降りる事は容易だ。

「そういや渡良辺。どーでもいいことなんだけど、あんたジャージ履いてるときと履いてない時の基準がよくわかんないんだけど」

 今は渡良辺はスカートの下に切ったジャージを履いている。だから遠慮なく窓枠なんかを越えられるし、しゃがみこんでも平気な顔のわけだが。尋ねながら外江は隣に座った。

「基準……? えっと、電車に乗るときは履いてる。学校着いて暑かったら脱ぐ」

 外江は納得してああと答えた。渡良辺にしてみれば、なにが不思議なのかなにが納得なのかさっぱりわからない。

「川ちゃんが電車のときは絶対履いておけっていうから一応履いてるんだけど、わたし、生まれてから一度も痴漢に遭ったことない」

 口をとがらせて言う。

「J線は痴漢ものすごいって言うのに、川ちゃんもタケフジも小林もみんな遭ったことあるのに、わたしはないの」

 なんて答えろと言うのか。ジャージの話なんて振った自分がばかだったと外江は気づいた。

「じゃ、読むから」

「…………」

「逃げない。音読するよ?」

 懲りず距離をとろうとした渡良辺を手と言葉で引き止めた。鬼と悪魔ってどっちが非道さで上回るんだろう、渡良辺は羞恥のあまり声にならない悲鳴を上げた。正座をして、ひざをぎゅっと握り、目をつぶって深くうつむく。全身に力が入っていた。抜けそうにない。

 便箋のかわいた音。早く終わって。なにか言って。けれど外江はなかなか言葉をくれない。たまりかねて顔を上げると、外江は膝に腕を組みそこに顔をうずめていた。

「あ、あの……?」

 返事がない。そんなに変なことを書いただろうか。不安が加速して、普段なら心臓が破れそうなことだけれど渡良辺は王子の肩を揺すった。

「ねえ、なに!?」

「………ってる」

「え?」

 ラブレターになってる。顔を伏せたまま外江は言った。

「ええええ、だってそれ、でも、っていうか前から」

 いや、ともかく、自分はそんなにすごい事を書いていたのだろうか、意味のない言葉をまきちらしながら渡良辺はとうとう恥ずかしさに涙が浮かんだ。

「……笑わないで……」

「笑ってないよ」

 くぐもった声が返る。相変わらず外江は顔を上げない。じゃあどうして?

 外江の手が伸び、肩に置かれていた渡良辺の手を握った。

「……ちょっと、見せられない顔なだけ」

 それ、どういうこと。聞こうとしてでも聞けなかった。いくら彼女でもわかった。わかったら、尋ねたくても、口を開くことなんてもうとてもできそうになかった。顔だけじゃなくて全身が熱い。少し痛いくらいに握られた手も。空いた片手で外江のシャツをつかみ、額を押しつけた。


 十分な時間が経ってから、外江は、こんなこっぱずかしいことしたなんて伊草に知られたら俺は一生頭が上がらないとつぶやいた。

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