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その8.手紙を書くひとのかお

 半ば恒例になっていた昼休みの外江コールがぴたりと止んだことに、気づいたものもいれば、気づかないものもいた。全体とすればささやかな変化だが、堀内の話では安部達に堀内が話をつけたこともあり、C組はおだやかになっているという。

――なんかあったら、直接声かけてよ。なんもなくてもいーから。

 ファンクラブとして教えてもらった女生徒ひとりひとりに、外江は名を呼んでそう伝えた。パニックになって上の空で答える子もいれば、つき物がおちたように、ごめんね外江君と神妙に謝った子もいた。

「あれだね。僕達は、集団である前に、まず個人、ひとりの人間であるということを忘れてはならないんだね。そうすれば、相手への敬意も自分自身の品位を見失うこともなく、おのずと保たれるべき理性ある関係性を築いていけるものなのだ」

「小論文でも書く気?」

 休み時間、おおげさなジェスチャーを加えて語る前の席の伊草に、机に頬杖をついたまま答える。

「いい線いくかな?」

「先生に聞けば」

「との、テンション低い。さみしーんだけど」

 取り合わず、窓から見える校庭を見下ろす。

 外江は、渡良辺にだけ声をかけていなかった。かけられなかったというのが正しい、はずだ。おおげさにしないことが大事だと思っていたので、呼び出しなんていう目立つことをする気のなかった外江は、少々時間と手間がかかってもファンクラブの面々がひとりでいるところを見計らって声をかけたわけだが、渡良辺だけはそれができなかった。ニアミスですら渡良辺と会うことがなく、もし見かけても必ずファンクラブの誰かといた。

 ファンクラブのひとりめに声をかけた次の日から、手紙は来なくなっていた。


 早朝のまだ涼しい空気の中、外江は開放されたばかりの校舎に入った。

 気づいたことがある。朝に何度か学校から最寄の駅を張っても、渡良辺の姿は見つからなかった。手紙に書き付けられていた彼女の住所からいって、この駅を使うだろうことは間違いない。渡良辺は、手紙をやめた今も、早くに登校しているんではないだろうか。

 靴を履き替え、渡良辺の下駄箱を確認する。それから、誰もいない廊下を歩いた。

 渡良辺はいた。ひとりで、今日は読書ではなく、勉強をしているようだ。期末考査が近いからだろうか。前に見たときと同じく、両足を椅子に抱え込んでいる。薄っぺらくて小さい渡良辺だからできる芸当だ。外江や伊草がやったら、邪魔すぎてとても書きものなんてできない。

 近づいて、声をかけた。

「誰もいないからって、そういう格好ってどうなの?」

「え?」

 外江を見た渡良辺はひっくり返った。けたたましい音と、鈍い音。

「いっ……」

「すっげえ音した。大丈夫?」

「いじょぶ、じゃなっ……」

 頭を打った。腕も腰も打った。頭を抱えてぎゅっとからだをちぢこませる。

「ちゃんと座ってないからだろ」

 外江は現れた脚から目をそらしながら、ぶちまけられたかばんとペンケースの中身を拾う。

「さ、さわらないで! 自分でやる!」

「もう遅い」

 渡良辺はようやく体勢を戻したが、外江は見つけ出した一通の手紙を指にはさんでいた。

「俺はこれ、もらっていいの?」

「…………」

 渡良辺は怒りの形相で外江を睨みつけた。

「なにしに来たの? いちいち釘刺さなくても、もうあんたのまわり騒がせないよ」

「……なに、そのこわい口調。顔もこわい……」

「うるさい。言っとくけど、その手紙書いたのあたしじゃないから。今までも名前貸してただけだし」

 外江は目を見張った。

「あたしは……」

「渡良辺」

「途中でさえぎらないでよ」

「そういう嘘、あとで恥ずかしいからやめときなよ」

「!?」

 顔がさあっと赤くなる。

「な、に、言って……」

「手紙じゃあんなに礼儀正しいのに、二重人格なの? メールや手紙だと人格変わるひとっているけど、ちょっと極端すぎないか?」

 口をぱくぱくとさせる。外江は、消しゴムをつまみあげ、反対の手で渡良辺の手をとった。とっさに振り払おうとしてきたので、力を込めて逃がさなかった。そのままその小さい手に、大きな消しゴムを並べる。

「結局この消しゴム、切らなかったんだな。結構減ったじゃん」

 渡良辺は、情けなく眉尻を落とした。耳まで赤くなっているのを、外江は見た。色が白いからすぐわかる。

「……読んでたの?」

「まあ」

「なんで? 去年に手紙送ってから、廊下で通り過ぎても完全に無視したくせに。ううん、気づいてもいなかったでしょ? だからわたし、いっぱいあるラブレターを送ったその1ってことで、読みもしないで捨てられてるんだと思ってた」

 今はじめてまともに顔を見たといって過言ではない。なんてことは言わずにおいておく。

「まさか、だから意地になって手紙を書き続けてたとか?」

 渡良辺は叱られた子供のように口をとがらせる。

「最初はちょっとそうだったけど、でも手紙を書くの、……楽しかったから。あ、あるでしょ? サンタさんに手紙を書くのが楽しい、みたいな! ジュディだってきっとそんな気持ちで」

 全然わからない。書いたこともない。やはりその場合、宛先は北極なんだろうか。そしてジュディって誰だよ。

「本物の中身がどんなだなんて、もう関係なかったの、妄想して遊んでられればよかったの! だから別にあなたと、っつ……付き合いたいとか、考えてるわけじゃないの!」

「うわあ」

「う、うわあってなに」

「それってツンデレのテンプレってやつ?」

「いやあああ!」

 悲鳴をあげ、渡良辺は外江の腕を振り払って身近なものを投げつけた。手にしていた消しゴムや、からになった布のペンケース。

「なにするんだよ!」

「王子が、王子がそんなオタクっぽいこと言っていいと思ってるの!?」

「なんだよそれ、俺だってゲームしたりまんが読んだりするよ!」

「ない! 無理! イメージ壊れた、やだああああ」

「ちょ、泣くこと!?」

 渡良辺は両手で顔をおおってうつむく。なんともいいがたい、さまざまなショックを外江は受ける。

「じゃあ、聞かなかったことにすりゃいいじゃん。あんたは、俺の外側の情報があればいいんだろ」

「本物のインパクトのほうが大きいに決まってるじゃない……」

 はなをすすっている。

「え、マジ泣きなんですか?」

 外江がゲームをするから? オタクっぽいことを口にしたから? 本当にそれで泣いたのなら、正直引く。と、引きそうになって気づく。本当にって、本当じゃなかったら?

「……だから、王子のイメージが壊されたからショックなの。もういいでしょ、どっか行ってよ。話すことなんてないよ」

 顔を隠されていると判断がつかない。そうか。もう一度渡良辺の片手をつかんで、強く引いた。

「さわんないでよ!」

「じゃあ顔かくさないでよ」

「泣いてる女の子にそういうこと言うの? 王子じゃない!」

「残念、王子様と見せかけてその正体は中流家庭の男子高校生ですから。しかもおそらく草食系の。それにあんたは、泣いてない。泣いたふりして顔をかくしたいだけだろ」

 あらわれたかおに確かに涙はなかったけれど、途方に暮れたような弱々しさがあった。一瞬罪悪感。ぞくりと背を走る優越感。外江は、このややこしい渡良辺をほどくことに夢中になっていた。

「だってあんた意味わかんないんだもん。毎日毎日ラブレターとか書くくせに、狂犬ってなに? 納得のいく説明してよ」

「外江君はやさしくて親切なんじゃなかったの? 泣いてる女の子を問い詰めるとかありえない」

「泣きまねして追及をかわそうとしたひとが言っても説得力はないなー。その王子扱いも、俺にいやがられようとしてわざとやってない?」

「別に……!」

 根拠は全部手紙だった。手紙の渡良辺は、とぼけているけれど、素直なものの見方をしていた。時には幼く見えるほどに。そしてそれを何度も何度もていねいに直し、言葉にして外江に伝えようとしていた。長くはなくても、渡良辺の手紙はいつも、レターセットすらていねいで、見え隠れするまっすぐさが好ましかった。そう、好ましく思っていたのだ。下手に距離を崩して手紙が届かなくなるよりは、もう少しこのままの関係を、そう願うほどには。外江が渡良辺を見つけてから過ぎた時間はまだとても短い。

 渡良辺が外江を避けだしたことには気づいていた。そうでなくて、ああまで会わないわけがない。逃げた、と思った。

 なに勝手に決めてんの、と思った。外江の知る言葉で表現すると、腹が立った。

 渡良辺から視線を外さずにいると、先にそらしたのは渡良辺だった。沈黙。野球部の朝練の声が遠く響く。セミの声。

「……狂犬、は、ちがう」

 ようやく落とされたつぶやきは、すこしかすれていた。外江は黙って耳をかたむけた。渡良辺の言葉をひとつも聞きもらさないように。


「1年の頃はひとりで手紙書くだけだったけど、2年になって外江君に憧れてる子達と友達になって……楽しかったの。芸能人は遠すぎてそういうことなかったけど、外江君はこの学校にちゃんといるでしょ。声をかけたら反応するんだもん。それを見て、またみんなで騒ぐの、楽しかった。おっかけのまねなんて、うざいってたたかれるのもわかるんだけど」

 でも、と渡良辺は眉間に力を込める。さきほどの狂犬の表情に近づく。

「安部のやり方は許せない。あいつはいつも、あたし達のことを笑い者にしようとする。だからやり返した」

「……スルーするとか、できなかったのか? やり返したら、安部達をあおるだろ」

「黙って言われるままだったら、あたし達にはなにを言ってもいいって空気ができる。もうできはじめてた。あたしのいないときに、川ちゃんやタケフジがからかわれたんだ。あのふたり、その場は笑ってたけど、あとから泣いた。だからもうあたしは安部のいるところじゃあのふたりから離れないし、好き勝手なことも言わせない」

 しゃがみこみ、頬杖をつきながら、外江は渡良辺の眉間のしわにでこぴんをした。

「なにすんの!」

「顔こわい。てか、昔の不良みたいだな、あんた。なんだよそのとがった男気は」

「……うるさいよ」

 傷ついたらしく、渡良辺は自分の眉間をごしごしとこする。そんな仕草はとてもかわいいのに。

「でも、もう終わったから。最初は意地っていうか、安部とかの嫌味でやめさせられるのいやだってみんなも思ってたけど、限界だったんだと思う。実際クラスの子や堀内にも迷惑かけてし。それに、プリンス外江からじきじきに仲裁が入っちゃね」

 力なく笑う。パンダより、ファンクラブの末路のほうがあわれかもしれないと外江は思った。

「そうか……安部に対抗するために狂犬になってたのか」

 考えてみれば、きゃー外江くーんがいよいようっとうしくなったのは2年になってからだ。大声で名を呼ばれて手を振られるくらいなら1年の頃からあったし、そのひとつひとつをひとくくりにしてすみに追いやっていた外江には、そんな変化はわからなかった。

「繊細な文学少女に牙があったって、別にありえない話じゃないんだな」

「繊細な文学少女ってなに」

「手紙からできた俺の渡良辺像」

「……狂犬で、悪かったね」

「どっちも渡良辺でしょ」

 手をのばし、親指を渡良辺の眉間にあててぐにぐにと揉む。

「なにするの……」

「しわ防止」

 手を離すと、渡良辺の眉は下がって、無防備であどけない目を見せた。これが手紙の渡良辺だと思った。外江は自分の中に泡のように生まれたものをたたいて消してなんとか知らないふりをする。なに考えてるんだ。

「……これで、いい? 説明、納得いった?」

「うん」

「それを聞きに来たの? こんな早朝に」

「家まで押しかけるか迷ったけど」

「やややややめてよ!」

「お母さん、お赤飯炊いちゃう?」

「そうだよ、そういう母なんだから、しかもご近所さんに言いふらすんだよ! イケメンが来たとか娘が嫁に行くとかあることないこと捏造して!」

「うちの母親と似てるんだよなあ」

 おどろいてきょとんと目を丸くする渡良辺がおかしくて、外江は笑った。

「渡良辺、また手紙書いてよ。飽きるまででいいから。俺、あんたの手紙好きなんだ」

「こんな本性見せといて、もうあんな手紙書けないよ」

「手紙のあんた、すっごくカワイーもんな!」

「だからあっ! そうだよ、手紙だとなんか乙女になっちゃうの、わかってるの自分でもわかってる!」

「いや、手紙じゃなくてもオトメチックじゃない?」

「え、うそ!?」

「さっきのサンタとか。そうだ、ジュディってなに」

 渡良辺は気づいたように、うあ、と声を漏らした。

「なに?」

「……足長おじさんの、主人公……」

 自己嫌悪するように首をうなだれる。足長おじさんってなんだっけ。小学校の図書室にあったような気がする。ともかく、外江はおかしくてしかたがなかった。ねえ、顔をあげる。

「だめ?」

 尋ねると、渡良辺は卑怯だと小声でつぶやいた。

「……もし、書けたら」

「楽しみにしてる」

 本心だった。外江は、手にしていた手紙でぽんと渡良辺の頭をたたいた。日差しが手加減をやめ、夏色に変わりながら教室に差し込んでいた。


王子様とラブレター、第1部終了です。

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